第5話 油断して指を怪我した!

パパは私のこと、どう思っているんだろう。わざとドキッとすることを言って挑発してもそらしてしまう。でも、こちらがよそよそしくすると、機嫌をとりにくる。一歩前に出ると一歩さがってしまう。着かず離れずで、パパはずるい。好きじゃないと一緒に住んだりしないのに。


考えごとをしていて、油断した。指が何かに当ったと思ったら血が飛び散った。痛い指が! 指がフードプロセッサーの刃に触れたみたい。


「キャー」というと、周りの人が気が付いてくれて、大騒ぎになった。指が血だらけでとても痛い。それを見て腰が抜けた。


すぐに先生が救急車を呼んでくれて、近くの病院へ運んでくれた。まず、指のレントゲン。それから処置室へ。


女の先生が真っ赤に染まった手ぬぐいを外していく。怖くて見ていられない。痛いのか痛くないのか分からないくらいに頭が変になっている。指の様子を見た後、先生は指に包帯を巻きながら「大丈夫、すぐ手術するから」と言った。


手術は5時からと聞いた。そこへ、パパが駆けつけてきた。パパの顔をみると涙があふれた。パパが着いたので、主治医の女医さんが来て、傷の説明をしてくれた。


診断の結果、右手中指は第1関節の先の傷が5㎜程度の深さで縫うだけで済んだが、薬指第一関節の先の傷が深く、かろうじて指先がつながっているので、すぐに手術するとのこと。


細い血管の縫合は難しいのでやって見ないとわからないが、薬指の先がなくなる可能性もあると言われた。


パパが承諾書に署名捺印した。パパはよろしくお願いしますと何度も頭を下げていた。


パパは「大丈夫だから、気をしっかり持って」と励ましてくれたが、不安が一杯で手術室に入った。


手術は2時間かかった。局所麻酔で意識があったが、全身麻酔で意識をなくしてほしかった。指がつながりますようにと何度もお祈りした。苦しい時の神頼み。


手術は長い時間のようにも短い時間のようにも感じられた。手術は順調に終わり、1~2日で成功したか分かると説明を受けた。


病室に運ばれた。右腕は固定されて、左腕には点滴の針が刺されている。身動きができない。外はすっかり暗くなっている。もう8時になっていた。


看護婦さんが出ていった後は、誰もいない一人部屋の病室。とっても心細い。窓からライトアップした東京タワーが見える。まさか、病室から見るとは思わなかった。そこへパパが心配そうに入ってきた。


「夜景がきれいだね」


「うん。ごめんなさい」


「結果は1、2日でわかるそうだ」


「先生から聞いた」


「指が壊死すればあきらめて」


「うん、私の不注意。考えごとをしてたの」


「実習中は集中しないとだめ」


「分かってる」


「心配事があるのなら、相談にのるよ」


「大丈夫」とはいったけど、パパのことを考えていたなんてとても言えない。


「きれいな女医さんだったね」というので、パパは何なのこんな時にと、カチンと来て「こういうときに不謹慎」と怒鳴ってしまった。


「ごめん、こんな時に余計なことをいってしまって」


「許してあげる。それより、1週間ほど入院しなければならないから、着替えを持ってきてほしいんだけど、分かる」


「いいけど、下着だよね」


「うん。プラケースの中にあるから、適当に2~3枚ずつ、見ればわかる」


「いいのかい」


「しかたないでしょ」


「分かった。あすの朝、出勤途中に寄るから」


「お願いします」


「ほかに何かほしいものある?」


「喉が渇いてジュースが飲みたい」


「じゃあ、すぐに売店で2,3本買ってくるよ」


パパは出て行った。でも、その前に頼めばよかった。おしっこがしたい。そういえば、実習が始まる前に行ったきりでずっと行く機会がなかった。手術があったので緊張して出なかったこともあるかもしれない。


気になるとますます我慢できなくなる。どうしよう。出ちゃいそう。でも動きが取れない。


パパがジュースを3本持って戻ってきた。


「トイレに行きたいの、我慢できない」


「看護師さんを呼んでくる」


「待てない。出ちゃう。怪我した時からずっとトイレにいってないの。すぐにつれてって」


「ええ!」


「早く私を起こして、手を貸して、お願い」


もらしそう。冷汗が出てくる。


「早く早く」


ようやく、トイレにたどり着いた。とてつもなく長い時間がかかった気がする。


「下着を下して早く」


「えええ!」


「でも、見ないで、絶対」


パパは後ろからそっと下着を下してくれた。そして慌てて外へ出て戸を閉めた。これでやっとできる。


大きな音がする。静かな部屋だから余計に大きく聞こえる。パパに聞こえてる? 恥ずかしい。でもほっとした。


途中で床に漏らすことがなくてよかった。ようやく正気を取り戻した。立ち上がって戸に背を向けた。


「パパ、下着を上げて」


「は、はい」


パパはゆっくり上げてくれた。それから、ベットに連れて行ってくれた。そして「今度から早めに看護婦さんに頼むように」と言い残して慌てて帰っていった。ありがとうパパ。


次の日の朝、朝食を摂っていると、パパが下着を持ってきてくれた。帰りにも寄ってくれた。「汚れたものはない?」と聞かれたが、下着を出すのが恥ずかしいので、返事しないでいると、パパは「そうか」といって、帰った。


下着の替えがなくならないか心配だったけど、退院が間に合った。幸いにも縫合部分の壊死もなく、指はつながった。安心した。


そのあと2週間ほど自宅療養した。朝食の準備と後片付けはパパがしてくれた。お昼ごはんは、パンと牛乳とバナナで済ませた。夕飯はパパが毎日違うお弁当を買ってきてくれた。


洗濯は自分の下着は自分で洗った。小さいものが多いので片手でもできた。パパの分は自分で洗ってもらった。洗濯物の取り込みは私がなんとか片手でもできた。


お風呂は怪我したほうの手をビニール袋で覆って入ったが、着ているものは、時間がかかったけれど、なんとかひとりで脱げた。上がって身体を拭くのが一苦労、さらにパジャマを着るのがまた一苦労。


退院したばかりのころは、パパに目をつむってもらって脱がせてもらった。前に回ったときは、目をつむっているが、後ろに回ったときは、きっと目を開けていたと思う。しょうがないか、パパだから。


2週間でほぼ回復した。手には包帯が残っていたが、日常生活はできるようになり、再び学校へ行けるようになった。


「パパ、本当に心配と迷惑をかけてごめんなさない。親身になってくれてありがとう」


「また、考えごとをしていてはだめだよ」といわれたが、パパのことを考えていて怪我したとは、とても言えない。内緒にしておこう。でも、これからは本当に気を付けよう。


でも、パパはやっぱり男親、限界が明らかだった。ママが生きていてくれたら、随分助かったと思う。女の子にはいつまでも母親が必要なんだとつくづく思う。

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