第03話:僕とキミの3パーセント

「あの阿婆擦あばずれを救ってほしいとは、どういう意味じゃ?」


 千智がいぶかしむように真利をにらみつけるが、真利はひるむ様子もなく涼しげな表情をしている。


阿婆擦あばずれではありません。菜々美さんです」

「ええぃ! 什悟に無礼ぶれいな態度しかできん女子おなごなど阿婆擦あばずれで十分じゃ」


 まあ、そんなに真利にキツく当たるなよ。僕が千智をなだめると、彼女は「フンッ」と外方そっぽを向いた。やれやれ。

 刺々しい態度の千智と違って、真利は紳士的な態度を崩さない。


「菜々美さんも望んで什悟さんに無礼な態度をとっている訳ではありません。ちゃんとした理由があるのです」

「……理由?」


 菜々美には何らかの理由があって、意図的に意識的に傲慢ごうまんな態度をとっているってことか? いったいどんな理由があるんだ?

 僕が問いかけるように真利へと視線を向けると、彼はニッコリと笑った。


「少し長い話になりますので、ケーキでも食べながらゆっくりと話しましょうか」


 真利の提案に同意した僕らは、菜々美を呼び出すと、5号のホールケーキと飲み物を注文した。


「……テメェは、直径15センチのケーキ2つをひとりで食べて、エスブレッソのおかわりと、メロンソーダのおかわりと、アッサムティーをひとりで飲むのか?」

「うん、食べる。飲む。何か問題あるか?」

「あるにきまってんだろーが。どうせ食うなら致死量まで食えよ」

「さすがにそんなには食えない」


 砂糖の半致死量が体重の3パーセント程度だから、僕の体重が60キログラム、ホールケーキに100グラムの砂糖が使われていると仮定すると、18個は食べないと死ねないだろう。そんなに食べられるはずがない。

 僕がケーキを致死量まで食べられない旨を熱弁していると、いつの間にか菜々美はキッチンへと戻っていた。

 菜々美の暴言や態度を一部始終みていた千智が真利に問う。


「……あの不遜な態度にどのような理由があるというのじゃ?」

「端的に言うのであれば、照れ隠しです」

「照れ隠しじゃと?」

「菜々美さんは照れているのですよ。彼女はあのように見えてシャイなのです」


 シャイ? あの菜々美が? とても信じられる話じゃない。けれど真利は冗談を言っている様子は無かった。

 程なくしてケーキと飲み物を持ってきた菜々美を、僕は食い入るように見つめる。シャイという言葉は、あまりにも似つかわしくないように見える。

 僕の視線に気づいた菜々美は、大きく舌打ちをしてから、無造作にケーキと飲み物を僕の前に置いた。


「ほらよ。……せいぜい腹いっぱいにケーキを詰め込んでそのまま破裂して死んでくれ」


 菜々美は僕をさげむような眼で見下ろした。うーん、やっぱり照れ隠しって感じではないな。

 僕と同じことを思ったのか千智が真利に問いかける。


「これが照れ隠しじゃというのか?」

「ええ、照れ隠しです」


 まさか自分たちの魂にこんな事を言われているとも知らずに、菜々美が暴言を重ねる。


「何ならテメェが破裂するまで私がケーキを捻じ込んでやろうか?」

「これも照れ隠しです」

「あまりケーキを無駄にしたくねぇから、早めに破裂してくれよな」

「なかなかの照れ隠しですね」

「いっそそのケーキ用ナイフで腹を切ってくれよ。介錯かいしゃくはしてやるからさ」

「ナイス照れ隠しです」

「ええぃ! 照れ隠しであれば何を言っても許されると思うなよ!」


 千智が菜々美に抗議するが、その声は菜々美には届かない。

 ひとしきり僕に暴言を吐き終えた菜々美がキッチンへと戻っていくのを見送ってから、僕は真利へ疑問を投げかける。


「どうしてもあの態度が照れ隠しだとは思えないんだが」

「本当に照れ隠しですよ。半分だけですけどね」


 半分だけ、か。まぁ、半分だけでも本当だったことに驚きだけれど。


「残り半分は?」

「残りの半分は、彼氏への……いえ、彼氏へのみさお立てと言えば良いでしょうか」


 笑みを絶やさなかった真利の表情が少しだけくもった。


「なんじゃ。あの阿婆擦あばずれ、彼氏がおるのか」

「彼氏はいません。彼氏です。……もっとも、菜々美さん本人はまだ付き合っているつもりのようですが」

「訳有りってことか」


 僕の言葉に真利が頷く。真利は少しだけ言いよどんでから重々しく口を開いた。


「菜々美さんの最愛の恋人……弥一やいちという男なのですが、彼が1年ほど前に突如として菜々美さんのことを捨てて姿を消しました。将来を約束するほどの仲だった菜々美さんは、弥一が失踪した事実を受け止めることができず、今でも彼が帰ってくると信じているのです」


 真利が言葉を区切った。静かに一呼吸して気持ちを落ち着けているようだった。


「あの日以来、菜々美さんは帰ってくるはずのない彼のために、焼き菓子を作り、マフラーを編み、想いを寄せて涙を流しています。……気丈には振る舞っていますが菜々美さんの心はもう限界です」


 悲しげに語る真利。彼は顔を上げて僕を真っすぐと見つめた。


「お願いします、什悟さん。過去の恋に囚われてしまっている菜々美さんを救ってください。もう僕はあんなに痛々しい菜々美さんを見ていられません」


 菜々美の幸せを訴える真利。必死さから彼が菜々美を本当に大事にしていることが伝わってくる。

 僕と千智は胸を張って力強く答える。


「わかった」

「嫌じゃ」


 ……あれ?

 慌てて千智の方を見ると、彼女は頬を膨らませて完全拒否の態度を示していた。


「千智は菜々美を助けるのに反対なのか?」

左様さようじゃ」

「なんで?」

「嫌なものは嫌なんじゃ」


 聞く耳持たずの姿勢を崩さない千智に、真利が大きく頭を下げる。


「そう言わず、どうか力を貸してください。菜々美さんには、もう什悟さんしか頼れる男性がいないんです」

「自業自得じゃの。あんな態度ばかりとっていれば、そりゃ男も寄りつかんわい」

「しようがないじゃないですか。菜々美さんが傷心で弱っているところを男性につけこまれないようにするには、横暴な態度をとって男性を寄せ付けなくするしかなかったんです」


 紳士的だった真利の口調が、荒々しさを増した。

 本当に菜々美のことを大切に思っているんだな。それは千智にも伝わったようだ。


「お主が阿婆擦あばずれを大切に思っているのはわかった」


 千智は真利に対して優しく微笑んだ。しかし、それは一時的なもので、すぐさまに千智の表情は険しいものへと変化する。


「じゃがのう、お主が阿婆擦あばずれを大切に思うように、ワシも什悟が大切なんじゃ。だからこそ、什悟を不幸にしかねん阿婆擦あばずれも、什悟を都合よく利用としているお主も気に食わん」

「利用だなんてそんな……」


 どこか動揺したように見える真利の声が微かに上擦った。

 千智が真利へと詰め寄る。


「お主、什悟を利用して能力ちからを使おうとしとるじゃろ?」


 図星だったのか、言葉を失った様子の真利は千智から視線を外した。

 なおも問い詰めようとする千智を見かねた僕は、話に割って入ることにする。


「なぁ、能力ちからって何なんだ? 前に千智が言っていた能力ちからのことか? 告白なんかとるに足らないとかいう」


 千智と真利が僕を見上げる。


「そういえば、什悟には能力ちからの説明するのを忘れておったの」


 コホンと咳ばらいをした千智が、言葉を続ける。


「ワシら魂には、誰かの恋を成就させた時に、何でもひとつだけ願いを叶える能力があるのじゃ」

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