第21話 こじれる話
綾乃に関して不穏な噂が流れているのを耳にしてから、祐司は何日か一人で悩んだ挙げ句、まだアドレス帳に残してある番号に、電話をかけてみる事にした。自分の番号が着信拒否設定にされていたり、番号自体を変えていたら打つ手無しだなと覚悟していたが、その懸念に反してすんなり相手に通じた事に、少々拍子抜けする。
しかし型通りの挨拶に続いて、冷え切った声が耳に届いた為、祐司は瞬時に気持ちを引き締めた。
「それで? せっかく気分良く寝ようとしていたのに、久し振りに不愉快な声を聞いて、それが台無しになったんだから、さっさと用件を伝える位の心配りはして欲しいんだけど」
「悪い。その、ちょっと聞きたい事があってだな」
皮肉混じりの声音に、祐司はたじろぎながらも話を進めようとしたが、それを幸恵が冷たく切り捨てる。
「だから何だと言ってるのよ。同じ事を何回も言わせないで」
苛々とした口調で促され、祐司はこれ以上機嫌を悪くしない為、覚悟を決めて本題に入った。
「最近、社内で変な噂が流れているみたいで、それが気になって電話してみたんだ」
「変な噂って、何の事?」
「その……、君島って子の事なんだが。もしかしたらお前が周りに、何か余計な事を言ったんじゃないのか?」
怪訝な声で応じた幸恵だったが、祐司が控え目にそう口にした途端、苛立たしげな声で言い返した。
「はぁ? 余計な事って何よ。私は少なくとも、嘘をついたりしていないわ」
「確かにそうかもしれないが、何か憶測で物を言ったりとか、周囲に誤解されるような言い回しをしていないかと思って。そういうのはお前の為にもならないと思うし、もう少し言動に気を付けた方が良いと思ったから」
「へぇ? それはそれは。わざわざ私の事を心配して、電話をかけてくれたわけか。それはどうもありがとう」
「いや、大した事じゃ無いし、人として当然の」
「ところで、どうして高木さんが君島さんとやらの事に言及しているのか、その理由を是非聞かせて頂きたいわ」
一瞬口調を和らげて礼を述べた幸恵に、祐司は少し安堵したのも束の間、鋭く突っ込まれて口ごもる。
「別に、大した理由があるわけでは……。ただ不必要に騒ぎが大きくなっているみたいだし、少し気になったからだが」
「ふぅん? 部署も違うし同期でも無い新人なのに、高木さんに気を配って貰える彼女は、周りの女性達から相当やっかまれそうよねぇ。高木さん狙いの人って、社内に結構多いし。思い返してみれば、高木さんと付き合っていた当時、あんな事とかこんな事とかあったっけ。今となっては懐かしいわぁ」
「…………」
完全な当て擦り以外の何物でもない台詞を聞いて、祐司が思わず押し黙ると、幸恵が皮肉っぽく話を続けた。
「高木さんったら、随分、彼女の事を気にしているみたいですね? 彼女の身元を、噂が出る以前から知ってたような雰囲気ですし?」
「いや、俺だけじゃなくて、弘樹の奴も知ってて」
「それはそうでしょうねぇ、就職をねじ込まれた社長の息子なら、当然ご存知でしょうねぇ」
半ば馬鹿にした物言いをする幸恵に、早くも祐司の堪忍袋の緒が切れそうになった。
「おい、ちょっと待て。だからそのねじ込んだって言うのは何なんだ? 憶測で物を言うのも、いい加減にしておけよ?」
しかしそんな忠告めいた祐司の台詞を、幸恵は鼻で笑い飛ばした。
「はっ! 随分笑わせてくれるわね」
「何だと?」
「小娘にあっさり誑し込まれてるんじゃ無いわよ! それとも親の権力目当てに、自分から尻尾振ってすり寄ったわけ? 知らないうちに、随分と情けない男に成り下がったわね、祐司? あんたのような男と別れて正解だったわ!」
そこまで貶されて、祐司はとうとう頭に血を上らせて相手を怒鳴りつけた。
「ふざけるな! 誰が尻尾振ったって言うんだ! お前こそそんな偏見まみれの女じゃ無かった筈だが、別れてから一気に性格が悪くなったらしいな!?」
「付き合ってる間、私がどんな女だったって言うのよ! ええ、そうよ、気が合わなくて別れたんだから、あんたの好みの女じゃ無い事だけは確実でしょ? あんた好みの綾乃ちゃんに宜しくねっ!!」
「あ、おい、ちょっと待て!」
幸恵の捨て台詞と共に、唐突に通話が途切れた。慌てて祐司がかけ直してみたものの、既に着信拒否された状態であり、携帯電話を握り締めたまま項垂れる。
「しくじった……。『あれほど首を突っ込むなと言ったのに』と、弘樹に嫌みを言われるな」
重苦しい声で呟いてから少しの間黙り込んだ祐司だったが、このまま落ち込んでいても仕方がないと気持ちを切り替え、頭を上げた。
「一応、向こうにも電話をしておくか」
そんな事を口にしてから、祐司は最近教えて貰ったばかりの番号を選択し、電話をかけ始めた。そしてそれほど待たされずに、応答がある。
「はい、君島です。高木さん、こんばんは。どうかしましたか?」
耳に届いた穏やかな声に、幾分救われた気持ちになりながら、祐司は慎重に話し出した。
「ちょっと気になる事があって……」
「何でしょう?」
「その……、最近職場で根も葉もない噂が広がっているし、他にも嫌がらせめいた事をされてるって小耳に挟んだから、心配になって電話してみたんだ」
真顔で問いかけた祐司だったが、綾乃は微塵も動揺せず、笑いすら含んだ声で言葉を返してきた。
「ああ、その事ですか。確かに書類の順番をバラバラにされたり、回覧物が回ってこなかったり、私物がゴミ箱の中から見つかったり、備品の在庫がいつの間にか切れていたりしてますが、別に支障はありませんよ?」
「……俺には、支障が有り過ぎるように聞こえるんだが」
低い声で応じた祐司だが、相変わらず綾乃は何でもない事のように告げてくる。
「小・中の頃の嫌がらせと比べたら、本当に可愛いものですよ? あの頃は学校に行くのがもの凄く嫌でしたが、そのおかげでこんなに動じない性格になれたんだと思えば、無駄じゃなかったなと思います」
それを聞いた祐司は(泣かされたりしてはいないみたいだが、それってどうなんだ?)と、正直頭を抱えたくなった。
「それは……、どうなんだろう?」
「仕事に実害は無いですし、笹木さんもその都度フォローしてくれてますから、大丈夫です。あ、それから、三部合同の懇親会も、笹木さんのおかげで参加できる事になりました」
「参加できるようになったって……、どういう事だ?」
意味が分からなかった祐司が尋ねると、綾乃が簡潔に答える。
「総務部の取り纏め役の先輩に、参加受付を拒否されてました」
「そうか。色々すまない」
電話の向こうには見えないながらも、祐司は思わず本気で頭を下げてしまったが、その気配を察したらしい綾乃が、困ったように宥めてきた。
「別に高木さんが謝る事じゃありませんよ? 幸恵さんが私の事を気に入らないのは、以前からの事ですから」
「それはそうだが。実は俺はその他にも、たった今あいつを余計に怒らせる事をしてしまって……」
「高木さんがですか?」
「ああ」
神妙に自分の不手際を打ち明けた祐司だったが、綾乃はちょっと考えてからあっさり断言した。
「でも……、それって要するに『嫌い』が『大嫌い』になる程度ですよね? 『好き』が『嫌い』に変わるのと比べたら、大した事ありませんから大丈夫ですよ。あまり気にしないで下さい」
明るくそう言われて、祐司は小さな溜め息を吐いた。
「……分かった。取り敢えずその懇親会は、予定を空けて俺も参加するから。何かあったらフォローする」
「本当ですか? ありがとうございます」
「じゃあ失礼するよ」
「はい、おやすみなさい」
そして最後は平穏に通話を終わらせた祐司だったが、先程以上に項垂れる事になった。
(馬鹿か、俺は。反対に慰められてどうする。予想外に、落ち込んだりしていなかったのは良かったが)
そんな事を考えて暫く自己嫌悪に浸ってから、祐司は再度違う番号に電話をかけ始めた。
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