第3話 独りでは抱えられない

 昨日は、10時くらいまで飲んで、帰った。

 慎也に連日の深酒をさせたくなかったからだ。


 それと、三沢の、

「それで、昨日は早く帰ったのか……」

と言う発言が、耳にこびりついていたからでもある。


 日曜の昼前だと言うのに、私にはやることがなかった。

 いや、何もやる気持ちになれなかったのだ。

 溜まっている洗濯物もあるが、私の身体を動かすにはいたらなかった。

 身体を支配するネガティブな気持ちが、ベットから起き上がる気力さえも奪っていた。





 慎也と渋谷で別れてから、私は何度も考えていた。

「慎也が隠している何か」

を……。


 慎也の言っていたことを信じるのなら、年長者と飲んでいたのは間違いがなさそうだ。

 年長者……、と言っても、男性の可能性もあれば、女性の可能性もある。

 よく考えてみれば、私も、仕事関係以外の年長者の女性……、なのだし。


 自分に置き換えて考えてみると、年長者と飲むシュチエーションと言うのはそれほど多くないことに気がつく。

 私なら、両親や親戚と法事で飲むくらいか……。

 それ以外だと仕事の関係しかあり得ない。


 私が慎也に不信感を抱いたのには、もう一つ理由がある。

 それは、慎也のメールが、金曜の夜には途絶えたからだ。


 彼は、一日に7、8通のメールを必ずしてくる。

 それは、かなり定期的だ。

 起床時、通勤中、昼食時、退社時、退勤中、帰宅時、就寝時、で、その他に一通くらいイレギュラーなメールが混ざる。


 しかし、金曜日には、退社時から後のメールが途絶えたのだ。

 もし、退社後に会社の人と飲みに行くようなことがあれば、必ずそれについてはメールに報告が載っていたりもするが、金曜日にはそれもなかった。


 当時は、

「明日逢うから、今日はメールが少なめなのかな?」

などと、あまり気にしていなかったが、不信を覚えた今になると、俄然、怪しく感じてきてしまう。





 今日も、すでに起床時のメールが来ている。


「おはようございます。

 昨日は僕が粗相をしてしまいましたけど、楽しかったですね。

 次は、いつにしましょうか?」

と……。


 私は、

「おはよう。

 慎也君の予定に合わせます」

と、内容はいつもと同じように返信した。

 ただ、いつもと違って、何度も逡巡を繰り返し、着信から一時間以上経ってから返信したのだった。


 今日は日曜日だから出勤はしていないだろうが、そろそろ次のメールが来る頃だ。

 どんな返信をしたら良いか分らず、少し、メールが来るのが怖い。





「プルッ、プルッ……、プルッ、プルッ……」

来たのは、メールではなく、通話の着信だった。

 あまり気乗りはしないものの、枕元のスマホを手にする。


 案に相違して、着信は、美香からであった。

 美香から電話が来ることは少なくないが、休みの日に……、と言うのはかなり珍しい。


「はい……」

「何? いつもみたいに陰気な声を出して」

「失礼ね。まるで私がいつも根暗みたいじゃない」

「あはっ、自覚がないの? って、慎也君と付き合い出したから、少しは変わったかと思って電話したのよ」

付き合いが長いとはいえ、美香が他人を傍若無人に批評するのには、少々頭に来る。

 特に、今は慎也のことには触れられたくないから、尚更だ。


「……で、何の用? 日曜の午前中に起きていることなんかない美香が……」

「今日は、午後から出掛けるのよ。新しい彼とね」

「……、……」

「だから、午前中から忙しいのよ」

「……で、その忙しくてルンルンな美香さんが、私に何の用があるの?」

「千秋が、慎也君と旨くやってるかな? って思ってね」

「……、……」

「私が橋渡ししたのだから、心配にもなるってものでしょう?」

「……、……」

確かに、慎也との関係は、美香に橋渡しをしてもらった。

 合コンも、お節介なことだと思っていた私を、企画をし、幹事を引き受け、強引に連れ出してくれた。

 私のメールアドレスを慎也に教えてくれたのも美香だ。

 それに、一計を案じ、慎也が焼鳥屋で告白するようにし向けたのも……。


 美香は本当に口が悪く、お節介なところがあるが、私のことを誰よりも心配してくれている。

 その気持ちだけは、学生時代から変わってはいない。


 美香と電話をしながら、私は一つ思うことがあった。

「もしかして、美香なら、慎也の隠していることについて、アドバイスをしてくれるかも」

と……。

 確か、美香は年下の男性と付き合った経験もあるはずだ。

 慎也と私を知っている、数少ない一人でもあるし……。


「ちょ、ちょっと……。千秋、聞いてる?」

「う、うん……」

「ああ、また何か考え事をしながら人の話を聞いていたでしょ?」

「……、……」

「千秋って、いつもそうだよね。突然、自分の殻の中に入り込んじゃう。……で、そう言うときは決まって反応がなくなるんだから」

「そ、そんなことは……」

「じゃあ、私が何を言っていたか聞いていた?」

「……、……」

「ほら……」

「……、……」

「仕方がない、もう一度聞くわよ。告白されてから、デートくらいしたの? お世話になったんだから、それくらいは報告しなさいね。大体、合コンのとき、千秋の前に慎也君を座らせたのは、誰だと思ってるの?」

「あら、それも、もしかして美香が?」

「あのね……。気がついてなかったの? まあ、千秋らしいっちゃ、らしいけど……」

「ごめん、感謝してる……。かなり深くね」

美香の話は、何となく私の思惑の方に向いてきている。


 露骨に、

「慎也が隠し事をしていると思うけど、何だと思う?」

と、聞くのは何となくはばかられたので、遅刻の件をそれとなく話し、美香の反応をみようと心の中で決めた。





「何っ? やけに遅刻の件に拘るのね」

「だって、私、三時間も待ったのよ」

「そんなのよくある話よ。別に、大したことじゃないわ」

「……、……」

「千秋だって楽しかったんでしょう? 映画はともかく、動物園やプラネタリウムは」

「それはそうだけど」

「本人も反省して謝ってなかった?」

「何度も謝ってた……」

「じゃあ、何の問題もないじゃない」

「……、……」

美香には、なかなか私の真意が伝わらなかった。

 私だって、遅刻自体は、最初から問題にしていない。

 私が知りたいのは、あくまでも、慎也が何を隠しているのか……、だ。


「じゃあ、美香……。もし、美香の新しい彼が、前日に徹夜で飲んでいてデートに遅刻をしたら、あなたは何も思わないの?」

焦れた私は、限りなく核心に近い疑問をぶつけてみる。


「んっ? ……、……。まあ、それは何も思わないことはないけど」

「でしょう!」

「千秋と慎也君は付き合いが短いから、お互いのことが気になるのは分るし……」

「……、……」

ちょっと……。

 美香の新しい彼が……、って言ってるでしょう?

 でも、話がだいぶ近い線に入ってきた。


「ああ、なるほど……。千秋の言いたいことが分ったわ」

「……、……」

「つまり、遅刻がどうのと言うよりは、慎也君が前日に誰と飲んでいたかを気にしているのね?」

「……、……」

「あはっ、千秋も彼氏が出来たら変わったわね」

「……、……」

「まあ、良いでしょ。答えを教えてあげましょう、迷える純真な乙女に……」

「お、乙女?」

おおっ、さすが美香だ。

 ただ悪態をつくだけでなく、肝心のところをフォローしている。

 最後の純真な乙女ってのは、何だか分らないけど……。


 そう、正しくそうなのだ。

 きっとそれさえ分れば、慎也に対する疑惑も晴れるのだ。


「結論から言うわね」

「うん……」

「心配はいらないわ」

「それ、本当?」

「当然でしょ、私が慎也君を見つけてきたのよ。誠実で、真面目で、優しくて、イケメンの彼を。私が年上好きじゃなきゃ、絶対、千秋になんか紹介しないわよ」

「……、……」

そ、そんなことは言われなくても分っている。

 ん? 何か、ちょっと問題のある発言もあったような……。


「そんな慎也君が、デートの前日に女性と飲んでいると思う? 大体、つい二週間前よ。彼が、千秋を好きだから何とかして欲しいって、私に泣きついてきたのは」

「……、……」

「大丈夫よ……。慎也君は、二股もかけなければ、浮気もしない。今のところ、千秋一筋よ」

「そうかな……」

美香の言うことには、説得力があった。

 状況的にも言っていることは正しいと思う。


 しかし、私は釈然としなかった。

 だったら、何故、慎也は誰と飲んでいたかを隠していたのだろう?

 誠実で真面目な彼が……。

 メールが途絶えた理由だって分らない。


「それからね、千秋は気がついていないみたいだけど、飲んでいた相手は男性よ」

「えっ、どうして分るの?」

「そんなことも分らないの?」

「……、……」

「慎也君は言っていたんでしょう? 最後は日高屋で飲んだ、と。千秋、早朝の日高屋で、女性が飲み直したりすると思う?」

なるほど……。

 確かに、ラーメン屋で、男女二人が飲み直すとも思えない。

 私が同じ状況でも、せいぜいファミレスでモーニングセットを食べる程度だ。


「やってることからすると、多分、学生時代の先輩とかじゃないかな。千秋と違って、慎也君はまだ学生生活と離れてから、あまり時間が経ってないのよ」

「……、……」

美香は、話を一区切りすると、私をからかうように笑った。





 さすがに美香だと思うし、日高屋の件などは、一般的にはそうだろう。

 しかし、それでも、私の疑惑は何も晴れてはいなかった。

 私に詳細を隠したことや、メールの件などは、美香の説明では解明されたとは思えないし、少なくとも私は納得できなかった。


 大体、慎也は北海道の出身で、就職のためにこちらに出てきたのだ。

 学生時代の友人が、おいそれと東京近辺にいるわけもない。


 それに、私は、美香から話を聞けば聞くほど疑心暗鬼になった。

 美香の話は、すべて慎也が本当のことを言っていることが前提になっている。

 慎也がウソをついていると確信しているわけではないが、疑惑が晴れない焦りからか、私は何を信じて良いのか分らなくなっていた。


 ただ、これ以上美香に話してみても、新しい発見があるとも思えない。

 だから、美香には感謝の言葉を述べて、一応、納得したようなふりをしておいた。





 美香は、私が一通り慎也との仲について説明したあとも、通話を切ろうとしなかった。

 やれ、次のデートでは遠くに行くべきだ……、とか、焼き鳥屋ばかりじゃなく、もっと色々行った方が良い……、とかと言い、やたらと通話を引き延ばすのだ。

 このまま放っておくと、

「キスくらいした?」

などと、余計なことまで聞いてきかねない。


 時刻はすでに11時を過ぎている。

 午後から出掛けるのなら、ゆっくり無駄話をしている時間はないはずだ。


「美香……、もうすぐお昼よ。私と話していて良いの?」

たまりかねた私は、美香の話の腰を折り、尋ねた。

 もう、一時間半は話をしている。


「うん……、そうなんだけど」

「……、……」

「実は、千秋に聞いてもらいたいことがあって……」

「聞いてもらいたいこと?」

美香は、急に弱々しい声を出した。

 ……と言うか、こんなに弱々しい声の美香は初めてだ。


「あの……、実はね」

「実は?」

「その……、新しい彼は、私より5歳年上の、フィナンシャルプランナーなの」

「それで?」

「その、新しい投資話があるから、少し出資しないかって言うの」

「……、……」

「絶対に儲かるって彼は言うし、今、太陽光発電とかって随分話題になっているでしょう?」

「太陽光発電なの? 投資話って」

「うん……」

「それで、彼には何て答えたの?」

「私はそういうのあまり詳しくないから、考えさせて……、って」

「そう……」

「でも、私がいくら考えても、分るわけがないじゃない?」

「……、……」

「だから、千秋に相談しようと思って……」

「……、……」

「千秋、そういうのに詳しいじゃない。だから、相談すれば、何か分るかなって……」

「どうして、そんな用があるのなら、早く言わないの!」

「だって、千秋があまりにも慎也君とのことを悩んでるみたいだったから……」

「美香……」

美香の歯切れは悪かった。

 まるで、悪いことでも見つかった童女のように甘えた声を出している。


 私も別に、それほど投資話などに詳しいわけではない。

 しかし、美香は、そう言う方面にはまるで知識も興味もない。

 多分、彼の頼みだから無碍には断れないが、美香なりに何か感じるところがあるのだろう。


「もしかして、今日、午後から出掛けるって、その話なの?」

「うん……。彼が、資料とかを持って来て、説明してくれるんだって」

「彼は一人で来るの?」

「ううん……。投資先の人と一緒だそうよ」

私は、直感的に危ないと思った。

 美香の彼がどんな人かは知らないけど、話が性急過ぎる。

 本人に資料を渡したり、投資の詳しい話をする前に、投資先の企業関係者が出てくるなんて、異常ではないか。


 まるで、今日説得して、明日には判子を押させかねない勢いに感じる。

 そんな無茶な話で、本当に儲かるのだろうか?


「美香、良く聞くのよ」

「……、……」

「一人で会いに行ってはダメよ」

「……、……」

「私が行ってあげるから、待ち合わせ場所が何処か言いなさい」

「千秋……」

美香の声は震えている。

 きっと、泣いているのだろう。


 可哀想に、泣くほど悩んでいたなんて……。

 でも、もう怯えなくてもいいわ。

 私が行ってあげるからね。

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