第6話 気まずい再会

 社内メールを密かに私用で使わせて貰い、弘樹や祐司と幾つかのやり取りを経てから数日後。綾乃は会社帰りに眞紀子と待ち合わせて、祐司から指定された場所に向かった。


「本当にごめんなさい、眞紀子さん。こんな事に付き合わせちゃって」

「ここまで来て、今更気にしないの。だけど綾乃ちゃんから経過を一通り聞いて、ちょっと気になった事があるのよ」

「何ですか?」

 綾乃が自分より上背がある眞紀子を見上げると、その視線を受けつつ彼女が確認を入れた。


「例の男の名前、高木って言うのよね?」

「はい、高木祐司さんです。あの後社内メールで、食事の希望内容を連絡した時、当日の事を返信で謝って貰いました。見た目はちょっと怖いですけど、そんなに悪い人ではないかと」

 考え考えそう口にした綾乃に、眞紀子が疑惑の目を向けた。


「綾乃ちゃんが携帯電話を拾った時、『弟が失礼した』と電話で謝った人は『宇田川』と名乗ったのよね? どうして姉弟で名字が違うの?」

「お姉さんが、もう結婚されているとか?」

 一番ありそうな可能性を口にした綾乃だったが、そこで眞紀子が冷静に突っ込みを入れた。


「その彼とメールで直接やり取りした時、『当日は姉の合コンに無理やり引きずり込まれた挙げ句、酔った姉を送る途中で携帯電話を落としたので、合コンでしつこく絡んでいた相手に携帯を抜き取られたと勘違いした』と説明したとか聞いたけど、既婚者が弟同伴で、合コンに参加するの?」

「…………あれ?」

 思わず足を止めて首を傾げた綾乃を見て、同様に立ち止まった眞紀子は深々と溜め息を吐いた。


「やっぱり、付いて来て正解だったわ。何か簡単に騙されそうで、危なっかしくて」

「ごめんなさい……」

 思わず項垂れて謝ってしまった綾乃を、眞紀子が慌てて宥める。


「大丈夫よ。私が付いている限り、変な事にはさせないから」

「ありがとう、眞紀子さん……。あ……」

 綾乃が嬉しそうに笑い、釣られて表情を緩めたところで、自分越しに綾乃が視線を向けた人物に向かって、眞紀子は勢い良く振り返って睨み付けた。


「げ……」

「うっ」

「何か?」

 綾乃から同伴者がいるとは連絡を受けていたものの、てっきり社内の口の固い友人と思い込んでおり、初対面の時に祐司に強烈な蹴りをお見舞いした彼女だとは予想していなかった二人が、思わず呻き声を上げた。それを見た眞紀子が如何にも面白く無さそうに睥睨すると、弘樹が焦って言葉を絞り出す。


「いや、ええと……、本日はお日柄も良く……」

「夜になってから何ほざいてんの。それとも寝言? 目を開けたまま寝言が言えるなんて器用ね。羨ましいわ」

「眞紀子さん……」

「…………」

 戦闘意欲満々で容赦のなく切り捨てた眞紀子の台詞に、綾乃が(やっぱり眞紀子さんにお願いしたのは、間違いだったかも)と一瞬後悔してから、慌てて弘樹と祐司の方に足を踏み出た。


「遠藤さん、わざわざご連絡をありがとうございました。それに高木さんも、今日はご馳走になります」

「いや、大した事ないから。それより、いきなりメールを送って驚かせてごめんね?」

「あの場合、悪いのは一方的に怒鳴った俺だし。お詫びの印に夕食を奢る位何でもないさ。しかしその詫びが、お好み焼きで良いのかどうか……。変な遠慮は、しないで欲しいんだが」

 申し訳なさそうな表情で言葉を濁した祐司に、綾乃が慌てて両手を振った。


「遠慮なんかしてないです。私、どうしても食べたかったんです。でも住んでいるマンションの近所に、広島風のお好み焼きを出している所が見当たらなくて、ネットで検索して食べに行こうかと考えていた所でしたから」

「それなら良いんだが」

「何か最近、色々気弱になってた所に暴言を吐かれて、軽~くホームシックになりかけてたのよね~」

「眞紀子さん」

「…………」

 すこぶる非友好的な態度で皮肉をぶつける眞紀子に綾乃は狼狽し、祐司は下手に弁解せず黙り込んだ。そこで弘樹が唐突に口を挟む。


「綾乃ちゃんって、広島出身なの?」

「はい。ずっと地元で、大学卒業後に初めて出てきたので、知り合いとか友達も殆ど居なくて」

 幾分恥ずかしそうに綾乃が告げると、弘樹は笑顔で話を続けた。

「ああ、そうなんだ。でも入社してから、それなりに友達とかできたよね?」

「いえ、それがあまり……」

「そうなの?」

「でもそれは、半分は私が悪いと言うか……、何と言うか……」

 幾分表情を暗くしてそんな事を言い出した綾乃に、弘樹と祐司は(別に性格が悪そうには見えないが)と思わず顔を見合わせ、眞紀子は険しい表情になって問い質した。


「どういう事? この前の話も歯切れ悪かったけど、何か社内で虐められてるとか?」

「そ、そういう事じゃなくて……」

 どう説明すれば良いかと本気で困惑している綾乃に、ここで弘樹が助け船を出した。


「まあまあ、取り敢えずもうすぐ店だから、そこで食べながら話をしようか。俺達は部署は違うけど先輩だし、心配事があるなら相談に乗るよ? それに一応社長令息の立場としては、こんな可愛い子が虐められていたら、放置できないしね」

「え? あの、そんな……」

 弘樹に笑顔でウインクされながら言われた内容に綾乃が戸惑っていると、横から眞紀子の冷え切った声がかけられた。


「やっぱり付いて来て良かったわ。こんな危なすぎる男にのこのこ付いて行っちゃ駄目よ? だけど確かに立ち話も何だし、取り敢えずはお店に行きましょう」

「え、えっと……」

「そうですね」

 眞紀子に促されて取り敢えず店に向かって歩き出したが、綾乃が先程眞紀子と話していた内容を思い出し、斜め前を歩く祐司に声をかけた。


「高木さん、お聞きしても良いですか?」

「ああ、何かな?」

「高木さんから電話を受けた時、側に居たお姉さんの名字は『宇田川』でしたよね? メールで当日の説明を受けた時、ご結婚されて姓が変わったと思ったんですが、それなら合コンとかには行かないかなと、後から不思議に思いまして……」

 控え目に疑問を呈した綾乃に、祐司は彼女に顔を向けながら小さく笑った。


「その事か。実は姉の両親は、子供の頃離婚してね。姉は父親に引き取られたんだ。母が再婚してから産まれたのが俺で、再婚相手の姓が高木。だから姉は異父姉で未婚だけど、当然俺とは名字が違うんだ」

「そうだったんですか。すみません、変な詮索をしてしまって」

 プライバシーに不用意に踏み込んでしまったと考えた綾乃は、素直に頭を下げたが、祐司はそれを笑って宥めた。


「気にしなくて良いよ。不思議に思って当然だし。姉は向こうの親と折り合いが悪くて、良く俺の家に出入りする様になって、仕事を始める時も俺の父が保証人になったりしたから、普通の家族並みに仲は良いんだ」

「それであの日、その仲の良い姉ちゃんに『ドタキャンで男が一人足りなくて盛り上がりに欠けるから、ちょっとで良いから顔出して。奢るから』と懇願されて渋々出向いたら、こいつ肉食系女とニューハーフの巣窟で酷い目に有ったらしい。何かトラウマになりかけて」

「弘樹、てめぇ、その回りすぎる舌を、切り落としてやろうか!?」

「ちょ、ちょっと待て! ギブギブ!」

「…………」

 茶化す様に横から口を挟んできた弘樹の首を、祐司が憤怒の形相で絞めにかかる。必死に解放を訴える弘樹の声を聞き流しながら、綾乃と眞紀子は祐司に同情の眼差しを送った。


 店に到着してから、お好み焼きにサラダとスープが付いたセットメニューを四人分、男二人はビール、女二人はソフトドリンクを頼んで一段落してから、早速運ばれてきたビール片手に、弘樹が綾乃に声をかけた。


「さて、綾乃ちゃん。頼んだ物が来るまで、じっくりさっきの話の続きを聞かせて貰おうかな?」

 この件に関しては眞紀子も聞き出す気満々らしく、弘樹に異議を唱えなかった為、綾乃は諦めて口を開いた。


「その……、実は私、入社以来同期の人達から少し浮いてまして……。付き合いは悪いし流行にも疎いし、地方出身者ですし」

「はぁ? 何でもかんでも画一的な人間でいなくちゃいけないって事は無いでしょう? 自分と違うから駄目だなんて勘違い女、ハナから無視していなさい」

 素っ気なく言い捨てた眞紀子だったが、続く綾乃の台詞に顔色を変えた。


「それに、『鈍くさい地方出身のあんたが、何で入社できるの。私の友人の方が気が利くし、見栄えも良いのに落ちたのよ? どうせコネで潜り込んだに決まってるわ』って」

「それは……」

「流石にちょっと……」

 言い過ぎだろうと、非常識な社員に対する非難の表情を浮かべた男二人だったが、その向かい側の席で眞紀子が綾乃に迫った。


「何なのその女!? そんな誹謗中傷を公言するなんて、父に頼んで訴えてやる!!」

「眞紀子さん、落ち着いて!」

「落ち着いてなんか居られますか! 綾乃ちゃんの名誉がかかっているのよ!?」

「だって私、多分本当にコネ入社だと思うし!!」

 段々興奮してくる眞紀子に負けじと綾乃が声を張り上げ、一瞬店内が静まり返った。そして当然の如く、同席している三人が戸惑いの声を上げる。


「はぁ?」

「え?」

「どういう事?」

 そして叫んだ内容が内容なだけに、肩身が狭い思いをしながら、綾乃がボソボソと話し出した。


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