第4話 夜警(下)

 ヨハネとペテロは、朝の街を肩を並べて歩いた。


 エル・デルタの街は、大きな三角州とそれを貫く大通りで造られている。大通りには、様々な形の馬車が走り、道のわきには沢山の人々が歩いていた。


 その人々は、恐怖と蔑視の入り混じった目で、二人の姿を一瞥しては目線を反らした。

 ペテロはその体験を楽しんでいる様子だったが、ヨハネは居心地の悪さしか感じなかった。


 やがて二人は、朝日を浴びながら、路傍にしゃがみ込んで独り言を言っている中年男を見つけた。


 ヨハネはその男の側にしゃがみ込んで言った。

「おじさん、どうしたの。体の調子が悪いのかい?」


 その男は顔を上げると、溜息をつきながら、細い声でうめき声をあげた。

「あああああ、なんだって」


 ヨハネの顔に、酒臭い息がかかった。彼は顔を覆って顔をしかめた。

「おじさん、酔っぱらってるのか。いったいどれだけ質の悪い酒を飲んだんだよ」

「へへへ、裏通りの立ち飲み屋、酒は半分、残りはションベン……」


 ヨハネは酒臭い男を抱え上げながら、ペテロに頼んだ。

「ペテロも抱えてくれ。詰め所まで運ぼう」

「ああ、わかった」


 二人は、槍を片腕に持つと、空いた方の手で、その男の両腕を抱えた。

 その時ヨハネは気付いた。その男の来ている服は、泥で汚れているものの、良い布を使って、丁寧な仕立てで造られていた。ヨハネは驚いて聞いた。

「おじさん。どうしてこんなに酒を飲んだのさ。暮らし向きは悪くないはずだろ。嫌な事でもあったのかい?」


 その男は、ヨハネの顔を凝視した。そして「おまえ、ずいぶん平たい顔してるな」と言うと、もつれる舌で話し始めた。


「私はね、乾物のおろしをしてたんだ。煉瓦の建物を借りて、人を雇って、一時期は『カピタン』なんて呼ばれた時期もあったさ。この街の乾物は、エル・マール・インテリオールの島々から運ばれてくるんだが、最近、海賊どもが大人しくなってさ、漁師どもが小売りに直接売りに来るようになりやがった。海賊どもがしっかり仕事してりゃ、俺の商売もうまく言ってたのに、あいつらしっかり仕事しやがれってんだ……」


 ヨハネはその話を聞いていたが、その男は急にヨハネの腕を振りほどくと、ペテロにしなだれかかって、掻き口説くように言った。


「金髪の兄ちゃんよ。あんたは賢そうだ。俺の言うこと分かってくれるよな」

 ペテロは迷惑そうな顔をしながら、「わかってる」と言った。


 大力たいりきのペテロは、槍をヨハネに預け、一人でその男を担ぎ上げると、詰め所まで一気に運んだ。



 二人はそのまま詰め所で軽食を取ると、また通りに出た。


 朝の時間を過ぎて、人通りは減り始めていた。昼前になると昼食を売る屋台が何台も街中に並び始めた。

 そのうちの一つが、大きな音を立てて倒れた。車輪が飛んで、売り物のくず肉が空中に飛び散った。


 ヨハネとペテロはその方角へ向かって走った。


 二人の男が胸ぐらを掴み合って、怒鳴り声をあげていた。

 その二人は年の頃こそ三十過ぎだったが、外見はヨハネとペテロのように、黒髪に茶色い肌の男と、金髪に背の高い男だった。


 その二人は、言葉にならない言葉を発してもみ合っていたが、ヨハネとペテロがその間に割って入ると、肩で息をしながら睨みあった。


「いったいどうしたんだ」

 ペテロが槍の石突きで石畳を付きながら尋ねた。


「こいつが俺の場所を取ったんだ。わざわざ一番いい場所をショバ代だして買ったってのに」

 金髪が答えた。


「それはこっちの言い分だ。俺は昨日、ここに店出すために高い金を払ったんだ。さっきここに来たら、こいつが屋台置いて得意げに、呼び込みしてやがる。勝手なことを言うな」

 黒髪が言い返した。


「ショバ代? そんなものこの街では取られないぞ」

 ペテロは言った。

「この街の市場いちばは全て、市参事会しさんじかいか、商人たちが集まって作る組合が開くはず。ほんの少しの手数料を払って、支払い済みの木札を借りると、後は儲け放題だ」


 さっきまで喧嘩していた男二人は、お互いの顔とペテロの顔を交互に見ていたが、事情が呑み込めないようだった。


「二人とも騙されたんだ。たぶん詐欺師が二重に金を取ったんだろう。そいつはもう遠くに逃げてるよ」


 それを聞くと、金髪はしばらく口を大きく開けたままじっとしていたが、大きなため息をついた。ひっくり返された自分の屋台を起こすと、商売道具を片付け始めた。

 黒髪の男は、ヨハネとペテロにすがり付きながら、懇願した。


「なあ、あんたら、金を取り返してくれよ。この商売がうまくいくか、俺の人生が掛かってるんだ。借金した金でこの商売を始めたんだ。返せないと債務奴隷になっちまう」


「気の毒だとは思うが、俺たちにはどうしようもないんだ」

 ペテロは顔を背けて言った。


 黒髪の男はヨハネを見ると驚いた表情を造った。そして掻き口説くようにヨハネに行った。

「おまえ、エリアールの出身だろ。顔見りゃわかる。茶色い肌に黒い髪、そうだろ。頼むよ、取り返してくれ。同郷のじゃないか」


 ヨハネは狼狽しながら、男にすがり付かれたまま、困惑していた。


「さあ、一度、詰め所まで来てくれ。人の屋台を壊したんだから、これで終わりというわけにはいかない。大丈夫。俺たちの上役に話しを聞いてもらうだけだから」

 ペテロは優しい声でそう言った。


 黒髪の男は、両脇をヨハネとペテロに抱えられながら、大きく顔を歪めて声を出さずに泣いていた。ヨハネとペテロはその男の顔が見えないように、顔を外側にそむけて詰め所まで歩いた。



 夕方が過ぎ、夜になっても二人の仕事は終わらなかった。二人は夜明けまで、仕事を続けなければならなかった。二人は詰め所で松明を貰うと、槍の先にそれを付けて、夜の街を歩いた。

 人通りは少なくなり、表通りに馬車はいなくなった。ただ、裏通りには飲み屋と飯屋がひしめいていた。そこが夜警の仕事の主戦場だった。

 酒と飯の匂いが漂う歓楽街での夜警は、若くて腹をすかせた二人には拷問だった。


 酔っ払いの喧嘩を分け、道端で眠り込んでる男を助け起こし、無銭飲食の常習犯を詰め所に連れていくうちに、二人は小さな女の子を見つけた。



 五歳くらいだろうか、栗毛の女の子が飯屋の横にしゃがみ込んで泣いていた。


「どうしたの?」

 ペテロは上から覗き込むように言った。

「どこから来たの? お父さんか、お母さんは?」

 ヨハネは槍を地面に置いて、しゃがみ込むとその女の子に話しかけた。


 その子供は取り留めのない説明を始めた。

「……細い橋の向こうに行ったら、怖い人にさらわれて売られちゃぞ、ってお父さんが言ってたんだけど、お隣の犬は足が悪いのに、ぴょこぴょこ行っちゃうから、連れて行ってあげようと思ってついていったら、どんどん先に行っちゃうんだから、わたしはわるくないもの。でもね、あのおじいちゃん犬は足が悪いふりをして本当は早く走れるのよ。私びっくりしちゃった」


 ヨハネはしばらく考えていた。

「ようするに、君は橋を渡って来たんだね」


 繁華街の横を流れる川の向こうは小さな長屋が密集して立ち並んでいた。


「ペテロ、この子を家に帰そう。僕が抱いて行くから、僕の槍も持って先を歩いてくれ」

「ああ」


 ヨハネはその子を抱き上げるとペテロの先導で歩き始めた。

「ヤニくさーい。お父さんのにおいといっしょ。おじさん、お父さんのにおいといっしょ」

「松明を持っていたからしょうがない。それに僕はおじさんじゃないよ」

「お父さんと同じ匂いの人はみなおじさんよ。おかあさんはお粥のにおいがするの。お隣の犬はひなたぼっこのにおいがするのよ。しってた?」

「よくしってるね」


 そんな会話をしながら三人は、橋を渡った。その下からは、空気を切るような流水の音が聞こえた。

 いつの間にか、その子は眠ってしまった。ヨハネは急にその子が重くなったような気がして、一度しゃがむとその子を背中に負ぶった。子供をおぶるのは、初めてかもしれないな、そう思った頃、橋を渡り切った。


 その子の家はすぐに分かった。長屋じゅうが血相を変えて子供を探し回っていたからだ。三人の姿を見ると、住民の一人が、その子の母親を連れてきた。彼女はペテロをに向かって涙を流しながら礼を言った。

 そして、ヨハネの姿を上から下までねぶるように見ると、背中から子供を取り上げた。そして砂埃を落とすように子供の服をはたいて、子供を抱きかかえ、通りの奥へ消えて行った。


「いったいなんだ、あれは」

 ペテロは槍をヨハネに返しながら言った。

「……」

 ヨハネは、背中に残った子供のぬくもりを感じながら、言葉にできない違和感を感じ続けていた。

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