第18話 前途多難

「君島さん」

「え? あ、高木さん、今お帰りですか?」

 律儀に頭を下げて挨拶してきた綾乃に、祐司が幾分疲れ気味に声をかける。


「探しても無駄だと思うぞ? 幸恵はもう居なくなってる筈だから、一緒に何か食べながら帰らないか?」

「えっと……、やっぱりお帰りになったんでしょうか? それにひょっとして、私と幸恵さんのやり取りを見てました?」

 祐司の台詞から様子を窺っていたのを察した綾乃が確認を入れると、祐司が申し訳無さそうに告げた。


「悪い。ちょっと心配だったから、弘樹の奴に連絡して貰う事にしていて……。でもどんなやり取りをしてたか聞こえなかったが、何を言われたんだ?」

 最後は心配そうに尋ねたが、綾乃はそれには直接答えず、難しい顔で溜め息を吐いた。

「一応名乗りましたが、初対面で相当嫌われたみたいです」

「正直に名乗ったから、毛嫌いされたんじゃないか?」

「でも偽名を使うわけにもいきませんし……。大丈夫です。幸恵さんが私の家の人間に、好感情を持っていないのは分かっていましたから。ちょっとやそっと避けられた位で、諦めたりしません!」

 至極真っ当な意見に加え、綾乃のやる気が微塵も衰えていないのを確認できた祐司は、無意識に手を伸ばして彼女の頭を撫でつつ、相好を崩した。


「その意気だ。あいつは相当手強いと思うが頑張れ。今日の夕飯は奢るから」

 そう言って祐司が身振りで移動を促すと、綾乃は並んで歩き出しながら嬉しそうに尋ねてきた。


「ありがとうございます。じゃあ食べながら色々お聞きしたい事があるので、教えて貰えますか?」

「分かった。じゃあ俺もこの前君の連絡先とか聞きそびれたから、教えて貰えるかな?」

 ついでを装って祐司が尋ねると、綾乃が意外そうな顔を見せた。

「遠藤さんには伝えてあるんですが……、遠藤さんからお聞きになって無いんですか?」

 しかしその問いに、祐司が忌々しげに応じる。


「あいつ……、『可愛い女の子の情報は機密保持の対象だ。知りたかったら自分で聞け』とかほざきやがった」

 その如何にも腹立たしげな台詞を聞いて、綾乃は思わず小さく噴き出した。そして何とか笑いを堪えながらコメントする。

「遠藤さんって、結構楽しい方みたいですね?」

「人をからかう事にかけては、天才的なのは認める。まあ……、それはともかく、これから俺のお薦めの店に連れて行くけど、俺に聞きたい事があれば、移動しながらでも遠慮なく聞いて良いよ?」

 もう苦笑いしかできない祐司がそう促すと、綾乃は少し真剣な顔で考えてから、真顔で言い出した。


「そうですか? それじゃあ……、まず幸恵さんは、お昼は社員食堂派かお弁当持参派かご存知ですか?」

「は?」

 いきなり出てきた予想外の質問に、祐司が目を丸くして固まる。その反応を見た綾乃が、申し訳無さそうに俯いた。


「すみません。お付き合いしていたのなら、こういう事もご存知かと思ったんですが……」

「ええと……。俺の知る限りでは外食派だな。社食と店に食べに行くのとコンビニとかで弁当の類を買って席で食べるのと、大体同じ割合だったかと思うが……」

 気を取り直し、昼食に関する過去のやり取りを思い返しつつ冷静に述べると、綾乃は途端に顔付きを明るくする。


「やっぱり良くご存知ですね。次に、出勤時間帯は何時位ですか?」

「大体始業時間二十分前に、正面玄関から入るペースかな?」

「それから、幸恵さんの趣味は何ですか? もしくは休日の過ごし方とか教えて貰いたいんですが」

「…………」

 そんな調子で綾乃の幸恵に関する質問は止まることを知らず、祐司は何とか笑顔を保ちながら、律儀に最後までその質問に答えたのだった。


 そして翌朝、社屋ビル一階ロビーで幸恵を待ち受けていた綾乃は、幸恵の姿が視界の隅に入ってきた途端、彼女に向かってパタパタと駆け寄った。


「荒川さん、おはようございます!」

「…………」

 しかし綾乃の方をチラリとも見ず、幸恵は真っ直ぐ前を向いたまま歩き続ける。

「今日は気持ちの良いお天気ですね?」

「…………」

「こういう日は、お仕事もはかどりそうですよね!」

「…………」

 明るく話しかけている綾乃を幸恵がひたすら無視すると言う構図に、周囲の者達は何事かと怪訝な表情で二人を眺めたが、事情を知っている男二人は、昨夜同様少し離れた所から、半ば呆れ気味に問題の二人の様子を眺めていた。


「綾乃ちゃん、今日も朝から頑張ってるな……」

「あれ、どう見たって、相手にされてないだろ……」

 そこで項垂れた祐司に、弘樹が僅かに顔を顰めながら言い出す。


「お前もそれなりに頑張ってるんだろうな? わざわざ公子さんに締め上げられるのを覚悟で、二人きりにしてやったんだから、ありがたく思えよ?」

 その恩着せがましい台詞にも腹を立てたりせず、祐司は静かに答えた。

「一応……、昨日は夕飯を一緒に食べながら聞きそびれていたメルアドと携番を交換して、マンションの下まで送って行ったが……」

「おぉ、調子出てきたじゃないか!」

 僅かにからかいを含んだ口調で嬉々として応じた弘樹だったが、何故か祐司は暗い表情のまま話を続けた。


「彼女が振ってくる話題が、最初から最後まで元カノに関する事って言うのは、世間一般的に見てどうかと思う」

 言われた内容と、その微妙な口調に、弘樹は思わずピクリと顔を引き攣らせて尋ねる。


「おいおい、まさか荒川に嫉妬なんかしてないだろうな? お前に関する事、何も聞かれなかった訳じゃないだろ?」

「………………」

 しかし難しい顔で黙り込んでしまった祐司を見て、弘樹は頭痛を覚えた。


(微塵も聞かれなかったのかよ……。綾乃ちゃん、ちょっとは男心を汲んでやってくれ)

 既にその場を立ち去った綾乃に対して心の中で懇願してから、弘樹は何とか無難な感想を述べてみた。


「まあ……、確かにそれは、イマイチ盛り上がりに欠ける上、気まずいよなぁ……」

 そう言って気遣わしげに祐司に目をやった弘樹だったが、祐司は小さく首を振った。


「いや、目をキラキラさせて、彼女だけはメモを取りながら大いに盛り上がってた。だからついつい問われるまま答えていたが……。幸恵とのデートの内容まで話が及んだ時には、もう本当にどうしようかと……」

 流石にそれを聞いた弘樹は、顔を強張らせた。


「おい、まさかバカ正直に、そんな事まで洗いざらい話したわけじゃないだろうな?」

「……何とか話を逸らして誤魔化した」

「苦労が多いよな、お互い」

 疲れたように溜め息を吐き出した祐司に、弘樹が苦笑いで返す。すると些か気分を害したように、祐司が言い出した。


「お互いにって……、お前は端から見て面白がってるだけだろうが?」

「今回に限ってはそうでも無いんだ、これが。公子さんの耳に入っちまったからな」

 それを聞いた祐司が、不可解な表情で問い掛ける。


「あの人に何の関係があるんだ? 確かにベテラン社員として色々な意味で有名だが、所属部署は違うし年齢も離れてるし。……そう言えばお前と接点が無い筈なのに、昨日何か妙な事を言ってたよな?」

 僅かに目を細めて祐司が追及の姿勢を見せたが、ここで弘樹は小さく肩を竦めて話を逸らした。


「それは追々説明する。取り敢えず行くぞ? 始業時間に遅れる」

「分かった」

 すっきりしないのは山々だったが、弘樹の言い分を認めた祐司は(いつかはきちんと説明させてやる)と思いながら、自分の職場に向かって歩き出した。

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