第13話 それぞれの悩み

「よう、祐司。随分、シケた面して食ってるな。しかも一人でなんて、お前らしくも無い。追っ払うのも面倒だから、適当にあしらうって方針は転向したのか?」

 社員食堂で珍しく一人できつねうどんを食べていた祐司の姿を見つけた弘樹は、冷やかし半分で声をかけつつ隣に座った。どうやら遠巻きに祐司の方をチラチラと見ている女性社員はいるものの、そのあまりにも不機嫌そうな顔付きに近寄れずにいるらしく、それを認めた弘樹の苦笑いが深くなる。

 対する祐司は「近寄るな」とまでは言わなかったものの、如何にも面白く無さそうに隣を見ながら、皮肉っぽく言い出した。


「お前こそ、一人で食いに来るとは、俺以上に珍しいじゃないか。社内で噂になっているが、女全員と別れたって言うのは本当なのか?」

「ああ、まあね」

 箸とご飯茶碗を取り上げ、定食を食べ始めながら素っ気なく言った弘樹に、祐司がどこか探るような目つきで尋ねる。


「一体、どういう風の吹き回しだ?」

「心境の変化って奴かな?」

 淡々と口にして食べ続ける弘樹に、祐司は舌打ちしそうな表情になった。

「そんな事は分かってる。社長の言う通り、身辺を綺麗にする気になったのか?」

「親の言いなりになっている訳じゃ無いが、結果的にそうだな。……何だよ、変な顔で睨むな」

 流石に弘樹も気分を害しながら文句を口にしたが、ここで祐司が低い声で確認を入れた。


「本気で見合いでもするわけか?」

「はあ?」

 一瞬、相手が何の事を言っているのか分からなかった弘樹だったが、少し前に一緒に社長室に呼ばれた際のやり取りを思い出し、(なるほど、そういう事か)と納得した。そして笑いを堪えながら、祐司を宥める。


「綾乃ちゃんの事を言ってるのか? それは無いから安心しろ」

「いや……、別に彼女の事だとか、そんなんじゃなくてだな。俺はただ……」

 歯切れ悪く弁解じみた言葉を返してきた祐司に、弘樹が苦笑いしながら肩を竦める。


「彼女は確かに可愛いけど、強いて言えば世慣れない妹を見守ってる気分? 女関係を清算したのは、彼女とは別に本気で落としたい女が出来たからだ。あれは片手間でやっても無理だろうし、本腰入れてかかることにしたからな」

 いつに無く真剣な口調の弘樹に、祐司は思わず興味を誘われた。


「え? 誰だそれ?」

「分からないか?」

 含み笑いでそう問いかけられ、(という事は、俺も知ってる人物って事だよな?)と思いつつ考え始めた祐司は、すぐに一人の女性を頭の中に思い浮かべた。そして恐る恐る、その名前を口にしてみる。

「まさか……、榊さんの事じゃないよな?」

「ピンポーン!」

 自分の問いかけに瞬時に能天気な返事をしてきた弘樹に対し、祐司は周囲を憚りながら小声で毒吐いた。


「アホか! やっぱり一度死んでこい! 無理だろ、お前みたいな軟派な奴に、あんなキツい性格の女は!」

「やってみなけりゃ分からないし、逃げられると追い掛けたくなるものだろ? 男は基本的にハンターだからな」

「言ってろ!」

 呆れ果て、もう何も言う気力をなくして無言でうどんをすすった祐司の横で、弘樹が楽しそうに話を続けた。


「しかし手強いよな、彼女。この前お好み焼き屋で試し書きして貰った番号、咄嗟に書くなら普通自宅か携帯番号だろうと思って、暗記しておいたそれに電話してみたら、どこにかかったと思う?」

 完全に面白がっているとしか思えない口調に、祐司はうんざりしながら先を促してみた。


「もっと他の事に頭を使えよ。因みに本当に、彼女の自宅にかかったのか?」

「いや、警視庁刑事部捜査第二課課長席に」

「はあぁ!?」

 予想外過ぎる固有名詞が飛び出した為、思わず箸を取り落とした祐司の反応に、弘樹は益々笑みを深めながら事情を説明した。


「いやぁ、本当に参った。番号を間違ったかとかけ直したら、二回ともそこでさ。相手に平謝りだ。後で綾乃ちゃんにさり気なく電話で聞いてみたら、眞紀子さんの兄がキャリアで、既に警視正でそこの課長を務めているそうだ。俺の下心を推察して、さり気なく兄貴の職場の電話番号を書くような抜け目なさ。いや、惚れ直したね」

「そこは間違っても感心する所じゃないし、お前がそれだけ彼女に警戒されてるって事だろうが!? 第一……、何でお前が君島さんの電話番号を知ってるんだ?」

 本気で頭を抱えてから、ふと放置できない事実に気がついた祐司が顔つきを険しくしながら問い質したが、弘樹はその疑問に事も無げに答えた。


「うん? この前、彼女と携番とメルアドを交換したから」

 サラッと言われたその内容に、祐司は弘樹に向かって凄んだ。

「お前……、眞紀子さん狙いだの何だのと言っておきながら……。その女好きはもう病気だ、きっちり治せ!」

「おいおい誤解するなよ? 彼女の方から頼まれたんだ。何でも『極めてプライベートな事柄に関して相談に乗って貰いたいので』って」

「何だそれは?」

 益々怪訝な顔になった祐司だったが、弘樹も同様の表情で返した。


「さあ……。実はそれは先週の話なんだが、それ以降、別に何も相談とかされてないんだよな。俺から電話をかけて眞紀子さんの家族構成とか聞き出した時も、特に何も言わなかったし。……あ、だけどお前、本当にまだ綾乃ちゃんの直接の連絡先を知らないのか?」

「……悪いか」

 そこでふてくされて再び食べ始めた祐司に、今度は弘樹が僅かに責める口調で尋ねた。


「と言うかお前、この半月以上何やってたんだよ? さっさと彼女から直に連絡先を聞き出して、デートを兼ねて彼女が納得するお好み焼き屋に誘って、連れて行けば良いだろ?」

「デートって……、別に彼女に対して、恋愛感情云々は無いから」

 弁解がましくそう口にした祐司に、弘樹は本気で呆れた表情になった。


「お前、この期に及んで、何寝言を言ってるんだ?」

「お前が何を勘違いしているのかは知らないが、俺は単に罪悪感から解放されたいから、彼女にきちんと謝罪を受け入れて貰いたいし、その方法を模索しているだけだ」

「……好きなだけ勝手に言ってろ。もう俺は知らん」

 そう言って大きな溜め息を吐いた弘樹は食事を再開したが、そこで横から祐司の呟きが聞こえてきた。


「それで……、実は今姉貴から、広島風お好み焼きを焼く特訓を受けてる」

「はぁ? なんだよそれ。それこそ聞いてないぞ?」

 驚きに目を見張った弘樹に、祐司が小さく肩を竦める。


「一々、お前に言うほどでもないと思ったからな。姉貴に言わせれば『店の選択で失敗したから、単に他の店を見つけて連れて行くだけじゃなくて、この際手ずから作ってもてなす位はしないと駄目よね』という事らしい」

「まあ……、一理あるかもしれないが」

 多少考え込みながら大人しく同意を示した弘樹に、ここで祐司が個人的な弊害を伝えた

「それで……、作った物は全部責任を持って俺が食ってるから、この半月で体重が三キロ以上増えた……」

「…………」

 それを聞いた弘樹は、さりげなくいつもと同じ様に引き締まって見える祐司の全身を上から下まで眺めてから、(まだ体型に明らかな変化は見えていないが、そのせいでいつも昼食はしっかり食っているこいつが、きつねうどん一つだけだったのか)と納得し、思わず憐憫の情を覚えた。


「色々な意味で、そろそろ限界っぽくないか?」

「ああ、激しく同感だ。それにそろそろ姉貴からゴーサインが貰えそうだし、今度の週末に、作った物を食べて貰おうかと考えてる」

「そうか。それは何よりだな」

「ああ。……絶対、美味いって言わせてやる」

 そんな決意漲る呟きを聞いた弘樹は、呆れ気味に声をかけた。


「お前、何ムキになってるんだよ」

「別に、ムキになってなんかないぞ」

「お前クールな見た目によらず、意外に熱血漢だしな。あのバッティングセンターに通うのに便利な所って基準で、住む所まで決めたし」

 そう言ってくすくす笑った弘樹を、祐司は面白く無さそうに見やった。


「住む所なんて、俺の勝手だろう? あそこは打つだけじゃなくて投げられるし、気に入ってるんだ」

「これまで付き合った女、毎回『こういう性格だとは思わなかった』って、見た目詐欺呼ばわりされて別れてるくせに。少しは学習しろよ」

「それこそ俺の勝手だ。大体、俺の外見しか興味がない女なんて、まっぴら御免だ」

 そこで弘樹が、急に真顔になって言葉を継いだ。


「だがな、祐司」

「何だ?」

「最初、見た目から入るのは、ある程度仕方が無いんじゃないか? ある程度親しくならないと、内面なんかは分からないわけだし」

「それは、確かにそうだろうが……」

「まあ、この場合、これまでお前に『取り逃がしてたまるか!』と思わせる事ができなかった、女達の方に非があるのかもしれないが」

 そこまで聞いた祐司は、箸の動きを止めて、うんざりしたように問いかけた。


「お前は俺を貶したいのかフォローしたいのか、どっちなんだ?」

「両方かな?」

「言ってろ」

 素っ気なく言い捨てた祐司だったが、弘樹はにやりと笑いながら話を続けた。


「だけどさ、自分からすり寄って来ない女を口説くのって、大変だろう?」

「口説いてないから」

「逃げられると、追いたくなるものだよな? さっきも言ったが、男は基本的に狩人(ハンター)だし」

「だから! 誰が誰を追いかけてるって言うんだ?」

「お前が綾乃ちゃんを。少なくとも、綾乃ちゃんの関心を引こうとしてるだろ?」

「もう何も言うな。ウザい」

「へいへい」

 心底嫌そうに悪態を吐いた祐司を見て、これ以上怒らせるのは得策ではないと判断した弘樹は、大人しく食べるのを再開した。


(そうムキになっている時点で、相当気にしてるのが丸分かりなんだがな。ひょっとしてこいつ、まだ自覚無しか?)

 そんな事を考えつつ、一人でほくそ笑んでいると、祐司が声をかけてくる。


「場所は姉貴のマンションを貸して貰うから、君島さんに連絡してくれ。お前、連絡先を知ってるって言ったよな?」

 刺すような視線で睨まれながら言われた弘樹は、半ば呆れながら応じた。


「そう睨むなよ……。それじゃあ眞紀子さんも同伴して貰って良いよな? 綾乃ちゃんは知らない人物の家で、男と二人きりになりたがるタイプじゃ無いだろうし」

「そうだろうな。だがそうなると……、当然お前も来るよな?」

「勿論」

 如何にも当然と言わんばかりの笑顔で頷いた弘樹を見て、今度は祐司が肩を落とした。


「……人数分、食材を用意しておく」

「宜しく。連絡は任せろ」

 それから二人は、周囲の女性達からの物言いたげな視線を物ともせず、手早く昼食を済ませてそれぞれの職場へと戻って行った。

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