第9話 色々な苦労 

「何だ、どうした? 変な顔をして」

「いや、何でもない。それより……、悪かった。余計な手間かけさせて」

「は?」

 一瞬言われた事が分からなかった孝司だったが、祐司が動かした目線の先を追い、小さく笑った。


「ああ、トロフィーとか写真とか? 別に、大した手間じゃ無いから気にするなよ。祐司らしくない」

「全くだ。それにあのお嬢さんなら、別に他のチームのファンだからって、目くじらを立てる事はしないと思うが」

 呆れ気味に竜司も意見を述べてきたが、それに頷きつつ祐司は話題を変えた。


「俺もそうだとは思うが……。それから最近、周りで変な事とか無かったかな? 電話で聞きそびれてたから、この際ついでに確認しておきたいんだが」

「変な事?」

「例えば?」

「家の事を探ってる人間がうろうろしているとか、変な嫌がらせを受けたりとか……」

 それを聞いた二人は、若干顔を顰めながら、呆れ気味に祐司に言い聞かせた。


「確かにご近所から、最近色々尋ねてくる男が居たとは教えて貰ったが、皆さんも適当にあしらってくれてるし、そんなのは今に始まった事じゃないだろう? 探られたとしてもこちらには別にやましい所なんか無いんだから、放っておけ。直接変な事もされていないしな」

「本っ当にしつこいっつうか、諦め悪いっつうか、学習能力無いっつうか、貴子姉さんの親父さんってアホだよな? 今更、嫌がらせの一つや二つでビビるかよ」

「いや、そっちじゃなくて……。多分半年前位からは、綾乃の親父さんの方だと思う」

 以前から高木家と因縁がある、蓉子の元夫について言及した二人に向かって、祐司が物凄く言いにくそうに告げた。それを聞いた竜司が、益々怪訝な顔になる。


「え? 因みにどういった方なんだ?」

「今年に入ってからの内閣改造で、国土交通相で入閣した、君島東志郎代議士」

「…………」

 思わず固まって飲み切った湯飲みをゴロっと座卓の上で転がした父親から視線を逸らすと、孝司が引き攣った顔で確認を入れてきた。


「祐司、交際を反対されてるとか?」

「面と向かって反対される前に、色々嫌がらせされて。ついブチ切れて相手を呼び出した上に、派手に喧嘩を売った。その後も綾乃が知らない所で色々と。でも大臣になってからは流石に忙しいらしくて、随分減ったんだが」

 それを聞いた竜司は額を押さえて呻き、孝司は悲壮な顔つきで祐司の両肩をガシッと掴んだ。


「……祐司」

「頑張れ、兄貴。応援してるぞ」

「……こんな時だけ、兄貴とか言うな」

 重い空気が漂う居間で祐司が益々憮然とした顔になっていると、静かに襖が開けられて綾乃が姿を見せた。


「皆さん、お昼の支度が整いましたので、どうぞいらして下さい」

「ああ、分かった」

「じゃあ行こうか」

 そうして男達は立ち上がり、手っ取り早い現実逃避の手段として、意識を食事に向けながら歩き出した。


「綾乃さん、味付けはどうかしら?」

「はい、とっても美味しいです! 祐司さんのお母さんもお姉さんも、お料理上手ですね」

「まあな」

 お世辞抜きで誉めていると分かる綾乃の笑顔に、祐司は思わず苦笑した。そして準備を整えている間に綾乃とより一層意気投合したらしい蓉子が、益々機嫌良く料理を盛ってある皿を勧める。


「あら、嬉しい。準備した甲斐があったわ。どんどん食べてね」

「はい。ここに来る途中で軽く運動して来ましたので、おなかが空いてしまって。お代わりしても宜しいですか?」

「そんな事、遠慮しないで。たくさんあるんだから」

 そこで孝司が箸を止め、何気なく尋ねてきた。


「綾乃ちゃん、来る途中で軽く運動って、何をしてきたの?」

「駅からの道すがら立ち寄ったグラウンドで、思い切り打たせて貰って来ました」

「康太がコーチをしてるだろ」

 祐司が補足説明を入れ、自分達兄弟もかつて所属していた野球チームの存在を思い出した孝司は、納得して頷いた。


「……ああ、なるほどね。『思い切り打って来た』んだ」

「はい。あのピッチャーの子、球威とコントロールはまだまだですけど、センスは良いですからこれからどんどん伸びますよ。将来が楽しみですね?」

「そうだな」

 そうして上機嫌で再び料理を食べ始めた綾乃を横目で見ながら、孝司は祐司に体を寄せ、自分達だけが聞こえる程度の小声で囁いた。


「……何? まさか綾乃ちゃん、あの貴史をボロボロに打ち負かして来ちゃったとか?」

「成り行き上、そうなった」

「うわ、それ知ったら監督泣くぜ? 貴史の事『久々に祐司以上の力量の奴に出会えた』って、あんなに喜んでたのに」

「…………」

 そこでグラウンドを立ち去る時、最後に目にしたマウンドに四つん這いになっていた少年の姿を思い出した祐司は、再度心の中で詫びを入れた。すると蓉子が唐突に声を上げる。


「そうだわ! 綾乃さん。どうせなら晩御飯も食べて、家に泊まっていかない? 明日は月曜だけど、このまま出勤しても大丈夫でしょう?」

「え?」

「母さん! いきなり無茶な事を言うな!」

 綾乃は当惑して固まり、祐司は母親を叱りつけたが、蓉子は不思議そうに話を続けた。


「だって私、綾乃さんともっとお話したくて。お勤め先が文具メーカーなんだから、仕事道具とかを持って出勤する必要は無いから、大丈夫でしょう?」

「全然大丈夫じゃないぞ! 普段着で出勤できるか! 近くの畑に作業着で出るのとはわけが違うんだぞ?」

「偶には良いんじゃない? 最近巷ではクールビズとか、緩い格好が流行ってるんでしょう?」

「あれは夏で、今は春だ!」

「時期を先取りって事で、大目に見て貰えないの?」

「本気で怒るぞ……」

 二人の言い合いにどう対処すれば良いのか分からず綾乃は狼狽えたが、竜司と孝司は慣れたもので黙々と食べ続けた。しかしそこで蓉子が、妥協案らしき物を口にする。


「じゃあ綾乃さんが居てくれれば良いから、祐司は帰って良いわ。綾乃さんはスーツじゃなくても大丈夫そうだしね。だから祐司。帰る前に駅前まで行って、出勤するのにおかしくない程度の、綾乃さん用の服とパジャマと下着一式を買って来てくれない?」

「は?」

「何でだ?」

 立て板に水の如く言われた内容を咄嗟に理解できず、綾乃と祐司は目を丸くした。すると蓉子がさも当然の様に説明する。


「え? だって泊まって貰うのに、綾乃さんの着替えが無いと困るじゃない? 付き合っているんだから、服や下着のサイズとかは分かってるでしょう? 祐司が買い物に行っている間、女同士で仲良くお話ししてるから」

「サイズ……」

「え? 綾乃さん、どうかしたの?」

「…………」

 蓉子の台詞を耳にするなりピキッと固まり、問いかけられた事を契機に綾乃の顔が真っ赤になった。それを見て蓉子達が逆に驚いていると、祐司が溜め息を吐いてから、有無を言わせぬ口調で宣言する。


「……母さん、俺達は帰るから。今度またゆっくり来るよ」

「蓉子」

 祐司に加えて竜司からも目配せを受け、蓉子は慌ててその場を取り繕った。


「あ……、そ、そうね。良く考えてみたら、お客様用の布団を打ち直しに出していたんだわ。嫌だわ、私ったらうっかりして。ごめんなさいね? 綾乃さん」

「……いえ」

 不自然な位笑顔を振り撒く蓉子と、赤い顔のままの綾乃を見ながら、孝司は再び祐司に囁いた。


「何? 祐司。まさか綾乃ちゃんに、指一本触れてないわけじゃ無いよな?」

「そんなわけあるか。ただ……、綾乃はまだその手の話にあまり慣れて無いし、他にも色々と……」

 そう言って不自然に言葉を濁した祐司に、孝司が精一杯の励ましの言葉をかける。


「……頑張れ、兄貴」

「だからどうして、こういう時だけ兄貴呼ばわりするんだ、お前は」

 そんな風に一部波乱に満ちた食事も終わり、その頃には綾乃もいつもの調子を取り戻して、礼儀正しく挨拶をした。

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