第7話 コネと郷土愛
「その……、東京に出てから、榊のおじさまの所に挨拶に行ったら、『星光文具の遠藤社長とは友人だから、綾乃ちゃんの事は良く頼んでおいたから。頑張りなさい』って言われて。榊のおじさまと遠藤社長とは、大学時代からの友人みたいです」
「あんのクソ親父、余計な事を……」
眞紀子が鬼の形相で歯軋りすると、その迫力に気押されながら弘樹が綾乃に確認を入れた。
「榊のおじさまって……、ひょっとして榊総合弁護士事務所所長の榊亮輔氏の事?」
「ええ、私の父よ」
綾乃が何か口にする前に、横から眞紀子がズバッと答える。それに幾分顔を引き攣らせながら、弘樹は果敢に話を続けた。
「お父さんは会社の顧問弁護士だし、家でも色々お世話になってるから何度か面識は有るけど、こんな美人な娘さんが居たとは知らなかったな」
「私はあの切れ者の遠藤社長に、こんな間抜け面の息子が居るなんて、一生知らずにいたかったわね」
「…………」
完全に八つ当たりの台詞に、弘樹は賢明に口を噤んだ。横の綾乃が(私が余計な事を言ったばかりに!)と今にも泣きそうな顔で、無言で謝っていた為である。それで基本フェミニストの弘樹は、甘んじて眞紀子の悪口雑言を受けようと、密かに気合いを入れ直した。
「それで……、父と榊のおじさまは大学時代からの親友ですから、当然父と遠藤社長も知り合いですよね?」
しかしその問いかけに、弘樹は本気で当惑した。
「いや……、君島って人の話は、本当に父から聞いた事が無いんだけどな……」
「そうですか? でも確かに、私も父から遠藤社長の話を聞いた事は無いですね」
「それなら親のコネでの入社ではなくて、偶々入社が決まってから、それを知った榊先生が、うちに一言『知り合いの娘さんだから宜しく』と挨拶を入れただけの話じゃないかな? 同じ大学出身って言っても、同学年全員と知り合いって事も無いだろうし」
「そうか……、そうかもしれませんね」
「第一、コネで入社が決まったなら、絶対親父が俺に君の面倒を見るようにとか言いそうだけど、そんなの今まで皆無だったよ? 現に今回のこれで、君の事を初めて知ったし」
「そうですね。私も遠藤さんの事は全然知りませんでした」
「だよね? 社内では結構有名人だと自負してたんだ」
「すっ、すみませんでした!」
「いやいや、気にしなくて良いよ」
そんな話をしているうち段々安堵したらしく、綾乃の表情が目に見えて改善した為、周囲の者達も揃って胸を撫で下ろした。ここで祐司が、何やら考え込みながら口を開く。
「でも……、確かに地方大学出身で、いきなり東京本社勤務になったら、よほど強力なコネがあるのかと勘ぐられても仕方がないな。偶々運が良かった訳だから、それ位の邪推は甘んじて受けないと」
「そうですね。あまり気にしない事にします」
「だけど、地元で就職しようとは思わなかったの?」
「地元で就職先を探すと、百%コネ入社になりますから。現に普通に採用試験を受けたら、二十社から内定を貰いました」
「はぁ?」
「この不景気に何の冗談だ?」
予想外の話に男二人は目を丸くし、眞紀子は一人、頭を抱えた。それを見ながら、綾乃が恐縮気味に話を続ける。
「そんな明らかに利益誘導を狙った採用は嫌だったので、せめて大阪で就職しようと思ったら、近くに頼れる人間が皆無の所は駄目だ、せめて東京で就職しろと言われまして……」
そこで弘樹は、半ば呆れながら率直な感想を漏らした。
「気持ちは分かるけど……、それはちょっと贅沢だね。今時、それだけ内定を貰えるなんて、落ちまくってる連中に聞かれたら刺されるよ? コネだろうが何だろうがありがたいと思って、適当に腰掛け程度に働いていれば楽……って!」
その時左脛に強烈な衝撃と痛みを感じた弘樹は、向かいの席の眞紀子を涙目で睨んだが、殺気混じりの視線に怒りを抑えた。そんなやり取りを横目で見ながら、祐司が質問を続ける。
「東京になら、頼りになる親戚とかが居るとか?」
「榊のおじさまとは昔から家族ぐるみでお付き合いしてましたし、会期中は議員宿舎か別宅のマンションに父が居ますから。四月からは時々、私のマンションにも泊まりに来てます」
サラッと綾乃が説明した内容に、男二人の顔色が変わった。
「ちょっと待って。議員宿舎?」
「会期中って、まさか……」
ある可能性を考えて青ざめた二人だったが、眞紀子は淡々とその考えを裏打ちする事実を述べた。
「綾乃ちゃんのお父さんは、広島県選出の君島東志郎代議士よ」
「あのバリバリタカ派の君島議員が、君のお父さん?」
「胆力迫力は国会議員随一と名高い、あの?」
「……はい」
少々居心地悪そうに頷いた綾乃を見て、絶句した二人は、(それなら地元企業は、内定を出すよな)と納得した。そして何秒か沈黙が漂った後、祐司が結論を出した。
「そうなると結局、お父さんや榊さんが社長に君の就職を頼んだ可能性は、低いんじゃないか? 明日から、職場で堂々としていれば良いよ」
「それは、そうなんですけど……。最近課長に怒られる事もしてしまいまして」
「何か失敗でも?」
「職場で、これと同じ物を使っていたんです」
歯切れ悪くバッグから取り出した物を見て、思わず祐司は無言になった。それを横から覗き込んだ弘樹と眞紀子の間で、再び論争が勃発する。
「普通のボールペンじゃない。これがどうかしたの?」
「榊さん、これ、何だかご存知なんですか?」
「知ってるわよ。クラウンのナイスディシリーズでしょ? 使い易いから、私もずっと使っているもの」
「うちのライバルメーカーの商品なんですが?」
「…………」
溜め息を吐きつつ指摘してきた弘樹に、流石に眞紀子が無言で綾乃を眺め、そんな三人の視線を一身に浴びながら、綾乃が恐縮気味に説明を始めた。
「職場でそれを使っていたら、同期の人にいきなり腕を掴まれて上に上げられて、『ライバルメーカーの商品を、堂々と使ってる人が居ますよ? 信じられない!』と大声で叫ばれました」
「何よそれ! 注意するにしても、晒し者にする事は無いでしょう!?」
「それで、『私はちゃんと売り出したばかりのライティを使ってますよ? 愛社精神の欠片もない部下なんて、迷惑なだけですよね?』と課長に話を振って」
「それで? 大勢の人の前で叱られたわけ?」
「……はい」
それを聞いた祐司と弘樹は揃って額を押さえて項垂れ、眞紀子は難しい顔をして考え込んだ。
「綾乃ちゃんは、どうしてそのライティって商品を使っていないの?」
「会社からの支給品を使ってみたんですけど、軽すぎて、今一つ書き味が良くない気がして」
「それなら今、現物を持って無いわよね?」
「ええ」
「持ってるよ? 良かったらどうぞ、差し上げます。ついでに書き味を試してみて?」
「あら、ご親切にどうも」
すかさず鞄から、見本として持ち歩いていたレモンイエローのメタリック調のボールペンと、白い紙を取り出した弘樹に、眞紀子は僅かに眉を寄せながら素直に受け取った。そして一瞬考え込んでから、数字の羅列をサラサラと書いて、手の動きを止める。
「……軽い」
「だろう? 書き仕事に従事している女性をターゲットに、色々試行錯誤して」
「軽すぎるわ。しかも細くて持ちにくい」
「え?」
吐き捨てるように断言した眞紀子に弘樹が思わず絶句したが、それに構わず彼女が二人を睨み付けた。
「これ、形状、色、共にファッション性重視で、書き手の事を考えて無いわね。幾らなの?」
「税抜きで、一本千五百ですが……」
恐る恐る祐司が販売価格を口にすると、眞紀子が明らかにバカにした口調で反論した。
「こんなのに千五百円払う馬鹿が、どこにいるってのよ!?」
「いや、しかし! これは特殊合金使用で、色々原価がかかっていて!」
「開発に金をかければ、良いって物じゃないわよね! 確かに仕事に使う物に愛着を持って、大枚注ぎ込む人は多いけど、こんなのに誰が注ぎ込む気になるのよ! この外見からして、最初は流行りに敏感な女子高生辺りをターゲットにしたけど、価格が高く設定しないと元が取れないから、後からOL狙いに方針転換したんじゃないの?」
「…………」
途端に黙り込んで微妙な顔を見合わせた男二人を、眞紀子は鼻で笑った。
「図星? そんなユルユルのコンセプトで、売れると思う方が間違ってるわ!」
「だが、社内でも対象の女性達に意見を募って、これはいけると判断して」
必死の形相で弘樹が反論しかけたが、眞紀子がそれを一刀両断した。
「社内で意見集約だぁ? そんなのちょっと見た目の良いイケメン社員が『君達、これどう思う?』とか聞いて回ったら、雪崩を打って『とっても良いです、最高です! 絶対売れますよ!』とお愛想振り撒くに決まってるわよ。勿論、よぼよぼの枯れた爺さんが聞いて回ったんでしょうね?」
「…………」
眞紀子のその台詞に、男二人は沈黙で応えた。それに不服そうに眞紀子が顔を顰める。
「何、揃って黙り込んでるのよ?」
「……眞紀子さん」
「何? 綾乃ちゃん」
「その……、確か遠藤さんは商品開発部勤務で、高木さんは営業部勤務で……」
それを聞いた眞紀子は、軽く目を見開いてから声を張り上げた。
「それじゃあ、まさかこの人達、こんなヘナチョコ商品作って、売り出してる張本人?」
「眞紀子さん、声が大きいですっ!」
二人を気にしながら、涙目で訴えた綾乃だったが、眞紀子は物騒に目を細めながら断言した。
「……読めたわ。綾乃ちゃんの同期は、こいつらに媚びを売る為に、綾乃ちゃんが他社のボールペンを愛用してるのをワザと暴露して、晒し者にしたのよ!」
「ええ? どうしてですか?」
ビシッと男二人を指差しつつ断言した眞紀子に、当事者二人は当然の事、言われた綾乃も目を丸くした。しかし眞紀子は腹立たしげに持論を展開する。
「綾乃ちゃんを悪者にしてこき下ろしておいて、自分を愛社精神旺盛な健気な社員として名前を売る為よ。そうでなければ常識的には、個人的に注意したり窘めたりする位よ」
「でも、そんな……」
すっかり動揺しつつも、おろおろと眞紀子を宥めようとした綾乃だったが、相手は聞く耳持たなかった。
「大方、コネ云々で因縁付けてたのも、同じ子じゃない?」
「確かにそうですけど……」
「やっぱりね」
そして些かわざとらしく溜め息を吐いてみせた眞紀子は、綾乃に言い聞かせた。
「綾乃ちゃん。この前は仕事を辞めるなんて止めなさいと言ったけど、前言撤回させて貰うわ。星光文具なんて辞めなさい。辞表の書き方位幾らでも教えてあげるから。こんなアホとその取り巻きが幅を利かせている会社なんて、長いこと無いわ。万が一、こいつが社長になったら、すぐに潰れるわよ? 好き好んで沈む船に乗り続ける必要は無いわ」
「あの、でも、眞紀子さん!」
「ちょっと! 幾ら何でも失礼でしょうが!?」
流石に弘樹が声を荒げて立ち上がり、眞紀子もやる気満々で立ち上がったところで、店員がお盆を捧げ持ちながら脳天気な声をかけてきた。
「お待たせしました~。こちら、おすすめセット四人分になりま~す」
「眞紀子さん!」
「……ったく」
綾乃に涙目で懇願され、眞紀子は渋々矛を収めても椅子に座ると、店員が二人がかりで素早く料理をセットして頭を下げた。
「それではごゆっくりお召し上がり下さい」
そして目の前の鉄板から立ち上る食欲をそそる香りに、弘樹は機嫌を直して祐司に向き直り、笑って礼を述べた。
「じゃあ色々言いたいことはあると思うけど、まず頂こうか。悪いな祐司、俺まで食わせて貰って」
「お前は単なるついでだ。黙って食え」
「じゃあ綾乃ちゃん、眞紀子さんも遠慮なく食べてね?」
「気安く女性の名前を呼ぶな! それにお前の奢りじゃないぞ……って、あの……、どうかしたのか?」
「え? ちょっと……」
「…………っ」
二人が何気なくテーブルの向かい側に目を向けると、それまで狼狽しながらも涙目だった綾乃が、堪えきれなくなったように無言のまま泣き出していた。当然動揺した二人が、口々に子細を尋ねる。
「綾乃ちゃん!? どうかしたの?」
「急に気分でも悪くなったのか?」
「……すみません、私」
「もう良いわ! 綾乃ちゃん、帰るわよ!」
そこでいきなり眞紀子が憤然として立ち上がり、綾乃の腕を引っ張った。
「眞紀子さん、でも!」
「こんな茶番に、これ以上付き合う必要は無いわ。さあ、行くわよ?」
「ちょっと待って下さい! 茶番ってどういう事ですか!?」
慌てて祐司が腰を浮かせながら問い質したが、眞紀子は冷たく言い捨てた。
「本当に謝罪したかったら、それなりの誠意は見せるのが筋よね? 綾乃ちゃんとは逆に私は大学が広島で、彼女の家に下宿させて貰ったのよ。その時の経験から言わせて貰うと、これは断じて広島風お好み焼きじゃないわ!!」
「え?」
「いや、だって」
眞紀子がお好み焼きを指差しつつ言い放った言葉に、男二人は当惑したが、彼女はそれには構わず綾乃を引きずって撤収し始める。
「さあ、綾乃ちゃん行くわよ! 故郷を想ってべそべそしてないで!」
「高木さん、すみません! あの、本当にもう謝って頂くのは結構ですから!」
「綾乃ちゃん、相手にしちゃ駄目よ! そんな無神経男!」
「でもっ!」
苛立たしげに言い聞かせる眞紀子に、綾乃が抵抗しながらも引きずられて店の外に姿を消し、呆然とその姿を見送った弘樹と祐司は、怪訝な顔を見合わせた。
「そうは言われても……、何が拙いんだ?」
「広島風お好み焼き、だよな……」
目の前でまだ温かいそれを見下ろしながら二人は途方に暮れたが、弘樹が祐司に確認を入れた。
「これからどうする? もう謝罪は良いって言われたけど」
「ここで『はい、そうですか』って引いてたまるか。あんな風に泣かせる羽目になって、気分が悪い」
「だよな? これは二重に、お詫びしないとな?」
弘樹がそう言って生真面目な友人に笑いかけると、祐司は真顔で現実問題を口にした。
「取り敢えずの問題は……、これを片付ける事だな」
「一気に現実に引き戻すなよ」
項垂れた弘樹に、祐司が尚も真顔で続ける。
「残す真似ができるか。勿体ないし失礼だ」
「多少残っても金を払うんだから、店も文句は言わないだろう?」
「店にもだが、食材と、それを作った生産者に対してだ」
そうきっぱり答えた祐司に、弘樹は彼の実家の家業を思い出した。
「お前の実家、今時珍しい専業農家だったな……」
「緑豊かな、近郊農場経営と言ってくれ」
「それじゃあ気合い入れて、二人分食べるさ。こんな事でお前に嫌われたく無い」
「頼む。明日以降仕切り直しをするから、また手を貸してくれ」
「了解」
もはや苦笑いするしかなかった弘樹は、久し振りに自分の胃袋の限界に挑戦する事になった。
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