第3話 夜警(上)
「おい、起きろ!」
ヨハネは頭に強烈な痛みを感じて目が覚めた。
体についた寝藁を払いながら上半身を起こすと、早朝の薄暗闇の中に、奉公人頭のにやけ面が浮かんで見えた。
少し図太くなったヨハネは、溜息をつきながら言った。
「かしら、起こすなら普通に起こしてくださいよ。肩をゆすれば済むでしょう」
奉公人頭は片頬で笑いながら言った。
「うちの奉公人はな、みんなこうやって強くなんだよ。俺はお前を鍛えてやってるんだ。憶えときな」
ヨハネは顔を両手でこすりながら、立ち上がった。成長期の彼の背は、もう少しで奉公人頭を追い抜きそうだった。
「それで、今日の仕事は、なんでしょうか」
「今日も
そう言って、奉公人
小屋の入口には金髪
ペテロは、小屋の中を覗き込んで、ヨハネに言った。
「おまえ、こんなところで寝てるのか。それに、この部屋は男臭いなあ。それもお前だけ寝台なしかよ」
ヨハネは寝藁を部屋の角に片付けると、聞き返した。
「ペテロはどこで寝てるんだ」
「台所だよ」
「台所の食台の上か」
「そんなわけないだろ。食台の下に藁を敷いて寝てんだよ」
「屋根がある分、僕よりましじゃないか」
そう言うとヨハネは笑った。ペテロは暫くの間、
「今日はどこに行くんだか聞いてるか」
ヨハネはペテロに尋ねた。
「商会の側にある警備員の詰め所だ。警備員をやらされるんだよ」
「ああ、棒を持って歩いている人たちか」
ヨハネは赤い鉢巻きをして、赤くて長い柄の槍を持った警備員を思い出した。彼らは鉢巻きの余った紐を、ひけらかすように風に流して街中を歩き回っていた
二人は朝焼けの中を、アギラ商会の近くにある市参事会の詰め所まで走った。
詰め所は、がっしりとした材木で造られた、狭くて縦に細長い小屋だった。
そこでは小太り赤ら顔の男が、小さな机の横に小さな椅子をおいて座っていた。彼は、市参事会が直接雇った専門の警備員だった。その横には、長い穂先なしの槍を持った若い男が二人、体を槍に預けて立っていた。
「ああ、やっと交代が来た」
そう言うと二人は槍をヨハネとペテロに押し付けると、足早に小屋を出て行った。
小太り男は二人に言った。
「お前さんたちか。アギラ商会から来たのは」
ペテロは答えた。
「そうです。アギラ商会から参りました。ペテロとヨハネです」
「そうかい。では仕事の説明をしようか。簡単な事さ。二人そろってその穂なしの槍を持って、決まった道順を歩いてくれ。道順はこの地図に書いてある通りだ」
「それだけですか」
ヨハネは拍子抜けした様子で答えた。
「『それだけ』とはご挨拶だな。難しい仕事だぞ。これから注意点を説明するから二人ともよく聞いておけよ」
小太り男は居住まいを正してもったい付けると、自分も槍を掴んで話し始めた。
「まず、必ず二人一組で行動してくれ。これは警備の基本だ。決して一人にならない事。小便も我慢だ。そしてできるだけ怖い顔をして周りを睨み付けるように歩いてくれ。笑顔と雑談は厳禁。仕事中は話しちゃだめだ。どんなに退屈でもな」
「どうしてですか」
ヨハネは尋ねた。
「二人一組で歩くのは、片方に何かあった時に助けを呼ぶため。雑談と笑顔が禁止なのは、周りを怖がらせるためだ。警備員が舐められたら終わりだからな」
小太り男は椅子の上で足を組むと話し続けた。
「それから一番大事なのは……」
「大事なのは?」
ヨハネとペテロは声を揃えて繰り返した。
「武器を使わない事だ」
小太り男は得意げに言った。
「使わないんですか!?」
ペテロは素っ頓狂な声で言った。
「そうだ。街をうろついてるコソ泥やごろつきに取っちゃ、槍持った警備員が歩き回っているっていう事が怖いんだ。おっかなくって悪さできないからな。それに棒術を習ったわけでもない奉公人を、間に合わせで警備員にするんだから、槍なんか使わせてみろ。相手に大ケガさせちまう。打ち所が悪けりゃ死んじまうからな。お前らが持ってる棒には穂先が付いてないだろ? そういう理由だよ」
ヨハネは感心しながら、赤い穂なしの槍をさすった。
今まで何となく見ていた警備員たちがそんな工夫をしているなんて知らなかったからだ。
「あなたは、ずっと警備のお仕事をなさっているのですか」
ヨハネは小太り男が急に、大きくなったように見えて丁寧に尋ねた。
「俺は東インドのあちこちで傭兵をしていたんだ。バダビア、ゼーランディア、バンデン、アチェ、ルソン、シャム、いろんなところに行ったさ。前線に出るより
小太り男はそこまで話して一息つくとまた話し始めた。
「頭に赤い鉢巻きを撒いて、その槍をひけらかすように歩いて来い。できるだけ怖そうな顔してな、二人一組でだぞ。ただ歩くだけじゃない、小さな仕事はたくさんある。落とし物、迷子、地理案内、酔っ払いの世話、動物や人間の死体回収、出くわした事件はすべて報告しろ。さあ、行け」
その小太り男は二人の尻を叩くように詰め所から追い出した。
ペテロは頭に赤い鉢巻きを撒きながら、興奮した様子で話した。
「おい、聞いたか。あのおっちゃん、東インドに行ったことあるみたいだな。バンデンとかアチェとか、聞くだけでワクワクするぞ」
ヨハネは答えた。
「すごいな。素人を使って警備をさせるんだから。お大尽の警護なんてどうするんだろ」
二人は、わざと肩を怒らせ、への字口で槍の石突を石畳につき立てながら、エル・デルタの街中を歩いた。
待ちゆく人々は、横目で二人を見ると、彼らを避けて歩いた。
二人は自分が偉くなったかのよう錯覚を覚えたが、その優越感は長くは続かなかった。
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