Winter_Wind

善行

Winter_Wind

「リア! 起きろ。リア!」

私が微睡んでいるとすぐ近くから名前を呼ぶ声がして目が覚めた。

「うぅ……。なんですか、課長。もう、私は残業続きで寝不足なんですけど」

 目の前には、無精髭をはやし、大きな翼を持っている大男が立っていた。どこかの賊にしか見えないような男であるが、れっきとした天使である。この人は私の直属の上司だが、眠る私を起こすような人ではない。何か重要な用件か、珍しく書類仕事以外が舞い込んできたかのどちらかだろう。私は人助け課なる窓際部署に所属している所為もあってか、片手で数える程しか外部の依頼を受けたことがない。たまには下界の依頼も受けてみたいのが正直なところだ。課長はゴホンと一つ咳払いをすると、おもむろに口を開いた。

「依頼が来たんだが、神からの通達でな。絶対にお前に行って欲しいそうだ」

 神から直接依頼が舞い込んでくることはない。ましてや、こんな窓際部署になんて。気分が高揚するのと共に少し不安に感じる。

「何か重要な案件なんですか? 私に務まるかどうか……」

「いや。どうやら一般男性のプロポーズの支援のようだ。俺にも何故お前なのかはわからん」

 そう言って彼は私に書類を差し出す。プロフィールを見ても、情報としては、一般のサラリーマンであることぐらいしか読み取ることはできない。

「本当に、神からの依頼なんですか?」

「それは確かだ。あの人にも何か意図があってのことなんだろう。それよりも期限があまりないぞ。今日から早速出たほうがいいだろう」

 期日を見ると期日は十二月二十五日までとなっている。あと一週間ほどしかない。急がなくては。

「こっちのことは気にしなくていいぞ。どうせ仕事もないからな」

 そう言ってニヤリと笑う。実に天使らしくない男だ。

「それではいってきます」

「おう。気をつけて……な」

 どこか含みのある言い方だったが、私はあまり気にしないことにした。彼の不敵な態度は八割がたポーズだ。




 そんなこんなで、私は今、空を落ちている。しかと地面を、依頼人を見据えながら。依頼人の姿は、どんなに離れていてもはっきりと見ることができる。それは、天使であるからだ。

 私は、落ちる感覚が嫌いだ。天使なのに情けないかもしれないが、あの独特な浮遊感と、めまぐるしくまわる景色に気分が悪くなる。私が起こす風圧に転がる依頼人が心配だが、私の心の平穏のためにも、着地に専念することにしよう。

「よいしょっと。あのー。大丈夫ですか?」

 ひっくり返った亀のような体勢の男に近づくと、ガバっと彼が起き上がった。私の顔をひと目見て、サッと顔を背けられた。当たり前だろう。空から何か落ちてきたと思ったら、羽をはやした女だったのだから。私が当事者なら失神ものだ。

「お前。何者だ?」

 表情を見ることはできないが、声音から察するにどうやら私を警戒しているのだろう。そしてその警戒は正しい。

「私は天使です」

 単刀直入にそういうと彼はひっくり返り、

「天使ぃ!?」

と素っ頓狂な声をあげた。

「はい。あなた依頼したじゃないですか」

「依頼? 俺がお前に? 何を願うって言うんだよ」

「願いましたよね? プロポーズを何とかしてくれって」

 彼はわけのわからないような顔をした後、はっと何かに気付いたようだった。

「それで天使とか意味分かんねぇだろ」

 呟いて空を仰ぐ。彼はどうやら困惑しているようだ。人間の心の機微というものは、どうも私には理解できない。

「はぁ、そうはいっても上からの通達ですので、私には説明しかねます」

 彼はこんどこそ真正面から私の顔を見据えた。深く息を吐く。そうして一歩踏み出して、ニッと笑って口を開いた。

「まぁ、悩んでいても仕方ねえ。いっちょ、クリスマスの二日前までは頼むわ」

 楽観的なやつだなとそう思う。さっきまでの警戒心はなんだったのだ。しかし、相手が私について深く考えていないならば、私も考える必要はないだろう。私はあくまで事務的に印象のよい言葉と態度を貫くだけだ。

「私はリアと申します。よろしくお願い致します。白崎様」

 全力ぶりっ子の笑顔装備で挨拶する。しかし、彼は微妙な顔をするのだった。

「あー。そんな畏まらなくていいぞ。敬語じゃなくていいし、俺のことは呼び捨てでいいから」

 何故か歯切れ悪くいう彼をなんとなくおかしいと思った。彼は、ようやく夜の寒さを思い出したようで、一つ、ぶるりと震えると、ドアのほうへと歩き出した。室内に入る直前、ちらりとこちらを向く。

「行動は明日からだから。お前もしっかり休んどけよ」

「あ、待ってください。一つ伝えておくことがあるんです。人前で私と話すときは、携帯電話なるものを使いカモフラージュすると良いと書いてありましたよ」

 そう伝えると、彼は黙り込み考えたあと、納得したようにこの場を去っていった。私はまず、今からしなければならないことを考えなければならない。最優先事項はこの世界について知ることだろう。どうやらクリスマスという日に、日本人たち、いや、恋人や夫婦たちは特別な思い入れがあるらしい。彼らは互いの絆を深めるため、その日を、よりよい日にしようとする傾向があると分析されている。おそらく、依頼人とその恋人もそうなのだろう。ならば私は、より二人が親密になるプランを立てなければ、映画や食事、イルミネーションなど様々な娯楽がある。そのなかでも私の興味を引くのは映画だ。暗いというのも高ポイントだ。久しぶりの依頼ということもあってか、逸る気持ちを抑えながら、私は休息をとることにした。



 休息しているあいだに彼はどうやら自宅に戻ったらしい。彼のところに近づくと朝早く寒いというのにひどく汗をかいている。表情もどこか苦しそうだ。どうやら熱はないようだが、悪い夢でも見ているのだろうか。目を閉じ共鳴を試みる。まったく便利なものだ。まぁ夢を盗み見られる本人としちゃたまったもんじゃないでしょうけど。でも、少しでも彼の苦しみが和らげばいいと思う。

 暗闇の中、彼は椅子に座らされている。目の前には恋人だろうか、可愛らしい女性が佇んでいる。その背後に、顔を黒く塗りつぶされた少女がいる。きっと彼女が悪夢の元凶なのだろう。私は彼を呼び続ける。早く目覚めろと。黒塗りの少女は私を見、そして笑った。私が見えることは決してないのに。


「おい! どうした! リア!」

 彼の夢を見たあのあとから、どうもぼうっとしてしまっていたようだ。彼には夢を盗み見たことは言えない。心配そうな彼にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。

「いえ、なんでもありません! それよりもプランを立てましょう」

 ぎこちない笑みになっていたのでしょうか。彼はどうも私の顔を訝しげに、なにやら考え込んでいるように見つめました。

「あの。どうかしました?」

「え、あ、いや。なんでもないよ」

 そう言って曖昧に笑う彼に、どうしようもなく不安になる私がいる。私は不確かな感情に向き合うことをせず、彼を外へと連れ出した。




「で、映画館に着いたようですが、何を観ます?」

 彼は一通りタイトルを見たあと一つのタイトルを読み上げた。「俺。あの『Winter_Wind』っての、観たいな」

「そこはオーソドックスにラブコメディにしません? どうも悲恋ものみたいですけど」

「まぁお試しなんだからさ! いいじゃん」

「あなたがいいならいいですけど」

 先行きが心配だ。こんな調子でやっていけるのだろうか。ふと視線を感じて手元から顔をあげると、彼と目があった。

「あの?」

「いや、指揉むの、癖なのか?」

「え? あ。ほんとだ。揉んでますね」

「無意識だったのかよ」

 なんでそんな事きくのだろう。気付けば彼は私の一挙一動に注目しているような気がする。私の癖を研究して彼女とのデートに活かすのだろうか。

 私たちは一枚のチケットを購入してシアターへと入った。こういう時天使って便利。と彼が呟くのが聞こえた。




 結果的に言えば、とてもいい映画だった。内容としては全体的に暗めなのだが、キャラの心情と背景、季節などがマッチしてどこかノスタルジックな映画だった。しかし、デートには決して向くものではない。

「やっぱり、今話題のラブコメにしましょう」

「俺は好きだけどなぁ。あの作品」

「そもそも、なんであの作品を見ようと思ったんですか?」

「テーマソングがさ。好きな曲だったんだよね」

「あなたクラシックなんて聴くんですね」

 あまり想像できるものではない。どちらかといえばロックを聴いていそうな今時の青年だ。

 彼は心外だという顔をした。その顔に私はピンと来て、ニヤニヤしてしまう。

「どうせ、初恋の人が聴いていたとかそんな事でしょ?」

 彼は私の答えにニヤリと笑って、わざとらしく「ブブー」という。

「当たらずといえども遠からずだけどな」

「じゃあ、弾いてたんだ」

 彼は目を見開いて固まってしまっている。私自身、自分の言葉に驚いていたのだ。まるで初めから用意していた言葉だったかのように、するりと口をついて出たのだ。

「知ってたのか?」

「いえ……。たまたま、ですよ」

 その日、私たちがこれ以上会話することはなく、一日が過ぎていった。



 次の日からは、まるで昨日のことがなかったかのようにどちらも過ごした。ウィンドウショッピングに食事、イルミネーションの散策と、様々なデートスポットを渡り歩いた。

 どの日も楽しくて、とても大切なものだった。もしかしたら私は、彼に淡い恋心を抱いていたのかもしれない。それは天使にあるまじき感情であったけれど。



 ある日、彼は私の背中を見た。私の背中には大きな傷がある。天使として目覚めた時にはもうすでにあらわれていたもの。現在の部署に配属されたきっかけであること。天上の者は綺麗なモノを好む。彼らから見た私は、大層醜かったことだろう。彼らは嫌悪感を隠しもせず。私を蔑んだ。彼もきっと嫌なモノを見てしまったと苦虫を噛み潰したような顔をするだろうと思っていた。でも、彼は顔色を変えることはなかった。

 そして、彼は私の秘密を暴いてしまった代わりと言って、彼の秘密をぽつぽつと話し始めた。

「俺にはさ、初恋の子がいたんだよね」

 ピアノ弾きだという少女のことだろう。彼が話す内容は、だいたいこういうことだった。相手がピアノの神童であったこと。屋上で偶然出会って友達になったこと。彼女がひどい事故に遭いピアノを元のようには引けなくなってしまったこと。クリスマスの前日にラブレターを靴箱へ忍ばせたこと。

 私はいつの間にか身を乗り出すようにして、彼の話に聞き入っていた。

「それで? 結果はどうなったんですか?」

 彼はゆるく首を振った。

「どうして? もしかしてラブレターに気付かなかったとか」

「それはないだろ次の日見たら失くなってたし。自殺だってさ。転落死だったんだ。用務員さんが見つけたって。その日は学校が休みになって次の日集会があったあと冬休みになったよ」

 恋人が違う人であるから振られていることは明白であったけれど、まさか亡くなっているなんて。いくら私の秘密との交換条件だとはいえ、辛いことを話させてしまったことに後悔した。

「ごめんなさい。辛いことを話させてしまいました」

「いいんだ。そんなに嫌だったかな……俺からのラブレター」

 そんなことはない。数日しか行動を共にしていない私が保証するんだ。きっと初恋の彼女だって彼を大切に思い、救われていたはずだと私は思った。

 突然、彼は私の手をつかみじっと見つめてきた。

「リア。ちょっとこれから付き合ってくれないかな」

 面食らってしまったが、断る理由もない。私は二つ返事で了承した。そうして、たどり着いたのは霊園だった。

「初恋の人のお墓参りですか?」

「あぁ、お前にも見て欲しいんだ」

 彼は何かを確信したような顔で進んでいく。私は、その後ろを、ただただ着いていくことしか出来なかった。やがて彼は立ち止まる。ひとつの墓石の前で。

 その墓石にはこう書かれていた。西園真理亜の墓――と。

彼は振り返るその目は潤みきっていて、今にも泣き出してしまいそうだ。彼は叫ぶ。声の限り私に向かって。

「なぁ。お前。西園……なんだろ?」

「違う。私は……ちがう」

「似過ぎてんだよ! なにもかも。見た目も! 仕草も!」

違うの。私は違う。リア。私はリア。西園真理亜なんかじゃないの。頭が痛い。立っていられない。まるで水の中のように息ができない苦しい。苦しい。ズプリズプリと私という意識が沈んでいく。深い深い海の底。光の届かないその場所へ。そうしてようやく。





『私』が目覚めた。





 目の前には、あの頃の面影を残したまま成長した彼がいる。また彼と会うことができるなんて、それはひどく悲しいことだ。

「西園……なのか?」

「そうかもしれない。私はあなたの言う彼女の成れの果て。ただの残滓に過ぎない」

「そうだとしても!」

 私は彼の唇に人差し指をあて、呟いた。

「続きはあの場所で。待ってるから」

 彼が頷いたのを確認して、私は頭を整理するために飛んだ。






 かつて、私は神童と呼ばれていた。誰が呼び始めたのかは分からない。ただ、私はお父さんとお母さんが喜んでくれるからピアノをがむしゃらにやった。私は飲み込みが悪くなかった。もしかしたらピアノを弾けてしまったことが不幸だったのかもしれない。神様は人間のことが大好きで……大嫌いだったのだ。

 私はピアノで賞を取り続けた。賞賛する人もいれば疎んじる人もいた。小学生になっても、中学生になっても私には友達と呼べる人がいなかった。それもそうだろう、人付き合いの悪い暗い女と誰が付き合ってくれるだろう。そんな私に良い転機、そして運命の分岐路がうまれたのは高校だった。

 私は一人の少年に出会ったのだ。たまたま行った屋上で彼はフェンスを背にして座っていた。

「こんなところで何をしてるの?」

「ピアノを聞いていたんだ。君の演奏だろ? すごく良かった。この前のコンクールで初めて聞いたんだ! それからファンになっちゃったんだよ」

 彼は面と向かってそう言う、私は赤面しているだろう。こんなことをはっきり言われたのは初めてだった。

「私、そんなこと初めて言われた」

「皆、遠慮してるんだよ。西園さん、いつも忙しそうだから」

「そうかなぁ。私付き合いとか悪いし、嫌われてると思ってた」

 信じてもいいのかな。彼の言葉は暖かかった。ゆっくりと私の心の氷を溶かしていくような温もりがあった。

「じゃあ。第一歩として、俺と友達になってよ。そしたら、たくさん、君が知らなかったことを知れるかもしれない」

 彼は太陽のように笑う人だった。私は自然と頷いていた。

「うん。あっ、でも私、あなたの名前知らない」

「俺は白崎。白崎弾。よろしく、西園さん」

 私はその日、友情を知った。



 私たちは色々なことを話した。悲しいことも嬉しいことも。とても楽しい時間だった。私が人に溶け込み普通の女子高生のようなことができるようになったのは全部白崎くんのお陰でした。とても幸せでした。だからかもしれません。浮かれ過ぎていたのかも。罰が当たったんだ。私は幸せになってはいけなかった。

 私は事故に遭いました。原因は運転手の居眠り運転。レッスンの帰り道。確かに信号機は青で左右を確認しました。あの時車が止まらない事を確認していたら、変わっていたのかも。詮無きことです、時間は不可逆でもう後戻りなど出来ないのですから。私は一命を取り留めました。でも、もう二度と以前のようにピアノを弾くことは出来ないと告げられました。

 神童はただの人になったのです。二十になる前でしたけど。私はアイデンティティの喪失に恐怖した。私にはピアノが全てだったから。両親の顔も、彼の顔も、見ることは出来なかった。皆の失望の顔が怖い。何もない私を愛してくれるはずがない。捨てられてしまう。私のことを哀れみの目で見ないで。同情しないで。遠まわしに見られるのが嫌だった。はっきり言って欲しかった。傷を舐められたいわけじゃない。私が私であることを認めて欲しかった。

 学校に登校できるようになったけれど、皆がいつもと同じように接してくれるのも辛かった。白崎くんもいつも通り、期待してたから余計失望が大きかったのかもしれない。

 私は以前のようにがむしゃらにピアノを弾いた。再び認めてもらうために。

「なぁ西園。もうやめようよ」

 何も喋らないでよ。雑音なんだ。

「見てて痛々しいよ」

 うるさい。うるさい。うるさい。

「なぁ」

 ガンッ。低音が鳴り響く。激情が渦巻いている。もう何も聞きたくない私は走って逃げた。防寒もせず。雪の降る町を駆け抜けた。頬には涙が流れていた。

 家に帰ると布団へと転がり込んだ。事故に遭ったあの日から両親とは最低限の会話しかしていない。


 翌日。私の靴箱の中には可愛らしい便箋が入っていた。中身は有り体に言えば、ラブレターだった。私には彼の意図したことはわからない。彼は責任を感じているのかもしれない。私は彼をこんな私に縛り付けたくはなかった。

 それから、夜遅く家を抜け出し学校へと忍び込んだ。

 そして私は飛んだ。走馬灯なんてなかった。堕ちゆく中、両親の顔も彼の顔も思い出すことは出来なかった。なんて薄情ものなんだろう。結局私は自己愛の為に死んだのだ。彼を私に縛り付ける結果になってしまったことに最後まで私が気付くことはなかった。








 ゆっくりと彼が階段をのぼってくる音がする。私は彼に伝えなければならない。私のありったけを。

「西園……なんだよな」

「うん。白崎くんは、随分かっこよくなっちゃったね」

「俺なんて、全然変わってないよ。それよりも! なんで。死んだんだよ」

「私はね。たとえ独り善がりだったとしても、同情されたくなかったんだ」

 これは、ほんと。彼にラブレターをもらった日。私は同情されたと思った。彼と対等な立場でいれないことが悔しかった。彼に守る対象としてしか見られていないことがどうしようもなく腹立たしかった。

「誰も同情なんかしてない! 俺だって」

「それでも、私はそう思っちゃったんだよ」

 彼はひどく傷ついた顔をして俯いてしまった。私はなんて非道い奴なんだろう。それでも、これは彼のためなのだと、自分に言い聞かせた。

「あの時の、返事をさせて欲しいの」

「告白の?」

「そう。私は、私は」

 あなたの笑う顔も、泣き顔も、ちょっと怒りっぽいところも。優しくて強いところも、女の子に優しくされてデレデレしちゃうところも、全部。全部。

「大嫌いだったよ」

「そんな顔で言っても説得力ない」

「うん。でも君には前を向いて欲しいから。私は、もう君の未来に関われないから。だから、君は君の幸せを掴んで欲しいんだ。最後まで勝手だね。ごめん」

「ほんと。今も昔も、お前はいっつも勝手だよ」

 私の体の周りを光の粒が舞い始める。そろそろ時間切れだ。

「戻るのか?」

「うん。これが最後」

「そっか。俺は前を向くよ。もうお前のことは見ない。だから、これが一生のお別れだ。じゃあな」

 最後が彼の笑顔で良かった。彼ならもう大丈夫。きっと前に進んでくれる。だから、もう安心だ。

 

 気付けば私は天界にいて、目の前にはあの大男が立っている。

「おう。ようやくお帰りかい。気分はどうかな?」

「折角いい気分だったけれど。最悪だね」

「彼のその後。みたいだろう? もう下界はクリスマスだよ。それにしても、律儀な男だねぇ」

 そういって大男が持っている水晶玉を覗き込むと、私が選んだデートコースとは全く違うもので、恋人をエスコートする彼の姿があった。

「そういう律儀なところも、私が好きだったところだから」

 大男は私の顔をちらりと見てため息をこぼす。

「君も知っていると思うが」

「私、消えるんですね。天使に、人間としての感情や人格はいらない。ただ無垢で純粋であればいい。そうでしょう?」

「あぁ、そうだ」

「今回は私に対する罰だった」

 大男は何も語らない。ただ水晶玉を見ているだけだ。

「そして、唯一の救いでもあった」

 私は晴れ晴れとした気分だった。たとえ消えるのだとしてもそんなものはもう気にならなかった。リアのことは少し心配ではあるが、きっとこの男がなんとかしてくれるだろう。私も、ようやく前へと進むことができる。

 ふと隣を見上げると、男は今までに見たことがないような慈愛の表情で、私のことを見つめていた。

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