訪問

 横須賀中央駅東口に出た千尋は、きちんと背後に桜緋の気配があるか確かめてから、呑み屋街に向かって歩き始めた。駅前の階段を下り、交番の脇を抜けて、狭い路地に入っていく。

 午前の呑み屋街は、ほとんどの店が閉まっていて、開いているのはコンビニと漫画喫茶くらいだ。閑散とした路地を抜け、パチンコ店の裏路地に入った。

 目立たない、表通りから離れた地味な雑居ビル。ここの三階が精霊組合横須賀支部だ。

 千尋は正面玄関から屋内へ入り、エレベーターのボタンに手を伸ばした。すると、千尋の指がボタンに触れるよりも先に、ボタンが反応し、エレベーターが稼働した。

 千尋が不審に思うよりも早く、ボタンの前に一人の女性が現れた。色っぽい芸妓の衣装を纏った妙齢の女性。聞くまでもない。彼女は精霊だ。


「うむ。ぬしが客人で相違ないかえ? ……わっちのことがようじゃしのぅ」

「あ、はい。藤原千尋です」

わっちの名は梅妃。皆からは妃と呼ばれておる」

「よ、宜しくお願いします……」


 なんというか。

 目のやりどころと、この精霊ひととの接し方に困る。余裕たっぷりで、包容力のある雰囲気の中に存在する鋼のような強かさに、否応なく委縮してしまう。本能が、彼女に屈してしまっている。

 何もされてもしないし、してもいない。初対面、ファーストコンタクトだというのに。

 千尋が梅妃の圧倒的な空気に呑まれて、身動きが取れないでいると、ずっと隠形していた桜緋が庇うように顕現した。すっと二人の間に入り、梅妃を睨む。


「連れを怯えさせるな。百戦錬磨の貫録は時に脅威だ」

「久しいの、桜緋。ぬしは、ほんに変わらぬのぅ」

「そう言うお前も変わらんな。……だが、無自覚は年を重ねて悪化したか」

「ぬしとて無自覚じゃろう。わっちの貫録なんぞより、ぬしの口調の方が、よほどおっかない」

「そうか? 私は、私らしい話し方をしているだけだ」

「ほう? なら、もっと年寄り臭く話してみい。わっちよりも長命な桜よ」

「私とそう変わらん梅に言われる筋合いはない」


 梅妃の方が見た目は年上だというのに、二人は対等に話している。しかも、久しいということは知己なのだろう。だが、その割には、妙に空気が刺々しい。

 千尋が困惑していると、梅妃がそれを察したらしく、苦笑して桜緋に告げた。


「……桜緋や。連れが戸惑っておるぞ?」

「む。……どうした、千尋」


 瞬きして振り返られても、どう言えばいいのか。正直、さっぱりである。

 曖昧な笑みを向けても、桜緋の眉間に皺が寄るだけだ。どうしよう。

 二人の剣呑なやりとりよりも、急降下中の桜緋の機嫌の方が問題のような気がしてきた。それも、深刻な問題である。


「えっと……」

「どうした。はっきり言ってくれ」

「と、言われても……」


 ま、まずい。桜緋の苛立ちが梅妃との会話も影響して高まる一方だ。

 感情の昂ぶりによって零れ出した桜緋の霊気が、その癖のない髪を揺らしている。

 梅妃ではないが、不機嫌な桜緋の方が怖い。怖すぎる。


「落ち着いたらどうじゃ、桜緋。ぬしの連れはわっちとぬしの関係性が気になっておるだけじゃろう。……わっちらは、ただの古馴染み、腐れ縁じゃよ。これでも何度も共に修羅場を乗り越えてきたのじゃ」

「口を開けば口論になるが、私たちにとっては、これが普通だ」

「へぇ……」


 喧嘩するほど仲がいい、ということか。

 でも確かに、この二人なら困難な状況でも言い合いをしつつ、切り抜けていそうだ。二人とも、長い時間を生きている。邪気を始め、精霊として様々なと対峙してきたはず。不思議なことだが、今の不仲としか思えない舌戦を目にした後でも、この二人が互いに背を預け合っている光景が容易に想像できてしまう。

 そんなことを思っていたらエレベーターが到着した。


「さ、向かおうかの」


 ***


 三階でエレベーターから降り、梅妃の先導で廊下をまっすぐ進む。印象は普通のオフィスビルだ。中にいる人は予想通り少ない。少ないどころか、廊下を歩いていても誰ともすれ違うことはなかった。精霊組合は表の世界には出ない組織だから、それも当然のような気がするが、なんだか違和感を拭いきれない。

 三人は終始無言で歩みを進めていたが、一番奥の部屋の前で梅妃は止まり、扉の脇に控えて隠形した。


「これって……」

「中に入れということだろう」


 桜緋が一歩前に出て、扉を無造作に開けた。ノックもせずに。

 千尋が思わず小声で咎めたが、桜緋は動じるどころか片眉を上げてみせた。


「今更だろう。建物に入った時点で私たちに気づいていただろうからな」


 そういう問題ではないだろう。

 それを千尋が口にする間もなく、二十代と思しき男女が二人を迎えた。


「いらっしゃい、千尋君」

「お久し振りです、富士宮さん」

「今日はわざわざ呼び出してしまって悪かったね。せっかくの休みだろうに。……お詫びというわけでもないが、今度またお店に顔を出すよ」

「ありがとうございます。お待ちしています」


 男性の方が千尋と面識のある富士宮荘司だ。背が高く、髪は腰までの長いものを旋毛で結い上げている。千尋の家が営む和菓子屋を贔屓にしている若者で、いわゆる常連であるが、その本来の顔は年齢と釣り合わないとまで囁かれるほどの実力を持ち合わせた、期待の若き祓い屋である。

 桜緋とも面識があり、桜緋が千尋と出会う前、荘司に何度も声を掛けられて面倒だったという話があったりするものの、それを桜緋はあまり話したがらないので、千尋も詳細は知らなかった。だが、桜緋の荘司に対する態度から、それがどのようなものだったか、千尋でも容易に想像ができている。


「桜緋も手間を掛けさせて、すまなかった。少し俺の霊力を……」

「お前の霊力は要らん。お前に肩入れするつもりはないと何度言えばわかる」

「残念。全敗記録更新だ」

「その記録が途切れることはない。断言しよう」

「相変わらずだね、桜緋」

「いきなりで申し訳ないのだけれど、本題に入っていいかしら? さ、二人ともそこに座って頂戴」


 そう促されてソファに腰掛けた。

 座るよう勧めてくれた、こちらの女性とは初対面だ。

 不思議なことに雰囲気が荘司に似ている。目鼻立ちも何となくだが、似ているような。


「初めまして」


 声にシビアな印象を受けるのは、ピシッと決まったスーツのせいだろうか。銀座あたりを颯爽と歩く、やり手なベンチャー企業の女幹部と言われても、誰一人疑いはしないだろう。しかし、現実は違う。


「私が精霊組合横須賀支部支部長、富士宮美里です。弟から話は聞いているわ、藤原千尋君。邪気に惹かれやすい体質なんですってね」


 弟?

 千尋は瞬きして二人を見比べた。そして、まさかと思った。千尋が口を開くよりも早く、隣に座っている桜緋が唇の端を吊り上げた。


「ほう、なるほど。荘司の姉であったか、横須賀の長よ」

「富士宮には、なぜか霊力の高い子が生まれやすくてね。私たちの兄は組合の重役だし、妹もいつかはにくるでしょう」

「ま、霊力の強弱は血に影響されやすいものだ。安倍氏や賀茂氏が一族で陰陽師を生業としていたことあたりを挙げれば、納得できるのではないか?」

「そうね。確かに同意できるわ。……さすがは長命の桜。博識ね」

「博識なんかじゃないさ。長生きなぶん、色々なことに気づき、様々なことを知ってきたまでよ」


 そんな前置きを話し終え、美里は一旦息を吐き、すっと千尋に視線を据えた。


「ねえ、藤原君」


 美里は単刀直入に切り込んだ。


「この事態をどう考えてる?」


 邪気に惹かれ、邪気を惹きつける君は。

 広範囲に邪気が跋扈する、この事態を。

 いったい、どう思っている。

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