第7話 何も言えない
「……さん? 千秋さん?」
遠くで慎也の声がする。
大勢の道行く人々の中で、滲むように慎也と女性の姿が浮かぶ。
慎也の声が遠いのは、雑踏が騒がしいからだろうか?
思考を停止した頭は、すんなり答えを出すことを拒否しているようだ。
「千秋さん? 大丈夫ですか?」
「……ええ、大丈夫よ」
とりあえず応じてはみたものの、何が大丈夫なのか、私には分ってはいない。
「こちら、僕の先輩の高梨さんです」
「初めまして……、高梨です」
「こちらは、お付き合いさせていただいている千秋さんです」
「あら、慎ちゃんが言っていた通り、美人な方ね」
高梨さんは、そう言って私に笑いかけた。
「とりあえず、ここに居ても落ち着かないので、何処か入りましょう」
「そうね……。千秋さんは、お腹空いてない?」
高梨さんは、私に気を遣ってくれているようだが、私は旨く言葉が出てこない。
ただ、失礼になっては慎也にもうしわけがないので、あいまいにうなずき、意味の分らない微笑みを浮かべて会釈してみせた。
「私も、東和アソシエイトのHPを見たのよ」
「あ、見てくれましたか」
「その感じでは、あれ、結構良くできたHPよ」
「……、……」
「数字や理念なんかもしっかりしているし、事業のバランスシートも悪くないわ」
「……ですか」
私はまだ、高梨さんが女性であったショックから立ち直れていない。
だから、黙って高梨さんと慎也のやり取りを聞いているだけだ。
入った居酒屋は、チェーン店だが、座席が個室に別れており、込み入った話をするにはもってこいだった。
二人は先週もここで飲んだそうで、私達は迷わず店に入った。
それにしても、高梨さんはどういう素性の人なのだろう?
確かに、説明を聞いていると、フィナンシャルプランナーであることは分る。
藤田よりも、はるかに分かりやすく説明してくれるあたりは、業務の経験の長さを物語っていそうだ。
しかし、メイクの仕方などを看ると、到底、今、金融関係で働いているようには思えないのだ。
目元は濃い色のシャドーが派手やか過ぎるし、エクステはこれ見よがしに上を向いている。
おまけに、口紅はワインレッドのルージュをベットリと付けて、どう見てもスナックやバーで働いているようにしか見えない。
高梨さんが、悪意のある人ではないのは、話している内容を聞けば分る。
ただ、それは慎也と性的関係がないことを意味していない。
「高梨さん……。千秋さんが指摘していた、資本金についてはどうでしょうか?」
「ああ……、それね」
「僕も8億円を集めるのに、資本金が3千万円って少なすぎると思うんです」
「それがねえ……。そうでもないのよ」
「えっ?」
「一時、ベンチャービジネスが流行ったでしょう? いわゆる起業ね」
「……、……」
「その頃を境に、資本金を最低限にして、事業に極力資金を入れるスタイルが定着しだしたのね」
「……、……」
「株式会社の資本金が、1円でも起業出来るように法改正されたからもあるのだけれど、とにかくお金がなくても起業して、融資や投資してくれる先を探す方が、起業する側にとって都合がよかったのよ」
「……、……」
「だから、資本金=企業の信用、と言う構図は、今はあまり成り立たないわ」
「……ですか」
慎也は、残念そうに言葉を切った。
高梨さんもすまなそうな顔をしている。
「でも、先日も慎ちゃんに話した通り、今の時期に太陽光発電で投資を募るのはおかしいわ。だって、儲かるわけがないもの」
「あ、じゃあ、HPはしっかりしているけど、東和アソシエイツへの投資が詐欺の可能性は消えていないんですね?」
「そうね、どう考えても、時期が変だわ。5、6年前だったら分るけど、今はまったくそう言う案件が他には出てこないから……」
「なるほど……」
「ちょっと、これ見てくれる?」
「……、……」
高梨さんは、ブリーフケースから、紙の束を取り出した。
いずれもパソコンでプリントアウトしたもののようで、厚さが2、3㎝もある。
「これね、参考になればと思って、太陽光発電事業の資料を持ってきたの。雨後の竹の子の如く発電事業が起業していた時期があって、その頃のものね」
「何件分くらいあるんです?」
「ざっと、20件ね。でも、これは残っていたほんの一部……。私が投資顧問で商売していたときには、常に、月に100件くらい案件を抱えていたんだけど、その半分以上が太陽光発電だったのよ」
「……、……」
「でも、投資の対象になりそうな話は、月に1件あるかないか……」
「そうなんですか?」
「そうよ……。お客様を損させてはいけないから、フィナンシャルプランナーだって必死なのよ。だから、投資先の選別は、厳正にやっていたわ」
「まあ、損をさせたら大事なお客さんが死んじゃいますものね」
「ええ……。お客さんがいなかったら、投資顧問なんて商売上がったりだからね」
「……、……」
ここまで話すと、高梨さんは、
「ちょっとタバコを吸ってくるわ……」
と言って、席を立った。
「千秋さん……。どうです? 高梨さんの話を聞いて……」
「そうね……」
慎也は、そう尋ねながら一杯目の生ビールを飲み干した。
高梨さんも私も、まだ半分以上、一杯目の生ビールが残ったままだ。
泡の消えたビールが、もの悲しい。
「残念ですけど、HPはちゃんとしていると思うしかなさそうですね」
「ええ……。高梨さんの言っていることは明快だわ。やはり、私みたいな素人とは、見ているところも知識量も全然違うし……」
「ですね。僕も投資顧問の仕事の話をしている高梨さんは初めてなんですけど、かなり有能な感じがしました。言っていることも全面的に正しいと思って良いと思います」
「そうね……。ただ、これで藤田と小川が怪しいことだけはハッキリしたけど、ことは難しくなったわ」
「……と、言うと?」
「HPと言う具体的な証拠がなくなったら、美香を説得する材料がなくなったのと一緒でしょう?」
「ああ、そう言うことですか」
「怪しいことが分っても、残念だけど私では何の手も打てないのよ」
また、行き詰まった。
私と慎也が期待を寄せていた高梨さんであったが、事態は良い方向には向いてはいない。
「あ、あの……。千秋さん、ちょっと別の話をして良いですか?」
「ええ……、良いわよ」
高梨さんは、15分くらい経つが、まだタバコから帰ってこなかった。
もしかすると、お化粧でも直しているのかも知れない。
「さっきから、いつもの千秋さんらしくないんですけど……。僕の気のせいでしょうか?」
「……、……」
「どうも、高梨さんが来てから、様子が変ですよね」
「……、……」
慎也には、私の挙動不審が分ってしまっていたようだ。
確かに私は、気もそぞろだった。
高梨さんと慎也の関係が気になって、なかなか高梨さんの話にも身が入らなかったし……。
「もしかして、高梨さんと僕の関係を疑ったりしていませんよね?」
「……、……」
「そうだとしたら、誤解ですよ。全然、そんな関係じゃないです」
「……、……」
慎也は必死になって抗弁するが、申し訳ないけど、すればするほど怪しく見えてしまう私がいる。
「だって、僕と高梨さんって、30歳も年が離れているんですよ? 僕の母よりも年上だし……」
「……、……」
そんなことを言っても、昔、「愛があれば年の差なんて……」って言葉が流行ったこともあるし……。
大体、私と慎也の年の差だって、干支一回りだし……。
「それに、高梨さんは年下の男性にはまったく興味がない人なんです。今、付き合ってる人はいないらしいですけど、同じくらいの年齢かそれ以上の人としか付き合わない人なんですよ」
「……、……」
まあ、慎也が言っているのだからまったくの嘘ではないだろう。
でも、慎也くらいのイケメンだったら、高梨さんだって思わずってことだって……。
「あと、僕は、千秋さん一筋です。今も、これからも他の女性には目もくれません!」
「……、……」
もう……。
慎也ったら、嬉しいことを言ってくれるわ。
でも、ダメよ。
浮気している男性が、正直に浮気をしているなんて、言うわけがないもの。
私は、必死になっている慎也を尻目に、残っているジョッキのビールに手をかける。
慎也が一生懸命言っているので、半分くらいは信じようとしている私もいるが、残りの半分は、慎也と付き合う前の、負のオーラをまとった私のままだ。
「何か、信じてもらってないみたいなんで、決定的なことを言いますね」
「……、……」
慎也は、私の気持ちを察したようだ。
しかし、何故か、慎也はニヤリと笑った。
「高梨さんって、僕が最初に出会った頃は、男性だったんですよ」
「ぶっ……。げほ、けほっ……。ええっ?」
私は、思わず飲み途中のビールを吐き出してしまった。
「あはは、大丈夫ですか? ビールが気管支に入っちゃったんじゃないですか?」
「慎也君、それってどういうこと?」
「どういう……、って、そのままの意味ですよ。高梨さんは、いわゆるオカマなんです」
「……、……」
オカマ……。
決定的な一言だと言うことは分ったが、それでも、私はあまり意味が掴めなかった。
大体、オカマの人なんて、そんなに身近にいるわけがない。
それに、小柄で女性っぽい体型の高梨さんが、男性だなんて……。
そう、間違いなく、胸もあった。
でも、もし高梨さんがオカマなら、すべてのことに説明がつく。
美香が、日高屋の件で指摘したことも、サラ金の店長だったと言うことも、今はフィナンシャルプランナーをやっていなさそうなことも……。
「千秋さん……、誤解は解けました?」
「え、ええ……」
慎也はそう言うと、いたずらっ子のように笑った。
何だか、まだ、信じられないような気もするが、高梨さんが戻ってくれば分ってしまうウソなんて、慎也がつくわけがない。
そうは言っても、全面的に納得がいかない私もいたりするが……。
ああ……。
負のオーラをまとったネガティブな私は、オカマの方と同じくらいタチが悪いようだ。
「あら、なんか千秋さん、嬉しそうな顔をしているけど、何かあったの?」
「あ、いえ……。何もないです」
タバコから帰ってきた高梨さんは、目聡く私の変化を指摘した。
慎也は、笑い出しそうな顔をしている。
「あっ、もしかして……。慎ちゃん、バラしちゃったの? ダメよ、秘密だって言ったでしょう?」
「仕方がなかったんですよ。千秋さんが、僕と高梨さんの関係を疑っていたから……」
もう……、慎也ったら。
そんなことを言わなくても良いじゃない。
疑っていたのは確かだけど、こんなの誰だって怪しいと思うでしょう?
「うふふ……、千秋さん、そんな風に私を見ていてくれたなんて……、嬉しいわ」
「あ、いえ……。その……」
「私、最近、女子力が上がったのかしら? 本気で慎ちゃんとの間を疑われるなんて……。あ、り、が、と、う」
「……、……」
と言うか、疑われて喜ぶ高梨さんって……。
ちょっと、私の感覚では付いていけない。
「大丈夫よ。私、年下に興味ないから……。青臭い若僧にはトラウマがあるから嫌いなの」
「……、……」
「慎ちゃんがどんなにイケメンでもね。どう? 千秋さん、安心した?」
「……、……」
素直になれない心持ちであったが、私は一応うなずいた。
それにしても、私の独りよがりな妄想が、恥ずかしくて仕方がない。
お酒もそんなに飲んではいないのに、私の頬は妙に温かくなっているように感じた。
「あ、そうそう……。真面目な話に戻るわよ」
「はい……」
高梨さんは、笑っていた顔を引き締めた。
そう言う顔をしていると、微妙に男性の面影があるようにも見える。
「私ね、タバコを吸いながら思ったんだけど、この件は、私と慎ちゃん達だけでは解決出来ないわ」
「高梨さんもそう思ってらしたんですか?」
「ええ……。千秋さんも?」
「はい……」
「そうよね。美香さんを救うことが主眼なんだから、いくら怪しいのが分っても仕方がないものね」
「……、……」
高梨さんは、ちゃんと物事の急所をとらえていた。
何だか、急に、高梨さんが凄く良い人に見える。
私って、凄く現金な人間なのかしら……?
「……でね、慎ちゃん」
「はい……?」
「私、今、監督と連絡を付けたの」
「ああ、監督ですか……。なるほど」
「こういうことを解決するのなら、彼を喚ぶのが一番早いかな……、って」
「ですね。ああ、さすが、高梨さんです」
カントク?
私には、何のことかは分らない。
「えっと……。監督は、先日飲んでいた仲間の1人です。僕の先輩にあたり、高梨さんの後輩になります」
「そ、その監督って方は、どんな人なの?」
「あはは、まあ、会えば分りますよ。ちょっと変わった人なので、僕の口から説明するのは難しいです」
「……、……」
「ただ、間違いなく、良い知恵を貸してくれます。それだけは保証しますよ。ね、高梨さん」
「……、……」
高梨さんも、ニッコリしながらうなずいた。
高梨さんだけでもかなり変わった方だと思うのに、その上まだ変わった人が来るなんて……。
慎也が強く請け合ってはくれたけれど、私の心は、それほど安心したとは言えなかった。
監督……。
どんな種類の変な人かは知らないが、私は少し会うのが怖かった。
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