第5話 アドバイスは身にしみる

「中野さん……、ちょっと」

「は、はい……」

お昼休みに入ってすぐ、私は、急に高山課長から声を掛けられた。


「先ほど、まとめた資料を読ませてもらったわ。あなたの仕事はいつでも早くて正確……。ありがとう」

「あ、いえ……」

高山課長は、とてもよく部下の仕事ぶりを見ている。

 そして、必ず、良かった時はありがとうと言って下さる、素敵な女性だ。

 私は、高山課長が微笑みながら言って下さる「ありがとう」に、何度癒され、励まされたことか。


 高山課長には褒められたが、正直なところ、私は集中して仕事に励んでいたわけではなかった。

 長年やっている作業なので、頭を使わなくても身体が勝手に作業をしてくれるため、実は、他のことに気を取られながら仕事をしていたのだ。


 他のこと……。

 そう、昨日の美香のことだ。


「課長……」

「何……?」

「あの、もし良かったら、お昼をご一緒させていただいてよろしいでしょうか?」

「お昼? ええ、良いわよ」

高山課長は、とても多忙な人だ。

 しかし、部下が相談事をもちかけると、いつも親身になって答えて下さる。

 私は、これまでも何度か、こうしてお昼を食べながら高山課長に相談に乗ってもらってきた。

 高山課長も、委細承知の上で、こうしてお昼に付き合って下さるのだ。


「社食にする? それとも、たまには利休庵でおそばにでもしましょうか?」

「あの……。少し込み入った話があるので、利休庵でお願いします」

「そう……。それは丁度良かったわ。私も、今日はおそばを食べたい気分だったの」

「お手数をおかけしてすいません」

高山課長はそう言うと、ハンドバックを手に持ち、私の肩を、ポンポンと軽く叩いた。


 私は、美香のことを高山課長に相談するつもりでいる。

 先ほど声をかけられて、ハッと気がついたのだ。

 高山課長なら何かアドバイスをしてくれるかもしれないと……。


 昨日から色々考えてみたが、どうしても投資の件は私の手に余る。

 それに、投資の件を解決したら、美香に辛い想いをさせる可能性が高い。

 もしかすると、今回の件が元で、美香との人間関係にひびが入るかも知れないし。

 友達として、それはやっても良いことなのか、それとも、出過ぎたお節介なのか……。

 私には分らなかったのだ。





「話の大筋は分ったわ」

「……、……」

高山課長は、そう言って、そば湯を注いだ。

 あまりマナーの良いことではないが、私は食べながら、高山課長に美香の件を説明し続けていた。


「これは、かなり深刻ね。お友達もだけど、中野さんも大変だったわね」

「いえ……、私は」

「ううん……。契約とか、法律とかが絡むことは、馴れない人にとってはとても負担なのは分るわ」

「……、……」

「私も、離婚するときは大変だったし……」

「……、……」

そうだった……。

 高山課長は、離婚経験者だった。

 離婚以降、ずっと独りで子供を育て、今、息子さんは高校生になっている。


「まず、投資のことだけど……」

「はい……」

「私も専門家ではないので確たることは言えないわ。でも、確かに変よ」

「……、……」

「資本金と言うのは、ある意味、会社の信用を金額で表したものだわ。どれだけ会社に資本力があるかと言うことですものね」

「……、……」

「だから、3000万円の資本金の企業には、それ相応の事業の形がありますし、いくら優秀な事業案だとしても、資本金の何十倍ものお金がホイホイ集まるわけはないもの」

「やはり……」

「そうね、これは危険だわ。お友達が危ないと、私も思うわ」

ああ、さすがに高山課長だ。

 話をしたら、すぐに私の意図に気がついてくれた。


「ただ、中野さんが本当に心配しているのは、そこではないわね」

「ええ……」

「お友達の彼氏を告発するような形になることが、果たしてお友達の望んだ結果かが心配なんでしょう?」

「はい……」

「場合によっては、お友達の恨みを買う結末になるかもしれないわね」

「……、……」

高山課長はここまで話し、一度区切ると、そば湯をすすった。


「これは、あくまでも私の個人的な意見だけど……」

「……、……」

「お友達は、その彼氏と別れた方が良いわ」

「……、……」

「もし、今回の件に彼氏が関わっていなくて、被害者だったとしても、そんな危なっかしい話にホイホイ乗ってしまう人と、大事なお友達が、末永く良い関係を築けると思う?」

「……、……」

「申し訳ないけど、その彼氏は、どちらにしても結婚を考える相手としては不適格だわ」

「そうですか……」

高山課長の口からは、かなり辛辣な言葉が述べられた。

 しかし、私も同感だった。

 そう……、決して、藤田は美香のためにはならない。

 最初に見た時から、私はそう思っていたのだ。


「ただね……」

「……、……」

「中野さんも辛い想いをするわ……、間違いなく」

「ええ……」

「彼氏の人格はどうあれ、お友達は好きだから付き合ってるんでしょう?」

「はい」

「だとすれば、きっとあなたとお友達の間はぎくしゃくするわ」

「……、……」

「お友達は、冷静に状況を看られる状態ではないと思うから」

「……、……」

高山課長はそう言うと、私から視線を外した。

 そして、一つ大きなため息をついた。


「私もね、別れた旦那と結婚したときに、随分周囲に反対されたわ」

「えっ?」

「両親はもとより、友達にもね」

「……、……」

「でも、それを全部押し切って結婚したの」

「……、……」

「当然、忠告してくれた友達との関係は途絶えたわ」

「そんなことが……」

意外だった。

 しっかりした高山課長でも、そんな過去を持っていたなんて……。


「元旦那は、ディープなアイドルオタクだったの。結婚したら……、子供が出来たら……。いつか納まるかと思っていたのだけど、結局、どうにもならなかったわ」

「……、……」

「優しくていい人ではあったのね。でも、お金にルーズで……」

「……、……」

「息子が将来こんな大人になるのだけは嫌で、未練はあったけど別れたわ」

「……、……」

「彼は離婚しないって言い張ったけれど、離婚調停までしてね」

「大変だったんですね」

「ええ……。でも、別れたこと自体にはまったく後悔はないわ」

「……、……」

「ただ、結婚するときに失った友達には、今でも心底悪かったと思っているの」

「……、……」

「せっかく私のために言ってくれていたのに、感情的になって随分酷いことも言ったから」

「……、……」

「うふふ……。私も若かったし、幼かったのね、考え方が……」

「……、……」

そう、寂しそうに笑った高山課長は、いつも通りの優しい目差しであった。





 仕事が終わると、私は余計なことは何もせず帰宅した。

 美香からの電話を待つためだ。


 美香が帰宅するのは、大抵9時近くだ。

 今、7時少し前……。

 待機するには早すぎるが、少し、思うところがあった。


 ほぐし身の鮭と大葉のパスタを手早く作り、8時前にはお風呂にも入った。

 髪を乾かしながらパソコンの前に座ると、メールボックスを開けてメールを書く用意をした。


 メール作成画面にしたが、私は別にメールを送るつもりはなかった。

 何がしたかったかと言うと、私から美香に伝えることを箇条書きにして、書き出しておくつもりだったのだ。


 ただ、伝えることは色々と思いついたが、結局、書き出したのは一つだけだった。

「美香を救う」

と……。





「プルッ、プルッ……、プルッ、プルッ……」

8時半過ぎに、着信があった。

 美香からだ。

 いつもより早いのは、美香も私にどうしても伝えたいことがあるからだろう。


「はい……」

「ごめんね、昨日の今日で……」

「ううん」

「昨日、千秋と別れてから、色々考えたんだけど……」

まずは、美香の気持ちから聞くことにした。

 私は、それから自分なりの結論と気持ちを伝えるつもりだ。


「千秋、言ってたよね。あの投資が危ないって」

「うん……」

「私も、家に帰ってからよく考えてみたんだけど、やっぱり怪しいよね」

「……、……」

「だって、あの小川さんって人、取締役になんか見えないもの」

「そうね……」

「痩せてて貧相……。それに、人の上に立つ感じではないと思ったわ」

「……、……」

思いの外、美香は美香なりに、冷静に看ていたようだ。

 確かに、小川は勤め人と言う感じはするが、企業でバリバリ指示出しをしている上司の感じではない。

 冷静な美香に、私は少しホッとする。


「でも、私、お金は出すわ。あの投資に」

「えっ? どうして……」

「だって、100万円でしょう? 損したって」

「……、……」

「藤田さんの気持ちがそれで少しでも満足するなら、それで良いと思って」

「美香……」

「うん、千秋の言いたいことも分るの。でも、私、結構、貯金もしているから、それくらいだったら良いかな……、って」

「……、……」

到底納得は出来ないが、美香の気持ちは分る気がした。

 やはり、藤田を信じたいのだ。

 きっと、美香は藤田も怪しいと分っているのだが、自分なりに精一杯の理由を付けて、気持ちを押し通すつもりなのだ。


「ただ、千秋に言われたから、まだ、返事はしていないわ。だから、昨日のまま結論は保留してあるの」

「……、……」

「良いわよね? 私、投資するって返事しちゃっても……」

「……、……」

美香の声は震えていた。

 努めて明るい声を出そうとしているのだろうが、不安が震えに出ている。


 美香はああ言ったが、100万円が痛くないわけがない。

 多分、出そうとしている100万円は、いつか結婚するときのために貯めてきた、結婚資金の一部だろう。

 私は、このお金を美香がどんな気持ちで貯めてきたか知っている。

 人一倍結婚願望が強い美香の、複雑な気持ちがいっぱい詰まったお金なのだ。





「美香……。良く聞いてね」

「うん……」

「それと、今から私が言うことを聞いて、気分を害したらごめんなさい」

「……、……」

私は気持ちを強く持った。

 やはり、私が言うしかない。

 それしか美香は救えないのだ。


「昨日、美香と別れてから、私が何処に行ったと思う?」

「……、……。何処?」

「県警本部よ」

「えっ?」

「そう、怪しいと思ったから、警察へ相談しに行ってきたの」

「……、……」

「それで、知的犯罪課の刑事さんと話しをしてきたわ」

「……、……」

「刑事さんは、とても危ない……。投資を止めさせることは出来ないのか? って、言っていたわ」

「そう……」

美香の応えは、かすれるような声だった。


「私は思ったわ。美香に投資を止めさせるには、藤田さんと別れるしかない……、って」

「ち、千秋っ!」

「いいから聞いて……」

「……、……」

「藤田さんも、グルよ。小川さんと」

「そ、そんなっ……」

「だって、おかしいでしょう? 美香や私でも分るような怪しい投資話を、フィナンシャルプランナーって資格まである、プロの投資家が怪しまないなんて……」

「……、……」

「あと、もし、たとえ藤田さんがグルじゃなかったとしても、そんなミスをするプロの投資家と、幸せな結婚が出来るわけがないじゃない!」

「……、……」

スマホの向こうから、美香が鼻をすするような音が漏れる。

 美香は、泣いているのだろう。


「ごめんね。酷いことを言って」

「……、……」

「でも、私、後で美香に傷付いてもらいたくないの」

「……、……」

「私も覚悟して言ったわ。だから、絶交されても仕方がないと思ってる」

「ち、千秋……」

美香も私も、言うことは言った。

 だが、二人とも、それ以上言葉が続かなかった。


 スマホの向こうから、相変わらず美香の鼻をすする音がしている。

 私は、何か言葉をかけてあげたくて、必死に探したが、何も浮かんでは来なかった。





 どれほど二人で黙っていただろう。

 5分……? いえ、10分……?

 私は、美香の気持ちを想いながら、ただ、美香の言葉を待った。


「ち、千秋……。聞いてる?」

「うん……」

沈黙を破った美香の声は、明らかに泣き声だった。


「私ね、千秋の言っていることも分るの」

「……、……」

「私も、少しはそうかな……? って」

「……、……」

「でも、信じたいの。藤田さんのこと」

「……、……」

「だから、100万円だけ……、って」

「……、……」

「ねえ……。それって、そんなに悪いこと?」

「美香……」

「私、そんなに間違ってる?」

「……、……」

美香の声は、もう微かにしか聞き取れなかった。


「千秋……。感謝しているわ」

「……、……」

「こういうのって、言う方も辛いわよね」

「……、……」

「私、分ってるわ。千秋が私のために一生懸命悩んでくれたの……」

「……、……」

「でも、すぐに受け入れられないの……、バカだから」

「……、……」

「だから、もう一度考えてみるわ日曜日まで……」

「うん……」

私まで涙が出そうになっていた。


 しかし、

「私がしっかりしなきゃ……」

と心の中で念じ、必死に涙をこらえた。


 そう、私がしっかりしなければ……。


 パソコン画面にポツンと浮かんでいる、

「美香を救う」

と言う文字が、私にはとても、頼りなく寂しげに見えた。




 

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