第31話 純粋培養天然娘

「えっと……、幸恵さん、本当にすみません。お昼休みに付き合って貰って」

「構わないわよ? 誘うなと言った覚えは無いし……。それで? この面子で相談って、一体何なの?」

(何かまたもの凄く、面倒な事になりそうな気がするのは、私の気のせいかしら?)

 綾乃からの「お昼を食べながらご相談したい事があるので、ご都合はどうでしょうか?」のメールを受けて快諾し、二人連れ立って出向いた店で公子と香奈が待ち受けていた事で、幸恵は無意識に眉間に皺を寄せた。それを見た二人が、どう見ても面白がっている表情で口を開く。


「それは、やっぱり『あれ』よね? 例の、高木さんからの交際申し込み」

「それ以外有り得ないわ~」

「ななな何で分かるんですか!?」

 途端に幸恵の正面に座った綾乃が動転した声を上げたが、幸恵の隣の公子と綾乃の隣の香奈が、事も無げに解説する。


「だって君島さんなら、仕事上の事で分からない事があったら放置したりしないで、すぐに教わったり聞いたりするでしょう?」

「綾乃ちゃん、ここ暫く挙動不審だったものねぇ」

「仕事をきちんとこなしていたのは、誉めてあげるけど」

「……ありがとうございます」

 狼狽著しい綾乃だったが、先輩二人にあっさり断言されて面目なさげに俯いた。それを見て幸恵は、精神的な疲れを覚える。


(だから……、どうしてそんな事で私が呼ばれるわけ? この子、意外に性格が悪くて、元カノの私に自慢したいとかじゃないわよね?)

 綾乃に対して軽くそんな疑いを抱いてしまった幸恵だったが、次に綾乃が発した言葉に本気で面食らった。


「それで、幸恵さんにご相談と、笹木さんと香奈先輩にご意見を頂きたいんですが……」

「だから何?」

「どうやって高木さんにお返事すれば良いでしょうか?」

「……はぁ?」

 たっぷり二十秒は固まってから、幸恵は正面に座る綾乃に注意深く問い返した。


「あの……、ちょっと待って。どうすればって、携番とかメルアドとかは。もう交換しているのよね?」

「はい」

「それなら普通に電話するなりメールするなり、それこそフロアは違うけど同じ職場なんだから、休憩時間にでも直接話せば良いじゃない」

「できないんです……」

 下手するとこの世の終わりのような暗い表情で呻いた綾乃に、幸恵は思わず顔を引き攣らせる。


「……理由を聞いても良いかしら?」

 すると綾乃は、涙目になって、幸恵に向かって切々と訴え始めた。

「だって、電話越しにその話題になっただけで緊張しちゃって、思わず話を逸らしたり切っちゃうんです! メールを打とうとしたらどんな文面にしたら良いか悩んで、携帯電話を握り締めたまま寝落ちしちゃったり、変な形で固まってたら指が攣っちゃうし!」

 その話に、公子と香奈が加わった。


「それにこの子、この前社員食堂の前で高木さんに遭遇したら、パニクって凄い勢いで遁走したんですよ」

「昨日なんか、終業時に廊下で待ち伏せしていた高木さんに向かってまっすぐ駆け出したから、面白そうだと思って見物していたら、凄い勢いで高木さんに体当たりして、彼を転がして逃げて行ったのよ。予想とは違う意味で見物だったわ」

「すっ、すみませんでした! 体が勝手に動いてしまって! 決して悪気とか他意があったわけでは無くてですね!」

「それ……、本人に向かって謝ろうね? 身体的以上に、心理的にダメージ受けたと思うし。と言うか、昨日の夜、電話とかしなかったの?」

「あっ、謝ろうとしたんですけど、いざ高木さんが出たと思ったら、指が勝手にワン切りをっ!!」

「相当、煮詰まってるわね……」

(何それ……、有り得ないから……)

 予想外の三人のやりとりを聞いた幸恵は、文字通り頭を抱えて脱力したが、何とか気を取り直して確認を入れた。


「要するに、今まであなたは交際を申し込んだ事もされた事も、勿論誰かとお付き合いした事も無いわけね?」

「……う、……はい」

 如何にも面目なさげに頷いた綾乃に幸恵は目眩を覚えたが、二人の横では淡々とした会話が続いた。


「やっぱり君島さんは、年齢イコール彼氏居ない歴でしょうね」

「どこからどう見ても、そうですよねぇ……。そもそも普通、相手の元カノに色々相談を持ちかけたりはしないと思いますし」

「え? そ、そうですか?」

「そりゃあそうでしょう。普通の神経なら無理よ」

「男女の機微が全然分かってないと謗られても、文句は言えないわね」

 先輩二人にそこまで容赦なく断言されて、綾乃は今にも泣き出しそうな情けない表情で幸恵を見やった。その為、幸恵は若干焦りつつ言葉を繰り出す。


「あのっ、別に私は気を悪くしていないから大丈夫よ? 第一、祐司とは別れて一年近く経ってるし、全然気にしてないから! 今後は友人付き合いするって事も、互いに確認したばかりだし」

 その言葉に、綾乃が生真面目に軽く頭を下げる。

「ありがとうございます。それで幸恵さん、どうすれば良いでしょうか?」

「どうすれば、って、ねぇ……」

(私の所に連日お弁当を運んで来ていた、あの勢いはどこに行ったのよ。あの勢いで『私とお付き合いして下さい』って言えば、あっさり事は済むのに、何て難儀な……。ちょっと待って、お弁当……)

 綾乃からの縋り付くような視線を痛いほど浴びつつ、幸恵は真剣な顔で考え込んだ。そして公子と香奈も(何事?)と不審そうな表情で幸恵の顔色を窺う中、何を思ったか幸恵が僅かに口元を歪めつつ、徐に口を開く。


「ねえ、一応確認させて貰うけど、祐司が気に入らないとか、金輪際顔も見たくなくて付き合いたくない、とか言うつもりは無いのよね?」

「言いません! と言うか、どうして私みたいに地味で目立たない人間に、高木さんの様な方からそういう話がきたのか、未だにちょっと不思議な位ですし」

「それなら、祐司の家に食材持参で訪ねて、手料理をご馳走すれば?」

「高木さんのお宅、ですか?」

 いきなり予想外の事を言われた綾乃は目を丸くし、傍観者に徹する事にした公子と香奈は(面白そうな事になってきた)と、テーブルを挟んで人の悪い笑みを交わした。そんな三人の反応には構わず、幸恵は淡々と自論を展開する。


「ええ。余計な事は何も言わずに『これまでのお詫びに、お食事を作らせて下さい』って言うだけで良い筈よ」

「あの、えっと……、それはどうしてでしょうか?」

 まだ全然話の流れが分かっていない綾乃が再度問いかけると、幸恵はしたり顔で説明を続けた。


「わざわざ相手の家を訪ねて手料理をご馳走するなんて、相手に対する好意が無いと出来ない事でしょう? 祐司はあなたより七歳年上なんだから、何も言わなくてもそれ位は察するわよ」

「なるほど、それはそうですね」

「だから、あなたの方から言い難くて恥ずかしい事は一切言わなくても、そこは祐司の方で自然に解釈するだろうし安心しなさい。それに、もしあなたの料理の腕前が壊滅的だったら、逆に『暗に別れ話を切り出しているのか?』と誤解されかねないけど、この前のお弁当で、そこの所は心配要らないと断言できるしね」

「あ、ありがとうございます」

 幸恵に楽しげに料理の腕前を肯定して貰った綾乃は、照れくさくなって顔を僅かに赤くしつつ俯き加減に礼を述べた。その反応に気を良くした幸恵が、再度綾乃を促す。


「そんなわけで、どう? 祐司のマンションの場所を教えてあげるから、明日は土曜日だし早速作りに行ってみない? この際だから、祐司が好きな料理とかも教えてあげるけど」

 その申し出に、綾乃は一も二も無く飛びついた。


「本当ですか? 宜しくお願いします!」

「今まで待たせたんだし、どうせだから予告なしに行って驚かせてみない? そうしたら嬉しさ倍増だと思うんだけど」

「はい、そうしてみます!」

 そこで頼んだランチプレートが来た為、ひとまずその話を中断して食べ始めたが、綾乃と香奈が楽しげに上映中の映画の事などを話しているのを見ながら、公子が隣の幸恵に囁いた。


「ちょっと荒川さん。あんな世慣れてない子を狼の巣穴に送り込むだなんて、一体、何を考えているの?」

 しかし咎める口調とは裏腹の彼女の表情を横目で見た幸恵は、呆れ気味に囁き返した。


「笹木さん、口調と表情が一致していませんが」

「あら、それは失礼」

「それにあの祐司の性格からして、幾ら懐に飛び込んで来られても、そんな世慣れてない子に対して、早々に手を出したりできませんから、危険性は低いですよ。それは笹木さんだって、十分お分かりだと思いますが?」

 その指摘を受けて、公子はくぐもった笑い声を漏らした。


「それで高木さんが悶々とするのを、陰で笑っておこうって事? しかも押しかけた時に動転させる為に、内緒でいきなり訪問するように誘導するなんて、意地が悪いったら。振られた意趣返しとしては、まあ、許される範囲内かしら?」

「意趣返しだなんて人聞きの悪い。私は純粋な親切心から、迷える子羊にささやかなアドバイスをしただけです」

 そんな事をすまして言ってのけた幸恵を見て、公子は必死に笑いを堪えた。


「高木さんも本当に大変ね。背後に虎と熊と狐と蛇が付いている、天然無自覚娘を攻略しなくちゃならないなんて」

「何ですか? 今の虎とか熊って言うのは?」

 公子の台詞を聞きとがめた幸恵が、思わずナイフとフォークの動きを止めて隣に顔を向けると、公子は平然と言ってのけた。


「だって君島さんのお父さんは『虎』で上のお兄さんは『熊』って、この前の懇親会に来た、下のお兄さんが言ってたでしょう?」

 そう問いかけられてその時の会話を思い返した幸恵は、すぐに納得して頷いた。


「ああ、なるほど。そう言えばそんな事を言っていましたね。それであの下のお兄さんが『狐』ですか。言われてみれば、確かに人当たりが良さそうな顔付きでしたけど、どことなく狡猾そうな感じでした」

「きっと地元では父親やお兄さん達の目が光っていて、ちょっかいを出す男なんて皆無だったんでしょうね」

「確かにそういう状況下なら、こんな無防備娘が育成されたのも道理ですね。それにちょっかいを出されても本人がそれに気付く前に、陰で木っ端微塵に粉砕されてそうです」

「でしょうね」

 そう言って公子は小さく笑ったが、ここで幸恵はある事に気が付いた。


「でも、笹木さん。そうすると『蛇』って言うのは誰の事ですか?」

 本気で首を捻った幸恵に、公子が悪戯っぽく笑う。

「あら、自覚無し?」

「って! ちょっと待って下さい、まさか私ですか? 私のどこが蛇なんですかっ?」

 思わず目を見開いて声を荒げた幸恵だったが、公子は食べる手を休めずに淡々と言ってのけた。


「あら、だってあなた、素直じゃないけど結構この子の事、気に入っているでしょう?」

「いえ、それとこれとは別問題で!」

「幸恵さん、笹木さん、どうかしたんですか?」

「何の話をしてるんです?」

 そこで不思議そうに向かい側の綾乃と香奈が声をかけてきた為、幸恵と公子はその場を取り繕った。


「いえ、何でも無いのよ。気にしないで」

「そう、ちょっとした意見の相違だから」

「それよりさっきの話だけど、今日中に祐司の住所と好きな料理を纏めて、そっちの携帯電話にメールで送っておくから」

「はい、ありがとうございます!」

 そして満面の笑みで頷いた綾乃に幸恵も何とか笑い返して食事を再開すると、横から軽く体を寄せてきた公子が、また小さく囁いてきた。


「できるものなら、こっそり彼女の後を付けて、高木さんの驚いた顔を見てみたいわね」

「しませんよ、そんな事」

 そしてにっこり笑った公子の顔を見やった幸恵は、(やっぱりこの人は苦手だわ)と思いつつ、非礼にならない程度に小さく溜め息を吐いた。

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