桜と楓、乱舞す
体躯に絡む髪が鬱陶しい。金のそれは染めたわけではない。地毛だ。
「結わえてくるべきだったわね……」
舌打ち交じりに呟く。今更戻って出直しなんて、できるわけがない。目の前にいる此奴が逃がしてくれないだろう。
体長は大体五十メートル。見た目は……大蛇に近いか。感想を一言申せば、でかい。もう一言申せば、でかすぎる勘弁しろ。といったところ。
うんざりしつつ、そいつを見上げた。すると、奴は殺気を漲らせ、咆哮を轟かせた。地面が割れるのではと不安になるくらいの大音声。思わず耳を塞ぐ。それを好機と捉えた巨大な蛇もどきは、頭突きをかましてきた。直撃すれば、一発でぺしゃんこ彼の世行きコースだ。
「くっ……!」
耳を塞いだまま飛び退いて、どうにか回避。しかし、その衝撃で足場が地割れてしまった。このまま落ちたら、どっちにしたって奈落の底の黄泉の国直行コースではないか。それは実に困る。自分は此奴を狩りに来たのに、誤って死んだら笑い話もいいところだ。しかし、飛び上がって宙に浮いた身体は、重力に従って降下を始める。まずい。
「……っ、仕方ない! 楓雅!」
言霊の召喚に応じて顕現した楓雅は、落下しつつあった瘦躯を空中で抱き留め、地割れで岩のように隆起してしまった地面の一角に着地した。
精悍な風貌の楓雅が深く溜息を吐く。この娘、いつになったらこのお転婆が治るのやら。もう少し慎重な戦い方ってものを覚えたらどうだ。
「……で、どうする? 和葉」
「思っていたよりも大きいわ、此奴」
「そうだな。でも、これほどの規模の異空間を生んだんだ。ある意味、道理だろう」
「そうだけど……」
逞しい腕に抱かれたまま、和葉はしばし考える。その間も、大蛇は絶えず攻撃を仕掛けてきているが、楓雅が空いている馬手で自らの身長ほどもある大剣を振るって防いでいた。これも時間稼ぎに過ぎない。破られるのは時間の問題だった。
「和葉、早めに頼む! 防ぎ切れなくなる……!」
楓雅の額に焦りからか汗が滲んだ。和葉とて、必死に戦略を練っているのだ。しかし、仕留められるか。足止めならば可能だ。でも、斃すには……
「自らの得物を振るう前から諦めるな」
大蛇の猛攻が唐突に止まった。
大蛇の周囲を無数の桜の花弁が囲い、強靭な結界を成しているのだ。結界が、大蛇の動きを完璧に封じている。
和葉は現れた相手を認めて瞠目した。
「桜緋……!?」
「珍しいな、お前が介入してくるとは……」
楓雅も驚きを隠せない。邪気祓いを行っている最中に、彼女が割り込んでくるのは稀だ。まさか桜緋が参戦してくるとは。正直いって、想定外だ。
二人の驚きようを気にしていない桜緋は、両手を大蛇に翳したまま振り向くことなく口を開いた。
「此奴が千尋に魅かれる可能性があるから動いたまで。……私が抑えているうちに、討て」
桜緋は精霊の中でも長寿だ。よって、こういう場合とても頼もしい戦力となる。
和葉は大きく頷いた。
「分かったわ。……楓雅、降ろして」
地割れの及んでいない場所に降り立った和葉は、肩から斜め掛けにぶら下げていた袋から木刀を取り出した。両の手で握り締め、その切っ先に霊力を注いでいく。使い古したそれが、霊力で仄かに発光してきた。そして、大蛇に向かって、地割れを避けながら疾駆する。
それを横目で確認した桜緋が声を張り上げた。
「結界ごとで構わない、斬れ!」
「ハアアアッ――――!」
渾身の力を込めて、和葉が斬撃を放った。
結界諸共切り裂かれた大蛇の肉は、再生を試みることなく滅んでいく。桜緋が結界の破片を操り、再生を防いでいるのだ。
主の消えた異空間が揺らぎ始めた。次いで、崩壊していく。砂の城が、波に揉まれて消えるように、穢れた空間は消え去った。
異空間が崩れ去った直後、三人を迎えたのは……千尋だった。和葉は軽く目を見張っている千尋を一瞥した。けれど、それを気に留めることはなく自らの乱れた制服を整える。解けかかったスカーフを結び直し、砂埃を叩き落とした。
横須賀では珍しいセーラー服。紺のそれは、和葉の金髪とは対照的。だが、そのコントラストが美しい。この容姿に惹かれている男子生徒は、言うまでもなく数多だ。
「気になったの?」
愛想のない淡々とした口調で、和葉が問う。何が、なんて言う必要もない。
千尋は素直に、こくりと頷いた。
「はい……すごく強い気配を感じたので」
「見ての通り桜緋もいたから片付いたわよ」
「みたいですね……良かったです」
和葉が小さく溜息を吐いた。千尋は強い霊力の持ち主だ。邪気が魅了されるほどの力を保有している。しかし、千尋は和葉と違って邪気祓いは行わない。……自らを守る術がない。この場に現れることが、どれだけ自身を危険に晒しているのか千尋は分かっているのだろうか。
苛立ちを滲ませて、和葉は千尋に問い掛ける。
「藤原君。興味本位で近づくと、君の命が危なくなるのよ? 理解しているの?」
和葉の責めるような口調に楓雅が表情を曇らせるも、その指摘は事実であるから何も言わない。けれど、それにしたって、もう少し柔らかい口調にできないものか。先ほどまでの好戦的な姿から一変している。普段の和葉は、冷淡で理性的な言動が目立つのだ。
和葉の言うことは最もだ。それは、千尋も理解している。それでも、赴いてしまうのだ。足が向いてしまうのだ。思考の及ばない、もっと深いところの意志が、千尋を邪気の元へ誘ってしまうのだ。
ずっと無言で事の次第を見守っていた桜緋が、とうとう口を開いた。
「……千尋のそれは、昔からのものだ。どんなに本人が抗ったとしても、本能には勝てまいよ。言うなれば千尋のそれは、邪気を引き付け、自らも惹かれてしまう……体質だ」
「だから貴女が守っていると?」
「そうだ」
和葉と桜緋の視線が交わった。どことなく不穏な雰囲気が辺りを包んでいる。楓雅は、自分よりも低い位置にある二人を見下ろした。こういうとき、女の間に割って入ると碌なことがない。とばっちりを食らうのが目に見えている。しかし、それを千尋にやらせるのは酷というものだろう。ここは、自分が犠牲になるか。
楓雅が声を掛けようとするも、何故か先に千尋が桜緋を振り返った。
「桜緋」
「なんだ?」
「さっきから思ってたんだけど、顔色少し悪くない?」
「……そうか?」
思わぬ指摘だ。桜緋は頬に手を当てて首を傾けた。確かに、少し寒気がしなくもないような。
千尋は仄かに笑みを見せて、桜緋に手を差し出した。
「ほら」
桜緋の中に虞に近いものが生まれた。今回は霊力の消耗が激しい。頼れば、千尋への負荷が大きくなってしまう。しかし、千尋の心遣いを無下にすることもできない。桜緋は意を決して、恐る恐るその手を取った。
桜緋に触れられた瞬間、一気に血の気が失せた。掌だけでなく、全身の温度が急激に下がる。霊力を分け与えるのだから、多少の肉体への影響は避けられない。これは、戦えない千尋が守ってくれている桜緋にできる、数少ない恩返しだ。惜しむ理由などない。
「……千尋」
補填を終えた桜緋が顔を上げた。疲労で白かった頬が桜色に戻っている。桜緋が重ねていた手をずらし、緩く指を絡めてきた。
「ありがとう」
思わぬ不意打ちに頬が熱くなるのを感じた。いつもの気高く凛とした立ち振る舞いからかけ離れた、少女らしい無邪気な笑顔。霊力の低下によって貧血になりかけていたのが噓のようだ。
そんな千尋を桜緋が不思議そうに見上げる。こてん、と小首を傾げていて、何とも……
「藤原君」
「は、はいっ!?」
変な声が出てしまった。和葉が呆れたような表情でこちらを見ている。うう……恥ずかしい。
「桜緋が付いているからといって、これからも油断はしないで。……喰われるわよ」
忠告に千尋は表情を引き締めて頷いた。自分はいつ喰われてもおかしくない。奴らにとって、自分は魅力的な餌なのだから。気を付けようと心に誓う。
「……そんな深刻そうな顔するな、千尋」
楓雅が微苦笑を浮かべ、力を抜けと言うかのように千尋の肩を叩いた。
「確かに、油断は大敵だ。けどな? 気を張りすぎるのも良くない。桜緋はお前が健やかに在れるよう尽力しているんだ。緊張のし過ぎで心穏やかでなくなったら本末転倒だ。程よく気を抜け、な?」
楓雅らしい物言いだ。楓雅は理想の兄というものを具現化しているような気がする。気難しい和葉とも、うまく付き合っているのだから、本当にすごい。
そういえば、二人はなぜ一緒に行動するようになったのだろう。自分と桜緋のように何か因縁があったのだろうか。なんだかんだで話すことが多い二人だが、その関係性は謎だ。
「あの」
「そろそろ昼休みが終わるわ。戻りましょう」
訊こうと思ったのに。だが、授業に遅れるのはよろしくない。
「そうだな。お前たちの本業は学問だ。思い切り学んで来い」
校舎に向かおうとしていた和葉が振り返り、形の整った眉を寄せた。
「……その言い方、爺臭いわよ? 楓雅」
「おい……そういうこと言うなよ。気にしてんだぞ、一応」
「確かにな。私も同意見だ」
くすくすと笑いを噛み殺しながら、桜緋も同意する。
楓雅に裏切り者め、と睨みつけられても応じる素振りがない。どうやら笑いを堪えるのに必死なようだ。見事、ツボにはまったらしい。精霊同士の交流はあまりないものだと以前は思っていたが、それはただの思い込みだった。現に、二人の精霊は楽しげにじゃれ合っている。
「おい、桜緋! 和葉に言われるならともかく、お前が笑うのはおかしいだろう!」
「面白いものを見て笑うなと強いるのか? お前は。殺生な奴め」
「そういう意味じゃないことくらい分かっているだろう!? なんでそういう揚げ足取るようなこと言うんだよ! 子供か!」
「そうだなあ……お前に比べたら思考が若いからなあ。致し方あるまい」
「俺より半世紀以上年上のお前が言うなー!!」
千尋は二人の言い合いを面白いなあと呑気に眺めていたが、とうに校舎に入った和葉の切羽詰まった声で我に返った。
「本当に冗談抜きで遅れるわよ!?」
「あ!」
慌てて駆け出す千尋の背に、二人が言い合いを中断して応援の声を飛ばした。
「頑張れよ!」
「無理はするな!」
その声を受けて千尋が微笑む。そして、速度を少し上げて、校舎内へと駆けて行った。
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