第6話 泥酔してしまった!

調理師の学校は1年間なので、3月に卒業の予定だけど、そろそろ就職先を決めたいと思っている。専攻はフランス料理だけど、実際のレストラン、特に高級なレストランに行ったことがないので、どこかに連れて行ってもらえないか、お金はかけなくていいからとパパに相談した。


「そういえば、久恵ちゃんとレストランで食事したのは、上京した時の案内で銀座のレストランで食事してからずっと行ってないね。ごめんね、気が付かなかった。もっと外食する機会をつくるべきだった。いいよ、適当なところを探しとくから。久恵ちゃんと二人でレストランで食事、楽しみだなあ」


そういって、嬉しそうに引き受けてくれた。


そういえば、パパはあまり外食が好きでないみたい。一人で生活している時も外食はほとんどせず、自分で作るか、スーパーがコンビニで総菜を買てくるか、弁当を買ってきて食べるという生活をしていたという。


理由を聞くと、食事の時に必ず晩酌をするので、酔いが回って気持ちよくなってきたところで、家に帰らなければならないのが面倒だとか。どちらかというと、少し酔いの回ったところで、ごろっと横になって、テレビを見たり、うたた寝をするのが好きだといっていた。そういえば、食事の後はいつもごろごろしていることが多い。


今度の金曜日の午後6時に第1回見学会開催ということで、銀座の一流ホテルのメインダイニングに予約を入れてくれた。


当日、ホテルのロビーで待ち合わせることになった。パパは会社の帰りにそのまま直行するという。私は一度家に帰って着替えをして会場へ。着ていく服がなかなかきまらないので、家を出るのが遅れてしまって、6時過ぎに走ってロビーにたどり着いた。


「ごめんね、服を合わせるのに時間がかかったの」


「とっても素敵だ。見違えた。久しぶりだね、レストランで食事なんて」


「ごめんなさい。無理を言って」


「いやいや、こんな楽しい無理なら歓迎だ、気にしないで、いざ見学に」


「うれしい」


パパは上機嫌。私をエスコートしてメインダイニングへ。パパが受付で予約を告げると年配のウェーターが席に案内してくれるが、少し緊張している二人をどう見ているのか興味深々。


席に着くと椅子を引いてくれる。さすがに一流レストラン。着席して渡されたメニューを見る。フランス料理だからフランス語も書かれている。メニューをじっと見る。


事前に打ち合わせたとおり、パパが今日はアラカルトでと告げると、ウェーターは少し残念そうに、お飲み物はと聞く。パパはビール、私はジンジャエールにした。


それぞれサラダとスープをチョイスし、メインはフィレステーキとした。デザートはセットメニューを注文。パパはメインの時に、赤のグラスワインを二人にと注文した。


「『シャーベット』は、本当は『ソルベット』というのを知ってる? 英語で発音すると『ソルベット』」


「知ってる。習ったから」


「ハンバーガーは注文するときにはサンドイッチ、ハンバーガーだけほしいときはジャスト・サンドイッチ」


「知らない。へー、パパ英語できるの」


「2年半ニューヨーク勤務をしたことがある」


「知らなかった。それで食事はどうしてたの?」


「赴任したはじめのころは、毎日夕食はその辺のレストランで食べてたけど、注文は、いつもビール、シーザースサラダ、ステーキ、ソルベット、コーヒーだった」


「いくらくらいかかるの?」


「チップも含めて20ドルから40ドルくらいだったかな」


「結構かかるね」


「それで安く済む方法を同僚に聞いた。通りにはいくつもデリカテッセンという総菜屋があっていろいろな料理が量り売りされている。いくつか選んでプラスチックのパックにつめるんだけど、最後はパックの重さで値段が決まる仕組み」


「それぞれの料理に値段がついていないの?」


「最後の全体の重さで値段が決まる。肉類は少量で重量があるけど、サラダなどはかさが多くても軽いから、シンプルで合理的だと思った」


「脂っこい食事にならない?」


「そう、毎日これが続くと、さすがに日本食が食べたくなって、日本食の食材屋でお米と冷凍のウナギのかば焼きとたれ、それにパック入りの豆腐、即席みそ汁、醤油を買って、自分で『うな重定食』をつくって食べた。もう最高にうまかった。日本人に生まれてよかったと、しみじみ思った。それからは自分で食事を作ることにしたんだ」


「食材って高いの?」


「日本食の食材屋は日本から取り寄せているので、値段は高め。お米は米国産で安かったし、味もよかった。スーパーでは肉類はすごく安い。普通のステーキなら1ドルから2ドルくらい、すこし良い肉でも5ドルも出せば十分。野菜や果物も安い。自炊すると食費はとても安く上がった」


パパがうれしそうに話してくれる。そういえば、パパはあまり自分から自分のことを話さない。聞くと話してくれるのだけど。もっと聞かなくちゃ。


「久恵ちゃんは聞き上手だね」


「パパの話、おもしろいし、聞くの好きよ」


そこへ料理が運ばれてきた。私は海外での生活や、今の会社の仕事など、いろいろなことを聞いたので、話がはずんだ。パパは私とこんなに話をしたのははじめてで楽しいと喜んでいた。


メインの時にと頼んだグラスワインを話に夢中で空けてしまった。


「お酒強いの? 大丈夫?」


「弱いけど、知らないうちに飲んじゃった。大丈夫かな?」


「パパがいるから安心していいよ」


「ママもお酒はだめで、飲んでいるのを見たことなかったけど、私もダメみたい。成人式の後にビールをコップ一杯飲んだけどひどく酔いが回ったのを覚えている」


「ワインは度数が高く口当たりが良いからパパも注意している。以前、自分の送別会で飲み過ぎてひどい二日酔いで死ぬ思いをしたことがある。その時は2本位飲んだと思う。止めない幹事が悪い」


「飲んだ方が悪いと思うけど」


「レストランではハウスワインをグラスで頼むのが一番、1本では多すぎるから。レストランが厳選しているので値段の割においしい。ただし、ワインは後から回るから飲み過ぎは禁物」


デザートの後、コーヒーを飲み終えて退席。これで第1回見学会は終了。パパがレジでカードで支払いを済ませる。


「ご馳走様、ありがとう、ゴールドカード、かっこいい」


「就職したらカードを作ったらいい」


「私は、いつもニコニコ現金払い、無駄使いするからカードなんか作らない」


「堅実なんだ!」


それから、ゆっくり歩いて有楽町駅まで。昼間暖かかったので薄めコートにしたらすこし寒いので、腕を組んで身体を寄せて歩く。パパも悪い気はしないみたいで黙って歩いている。


五反田駅でエスカレーターを昇って、池上線に乗り換え。1本電車を待って二人座って帰った。


ただ、座席に座ってからは断片的な記憶しかない。酔いが回ったみたい。雪谷大塚駅で揺り起こされて駅を出たのは憶えている。パパに抱えられて気持ちよく帰った記憶がある。


身を任せている安心感と酔い心地。部屋で介抱されて寝かせられた。この時とばかり「大好き」と抱きついた。パパは一瞬緊張したが、そっと腕をほどいて、私に布団をかけたのは憶えている。それから朝まで熟睡したみたい。


朝、目が覚めて、パジャマに着替えていないのに気が付いて、飛び起きた。断片的な記憶をたどると、酔いが回って寝込んだことが分かった。パパはまだ寝ているみたい。部屋のドアをノックする。


「おはよう」


「パパ、ありがとう、ごめんなさい。酔っ払ってしまって」


「調子はどう?」


「パパと一緒だからよかった。ほかの人とだったらどうなっていたことかと考えるとゾッとする。もう、絶対にお酒飲まない」


「二日酔いはどう」


「ぐっすり眠れて気分爽快、あとで一緒に散歩に行こう」


と言って、部屋に戻った。


それから、パパは、2回、渋谷と新宿でホテルのレストランの見学会を週末に催してくれた。もちろん、私はお酒なしで。


私は、卒業後、広尾の通りから少し入ったところにある中堅のホテルにコックとして就職した。

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