第20話 駆け巡る噂
「……ああ、ほら、今入って来た人。何だかコネ入社って話よ。知ってた?」
社員食堂に香奈と一緒に入っていた綾乃を目ざとく見つけた社員の一人が、周囲に座っていた同僚達に囁いた。すると瞬時に、周りが同様の囁き声で応じる。
「ええ? 本当?」
「あ、私も聞いた。親が国会議員なんだって。何か有名な人らしいよ?」
「何でもヤクザとも通じてて、娘を入れなかったら営業妨害するって脅したんだって?」
「俺が聞いたのは、取引先の銀行に手を回して、事業資金を回さない様にするって話だったんだが?」
「あれ? うちから官公庁への納品を一切取り止めにするって事じゃなかったのか?」
ざわざわとしている食堂内で、綾乃達を遠巻きに見ながら好き勝手な事を言っている周囲に、弘樹と祐司は本気で頭を抱えたくなった。
「……おい、何だか有りもしない事までくっ付いて、話が広がってるぞ?」
「全く、どうなってるんだよ。うちが脅されるわけ無いだろうが」
呆れ返りながら祐司が呻くと、弘樹も憂鬱そうに呟く。
「この事態の原因がどこら辺にあるのかは何となくは分かるが、収拾をつけるのは難しそうだな」
「どういう事だ?」
思わず顔付きを険しくして祐司が問い質すと、弘樹は真顔で応えた。
「綾乃ちゃんの身元を知っているのは、社内では本人、俺、親父、お前。だけど、わざわざ言いふらすわけ無いよな?」
「当たり前だろ。ふざけるな!」
思わず声を荒げた祐司を目線で黙らせた弘樹が、溜め息混じりに指摘する。
「ところが、もう一人居るんだ。綾乃ちゃんから直に聞いて」
「は? 誰だ?」
(彼女とそんなに親しい人間が、社内に居るっていうのか?)
咄嗟に邪推してしまった祐司だったが、表情からそれを察した弘樹が冷静に窘めながら解説した。
「おい、色ボケしてんじゃねえぞ? 綾乃ちゃん、荒川の奴にちゃんと名乗ったじゃないか」
「……幸恵が?」
意表を衝かれたように祐司が目を見開いたが、弘樹は軽く頷いて肯定した。
「あいつなら『君島』と名乗った時点で、綾乃ちゃんの身元は分かるだろう。因縁があり過ぎる家だしな」
「そう言えばそうか……。じゃあこの騒ぎは、あいつが裏で糸を引いてるのか? 人の足を引っ張るようなタイプでは無かったと思うんだが……」
困惑気味に首を捻りつつ、かつての恋人を評した祐司だったが、弘樹が小さく肩を竦めた。
「多分、間違いないと思う。公子さんから聞いた話だと、二・三日前から総務部内でも色々あるみたいだしな。それまで糸を引いてるかどうかは分からんが、荒川と仲の良い同期が、総務部にいた筈だし」
「おい!」
流石に聞き捨てならない内容を耳にした祐司は顔色を変えたが、弘樹は小さく笑いながら祐司を宥めた。
「安心しろ。公子さんが睨みを利かせているから、あまり酷い事にはなってない筈だ。彼女を庇ってくれる先輩もいるみたいだしな」
「だがな!」
「言うまでも無いが、お前は表に出るなよ? 話が余計にややこしくなるに決まってる」
「…………っ」
真顔で幾分強い口調で言い諭した弘樹に、祐司が悔しそうに僅かに顔を歪めた所で、横から明るい声がかけられた。
「あ、遠藤係長、お隣宜しいですか?」
「高木さんも一緒だなんて嬉しい~」
「…………」
そんな脳天気な声で神経を逆撫でされた祐司が、座ったまま声を発した人物を見上げると、何故か相手は顔を強張らせて口ごもった。
「あ、あの……」
「え?」
常には見られない祐司の険しい表情と雰囲気に、思わず二人が怖じ気づいて固まっていると、ここで弘樹が助け舟を出した。
「悪いね、君達。今、ちょっと取り込み中なんだ。同席は今度にしてくれるかな?」
にこやかに話し掛けられた二人は、それに救われたようにぎこちなく、軽く頭を下げる。
「分かりました、失礼します」
「お邪魔しました」
そうしてすごすごと女性二人が退散して行くのを見送った弘樹は、苦笑いしながら祐司を窘めた。
「祐司。その仏頂面を止めろ。怖がって、誰も近寄らなくなるぞ」
「放っておいてくれ」
苦々しげな顔で食事を再開した祐司を見ながら、弘樹は密かに溜め息を吐いた。
(しょうがないな。気になる事もあるし、ちょっと調べてみるか。お誂え向きに、眞紀子さんに連絡する口実もできたしな)
抜け目なくこの事態の打開策についての考えを巡らせながら、弘樹は傍目にはのんびりと昼食を食べ進めた。
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