精霊組合

祓い屋

 退廃的な乾いた世界。ここには何もない。灰色の荒野が延々と広がる。それだけの世界だ。

 富士宮荘司ふじのみやそうじは近所の路地を散歩するときと変わらない、実にのんびりとした歩調で、この異質な世界を見回っていた。いや、この世界において異物であるのは荘司の方だ。荘司は世界の主に招かれていない、侵入者なのだから。


「全く、嫌な空気だ」


 誰に向けたわけでもない言葉。しかし、それに応じる気配を荘司はしっかりと感じていた。

 そこからしばらく歩いていると、禍々しい気配が濃密になっていき、とうとう前方に巨大な影が現れた。あの悍ましい化け物が、この世界の主だ。

 影は警戒心を以て、侵入者を見下ろした。


「……見つけた」


 荘司の視線は影に向けられていなかった。その瞳は、ただ一点だけを捉えている。

 影の中。その中枢。そこに、小さな光が眠っている。安らかに眠る姿は、見る者に幸福ではなく、恐ろしさを抱かせた。あれは、この影を生かすエネルギーの源泉であり、荘司が一刻も早く救い出さねばならない命でもあるのだ。あの光が奴の餌となって終わることは絶対に回避しなければならない。助けなければ、今すぐに。


「返してもらうぞ」


 宣言するや否や、荘司は右手で刀印を組み、横一文字に振りかざした。高圧かつ強大な霊力が空気を切り裂き、影の胴を呆気なく焼き切った。

 影が苦痛と怒りの雄叫びをあげ、躰を支えていた下半身を失って転倒する。しかし、下半身は上半身から切り落とされても消滅しない。この世界は影の生んだもの。よって、世界は、唯一の主へ無限に近い活動エネルギーを与えているのだ。

 真っ二つにされて二体となった影が殺意を放ちながら、それぞれ荘司に襲い掛かる。

 荘司は眉一つ動かさず、避ける真似もしない。当たり前だった。彼には、守護がいる。

 背後に隠形していた二人が前に出ると同時に顕現し、それぞれの得物で迫り来る影を退けた。片方は小学生を思わせる年齢の少年。もう一方は妙齢の女性。どちらも無論、人間ではない。邪気を滅する者――精霊だ。


「荘司。精霊ひと任せにも程がある」

「うむ。守らせるにも、一声かけるのが礼儀というものじゃろう」


 二人の抗議に荘司は笑顔を返した。


「すまない」

「この若造ときたら……」

「この精霊たらしが。僕らがお前の高い霊力に惹かれて付いているとはいえ、過信も大概にしろ」

「褒めないでくれ、石哉せきや

「褒めてない」


 軽口を叩きながらも、油断は一切していない。間合いを見て攻撃を続ける影は、二人の精霊によって何度も何度も退けられ、荘司に近づくことすらできていなかった。

 荘司は防御を二人に任せておき、その間に戦略を練った。といっても、ほぼ考えることなく結論は出た。なんせ、富士宮荘司は業界内では名の知れた若き祓い屋。修祓はお手の物である。


水黎みれい、悪いが手伝ってくれ」

『もちろん』


 いまだ隠形したままの水黎との会話を聞いた石哉が自身の短刀を振るいながら、じとりと荘司を睨み付けた。


「水黎には気を遣い、僕とひめには何もなしか」

「ごめんって。……そうだ。あとで何か奢ろう」


 精霊は何も口にせずとも生きることが可能だが、嗜好として飲食することはあるのだ。ちゃんと好尚だってある。それぞれ皆、十人十色だ。

 迫っていた影の触手を叩き切り、石哉は即答した。


「“和ごころ”の大福」

「藤原さんの大福か……いいよ。今度になるが、買いに行こう。水黎と妃は何がいい?」

『私は何も……』

わっちは無論、梅酒じゃな」

「はいはい、妃はいつも通りだな。――水黎? あまり遠慮するなよ」


 鉄扇で影をあしらいつつ澄まして答えた梅妃うめのひめ――妃は愛称である――に思わず苦笑を漏らしたが、水黎は少し控えめ過ぎる面がある。荘司は言っていいんだぞ、と優しく促した。


『じゃあ……水飴』

「うん。これは早急に藤原さんのとこに行かなきゃならないな。――早く片付けるとしよう」


 これまでは朗らかな口調だったが、仕事モードに切り替えた瞬間、その穏やかさは消え、代わりに鋭さと冷徹さが滲んだ。これが、祓い屋としての荘司なのだ。


「水黎」

「はい」


 顕現した少女――水黎が両の手を頭上に掲げた。その手を中心に水が渦を巻き始め、やがて巨大な球体が出来上がった。


「……行け」


 水黎の言葉を受けて、球体が宙に舞い上がる。水黎は剥き出しの細腕を振り下ろし、己の霊気の具現である水に凛とした声音で命じた。


「絡め捕れ!」


 球体から何本もの水流が飛び出し、石哉や梅妃が防いでいた影の触手を攫っていく。触手を操っていた本体も、太い水流に呑まれた。水に呑み込まれ、為す術もなく球体に吸い込まれた影。球体が結界となり、影の動きを完全に封じていた。

 それを見届けた荘司は、結界を維持する水黎を振り返った。


「ありがとう、水黎」

「いえ」

「さて……仕留めるか」


 荘司が普段と変わらない歩調で球体に近づいていき、その真下で刀印を振り上げた。


「滅!」


 邪気が瞬きする間もなく祓われて消滅し、それを受けた水黎も球体を霧散させた。今回は少しばかり邪気の濃度が高かった。水の結界で縛っていたから一撃で祓えたのだろう、と荘司は思っていた。

 そして、邪気から解放された光は、空中で一人の子供となった。まだ小学生にも満たない年頃の女の子だ。それを認めた梅妃が、すかさず地を蹴って腕を伸ばした。


「んっ……うむ。障りはなさそうじゃな」


 幼い少女を抱き留めた梅妃が安堵の笑みを浮かべ、その額を揃えた指で撫でる。


「そうか……無事で良かった」


 仕事完了。

 荘司も微笑み、崩れていく世界を後にした。

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