第11話 失恋の傷は、後から疼く
川田さんは、お腹が空いたとは言っていたが、それほど食べてはいなかった。
5人で居酒屋に入り、かなり盛大に料理を頼んだのに……、だ。
「川田さん……。あまり食べていないみたいですけど」
「ああ……、少しずつ食べるよ」
隣に座った美香が心配して尋ねるが、川田さんはお酒の方にばかり手が伸びるのだった。
「美香さん……。川田さんはいつもそうなんですよ。だから心配いらないです」
「……、……」
美香は、慎也がそう言っても不満そうであった。
助けてもらったせいか、美香は特別に川田さんのことが気になるようであった。
「じゃあ、そろそろ、さっき起ったことの説明をするかな」
さほどお腹が膨れたわけではないはずなのに、川田さんは話し始める。
「まずね……。皆がどんな風に受け取ったか知らないけど、俺は正攻法しか使ってないんだ」
「正攻法?」
「そう……。ハッタリとかは極力排除して対応している」
「……、……」
「多分、県議の秘書だとか、2億の投資だとか言ったから、ハッタリだと思われているだろうけどさ」
「えっ?」
美香だけでなく、皆、一様に驚いた。
もちろん、私も……。
「だってさあ、相手は詐欺師だよ。下手なハッタリなんかかましたら、かなりの確率でバレてしまうよ。奴等は投資は素人だけど、ウソをつくことに関してはプロだからね」
「……、……」
「県議の木原さんには、秘書と名乗ることを了承してもらってあるしね」
「本当にお知り合いなんですか?」
「ああ……。木原さんは無所属なんで、貧乏な県議だけどさ。だから、秘書自体がいないんだが、俺は、以前から木原事務所の鍵を預かっているんだ」
「……、……」
秘書のいない県議……?
それに、秘書でもないのに、事務所の鍵を預かっているって……?
高梨さんはある程度事情が分っているのか、納得顔をしているが、慎也と美香は腑に落ちないような面持ちだ。
「木原さんとは、高速道路計画の反対運動で知り合ったんだ。彼は有能でね。市と国を敵に回して孤軍奮闘していたよ」
「県議って、凄く力があるんじゃないですか?」
「いや……。慎ちゃんの地元、北海道みたいなところと違って、神奈川県の県議ってのはあまり力がないんだ」
「……、……」
「神奈川県には政令指定都市が三つもあるからさ。県は、この三都市からは、ほとんど税収が入ってこないし、ほぼ何の権限もない」
「ああ……、なるほど」
「だから、大都市を擁している県にしては、財政状況が良いとは言えないんだよね」
「……、……」
「財政力は、そのまま議員の給料に反映される。木原さんがいつもピーピーしているのはそのせいなんだ」
「……、……」
「そんな人だから、選挙のときに人手が足りなくてさ。たまたま手が空いていたときに、俺が手伝ったことがあったってわけ」
「そう言う繋がりがあったんですね」
慎也はそれでも状況を理解したようだったが、美香にいたっては、目をパチクリしながら驚いているだけのようであった。
多分、美香の理解は、
「川田さんって、凄い人なのかな?」
程度であったろう。
「2億の話は、木原さん経由じゃないけど、本当に38%の年利があるんだったら、飛びつく投資家には心当たりがあったんだ。だから、これもハッタリじゃないよ」
「……、……」
「大体、38%なんて暴利があるわけはないけど、事業を調べて成立することが確認出来れば、2億なんてすぐに埋まる。調査に信用がおければね」
「そうね、そんな夢のような投資があったら、私も復帰しちゃうかも」
高梨さんもうなずいている。
「投資なんてものはさ、どんなに下らない話だと思っても、一応調べるのが基本なんだよ。イカサマ臭い東和アソシエイトであっても、それは同じなんだ」
ここまで話すと、川田さんは、刺し盛りに初めて手を付け、イカを口に運んだ。
「ねえ、サンエンタープライズのHPは、どうやったの? 私、それだけは分らなかったんだけど」
「あれもハッタリじゃないですよ」
高梨さんの問いに、川田さんはすかさず言い切った。
「ってことは、ネット上で見つけたの?」
「ええ……」
「いっぱい太陽光発電事業のHPがあるのに?」
「ああ……。こういうのはコツがあるんですよ。相手が何処かのをパクったと思ったら、検索をかけて30ページくらいから後ろの、キリ番の前後を探すんです」
「……、……」
「あまり前のをパクると、ネタ元がすぐに見つかっちゃうでしょう? だけど、後ろの方に目標のHPがあるわけでもないし、後ろになればなるほど事業内容もチャチになる。だとすれば、そこそこ前のキリの良い数字のページから適当に選んだと思うのが普通でしょ?」
「なるほど……」
「実際に、サンエンタープライズのHPは、30ページ目の上から3番目にありましたしね」
「……、……」
「画像付きなんで、分かりやすいもんです」
川田さんは、当然のように高梨さんに説明をする。
「それから、東和アソシエイトの登記に言及したのにもわけがあるよ」
「あ、それは私が説明したわ」
「ああ……、そうなんですか。じゃあ、東和アソシエイトが元々日用雑貨の会社だったのも分っていたんですね?」
「あの、検索1ページ目に出てきた会社のこと?」
「ええ……。資本金が同じなのと、HPの更新が3年前で途切れていたので、ピンときましたよ」
「ってことは、ペーパーカンパニーになっていたのを、藤田達が引き取ったってこと?」
「まあ、そう言うことですね。だから、登記を調べられたら向こうはヤバイだろうと踏んだんです」
「そうね、日用雑貨の会社が、突然太陽光発電をやるわけがないわね」
「それと、多分、奴等の本名が登記には出てるんです」
「どういうこと?」
「俺は奴等が美香さんになんて名乗っていたのか知らないけど、それは偽名でしょ」
「……、……」
「登記を書き換える時には、本名が必要ですから」
「そっか……。詐欺師だものね。本名を名乗るわけがないわね」
「まあ、この辺が本職の投資詐欺師と専門じゃない奴の違いですね」
「それは言えるかも。投資詐欺の場合は、会社くらい作るわね」
高梨さんと川田さんは何気なく話しているが、私には想像もつかないような話ばかりだ。
「……で、何故、こんな種明かしをしたかと言うと、美香ちゃんに言わないといけないことがあるからなんだ」
「私に……?」
美香は、突然話を振られ、面食らったようだ。
「まず、藤田に電話をかけてごらん。多分、使われてないと出るから」
「……、……」
「東和アソシエイトの、太陽光発電のHPも削除されているはずだよ」
「……、……」
「これが何を意味するか分るよね?」
「……、……」
「藤田とか言ったっけ? あいつは二度と美香ちゃんの目の前には現れないってことさ」
「……、……」
川田さんの口調は穏やかだが、言っている内容は辛辣だ。
私は、美香が傷付いているときにこんな話をするなんて酷いと思った。
ただ、わざわざ川田さんが言うのなら、そこには理由があるのだろう。
昨日から、川田さんの洞察力を見せつけられてきた私には、そうとしか思えない。
だから、抗議したい気持ちもあったが、グッと言葉を飲み込んだ。
「通じません……」
美香の弱々しい答えがある。
何度もかけなおしているが、美香のスマホから機械的な声が漏れるだけだった。
「ああ、なくなってます。昨日はこのURLにあったはずなのに……」
スマホでHPを調べていた慎也が呟く。
「美香ちゃん……。酷いことを言ってごめんね。君が今辛いのは、俺も良く分っているんだ」
「……、……」
「だけど、君は、今回詐欺のターゲットになってしまった。個人情報もすべて流出している。非常に危険な状況に変わりはないんだ」
「……、……」
「つまり、今度はまた、違う詐欺師が君の前に現れる可能性が非常に高いってことなんだよ。詐欺師には横の繋がりがあるからね」
「違う詐欺師?」
「そうだよ。今回の藤田だっけ? そいつと出会ったのだって、多分、冷静に考えれば不自然な点があるはずなんだよ。そもそも、何処で出会った?」
「ゴルフの打ちっ放しで、変な男性に絡まれたところを助けてもらったんです」
「その打ちっ放しには、どうして行ったの? 定期的に行っているところ?」
「あ、いえ……。占いで、打ちっ放しに行くと素敵な出逢いがあるから……、と言われて……。ゴルフ自体は普段から結構やりますので」
「ああ、それだな。その占いだよ、諸悪の根源は。多分、占い師もグルだ。詐欺に引っかけやすそうな女性を占いで見つけ、個人情報を引き出しては詐欺師に情報を売り渡しているんだ」
「……、……」
「打ちっ放しで絡んだ奴もグルだろうな、きっと」
「そう言えば、土曜日に行けと占いでは言われました」
「ああ、日時も指定したのか。美香さんの住所も分っているだろうから、最寄りの打ちっ放しで張っていれば、自然と網に掛かるってことか」
「……、……」
「向こうも手間をかけて、組織的に美香ちゃんをハメようとしているのは分るね?」
「はい……」
美香は泣き出しそうな顔をしている。
川田さんも言うのが辛いのか、顔を歪ませている。
「今、美香ちゃんが認識しなくてはいけないのは、君が本当の意味で安全になったわけではないってことだ」
「……、……」
「分るね……」
「はい……」
美香はうなずいたあと、下を向いてしまった。
皆、何も言葉を発しない。
休日の居酒屋は、客もまばらで静かであったが、私達の席には、更に重苦しい沈黙が訪れた。
「はいはい……、お説教はここまで。飲もう、せっかくこんなに良い女が三人もいるんだからさ」
「さ、三人……?」
「慎ちゃん! そこはスルーしなさい」
「すいません……」
高梨さんは、すかさずツッコミを入れた慎也を、笑いながらたしなめる。
「美香さんも、もう気にしなくて良いわよ。だって、今度何かあったら、すぐに私達に相談すれば良いのだからね」
「……、……」
「千秋さんはいつも優しいのだろうし、慎ちゃんは必ず真面目に聞いてくれるわ。私も、出来る範囲で何でもお役に立つわ。監督は忙しいけど、必要なら、私が喚んであげるから大丈夫よ」
「すいません……」
「もう、私達、知り合っちゃったんだから、気軽に行こう。妙な遠慮はなしよ」
「はい……」
美香は、顔を上げた。
目からは涙がこぼれ落ちていたが、その表情は決して暗くはなかった。
川田さんは、きっとこうなることを計算して、高梨さんを手配して下さったのだ。
他の誰にも癒せない傷を、高梨さんなら癒せるから……。
私には、お二人の気遣いが嬉しかった。
以降、川田さんは、もう詐欺の件には触れなかった。
その分、高梨さんの昔話を中心に、色々と興味深い話をしてくれた。
高梨さんには、奥様と4人のお嬢さんがいることや、川田さんとは20年来の付き合いであること……。
オカマになったのは、二人で二丁目のオカマバーに通っていたのが切っ掛けになったこと……。
そして、今は奥様と離婚して一人で暮らしていることなどを、淡々と話してくれた。
きっと、高梨さんの逸話は、美香へのエールなのだろう。
今は辛くても、乗り越えられると言う……。
「高梨さんって、トイレはどちらに入られるんですか?」
かなり酔ってきた美香が、唐突に聞いた。
さっきまで泣いていた美香であったが、川田さんの話を聞いて、だいぶいつもの様子を取り戻している。
ただ、まだ心の傷は癒えてはいないのだろう。
普段の飲み会に較べると、飲むペースがやたらと早い。
目もトロンとしだし、そろそろお酒を止めなくてはいけないと思い出した矢先だった。
「当然、女性用よ。さっきもそうだったし……」
「えっ? それって、ちょっと……」
「あら、美香さんは私のこと差別するのね?」
「そうじゃないですけど……。今までクレームとかなかったんですか?」
「ないわよ。私、女子力高いからね」
「……、……」
「それに、男性用じゃあ、お化粧も直せないでしょう?」
「……、……」
「寝ちゃったわね」
「……、……」
美香は、高梨さんと話している間に、頭を傾げた格好で寝てしまっていた。
スースーと、寝息をたてている。
「じゃあ、まだ8時半で早いけど、今日はお開きにするか?」
川田さんは、美香が起きないように、ささやくように言った。
「でも、美香が起きないと移動できませんし……」
「ああ……、それなら、美香ちゃんは慎ちゃんのところに泊まれば良い」
「えっ?」
「ここからあまり遠くないよ。タクシーで15分くらいだからね」
「……、……」
「終電までに美香さんが起きれば、帰れば良いだけだしね。泊まっても、始発で帰れば、明日の仕事も大丈夫だろう?」
「……、……」
「ああ、そっか。千秋ちゃんは、二人で慎ちゃんのところに泊まるのが心配なのか」
「そ、そんなことないですけど……」
「だったら、千秋ちゃんも泊まればいいじゃん。美香ちゃんが寝てれば、慎ちゃんと二人の時間が過ごせるよ。なあ、慎ちゃん?」
慎也は妙に嬉しそうだ。
「それは良いですね」
などと言っている。
私も一緒なら、美香も安心かも……、とも思うが、どうも川田さんに心の奥を見透かされているようで、素直に同意しにくい。
二人の時間……、だなんて、念押しされると尚更だ。
「千秋ちゃんに異論がないみたいなんで、決まりね」
私が応える前に、川田さんは決めてしまった。
私の複雑な胸の内を分っているのか、ニヤリと、少し意地悪そうな笑いを浮かべながら……。
「慎ちゃん……。あとは頼むよ」
「はい……」
慎也は、おぶっていた美香をタクシーに押し込むと、川田さんの言葉を爽やかに請け負った。
小柄な美香だから慎也もおぶれたけど、慎也と同じくらい身長のある私では、こうはいかないな……、などと、こっそり思う。
川田さんと高梨さんは、これからもう一軒飲みに行くそうだ。
三人の男性(?)は、お酒が強いようで、散々飲んだのに酔っている感じがまったくしない。
これでは、帰る切っ掛けがなかったら、朝までだって飲んでしまうだろう。
美香は、背負われていたときも、タクシーが動き出しても、起きる気配がない。
車の揺れで、美香が私にもたれかかる。
泥酔してしまったようで、美香は脱力状態だ。
振動で美香の頭が小刻みに震える。
今日は色々あった。
だから、美香が酔ってしまっても致し方なく思える。
タクシーが不意に停まる。
車外から漏れ入る明かりが、美香の顔を照らす。
その頬には、くっきりと涙のあとがついていた。
美香……。
今日は、いくら泣いても良いよ……。
私は心の中で、そう呟くのだった。
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