第10話 唄わずのカラオケボックス
「ど、どうでした?」
私と美香の顔を見るなり、慎也は勢い込んで尋ねた。
カラオケボックスの個室には、すでに高梨さんもいた。
まだ2時前だが、気を利かせて早く来て下さったのだろう。
「私のために、皆様にお手数とご心配をおかけしまして、すいません」
美香は、しおらしく頭を下げた。
「慎也君、大丈夫よ。川田さんの仰った通り、藤田はお金を受け取らなかったわ」
「ああ……、それは良かったですね」
私が結果を伝えると、慎也だけでなく、高梨さんも胸をなで下ろす。
「とりあえず、座って飲んで下さい。この店、持ち込みOKなので、色々と買い出しをしてきましたから」
「慎ちゃん……、気が利くじゃない」
「いえ……。僕はこんなことでしか、お役に立てないので」
「あら、私、慎ちゃんのそう言うところ、好きよ」
高梨さんの発言に、美香がギョッとしたような表情で私を見る。
私は、高梨さんがオカマだと言うことを知っているし、慎也を恋愛の対象にしていないことも知っているので、苦笑しか出なかったが……。
それでも、美香が心配そうな顔をしているので、
「大丈夫よ……」
と、美香に耳打ちをする。
「皆さん、何を飲みます? ビールに焼酎、ウーロン茶、オレンジジュースとありますけど」
「じゃあ、私は、ビールを……」
「た、高梨さん……。大丈夫ですか? 昨日、二丁目でオールしたはずでは?」
「大丈夫よ。今日は始発で帰ったから……」
「そうですか……。でも、昼のお酒は効きますますので、注意して下さいね」
「はいはい……、慎ちゃんはいつも優しいわね」
慎也と高梨さんは、美香の思惑なんて関係ないように、際どい話を続けている。
しかし、やはり、美香は気づいたようだ。
「に、二丁目って……」
と呟いている。
まったく、高梨さんはご本人だから仕方がないが、慎也は無神経過ぎる。
馴れている慎也は良いだろうけど、美香はまだ何も知らないのだから……。
「あはは……。なーんだ、そう言うことだったのね」
「そうなのよ」
「私、てっきり慎也君までそっちの人かと思っちゃった」
「そんなわけないでしょう?」
美香は、さもおかしそうにお腹を抱えて笑っている。
結局、すべてを美香に説明することになった。
高梨さんがオカマなことも、年下には興味がないことも……。
肝心の、フィナンシャルプランナーだから相談に乗ってもらったことも話した。
高梨さんは、
「どうして、皆、バラしちゃうの?」
と言っているが、女性にはいくらバレても構わないのか、あまり気にしてはいないようだ。
私は美香に、そんなわけない……、とは言ったものの、昨日、散々妄想をたくましくしていたことが思い出され、少し恥ずかしい気持ちが甦ってくる。
美香の方が理解が早く、説明されたあとは、高梨さんに何の違和感もないようだ。
この辺が私と美香の恋愛経験の差か……。
それに、美香は、藤田に騙されかけたことを理解しているはずなのに、あまり堪えていないようだ。
「……で、千秋さん。具体的に藤田とはどんなやり取りがあったのかしら?」
「そ、それが……」
私は、川田さんが県議の秘書だと名乗り、投資に乗せて欲しいと交渉したことを、慎也と高梨さんに話した。
「あはは……、それ、笑えるわね」
「……、……」
「監督は確かに色々やっているけど、県議の秘書だって言うのは聞いたことがないわ」
「えっ、そうなんですか?」
「ええ……。でも、政治運動には関わっているから、まったくのウソではないでしょうけどね」
「……、……」
高梨さんは笑いながら教えてくれた。
この辺の事情については、慎也も知らなかったのか、少し驚いている。
「えっ? じゃあ、川田さんの言っていたことって、全部ウソだったんですか?」
「美香さん、そうじゃないわよ。多分、県議の秘書と名乗ったこと以外は、何らかの確証があって話をしているわ」
「そうですよね。だって、凄く難しそうな話を、サラッとしていましたから」
「ただ、何の肩書きもないと美香さんが不安がるだろうから、それで適当に誤魔化したんだと思うの」
「私のため……」
「そうよ。だって、今日の件は、美香さんの気持ちが一番大事なんだから」
「……、……」
「藤田と東和アソシエイトのウソを暴くだけなら、私だって多分何とかなったわ」
「……、……」
「でも、それだと、後々、美香さんが辛い想いをする可能性があるのよ」
「それ、どういう意味ですか?」
「監督は、藤田達を、結婚詐欺だって断定していたわ」
「結婚詐欺?」
「そう、投資詐欺ではなく、美香さん本人を詐欺にハメるつもりだった……、って」
「……、……」
「だから、無理矢理藤田のウソを暴いたら、美香さんがこちらを信用してくれなくなる恐れがあったのよ」
「……、……」
「相手は、あの手この手で美香さんを騙そうとするからね」
「……、……」
「藤田のこと、本気だったんでしょう?」
「はい……」
「分るわよ。私も若い頃いっぱい辛い想いをしたことがあるから……」
「だ、男性のときのことですか?」
「そうよ……。って、美香さん、そこをツッコむの?」
「あはは……、ちょっと気になっちゃって……」
「まあ、そのくらい元気なら良いわ」
高梨さんは、呆れたような声を出した。
美香は、ちょっとしんみりしたかのように見えたが、軽口を叩けるくらいで、精神的なダメージは負っていないようだった。
「高梨さん……。一つ聞いても良いですか?」
「何……?」
私はどうしても疑問に思うことがあったので、高梨さんに聞いてみることにした。
「どうして、藤田達は、美香からお金を受け取らなかったのでしょう?」
「ああ、それね」
「ウソだと分ってしまっても、お金をもらってその場をやり過ごしたら、逃げれば良いように思いますけど……」
「それが、そうは旨く行かないのよ」
私にとっては美香が一番大事だから、交渉中、ずっとこれを恐れていたのだ。
詐欺なのだから、お金の持ち逃げくらいお手の物だろうし……。
「監督は、東和アソシエイトの会社登記の話をしたんでしょう?」
「はい、していました」
「会社登記って言うのは、会社の戸籍謄本みたいなものなのね」
「……、……」
「だから、取り寄せれば東和アソシエイトがどんな会社か全部分ってしまうの」
「……、……」
「普通ね、小口の投資とかだと、登記を見せないでお金のやり取りをすることもあるんだけど、大口の投資では、必ず投資先の登記をフィナンシャルプランナーが用意するのよ」
「なるほど……」
「監督は、大口だから……、と言って、藤田に登記を見せないと契約しませんよ、って暗にほのめかしたの」
「……、……」
「大口の取引を控えているのに、小口の取引だけとりあえず……、なんてのは不自然過ぎるでしょう? 脇に投資のことを知ってそうな監督がいるんだから、そのとき美香さんにお金を要求したら、必ず、大口と一緒に……、と言われてしまうしね」
「……、……」
「まともな会社ならいくらでも登記を見せられるけど、東和アソシエイトには何らか見せられない理由があったのでしょうね」
「……、……」
「詳しくは監督に聞かないと分らないけど、概ねそういうことだと思うわ」
「ですか……」
高梨さんの説明を聞いて、川田さんが二重三重に用意して話を進めているのが分った。
昨日、話をチラッと聞いて、今日、初めて藤田達に会ったと言うのに、川田さんには相手が何をやりたいか、すべてお見通しだったとしか思えない。
「あの、僕も聞いて良いですか?」
「何、慎ちゃん?」
今まで黙って聞いていた慎也だったが、私同様に、何か引っ掛かることがあるようだ。
「そのサンエンタープライズって会社のHPは、どうやって見つけたのでしょう?」
「ああ、それは私もちょっと気になっていたの」
「高梨さんもですか?」
「ええ……。だって、投資の話なんていくらでもあるから、何処かでサンエンタープライズって会社を知っていたとしても、HPの内容まで覚えてなんていないわ」
「ですよね……」
「これも監督に聞かないとちゃんとしたことは分らないけど、多分、昨日の晩に作っちゃったんじゃないかしら?」
「作った?」
「だって、藤田達だって、どこかから丸写しみたいにしたみたいだし、似たようなHPを示せばビビると思ったんじゃない?」
これについては、自身で言ったものの、高梨さんも懐疑的なようだった。
「高梨さん……。そのサンエンタープライズのHPを見て、急に藤田さんは契約出来ないと言い出したわ。ね? 千秋」
「そうね……。私も藤田がそのHPを知っていたようにしか思えなかったけど……」
うーん、と唸りながら、高梨さんは考え込んだ。
そして、
「まあ、監督に聞いてみましょう。私には分らないわ」
と言って、笑った。
私達は、カラオケも歌わずに話に夢中になっていた。
もう、そろそろ4時になろうと言う時間だから、2時間近くも話していたことになる。
話をしていて、一番リアクションが大きいのは美香だった。
これについては無理もない。
私や慎也は、昨日、高梨さんや川田さんに説明を受けていたのだから……。
美香だけが、今日、すべてのことを知ったのだ。
驚くのは当然だろう。
ただ、美香は、あまりショックではないようだった。
「酷い話ね……」
とか、
「引っ掛からなくて良かった」
などとも言っていたくらいだし。
むしろ、重荷を下ろしたことで、安心しているようにも見えた。
これも、もしかしたら、川田さんの計算の内なのだろうか?
高梨さんが来てくれたことで、詳しい話も聞けたし、何よりも、高梨さんの柔らかい物言いが美香を癒しているようであった。
私や慎也だけでは、こうはいかなかっただろう。
きっと美香に同情するようなことを言って、返って落ち込ませてしまうような気がする。
私も一応、三十路になって、かなりのときを過ごした女だ。
近しい友人に同情されるのが何よりも辛い……、と言うときがあることを、承知している。
「川田さんって、何時頃来るの」
高梨さんがタバコを吸いに席を外すと、美香は慎也に尋ねた。
相変わらず、誰もカラオケを歌おうとはしない。
「そろそろ着くはずなんですが……」
「そう……」
「美香さん、監督に何か聞きたいことでもあるんですか?」
「ええ……。ちょっと」
「まあ、もうちょっとで来ると思うので、待っていて下さい」
「……、……」
美香は、少し寂しそうな顔をした。
多分、慎也には分らなかったはずだ。
付き合いの長い私だから、美香の微妙な表情の変化を見逃さなかったのだと思う。
「それにしても、慎也君と高梨さん達って、不思議な関係ね」
「えっ、そうですか?」
「だって、凄く親しそうなのに、年齢も、仕事も、立場もバラバラじゃない?」
「……、……」
美香は、何となく疑問を口にしたようだった。
ただ、同じ疑問を、私も昨日から持っていた。
だから、美香の発言に、内心でドキッとしたのだった。
そう、慎也はもちろん、高梨さんも、川田さんも、とても良い人だが、何か不自然だ。
いや、不自然と言うのは適切な表現ではないかもしれない。
美香が言うように、不思議な関係と言うのが、一番相応しいのかも知れない。
その関係を結ぶ三人の縁って、何だろう?
仕事でも、年齢的な繋がりでも、性的な関係でもない……。
私には、そんな縁に心当たりはなかった。
慎也は、美香の問いに、笑って何も答えなかった。
美香も、何気なく口に出しただけだったようで、すぐに他の話題に移って行ってしまった。
いつもなら、不安に駆られるところだろうが、今の私は何も思わなかった。
縁は分らなくても、実際に私の目の前に、慎也達の人間関係があることは確かだから……。
「遅くなって悪かったね」
そう言って川田さんがカラオケボックスの個室に入って来たのは、5時少し前だった。
慎也の買ってきた飲み物もすべてなくなり、そろそろ出ようか……、などと言っていた頃だった。
「ん? 何、カラオケボックスにいるのに、歌ってないの?」
「ええ、皆で、今日の話をしていたら、あっという間に時間が過ぎてしまって……」
「そっか……。せっかく、慎ちゃんのコブクロで美香さんを癒してもらおうと思ったのにな」
「あはは、僕の歌なんて、美香さんはお気に召しませんよ」
「いや……。今度、歌ってもらいな。マジで上手いから。俺なんか下手の横好きだから、一緒にカラオケに行くのが嫌になるくらいだよ」
「あはは……」
川田さんは、相変わらずのテンションで話を仕切り出す。
それにしても、慎也がカラオケ上手だとは知らなかった。
「俺さあ、今日、朝から何も食べてないの。……って言うか、昨日、居酒屋で唐揚げ一個食べたきりだよ」
「では、何処か、食事の出来るところに移動しましょうか」
「そうしてもらえると助かる。コーヒーばかり飲んでるから、頭がフラフラするしね」
「……、……」
「腹が満たされたら、ちゃんと話をするから、それまで我慢してくれ」
「……、……」
「カラオケボックスのメシじゃ、満足出来ないよ」
「あはは……」
川田さんの言葉を聞いて、慎也は心得顔で、精算をしに行った。
いつも、こんな感じで飲んでいるのだろう。
私にはそれが少し羨ましく感じた。
そして、慎也と私も、いつかそんな関係になれたらいいな……、と胸の内で呟くのだった。
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