第15話 理由

 予想以上に手際良く、全員分のお好み焼きを焼き上げた祐司は、最後に自分も食べてから食器を片付け、紅茶を人数分淹れてソファーまで持って行った。そして菓子と共にカップを配ると、口々に祐司に対しての賛辞が上がる。


「うん、食った食った。マジ旨かったぜ? 祐司」

「はい、とっても美味しかったです!」

「確かにね。それに、これまでご馳走になって良いの?」

 個包装の色とりどりのマカロンをつまみ上げながら眞紀子が尋ねると、祐司は笑顔で勧めた。


「ええ。これは姉から預かったんです。『元はと言えば私があんたを合コンに引っ張り込んだのが原因なんだから、お詫びの印に招待した時に食べて貰って』と言付かりました」

 それを聞いた眞紀子は、納得したように頷いた。

「そういう事なら、遠慮なくお相伴に預かりましょうか。綾乃ちゃん、これ巷で今凄い人気の、有名店のマカロンよ?」

「本当ですか? どれも美味しそう。いただきます」

「ああ、どうぞ」

 そうして紅茶とマカロンを堪能しながら穏やかな時間が流れたが、少ししてから祐司がさり気なく口を開いた。


「そういえば君島さん、弘樹の奴と連絡先を交換したんだって?」

(おいおい、こんな場所で嫉妬丸出しトークするつもりかよ?)

 溜め息を吐きたくなった弘樹だが、綾乃は真顔で答えた。


「はい。無理を言って遠藤さんにお願いしました」

(ちょっと、綾乃ちゃん!! こんなチャラ男にどうして自分から近付くわけ? 自己防衛本能が無いの!?)

 思わず顔色を変えた眞紀子が綾乃に視線を向けたが、その時テーブルの向こうから冷え冷えとする空気が伝わってきた。


「へぇ……、もし差し支え無かったら、その理由を聞いても良い?」

(うわ、黒オーラが滲み出てるぞ、祐司)

(分かり易いわね……)

 常より幾分低い声で迫った祐司に、弘樹と眞紀子が無言で生温かい視線を向ける。すると綾乃は多少困惑しながら、念を押してきた。


「あ、あの……、お話ししても良いんですが、他言無用でお願い出来ますか?」

「勿論。俺は誰かさんと違って、口が固い方だから安心して?」

(おい、当て擦ってんのか? お前)

(絶対、何か根に持ってるわよね……)

 笑顔で祐司は促したが、その嘘臭い笑顔に弘樹と眞紀子は半ば呆れた。しかし綾乃はその笑顔の不自然さには気付かないまま、慎重に話し出す。


「その……、商品開発部に荒川幸恵さんと言う方が在籍している筈ですけど、遠藤さんはご存知ですよね?」

「…………」

「え? あ、ああ。直属の部下だし、勿論知ってるよ。それがどうかした?」

 聞き覚えがあり過ぎるその名前が出た途端、何故か祐司は押し黙り、一瞬遅れて弘樹が慌てて答えた。すると綾乃が予想外の言葉を口にする。


「その荒川さんは、私の母方の従姉妹に当たる方なんです」

「は?」

「へ?」

 それを聞いた男二人は、間抜けな声を上げて固まったが、ここで眞紀子が素で驚いた表情で口を挟んできた。


「ちょっと待って、綾乃ちゃん。綾乃ちゃんに東京在住の従姉妹が居るなんて話、私、今まで聞いた事が無いんだけど?」

「それが……、母の実家の荒川家と君島家が絶縁状態になっていて、常日頃話題に出す事が無かったので……」

 申し訳無さそうに俯いた綾乃を見て、眞紀子は事態の複雑さを悟った。


「君島家がおばさまの実家と絶縁状態だなんて、穏やかじゃない事情が有りそうね。一体、どういう事なの?」

 そう言って説明を求めると、綾乃は順序立てて話し出した。


「母が私を妊娠中の話ですが、当時三十代半ばの父が政策論の違いから、仲間と一緒に一時期与党を飛び出して、新党を結成したんです。その後に、与党に再び合流しましたが」

「ああ、微かに覚えてるわ。確かその時、すったもんだの末に、解散総選挙になったのよね?」

 いきなりの政治談義に戸惑う事無く眞紀子が記憶を探ると、綾乃は小さく頷いた。


「はい。それで父は若かったにも関わらず、新党の中では論客で通っていて知名度も高いので、幹事長に次ぐ選挙対策委員長になって、党本部に詰めるか全国の選挙区を回って、指揮や応援演説をしたそうです」

「おじさまなら納得だわ。でもそうなると、自分の選挙区はどうしたの?」

 素朴な疑問を呈した眞紀子に、綾乃が冷静に答える。

「当時妊娠八ヶ月の母が、父に代わって選挙運動をしました」

「うわ……、それ本当?」

 思わず目を見張った眞紀子に加え、男二人も驚いた視線を向けたが、綾乃は溜め息を吐きながら説明を続けた。


「八月の炎天下、選挙区中を選挙カーで走り回ったそうです。離党した与党から対立候補が立てられて、そこは当時、全国有数の激戦区になったとか」

「おばさまの気力胆力には脱帽するわ。おじさまは初当選以来ずっと連続当選しているし、その時も当選したのよね」

「それは良かったんですが……」

 思わず感嘆の声を上げた眞紀子に、綾乃は言葉を濁した。それが気になった眞紀子が、綾乃に問いかける。

「何? 何か拙い事でもあったの?」

 そこで綾乃は僅かに躊躇する素振りを見せてから、重い口を開いた。


「当時、母方の祖母が病床にあって、選挙期間に入った辺りでいよいよ危ない状態になったそうです」

「え? じゃあ、おばさまは?」

 控え目に尋ねてみた眞紀子に、綾乃は小さく首を振った。


「実家の伯父から『結婚以来一度も顔を見せに来ないし、最期くらい顔を見せてやれ』と連絡がきましたが、母は『とても今ここを離れられないから、投票日が過ぎたら出向く』と返答したそうです」

「本当に、結婚以来、一度も実家に帰って無かったの?」

「はい、何か色々重なっていたらしく。電話や手紙でのやりとりはあったそうですが。母は地元の会合とか行事とかを、殊更重要視していましたから」

 言いにくそうに弁解した綾乃に、男二人は無言で顔を見合わせ、眞紀子は更に質問を続けた。


「それじゃあ、投票日を過ぎたら、おばさまは実家に出向いたの?」

 その問いに、綾乃は益々言いにくそうに状況を説明した。

「それが……、選挙期間最後の方は気力だけで保たせていたらしく、当確が出た瞬間に選挙事務所で倒れて、私は帝王切開で産まれてすぐ保育器へ直行。母は意識不明の重体に陥りました」

「知らなかったわ。綾乃ちゃんが産まれた時、そんな状況だったなんて」

 眞紀子は流石に顔色を変えたが、綾乃の説明は更に続いた。


「私が産まれた翌日も、母の実家から再三連絡がありましたが、父は選挙後の対応で東京に詰めっきり。母は病院で意識不明。父方の祖父は当時軽い痴呆症で、祖母は『自分が不甲斐ないばかりに嫁に無理をさせた』と寝込み、使用人達はその二人の世話で右往左往。当時十三歳の上の兄が秘書を引き連れて地元の後援者を回って、選挙協力のお礼を述べながら、両親が出向けない事についてのお詫び行脚。必然的に電話番は当時七歳の下の兄でしたが、伯父からの電話に『今両親とも出られません』と言ったら、もの凄い剣幕で怒鳴られたそうです」

 流れる様に説明した綾乃がそこで一息つくと、何とも言えない顔で三人が感想を述べた。


「きっと選挙期間以上に、凄い混乱ぶりだったんだろうな」

「十三歳でお詫び行脚……。政治家の家って大変なんだね……」

「察するに、おばさまは自分の母親の死に目に会えなかったのね?」

「結果的にはそうです」

 そう言って綾乃が俯くと室内に沈黙が漂ったが、彼女はすぐに顔を上げて、冷静に話を続けた。


「母の意識は数日で回復しましたが、退院までひと月近くかかりました。その後担当の先生に許可を貰って、父と兄達と一緒にお祖母さんの四十九日法要に実家に出向いたら、幸恵さんに玄関先で、泥水をぶちまけられたそうです。咄嗟に父と兄達が庇って、母には水滴一つ付かなかったらしいですが」

(ちょっと待て。綾乃ちゃんとの年齢差を考えると、あいつ当時、六つか七つだった筈なのに。子供の頃から、そんなに気が強かったのか……)

(あの幸恵だったらやりかねない……)

 それを聞いた弘樹と祐司は思わず遠い目をしてしまったが、眞紀子は流石に声を荒げた。


「はぁ? 幾らなんでも、それは酷くない!?」

「でも幸恵さんの気持ちを考えたら、無理も無いと思います。幸恵さんはお祖母ちゃん子だったらしくて、『お祖母ちゃんは叔母さんの事、最期の最期まで待ってたのに! 広島でちやほやされるのが気持ち良くて、実家の事なんかどうだって良くなったのよ。体裁だけ整える為に来たって、誰が入れるか!!』って激昂して暴れて、父を蹴り倒したとか」

 それを聞いた他の三人は、揃って盛大に顔を引き攣らせた。


「あの君島議員を蹴り倒した!?」

「怖いもの知らずは、その頃からか……」

「何か、流石おばさまの姪って感じね」

「それで、他の弔問客の手前もあって、騒ぎを大きくしない為、父達は引き下がってそれきりだそうです」

 そこで一旦話を締めくくった綾乃に、眞紀子がしみじみとした口調で告げた。


「そんな事があったとはね……、驚いたわ」

「私もその事を長い事知らなくて、聞いた時には本当に驚きました。小さい頃母の実家について家族に聞いても、全員『それは無いから』と説明するのを不思議に思いましたが、何となく突っ込んで聞ける雰囲気じゃなくて……。でも中学生の時、父方の祖母が亡くなる直前、今の話をしてくれた上で、『あの時夢乃さんに無理をさせて、申し訳無かった。出来たら綾乃に、夢乃さんが実家に出向けるように手伝って欲しい』と懇願されて、絶対そうするからと祖母と約束したんです」

「それじゃあ、おばさまは今でも実家の方に顔を出していないのね?」

 そう確認を入れてきた眞紀子に、綾乃は素直に頷いた。


「はい。でも実家との橋渡しなんてどうすれば良いか分からなくて、何年もそのままにしていたら、就職活動中に地元以外の企業を探していた時、後援会長が自宅に私を訊ねてきて、『星光文具なんてどうですか? 実はそこでお嬢さんの従姉に当たる方が働いておられます』と教えてくれたんです」

「どうして後援会長さんが、そんな事を知ってるの?」

 その眞紀子の疑問にも、綾乃は淀みなく答えた。


「後援会長さんは問題の選挙期間中、一日だけ抜けて母親の顔を見に行きたいと言った母に、『あなたは代議士の妻です。親の死に目に会えない位なんですか! 先生の議席を守る以上に、大事な事など有りません!』と叱責して、広島を離れるのを許さなかったんです。それで『当時の自分の判断に間違いは無かったと信じていますが、せめてものお詫びに、ご実家で何か不都合が生じた時にすぐご助力できるよう、先生や奥様には内緒で定期的に様子を調べさせていました』と教えてくれました。それで幸恵さんの就職先も知っていたそうです」

 そこで眞紀子は得心がいったように頷いた。


「なるほどね。だからわざわざ東京に出て来たわけか」

「はい。後援会長さんに『出来れば星光文具に入社して幸恵さんと仲良くなって、ご実家とのわだかまりを取り除いて頂けませんか? 私が言える筋ではありませんが、せめて奥様にお焼香させてあげたいんです』と頭を下げられたので、『入社できるかどうかは分かりませんが、書類を出してみます』と言って応募する事にしました」

 それを聞いた弘樹と祐司は(お母さんと社長が会ったのが、その話の先なのか後なのか微妙だな……。全くの偶然とは考えにくいが)と思わず考え込んでしまった。そして眞紀子も、また素朴な疑問を呈した。



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