桜の警戒
満開の桜並木。気侭な風によって否応なく散る花弁。それらが無数に乱舞する中、彼女は音もなく、僕の前に舞い降りたのだ。
やっと……やっと逢えた。
初めて聞いた彼女の声は、か細くて、何かを恐れるように、震えていた。
***
横須賀といえば軍港。けれど、それなりに山も多いのだ。千尋はバスに揺られながら、住宅地を眺めていた。学校に向かう道はかなりの上り坂で、元々山だったという話にも頷ける。千尋は駅から乗るために必ずといっていいほど、朝の通勤ラッシュ時でも座れるのだ。ちなみに魁斗も同じ高校に在籍していたのだが、彼はこの傾斜を威勢よく自転車で上っていたそうだ。
千尋の通う三笠高校は、北久里浜駅からバスで十五分のところにある公立高校だ。高台にあるため、校内からは団地を一望できる。山の中なので、周囲が住宅地といえど騒音は少なく、授業中にはどこからか飛んでくる鳶の鳴き声が学校全体に響き渡るくらいだ。
「あ、藤原先輩」
「あ……」
席の側に立っていた同校生に声を掛けられたが、ぼうっとしていた千尋は反応が遅れた。バスの中で話し掛けられることは滅多にないので、正直驚いた。先輩や後輩の知り合いは帰宅部ゆえに少ない。
「お早う、城ヶ崎」
「お早うございます。帰宅部なのに、早いんですね」
「このくらいの時間だと余裕で座れるから」
肩を竦める千尋に、なるほど、と笑う城ヶ崎。隣いいですか? と問われ、千尋は少し席を詰めた。
「今日は朝練なくて……けど、いつも朝練あるせいか普通ってどのくらいに行けばいいか分からなくて。早めに出て来たんですよ」
「運動部あるあるかあ……」
「そうなんですよ……」
城ヶ崎とは委員会で親しくなった。向こうから話し掛けてきたのだが、気さくでいて礼儀正しい態度はとても好意的に思えた。いつもは無言の登校時間。今日は少し楽しめそうだ。
***
ねっとりとした重苦しい空気。
肺腑がその穢れた気を拒んで、呼吸がままならない。そこにいるだけで身体が拒絶反応を起こし、頭痛と吐き気を催す。人間という
しかしそれでも、少女はそこに佇んでいる。己の為すべきことを、為すために。
***
三笠高校正面の桜並木。青々とした葉を茂らせる木々の中の一本。その中でも太い枝の上に、桜緋は寝転んでいた。桜の精霊は桜に依る。当然だ。
千尋の前に現れる回数は少ないものの、桜緋は常に、その傍にいるのだ。本人に悟られないよう留意しながら。千尋は彼奴の体質を継いでいる。ゆえに守らねばならない。他の誰でもない、私が。
『……これは』
淡い色の髪が、無意識に逆立った。本能が警鐘を鳴らしている。この不穏な気配。かなり強いから、恐らく千尋も気付いただろう。これは傍観していられない事態だ。
桜緋はむくりと起き上がって枝の上に立ち、太い幹に手をついて校舎のある方を睨んだ。
『湧いたか』
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