桜は僕の古き友

 先に大学生と言ったが、魁斗は高校生の自分より年上。だから、幼馴染といっても兄みたいな存在だ。お互い子供の頃は家が近所というのもあって、よく一緒に遊んだものだ。あの頃に比べれば会う頻度が減ったものの、今でも親しいことには変わりなく、時々こうして魁斗がボーカルを務めるバンドのライブに招待してもらうことも多い。


「なァ、千尋」

「ん?」


 ライブの打ち上げは後日だそうで、今日はこのまま帰宅して問題ないそうだ。そういうわけで、千尋は魁斗とフードコートに向かって歩いていた。そんな中、問い掛けるような視線を向けられる。答えなかったら、また叩かれるだろう。それも、今度は拳骨で。俺に隠し事なんざ百年早ぇ、と。それを経験上承知している千尋は隠すことなく白状した。


「……邪気に、呑まれた」

「ンなことだと思った……」


 普通に考えれば、頭でも打ったのかと訊き返したくなる返答だが、千尋は至って真面目だ。魁斗も同様である。


 此の世には、確かにいる。人ならざる、人外と呼ばれる類の存在が。その一種に、精霊がいる。

 古来より、人々の信仰、祈願、想いが注がれた森羅万象に精霊が宿った。彼等は此の世の霊気の安定を司る。気の淀みより生まれる邪気を祓い、常に此岸を守っている。

 何故、こんな空想じみた話が信じられているのか。それは、実際に話を聞いた人間がいたからだ。人外の者を見、彼等と言の葉を交わし、えにしを結ぶ。そんな能力を持った人間が少なからず存在したのだ。昔よりも数は減ったものの、現代においてもそのような者はいる。千尋や魁斗は数少ない稀有けうな能力を持って生きる人間なのだった。


「意識すっ飛ばすレベルか……よく戻って来れたな」


 感心した様子の魁斗に重い溜息を返す。


「彼女に、助けてもらった……」

「……だろうな」


 重い空気が二人を包んだ。少ない言葉を交わしながら、フードコートでコーラを買った。少しでも気分を晴らしたかったのだ。しかし残念なことに、ストローから冷たい炭酸飲料を啜っても、パチパチと弾けるような炭酸特有の爽快感が鼻を抜けても、沈鬱とした気分は晴れなかった。

 なんせ、人外であっても女の子に救われたのだ。しかも、これが初めてではない。毎日とまではいかないものの、かなり頻繁に起こることだから、尚更応える。

 魁斗も、それを千尋が気にしていると知っているので、あまり言及せずに無言でコーラを飲み干しながら隣を歩く。

 喧嘩っ早く、口の悪い幼馴染だが、こうやってさりげなく気遣いをしてくれるところが、千尋には有り難かった。

 出口に向かって歩みを進めていた時だ。ちょうど話題にしていた彼女の気配が不意に舞い降りる。


「魁斗……? もう終わったのか?」


 十中八九、ライブのことだろう。

 桜色の髪に深紅の瞳。桜染めの留袖を纏った少女の口調は、その見た目に似合わず、ひどく落ち着いていて、大人びている。永い時を生きている為、見た目と精神年齢が噛み合わないのも仕方ない。

 二人は頭上に現れた彼女に軽く目線をやったが、言葉を返すことはなかった。そのまま出口に急ぎ、外に出て人の少なそうな方へ向かう。

 彼女が見える人間は少ないのだ。人前で不用意に会話をした日には、何もないところへ声を掛ける不審者扱い確定だろう。

 春でもまだ少し肌寒く感じる海風が吹き抜ける。観光名物である軍港めぐりの船が観光客を乗せて海上を進んで行く様を眺めながら、千尋は口を開いた。


「……で、何? 桜緋おうひ


 桜緋は手頃な手すりに腰掛けて、別に、と肩を竦めた。


「特に理由はない。ただ、千尋がさっきの邪気の残滓を纏っていないか、気になった」

「十分な理由だろ、それ」


 思わず突っ込んでしまったのは魁斗だ。当の千尋は言葉もなく目を見開いている。こうやって、桜緋が心配を口にすることは珍しい。

 桜緋も魁斗の指摘に少し驚いたようだ。首を傾けて瞬く。


「この程度のことが理由に値するのか? ……笑われると思っていたのだが」

「笑う? 僕が? なんで……」

「……心配しすぎ、だと」


 そう言う桜緋の瞳は、どこか遠くを見ているような、何かを思い出しているような切ない色をしていて、千尋も魁斗も何も言えなくなった。

 二人が反応に困っていることに気付き、桜緋は苦笑した。


「……すまない、困らせたな」

「い、いや別に……」


 ぎごちないやり取りに、魁斗は溜息を吐きたかった。

 なんでも、前世の千尋は桜緋の友人だったらしい。ゆえに、こうやって桜緋は接触してくるのだが、千尋の態度がはっきりしないことが何とも解せない。いい加減腹括って現実を受け止めろ、と一発殴りたかったが、それをするのも悪い気がした。

 この状況は誰でも動じるだろう。魁斗とて、前世の友人を名乗る者が現れた時に平然と、はいそうですかこれから仲良くしましょう……などと言える自信はない。

 だからといって、出会ってから一年経った今でもここまでぎこちないのは、些か問題だと魁斗は思っていた。……本人は、これでも最初に比べたら慣れたつもりらしいのだが。


「まあ、特に問題はなさそうだな。……また顔を出す」

「あ、ああ……」


 桜緋は最後に微笑んで、静かに隠形した。隠形した気配が遠ざかっていく。

 緊張が緩んで息を吐き出す千尋。そんな千尋を見て、全く情けないと溜息を吐く魁斗。


「……なに、その溜息」

「別に。俺は何も言ってねぇだろ?」

「……帰る」


 臍を曲げた千尋が踵を返す。魁斗は慌てて、その肩を掴んだ。


「おいおいおいおい……ちょっと待て!」

「…………何?」


 不機嫌丸出しの声である。こういう時の魁斗は謝罪なんて口にしない。大体、この幼馴染が必死になる理由なんて一つだ。

 心底嫌そうな顔の千尋に、魁斗は真顔で迫る。


「うちの千歳がお前と帰れるって楽しみにしてんだ。勝手に帰るなんざ俺が許さん」


 ほらやっぱり。予想は的中。

 千尋は抵抗せずに諸手もろてを挙げて降参の意を示すも、できるだけ聞こえないよう小さく呟いた。


「……シスコン兄貴」


 ――――鉄拳が、飛んできた。

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