第8話 二人の馴れ初め

 予定外の寄り道をしたにも係わらず、時間に十分な余裕を持って出てきた為、二人は予め告げていた予定時刻から、非常識な程は遅れずに目的地に到着する事ができた。


「結構大きなお家ですね」

 塀が途切れている所から敷地内に足を踏み入れた綾乃は、趣の有る二階建ての日本家屋と、それに隣接して建てられている、軽トラックが停めてある倉庫に目をやり、更にその前に広がっている空間を見て、率直な感想を漏らした。それに祐司が苦笑いで答える。


「周辺の建て売り住宅と比べたら、流石にそうだろうな。昔からの農家だから、作業用のトラックとか機具とかを保管しておく倉庫とか、色々な作業をするスペースがどうしても必要なんだ。だから近所の連中の良い遊び場で、溜り場になってたし」

「ああ、だから野球をやっていなかった祐司さんと銀至さん達が、仲良くお家で遊んでいたんですね?」

 そこで綾乃は納得して微笑んだが、祐司は(今が言うチャンスか)と気合を入れて口を開いた。


「それもあるが……、あいつらが家に集まっていたのは、実は」

「でも家の周りに田んぼとか畑とかありませんよね?」

「あ、ああ……。昔からの集落だからな。畑は少し離れた所に、纏まってあるんだ」

「そうですか。今日は無理だと思いますけど、今度見せてくださいね? じゃあご家族の方をお待たせしてますし、行きましょうか」

「……ああ」

 事ここに至っても、とうとう打ち明けられなかった事に項垂れつつ、祐司は大人しく綾乃の後に付いて実家の玄関に向かった。

 そして恐れ気も無く綾乃が玄関のチャイムを押すと、中から引き戸を開けて年配の女性が姿を現した。


「いらっしゃい、綾乃さんですよね。祐司から話を聞いていました。祐司の母の蓉子です。初めまして」

 挨拶してきた相手の、優しそうな印象に内心安堵しつつ、綾乃は礼儀正しく頭を下げる。


「初めまして。君島綾乃と申します。本日はお招きに預かりまして、ありがとうございます」

「こちらこそ、お会いできて嬉しいわ。さあ、どうぞ。祐司も一緒に上がって頂戴」

「失礼します」

(グラウンドで散々打って来たせいで、完全に落ち着いているらしいな。まあ、これはこれで良しとするか)

 早速自分の母親と笑顔で会話しつつ廊下を進む綾乃の背中を見ながら、祐司は思わず苦笑した。そして三人纏まって、見慣れた居間に入る。


「あなた、祐司達が来たわよ」

 父と弟にそう声をかけつつ室内に入った母に続いて、居間に足を踏み入れた祐司は、取り敢えずの懸念材料が消えていた事に心底安堵した。なぜなら居間の飾り棚の中や上には、祐司が大会等で獲得したトロフィーや記念プレート、壁には野球チームの記念写真など、綾乃の目にはまだ触れさせたくない代物が山ほどあったからである。

 一応弟に隠しておくよう頼んだものの、土壇場で面白がってそのままという最悪の事態も考えていた祐司だったが、この時は素直に孝司に対して感謝の念を抱いた。そしてそのまま孝司に視線を向けると、どう考えても面白がっているニヤニヤ笑いで返され、直前の感謝を忘れてうんざりした。

 祐司がそんな複雑な心境に陥っている中、綾乃はすっかりその場の空気に馴染み、勧められるまま座布団に座って話し始めた。


「やあ、綾乃さん。お噂は祐司から色々聞いていました。さあ、どうぞお座り下さい」

「ありがとうございます。失礼します」

「初めまして、綾乃さん。俺は祐司の弟の孝司って言います。宜しく」

「はい、こちらこそ宜しくお願いします」

 座卓を挟んで向かい側に座る父親の竜司は穏やかな笑顔で声をかけ、斜め前に座っていた弟の孝司がすかさず手を伸ばして綾乃に握手を求めてくる。当然綾乃はにこにことその手を握り返したが、綾乃の横に座った祐司は素早く手を伸ばし、遠慮なしにその手を引き剥がした。


「……こら。どさくさに紛れて手を握るな」

「うわ、ケチくせぇ! 益々心が狭くなったな~、祐司」

「だから名前を呼び捨てにするな!」

 そんな兄弟の諍いに綾乃は幾分戸惑った様子を見せたが、気を取り直して持参した紙袋の中身を取り出し、竜司と蓉子に向けて差し出した。


「あの……、少しですが、パウンドケーキとクッキーの詰め合わせを持って来ましたので、宜しければ皆さんで召し上がって下さい」

「あら、そんなの良いのに」

「気を遣わせてしまったみたいで、申し訳なかったね」

「いえ、本当に少しですので。それで……、あの、こちらに仏間とかはあるんでしょうか?」

 唐突なその問いかけに、横で揉めていた男二人が怪訝な顔で綾乃を見やった。


「仏間?」

「えっと、要するに仏壇が置いてある部屋って事?」

「はい」

「仏壇ならあるが……、それがどうかしたのか?」

 意味が分からず首を捻った祐司に、綾乃が事もなげに理由を説明する。


「え? ですから、初めてのお宅ですから、まずこちらのご先祖様にお線香を上げて、ご挨拶しようかと思ったんですが」

「…………」

 途端に静まり返った室内に、どうかしたのかと綾乃が全員の顔を見回し、少し狼狽気味の表情になった。


「あ、あの……、何か拙かったでしょうか?」

 心配そうにお伺いを立てられた祐司は、それで我に返り、立ち上がりながら綾乃を促した。

「いや、何でもないんだ。じゃあ俺が案内する。暫くぶりだし俺も一緒に拝むから」

「はい、お願いします。それでは少しの間失礼します」

「ああ」

「行ってらっしゃい」

 これまで実家に帰ってもろくに線香など上げていなかった祐司は、後ろめたさを感じながら奥に案内したが、その背中を見送った三人は、輪をかけて微妙な顔を見合わせた。


「孝司……、あんたがこれまで連れて来た彼女で、仏壇にお線香上げてくれたのは、私が知る限り皆無よね?」

「はは……、さすがに外見以上に予想外。どういう育ち方をしてるんだか」

「親の願望としては……。息子にはああいうしっかりとしたお嬢さんを、是非とも捕まえて欲しいものなんだが?」

「俺には無理。潔く諦めてくれ」

 そんな会話を交わして孝司は苦笑いし、竜司と蓉子は深い溜め息を吐いた。


 そして無事拝んだ後、居間に戻ってきた二人を交えて、和気あいあいと一家で茶飲み話を始めた。やはり女同士ということもあってか、綾乃と蓉子で話が盛り上がり男達は専ら聞き役だったが、幾つかの話の後で綾乃の職場の話が出た。


「そう。綾乃さんは、祐司と同じ星光文具勤務なのね」

「はい、配属先は違いますが」

 そこでこれまで聞き役に徹していた孝司が、嬉々として口を挟んできた。

「入社二年目って事はさ、入社早々祐司に目ぇ付けられたって事かな? ひょっとして研修中の指導役として、セクハラとかしなかった?」

「孝司! ふざけた事を抜かすな!」

「そうよ。茶化すのは止めなさい」

「しかし確かに気になるな。差し支えなければ二人が出会ったきっかけとかを聞いても良いかい?」

 控え目に、微笑まれつつ竜司に促された綾乃は、素直に頷いて事の次第を話し始めた。


「はい、実は帰宅途中の電車の中で、私が祐司さんの携帯電話を拾った事が、一番最初のきっかけだったんですが」

「お! なかなか運命的な出会い!」

「孝司、お前は黙ってろ! 綾乃、その……、これ以上は」

 喜んで食いついた孝司を叱り付けつつ、綾乃を止めようと目配せを送った祐司だったが、孝司の方に顔を向けて説明を加え始めた綾乃は、その視線に気が付かなかった。


「あ、そこで顔を合わせてはいないんです。着信したので出てみたら、祐司さんに問答無用で『人様の物をパクリやがって、この恥知らずの女狐が!』とか『拾ってあげたお礼にデートしてくれとか、恩着せがましくいけしゃあしゃあと抜かすつもりか!』とか罵倒されて、怖くなって駅員さんにそれを預けて逃げ帰ってしまいましたから。名前とか勤務先も知らないままでしたし」

「…………」

 再び静まり返った室内で、家族全員からの非難の視線が祐司に容赦なく突き刺さった。しかし考え込んでいた綾乃は、その空気に気付かないまま話を続ける。


「それから……、それがあまりにも怖かったので、居酒屋で昔からの知り合いの人に愚痴っていたら、偶々仕切りを挟んだ隣の席でお友達と飲んでいた祐司さんがそれを耳にして、謝罪をしに私達のテーブルに来てくれて」

「ああ、なるほど。そこで一気に和解となったわけだ。めでたいな~」

「だから、お前は黙っていろと言っただろ!」

 一気に救われた様に明るい声を出した孝司を再び祐司が叱り付けたが、それに綾乃の申し訳なさそうな声が重なる。


「それがその……、いきなり話題の人物が目の前に現れた事で動揺して、力一杯祐司さんを突き飛ばして、店員さんを巻き添えにして転がったのを放置して、逃げ帰りまして……」

「…………」

 今度は家族から憐憫の視線を向けられた祐司は、本気で項垂れた。そしてここで話を止められない綾乃が、続けて順序立てて説明する。


「その後、祐司さんのお友達の遠藤さんの仲介で、お詫びのお食事会を設けてもらう事になったんですが」

「うん、美味しい物を食べれば、気持ちも空気も和むよね~」

「お前……、本気で外に放り出されたいらしいな」

 思わず能天気な声を出してしまった孝司を、祐司が歯軋りせんばかりの表情で睨み付ける。そんな中、綾乃が正直に自分の非礼を告げた。


「本場の物とは似ても似付かない広島風お好み焼きが出てきてしまって、失礼にも私、食べずに帰ってしまったんです……」

「…………」

 身の置き所が無いように小さくなりながら述べた綾乃と祐司を交互に見ながら、他の三人は深い溜め息を吐いた。それは(それならどうして付き合うまでになったんだ?)という疑問が多分に含まれたものだったが、続く綾乃の台詞でその疑問が氷解した。


「その後、祐司さんがお詫びの印にと、わざわざ貴子さんに作り方を教わって、とっても美味しい広島風お好み焼きを作って、ご馳走してくれたんです。まともにお話しする様になったのは、それからです」

「そうだったんですか」

 心の底から安堵したように竜司が頷き、(その後も色々あったがな)と思いながらも祐司が取り敢えず話が終わった事にホッとしていると、蓉子が話題を変えようと、綾乃の持ち出した名前に便乗した。


「じゃあ綾乃さんは、貴子とも知り合いなのかしら?」

「いえ、お話を聞くだけで、まだ実際にお会いした事は無いんです。こちらには良くいらしてるんですか?」

「時々電話してくるけど、顔を出すのは年に一回位かしら? 都内に住んでいるから、祐司とはもう少し頻繁に会っているけど」

「でも義理堅い優しい子で、良く食材とか料理を送ってくれるんですよ。綾乃さんが来る事を話したら、また色々送ってくれましてね」

「そうなんですか」

 血の繋がらない義理の娘に関して、穏やかに話す竜司に綾乃は益々好感を覚えた。そして蓉子も、娘自慢に加わる。


「お昼ご飯に出すつもりで、用意しておいたの。あの子お手製のローストビーフ、美味しいのよ?」

「うわぁ、楽しみです!」

 素で喜びの声を上げてしまった綾乃を見て、祐司と孝司は微笑ましく思いながら笑いを堪えたが、ここで竜司が時計で時刻を確認しながら蓉子を促した。


「蓉子、そう言えばそろそろ昼ご飯を出しても良いんじゃないか?」

「あら、そうね。ごめんなさい、話に夢中になってて。お腹が空いたわよね? 準備は済んでいるからあとは並べるだけなの。ちょっと待ってて頂戴」

「あの! それなら並べるのをお手伝いします」

 腰を浮かせた所で慌てて申し出てきた綾乃に、蓉子は笑って断りを入れた。


「あら、良いのよ? お客様なんだし、座っていて」

「いえ、お料理の最中なら却ってお邪魔になるかもしれませんから遠慮しますが、並べる位なら。じっと待っているのって性に合いませんし」

 そう言って心なしかもじもじしている綾乃を見て、蓉子は自分なりに推察してみた。


(普通に話しているみたいだったけど……、彼氏の実家ってやっぱり緊張するし、男ばかりの中だと余計に何を話して良いか分からなくなるのかしらね。可愛い事)

 そんな風に考えた蓉子は、笑って頷いた。


「じゃあ、ちょっとお願いしようかしら?」

「母さん!」

「はい! 何でもやります」

「じゃあ台所はこっちよ。付いて来て」

「それではちょっと行って来ます」

 祐司が咎める口調で声をかけたのもなんのその。蓉子は全く意に介せず綾乃を引き連れて台所へと向かって行った。そして憮然とした表情で黙り込んだ祐司に、竜司と孝司が笑いを含んだ声をかける。


「良い子じゃないか」

「……まあな」

「母さんも気に入ったみたいだし、今すぐ結婚しても問題無いんじゃない?」

「…………」

 てっきりむきになって反論してくるかと思いきや、微妙な顔つきで祐司が黙り込んでいる為、竜司と孝司は怪訝な顔を見合わせた。


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