組合の召喚
「待たせたわね」
校舎の奥。昼間でも滅多に人の来ない非常階段前に千尋は呼び出された。
廊下を走ってきたのか、和葉の髪と息が微かに乱れている。
「いえ、僕も着いたばかりです」
挨拶も碌にないまま、和葉は切り出した。
「それで、早速本題だけど」
邪気が異常発生している。
これは看過できるものではない。一刻も早く解決しなければ被害が拡大する。
言うまでもなく、邪気は常人にとっても毒だ。邪気は霊力の強弱関係なく、人間を蝕む。勘のいい者は既に体調を崩し始めていて、病院は患者でごった返しているらしい。このままでは、この地域一帯の人間が喰い尽くされる。肉体も精神も闇に呑まれてしまう。
「桜緋から聞いたわ。……お兄さんの学校」
「はい……季節外れのインフルで当分の間は休校です」
千景の学校で、全生徒の三分の一がインフルエンザを発症した。ゆえに、学校と寮が緊急閉鎖された。だから、唐突に千景は帰ってきたのだ。今頃は家で自習や弓道の自主練に勤しんでいるだろう。幸いなことに、千景は健康体そのものであった。
千尋の学校は通常通りなので、このように変わらず登校している。
「千景の学校のも……?」
「恐らく」
邪気によるものだ。
和葉や桜緋は懸念している。この地域だけでなく、この事態がこの国全体に広まることを。精霊として、それだけは阻止しなければならないと桜緋は呻いていた。本当ならば、これほどの規模になる前に収束させるべきだったのだ。しかし、悔やんでも手を打たなければ事態は悪化する一方。己の無力を嘆く暇などない。
「楓雅も探っているけど、全く原因が分からない」
「精霊は、こういうことが起こらないようにするための存在ですよね?」
「ええ……邪気の根本的な根源は、人間の闇。人間の闇は、霊気の淀みの元だから。その負の感情との均衡を保つために、精霊は誕生した」
「その精霊が手に負えない邪気って、一体……」
和葉も今回ばかりは参っているらしく、苛立ちを隠すことなく前髪を掻き揚げた。
「私にも分からないわよ。邪気祓いをし始めて、それなりに長いっていうのに……」
沈黙が下りた。
こういう時、千尋は何もできない。邪気と惹かれ合う体質を持つ千尋が手伝っても、事態が更にややこしくなるだけ。頭で分かっていても、やはり何もできない、守られるだけというのは辛い。
その時だった。
くぐもった電子音が耳に入ってきた。千尋が不思議に思って首を傾げるのと、和葉がスカートのポケットから携帯を出すのは同時だった。
「ちょっとごめんなさい」
和葉が千尋から少し離れる。
千尋は何も考えずにその姿を眺めていたが、和葉が急に目を見開いて声を上げた。
「え、藤原君をですか!?」
何事だろう。まさか自分のことを話しているとは思っていなかった。気になるが、聞き耳を立てるのも失礼だろう。もやもやとしたものが胸に溜まる。
しばらくしてから通話を終えた和葉が戻ってきた。すぐさま問う。
「あの、僕の話してました……?」
「藤原君。唐突だけど、精霊組合と接点は?」
質問を質問で返され、こちらの話を聞いているのだろうかと千尋は微かに顔を顰めた。けれど、和葉の目は真剣だったので答える。
「一応は……」
「支部の人間と面識は?」
「えっと……祓い屋の、富士宮さんと少し。富士宮さん、うちの常連なので」
「ならいいわ。……今更だけど、精霊組合は分かるわよね?」
「はい」
精霊組合は此岸の霊的平和を保つことを目的とした組織だ。
精霊と人間。両者の求める支援を行い、両者が協力して邪気を祓う体制の確立を成し遂げた歴史がある。精霊と人間の共存、繁栄を願って明治期に創設されたのだ。
「横須賀支部の
「僕もですか?」
「君の邪気と惹かれ合う体質は不思議なものだし、召喚は自然だと思うけど? 話したのでしょう? 富士宮さんに」
「……そうですね、確かに」
へぇ、面白いねと、興味深そうに呟いていた富士宮の顔が脳裏に浮かんだ。祓い屋の彼に興味を抱かせる自分は、やはり特異な存在なのだろう。
千尋は和葉に真っ直ぐ向き直って、了承した。
「分かりました。次の休みにも行ってきます」
「ええ。来訪の連絡は私からしておくから」
和葉の言葉に頷き、千尋は自分の教室に戻った。
学校一の美人と二人きりで話していたことをクラスメートに目撃されていたらしく、教室に入った途端、千尋は質問攻めに遭った。次から次に襲い掛かる面倒な問いを適当に躱しながら千尋は、桜緋にも説明しなければ、と思っていた。
帰宅しようと昇降口から外に出ると、桜緋が佇んでいた。他の生徒に遠慮したのか、桜緋は無言で手招きし、桜並木の方へ
生徒があまり通らないところまで来て、桜緋が口を開いた。
「楓雅から聞いた。組合の召喚があったそうだな」
「うん。来てくれるよね?」
「私も組合の言うことは無下にできない。精霊を支える集団だからな、あれは。昔から世話にもなっている」
「へぇ……」
無敵なように感じる桜緋も、支援組織の手は借りるということか。意外そうな顔をする千尋。すると、桜緋は心外なと言いたげに渋面を浮かべた。
「千尋。お前、私は常に孤高だと思っていないか?」
「……ごめん」
「謝ることではなかろう。そんな風に思わせていた私に非がある」
苦笑して桜緋は肩を竦めた。
千尋が何も言えなくなっているのを気にすることなく、桜緋は木の上に飛び乗った。
「じゃあ、次の休みは組合に赴くんだな?」
「あ、うん」
「分かった」
そう言うと、桜緋は一瞬で隠形した。
千尋は桜緋の立っていた木の枝を見上げ、頭を掻いた。
「……はぁ」
どうして、こうも硬いやり取りになってしまうのだろう。
自分のコミュニケーション能力のなさを、心から呪う千尋だった。
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