急変の演奏会

ご招待

 場の皆が、すっかり忘れていたのだが、話が終わったところで水黎がお茶菓子を持ってきた。すると、真面目な話の後だから甘いものでも食べようと荘司が言い出して、皆で茶菓子を口にした。

 美里の言葉は事実で、手順をきちんと踏んで淹れられた紅茶は、とても味に深みがあって美味しかった。

 組合から帰る途中、水黎が駅前まで追いかけてきて、余った菓子を持たせてくれた。……田舎にある親戚の家も、確かこんな感じだったような気がする。初めて足を運んだ場所だったのに、あまりにも既視感があった。


 ***


 家に帰ってからは、普段と変わらない休日の夜だ。

 桜緋とは家の前で別れ、今は一人で自室に籠り、課題を片付けている。水黎のくれた菓子を口にしながら。

 ごく普通な公立高校で、成績は中の中。良くも悪くもない。まぁ、社会を生きていく上で極端な支障がないだろうと思われるくらいだ。

 だが一方、千景は上の上だ。それも、最難関大に何人もの生徒を輩出している私立進学校で。運動神経も抜群。弓道に至っては、全国大会でやりあえる実力。あれは、まさしく文武両道の体現だ。


(すごいよなぁ)


 二人って本当に双子なの?

 そんな質問は今まで何度もされた。中学までは。今はそれぞれ別の高校だから、そんなことは言われなくなった。

 双子に限らず、普通なら兄弟で比較されることを嫌だと思うものだろうが、意外にも千尋は千景と比較されることに不快感を抱いたことはない。それどころか、優秀な兄を誇りに思っていた。それはもう、心から。


「――ん?」


 携帯のバイブ音で、千尋は顔を上げた。

 画面を確認すれば、メッセージが一件。ロックを解除して、アプリを起動。魁斗からだ。


《来週の日曜、暇か?》


 ライブのお誘いだろう。……たぶん。

 生粋の帰宅部(彼女なし)男子の休日に予定など入っているわけがない。即返信を打った。


《特に予定はないよ》


 向こうはこちらの返信を待っていたらしく、すぐに応答が来た。


《千歳んとこの吹部が演奏会やるんだが、一緒に行かないか? 彼奴、たまにはお前にも演奏聴いて欲しいんだと》


 なるほど。そういうことか。

 幼馴染の魁斗が愛してやまない妹、千歳。中学生である彼女は、吹奏楽部でフルートを担当している。彼女は、とても筋が良いそうで、昨年入部してすぐに慣れたとか。先輩から可愛がられ、最近できた後輩にも慕われる、部員の鑑なんだとか。彼女に関する、あらゆる話は、控えめに評してシスコンな兄からのものなので、少し信憑性に欠けるところがあるが、千歳の人柄が良いことは千尋もよく知っている。

 千歳は自分のことをただの幼馴染ではなく、血の繋がった兄のように慕ってくれている。そんな千歳が来て欲しいと言っているのだ。断るなんて、できるわけがない。


《分かった。楽しみにしてるって、千歳ちゃんに伝えておいて》

《おう》


 ……兄貴ガードが恐ろしく固いせいで、千尋は彼女のアカウントを幼馴染だというのに、いまだ登録できていなかった。


 ***


「私も行こう」

「へ?」


 下校途中、桜緋とばったり会って、たまたま演奏会の話をした。それを聞いた桜緋は、真顔で同行を宣言したのだ。

 千尋は予想を超えた事態を呑み込めず、頷くような曖昧な動きをしたが、すぐ我に返って問い掛けた。


「……なんで?」


 桜緋は千尋からの問いに答えず、逆に質問を返してきた。


「バス乗らないのか?」


 学校の目の前にバス停はあるのだが、今日はコンビニでネット通販の決済(切らしてしまったアクリル絵の具を購入したのだ)をするため、バスには乗らずに歩いていた。ちなみに、学校から近くのコンビニまで、歩いて五分ほどかかる。神奈川県東部だというのに、微妙に辺鄙というか、田舎というか。


「コンビニに行くんだよ。用事を片付けに。……僕の質問にも答えてくれない?」

「一緒に行きたい理由は純粋に興味だ。音楽を嗜むという感覚は、人間と同じように精霊にもきちんと備わっている。音楽鑑賞は、それなりに」

「へぇ」

「なんだ。私が一緒というのは嫌なのか?」

「いや、別にそういうつもりで訊いたんじゃないよ」


 ただ、意外だった。

 人間の文化に興味を持つとは思わなかった。桜緋は常に、どこか達観していて、やはり自分たちよりも長生きで、上位の存在という印象が強い。

 精霊と人間に上下関係は存在しないが、桜緋や梅妃のようなタイプは人間よりも偉いというか、高位に位置しているような気がしてしまうのだ。


「ま、普段は邪気のことしかお前に話さないからな。不思議に思われても仕方ないか」

「ごめん」

「だから、そう謝るな。今更なんだよ」


 千尋の感覚では、桜緋とは出会って一年。しかし、桜緋は違う。前世を含めて何十年もの時を、千尋の魂と共有してきたのだ。

 千尋が下手に遠慮すると、桜緋は傷つく。千尋と前世の千尋は異なる存在なのだと、見せつけられて。


「……あのさ、桜緋」

「なんだ?」

「前世の僕って……僕に似てた?」


 桜緋は瞠目して千尋の方を見た。そして、少し考える。千尋の頭上あたりに浮かんで。何となく、くるりと宙返りをして。


「そうだな……ひどく似ているところもあれば、全然違うところもある」

「そっか」

「ただ――」

「ん?」

「お前はお前だよ。前世云々関わらず。……お前が彼奴の転生であっても、お前は藤原千尋であるということを、私はきちんと理解している。……彼奴とお前は違うと、私は分かっている。その上で、私はお前に付いているんだ」


 前世で僕と彼女がどんな関係だったのか分からないが、彼女は前世に囚われているわけではない。

 真っ直ぐな紅い瞳が、それを物語っている。

 彼女は、彼女の意志で、と共にいてくれている。僕は、その事実が、嬉しいと思えた。

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