第9話 瞬殺

「ん? もう皆、揃っているのか」

待ち合わせ時間の10分前にドトールに着いた川田さんは、一同を見回して言った。

 川田さんは、昨日のラフな格好と打って変わって、濃いグレーのスーツを着て、同色のネクタイを締めている。


「美香さん……、初めまして。川田です」

「……、……」

「今日は、契約の席に同席させていただきますので、よろしくお願いします」

「は、はい……」

美香は、真っ青な顔色をしている。

 川田さんが同席することは、先ほど慎也から聞かされていたが、事態が飲み込めていないようで、美香はいぶかしげな顔つきだ。


「あの……、川田さん」

「何? 千秋ちゃん」

「その……。美香が、今日、お金を支払うから……、って、100万円用意してきているんですけど」

「ああ、そう……。別に構わないよ。どうせ、相手は受け取らないから大丈夫だよ」

何の問題もないとばかりに、川田さんは請け負った。


「受け取らない……、って、どういうことですか?」

美香が不安そうに聞く。


「言葉通りの意味だよ」

「……、……」

「美香さんは、俺が先方に失礼なことをしないか心配しているのだろうけど、そんなことは一切しない」

「……、……」

「逆に、彼らの話に乗るから、そのつもりでいてくれ」

「話に乗る?」

「ああ、美香さんと一緒に、儲け話に一口乗せてもらう話をするんだよ」

「……、……」

美香は、わけが分らないようだ。

 いや、美香だけではない。

 私も、川田さんの言っていることの意味が分らない。


「じゃあ、打ち合わせを始めるよ」

川田さんは、何も入れないままアイスコーヒーをすすると、持っていた革のブリーフケースを足の間に挟み、また、一同を見回した。





「まず、美香さん……」

「はい……」

「あなたは何もしなくていいし、いつも通りに相手と接して下さい」

「……、……」

「それと、俺は美香さんの従兄って設定にするので、その設定だけは守って下さいね」

「はい……」

いつも通りで良いと言われて、美香は少しホッとしたようだ。

 顔色も、少し赤みを帯びてきたようで、いつもの美香の表情に近くなった気がする。


「次に、千秋さん……」

「はい……」

「あなたも特に何もすることがないです」

「はい……」

「愛しい慎ちゃんと一緒に待機でも良いけど。美香さん……、どうする?」

「……、……」

川田さんは、少し笑いながら、美香に聞く。


「あ、いえ……。千秋には一緒に来てもらいたいです」

「そう……。じゃあ、ご本人の希望だから、千秋ちゃんも同席してね」

どちらでも良いと言うような表情で、川田さんは私に指示を出した。


「美香さんに千秋ちゃんを取られちゃった慎ちゃんは、昨日言った通り、待機で……」

「はい……」

「何処か、近くのカラオケボックスにいてもらいたい」

「はい」

「落ち着き先が決まったら、千秋ちゃんにメールしといて」

「了解です」

「そんなに時間がかからない予定なんで、歌ってても良いけど、連絡が付くようにだけしておいて」

「はい……」

「あ、そうそう……。後から千秋ちゃんと美香さんが合流するんで、少し広めの部屋にしてもらってね」

「……、……」

「……って、昼から野郎の独りカラオケって、シュールだね」

「あはは……」

川田さんと慎也は、緊張感がまるでない。

 慎也は、川田さんに全幅の信頼を置いてしまっているようだ。

 川田さんなどは、まるで日常茶飯事と言った趣で、アイスコーヒーをすすることの方が大事そうにさえ見える。


「じゃあ、打ち合わせは終わり。話は全部俺が仕切るから、あとは先方がどう受け取るかだけのことだよ」

「あの……」

「何? 千秋ちゃん」

「私は契約どうこうより、美香の気持ちが一番大事なんです」

「うん……、そうだね」

「だから、……。その……」

「ああ、分ってるよ。俺は美香さんに何の無理強いもしないから、安心して良いよ」

「は、はい……」

「美香さん……、良い友達を持ったね」

「……、……」

川田さんは、そう言って優しく美香に微笑みかけると、スーツの内ポケットから、スマホを取り出し、時刻を確認する。


「さて、皆さん、そろそろ時間なんで、行きましょう」

川田さんは皆を促すと、席を立った。





「美香……、こちらの人は?」

藤田が、怪訝な表情で尋ねた。


 先週、私がこの喫茶店で同じように座っていたときには、藤田は見向きもしなかったが、川田さんには何か感じたのだろうか?

 藤田は、明らかに川田さんを警戒しているようだった。

 それに、小川も、何だか先日よりそわそわしているような気がする。


「ああ、失礼しました。私、美香の従兄で川田と申します」

「いとこ?」

「はい……。何でも、美香が大変良いお話をいただいたとかで、もしよろしければ、私共も投資の方に参加させていただきたく……」

「ほう……」

「あ、私、こう言う者でございます」

「……、……」

川田さんは、スーツの内ポケットに手を入れると、名刺入れを取り出した。

 そして、そこから名刺を二枚抜き取ると、拝むような仕草で藤田と小川に渡した。


「神奈川県県会議員、木原たかし……。秘書?」

「はい、木原にこの件を話しましたら、とても興味を持ちまして……」

「……、……」

「どうしても詳細を聞いてこいと申しますので、本日はまかり越しました次第です」

藤田は完全に意表を突かれているようだった。

 川田さんは、先ほどまでの口調とも、昨日の居酒屋での乱暴な口調とも違う、とても丁寧な言葉使いと穏やかな口調で話を進めている。


「御存知かと思いますが、神奈川県は、知事が太陽光発電を取り入れることに熱心でして……」

「……、……」

「しかし、なかなか議会の理解が得られず、知事は困っておいでなのです」

「……、……」

「木原は知事に近いと言うことではないのですが、こと太陽光発電に関しましては、その理念にとても感銘を受けておりまして、常日頃から優れた事業について見聞を広めております」

「……、……」

「それに、今回は38%の年利と言う非常に良い話とお聞きしましたので、是非、個人的に投資の方にも参加させていただきたいと言うのが、木原の意向でございます」

「……、……」

川田さんは、手でスマホを弄びながら、話を続けた。


「東和アソシエイトさんは、大変優秀な企業様のようで、もう、投資枠がわずかしか残っていないとか……?」

「ええ……」

「今週には、大口の投資が入るそうですね?」

「はい……」

「美香がそう言っていましたので、私共も、今日、どうしてもお話を伺わなくては……、と思いまして」

「……、……」

小川の表情には、先ほどまではなかった警戒の色が浮かんでいる。

 川田さんが尋ねることに答えはするが、その口調はとてもぶっきらぼうだ。


「ちょっと待ってくれ!」

「何か……?」

藤田が、川田さんの話を遮る。


「美香、この話は、なるべく極秘にって言ったのを忘れたのか?」

「……、……」

藤田は、美香をにらみつけた。


「あ、いえ……。美香を責めないでやって下さい」

「……、……」

「美香は、私が太陽光発電についていささか知識があることを知っていたもので、投資についての意見を求めただけなのです」

「……、……」

「そのときには、絶対他に漏らしてはいけない……、と、美香からもきつく言われておりました」

「……、……」

「木原に漏れてしまったのは、偏に私のミスでございますから、お叱りを受けるなら、是非、私を叱ってやって下さい」

「……、……」

「大変申し訳ありませんでした」

「……、……」

川田さんは、そう言うと、深々と頭を下げた。





 私は意外だった。

 正直なところ、川田さんが県議の秘書だなんて、まったく思っていなかったから。


 しかし、川田さんの話をしている姿は、どう看ても議員の秘書にしか見えない。

 私はそれほど政治には詳しくないが、神奈川県の知事が太陽光発電を主要政策に取り入れているのは、新聞報道などで知っているし。

 昨日のラフな格好のイメージがあるから、私は川田さんの豹変ぶりに大変驚かされた。

 ただ、川田さんがこの件を請け負ったことには、納得がいくのだった。


 美香も似たような気持ちだったようだ。

 最初は、ハンカチを握りしめて食い入るように川田さんの話を聞いていたが、今は藤田に怒られそうになっても平然としている。


 人間なんて肩書きでは量れない……、とは常々思っているものの、川田さんの所作を看ていると、やはり立派な肩書きは伊達ではないと思うしかなかった。





「……で、お宅のところは幾ら投資するつもりなの?」

藤田は、川田さんに頭を上げるように促すと、仕方がないと言うような表情で聞いた。


「その……。枠がないと伺っているのに、不躾で申し訳がないのですが、色々合わせて2億円ほど……」

「えっ?」

川田さんは平然と答えたが、それを聞き、藤田と小川だけでなく、私と美香まで、絶句した。


「議員は本人名義で投資をいたしますと、何かと後が面倒でございまして……。申し訳ないのですが、親族の名義を複数使わせていただきたいと思います」

「……、……」

「枠の方は大丈夫でしょうか?」

「……、……」

藤田と小川は、お互いに驚いた顔を見合わせている。


「期日の迫った話を、こちらの都合で無理矢理割り込むことになりそうですので、事業の調査の方も、こちらで迅速に進めさせていただきます」

「……、……」

「明日には、東和アソシエイト様の会社登記も取り寄せますし、HPに載っていた事業の現地にも視察に参ります」

「……、……」

「あ、そうそう……。HPで思い出しましたが、一つ伺ってもよろしいでしょうか?」

「何か……?」

川田さんはそう言うと、ブリーフケースを開け、プリントアウトされた資料を取り出した。


「これは、サンエンタープライズさんのHPをプリントアウトしたものなのですが、この写真の場所は御社の事業計画の場所と同じようですね?」

「……、……」

「事業計画自体も酷似なさっておられるようですが、これは、御社とサンエンタープライズさんが提携関係にあると言うことなのでしょうか?」

「……、……」

藤田も小川も、川田さんの問いに狼狽しているのが分った。


 どうして川田さんはこんなものを持っているのだろう?

 昨日、話をした時には、東和アソシエイトの名前さえ覚えていなかったのに……。

 ネットで見つけたことは間違いないだろうが、太陽光発電の事業なんて、いくらでもある。


 先日、私も検索をかけてみたが、あまりにもあり過ぎるので、そこそこのところで見るのを止めてしまったくらいなのに……。


「ああ、その件か」

「……、……」

「そう、提携しているんだ」

「やはり、そうでしたか。道理で事業バランスが良いと思ったんです」

藤田は、慌てた口調で認めた。

 ただ、小川は何を言っているのか、あまりピンときてはいないようだった。





「そう、それで……。今日は美香に謝ろうと思ってたんだ」

「……、……」

「実は、サンエンタープライズさんから急な話があって、投資枠を譲ってくれないかと言う話になってね」

「……、……」

美香は、藤田に話しかけられているにもかかわらず、良く分らないのかリアクションがない。


「えっ? と言うことは、もしかして、もうすでに枠が埋まってしまっていると言うことですか?」

「ええ、そうなんです。大変残念ですが……。なあ、小川さん」

川田さんはとても残念そうな顔をしている。

 小川も慌てた様子で、「そうなんですよ……」と言っているが、傍目で見ている私にもその返事は不自然に感じた。


「ああ……、そうだろうなあ。こんな良い話、やはりすぐに話が決まってしまいますよね。まあ、今回はこちらが飛び入りなので致し方がないです」

「そうですね。また違う機会に良い投資がありましたらご紹介いたしますので、それでご勘弁下さい」

「あ、いえいえ……。無理を言ったのはこちらですので、気にしないで下さい」

「じゃあ、これで……。県会議員の木原先生にも、よろしくお伝え下さい」

「ご丁寧にありがとうございます」

「ほら、小川さん……。行くぞ……」

藤田はそう言って小川を急き立てると、慌てた様子で伝票を掴み、会計に向かったのだった。





「ぷっ……」

突然、美香が吹き出すように笑い出した。

 藤田と小川が去った喫茶店に、私達三人は取り残されていた。


「うふふ……」

私も、美香に合わせるように笑ってしまった。


「何だよ? 二人とも……。そんなにおかしかったかい?」

「だって、藤田と小川が逃げるように出て行ったから……」

「ああ、まあ、彼らとしても、ここは退散するしかないところだね」

「川田さんもさっきまでと全然違っていましたし……」

川田さんだけは、笑いもせず、むしろ真面目な顔で応じた。


「美香ちゃん……。これで良かったかな?」

「はい……。ありがとうございます」

「そう……」

「何か、スッキリしちゃいました」

美香はそう言うと、川田にペコリと頭を下げた。


「二人とも、何が起ったのか詳しく知りたいだろうけど、悪いけど、今は時間がないんだ……、俺」

「はい……」

「あとでまた顔を出すから、その時に詳しく話すよ」

「よろしくおねがいします」

「あ、そうそう……。美香さん、危ないから、お金はすぐに預けちゃいなよ。百万も持ってウロウロしてると、襲われちゃうぞ」

「あはは……」

美香は、ようやくいつものように明るく笑った。


「ああ……、そうね。美香ちゃんは笑ってた方が良いね。さっきの、顔面蒼白な悲壮感出してた美香ちゃんも捨てがたいけどさ」

「えっ……?」

「じゃあ、千秋ちゃん、あとはよろしくね。慎ちゃんがやきもきしながら待ってるからさ」

「……、……」

立ち上がりながら、美香の頭をくしゃくしゃと撫でると、川田さんは、足早に喫茶店を出て行った。


 美香は、髪形を乱されたにも拘わらず、何だかちょっと嬉しそうであった。





 先ほど、ドトールを出たときに、川田さんは私の耳元でこうささやいた。

「終わったあと、美香さんを絶対帰さないようにね」

と……。


 私はその言いつけを守るため、慎也からのメールを確認し、美香と二人でカラオケボックスに向かうのだった。

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