第5話 クマガイウス

 「い、いしまるしゃん」

 「おや」


 前回の事件、クマガイに洗剤をぶちまけてから3日が経った日のクラブソドマの控え室。

 掃除をサボってゴカイドウと駄弁っているイシマルに、幼い少女が尋ねてきた。

 この一週間、イシマルを見るなり逃げ出していた野生動物のような少女が、自分の方からイシマルに話をかけてきたのだ。ゴカイドウはその事実に素直に驚いていた。

 逃げることなく話を掛けてくる少女の姿に、イシマルは一週間に及ぶ苦難の日々を思い出し、感激で涙でも流しそうになったが、ぐっとこらえてヤミポルを迎えた。


 「よお、来たのか」

 「こ、こんにちは。けほけほ……」

 

 初めて口を利いたその次の日、ヤミポルは自らイシマルに近付こうとはしなかった。ただ、挨拶をしてくるイシマルを見て逃げようともしなかった。

 反応に困って慌てるヤミポルに、イシマルは焦ることはないと思い、その日は挨拶と、激励の言葉だけを残して退場した。

 またその次の日、挨拶をするイシマルに、ヤミポルがもじもじしながらおにぎりのお礼だと言って、包装がくちゃくちゃになったお菓子を渡して来た。他でもない、イシマルが餌作戦で使ったそのお菓子だった。

 昨日の我慢が功を奏したことを確認したイシマルは心の中でガッツポーズ取り、明日は自分がお礼をしたいから控え室で待ってるという言葉と共に、自分の名前を教えた。半ば強引な約束にヤミポルは戸惑ったようで、どもりながら自分の名前を伝え、とことこと走り去った。

 強引だったのかと、イシマルは焦ったが、このくらいの積極性は必要だと自分に言い聞かせ、ヤミポルを信じてみることにした。

 そして今日は、約束通りに少女はイシマルに会いに来たのだ。


 「座ってな。お礼の品がすぐ到着するはずだから」

 

 イシマルは嬉しそうにヤミポルを呼び寄せて、なかなか座ろうとしない少女を椅子に座れせた。

 一方的に待っていると言うイシマルを無視できないから来てはみたものの、これからなにが起こるのか、お礼とはいったいなにか、どれもまったく見当もつかないヤミポルは、なぜか急に怖くなって萎縮してしまった。

 もしかしたらいじめられるのではないかと、少女はもう逃げたいと思い始めた頃、


 「いっちゃんいるー?」

 「ひうっ?!」


 タカネが控え室のドアを開けて入ってきた。


 「今日もキレイだねタカネくん」

 「もう、おじいさんったら~」

 「毎回やってて楽しいかよ」


 イシマルとゴカイドウがタカネを迎えるが、彼女の登場を予想してなかったヤミポルは、びっくりして椅子から降りては捕食者を前にしたウサギのように固まってしまう。顔馴染みで言えばここ数日で知り合ったイシマルよりもよほど馴染んでいるはずのタカネなのに、接点が少ない―タカネの方で避けたからではあるが―故か、少女は見知らぬ人を対してるように緊張していた。


 「まあ、本当にヤミちゃんもいた」


 ヤミポルほどではなかったが、タカネも少女を見て驚いた。

 イシマルから彼女と打ち解けたという話を聞いてはいたが、まさか本当に一緒にいるとは思わなかったからである。

 彼女は頑張ったなと感心しながら、持ってきたものをイシマルに渡した。


 「はい、今日はサンドイッチだよ~」

 「へい、まいどあり。さあ、お前も――」


 今日もありがたくタカネの差し入れを受け取ったイシマルは、緊張で固くなっているヤミポルに手を伸ばした。


 「けほけほ、な、殴らないで……」

 

 しかし自分に向けられた手にいい思い出がなかったヤミポルは、とっさに頭を手で覆って目を瞑った。学習によるものだっただろうが、それは見ていて気分がいいものではなかったので、イシマルは少し強引にその手を下ろさせ、そこに唐揚げ入りのサンドイッチを握らせた。


 「殴らねえよ。お前も一緒に食べるんだよ」

 「ひゃっ!……あれ?」


 予想とは違い、自分の手より大きいサンドイッチを渡されたヤミポルは混乱していた。

 サンドイッチを持ったヤミポルが何事かとイシマルを見上げると、彼はそれを食べるように少女を促した。


 「いいから食べてみなって」


 しかしまだ戸惑っているのか、それともサンドイッチに嫌いなものでも入っていたのか、ヤミポルはそれを口にしようとしなかった。

 仕方なく、イシマルはヤミポルのサンドイッチを少しちぎって、一口で食べてみせた。


 「もぐもぐ、ほら、別に毒が入ったりしねえよ。……しねえよな?」

 「いっちゃん、毒好きだったんだ。参考にするわ」


 楽しそうにやり取りしているイシマルを不思議そうに見つめるヤミポル。

 イシマルは自分のたまごサンドをガブッと噛んで、それを真似するようにヤミポルを促す。すると思わず彼を真似て唐揚げサンドを食べてしまったヤミポルは、コンビニのものとは比較のならないその味に、思わず感動して喉を鳴らす。

 その姿を満足気に見ていた他の3人もそれぞれのサンドイッチを手にとって食べはじめ、こうして一見ではどんな集まりなのか見当もつかない四人の食事会が始まった。


 「まあ、今更だけど、こいつが怖いんじゃなかったの」


 食事をしながらの他愛のない雑談の中、ふと思い出したようにイシマルがタカネに聞いた。

 それは気さくな態度でヤミポルを対するタカネの行動を疑問に思っての質問。嫌味っぽくなってしまうったのは彼の意図したものではなかったが、つい先日まで関わらないほうがいいと何度も話していたタカネが、今こうやってそのヤミポルと一緒に食事をするというのはたしかにおかしいものがあった。


 「別にアタシだって本気で信じたわけじゃないわ。ただ、新人が店でやっていくため、必要な方を選んだだけよ。冷たいと思って結構だけど、所詮は他人だったから仕方ないじゃない」

 「じゃあこれからも同じってことか?」


 嫌味と受け取って拗ねたのか、タカネは少しツンとした態度で答えた。

 イシマルはその些細な変化は気づかず、彼女の言葉の表面だけを取ってまた無神経な質問をする。そんな無頓着な友達の弟に、タカネはため息をついた。

 

 「はあ……いっちゃんはたぶん童貞のまま死ぬわよ」

 「ちょっ、なにを?!」

 

 不意に貶されて衝撃受けるイシマルを無視して、タカネはこっちの機嫌を伺うようにサンドイッチを食べているヤミポルに話をかけた。


 「こんなに気が利かない男もなかなかないわ。ねえ、ヤミちゃん?」

 「は、はう?!」


 自分に話をかけるとはまったく思っていなかったヤミポルは、驚き過ぎて手に持っていたサンドイッチを落としてしまった。


 「あらあら、ごめんね~、許してくれる?」


 急いで落ちたサンドイッチ拾い、そのまま食べようとするヤミポルを止めたタカネは、代わりにサンドイッチを片付け、新しいものをヤミポルに渡しながら少女に謝った。

 驚かせたことに対する謝罪なのか、それとももっと別の意味があるのか。その謝罪の意味を理解したのかヤミポルは柔らかい笑顔で自分を見つめるタカネから視線を逸したが、その代わり小さな声でタカネに伝えた。


 「けほけほ……だ、だいじょうぶです……」

 「ありがとうね」

 

 謝罪を受け入れてくれたヤミポルに感謝し、その頭を撫でるタカネ。体を触れることに慣れていない少女はまたビクッと強張ったが、優しく撫で続けるタカネの手つきによって徐々に体の緊張を解された。

 その姿が愛らしくてたまらなかったのか、タカネは嬉しそうにヤミポルに抱きついた。


 「うんもう~!かわいい!」

 「ぎゃう!」

 「おいおい……」


 いきなり抱かれてヤミポルがうなり声をあげたので、イシマルはタカネを止めようとしたが、タカネに抱かれたヤミポルの顔が戸惑ってはいても嫌そうにしていないことに気づいて、そのまましておくことにした。

 イシマルと一緒にタカネとヤミポルを見守っていたゴカイドウが、イシマルに訊いた。


 「はて、少女も触れ合える相手を得たことで、めでたい結果になったように見えるが、君の目的は達成されたのかね?」

 「いや、まだなにも達成してねえがな」


 歓楽街の風俗店に住む、他の誰とも馴染めずに毎日を過ごしていた少女に、話が出来る相手が3人も出来たのは紛れもないいい話だったが、イシマルが清掃業者と身分を偽りながら風俗店に潜入していたのはそんな心温かい話を作るためではない。ヤミポルに近づいたのはあくまで本来の目的、神やら悪魔やらで滅茶苦茶になった日常に対する補償を受けること、それを叶えるためであって、その以外のどんな意図も、イシマルは持っていなかった。

 

 「まあ、そうだとは思ったよ。しかし少女と近づかないと達成できない目的なんて、この老人には皆目見当もつかないものだ」

 「だから別におかしなことをするわけじゃねえって」


 目的を明かさないことに対する皮肉に、イシマルはうんざりした顔で答えた。

 実のところ、まだどうするべきかイシマル自身もわかっていなかった。自分が持っている石の塊をどうやって金塊に戻すのかエオスに聞いたところ、とりあえず近づかないと話にならないと教えてもらえなかったのだ。だからヤミポルが口を利いたその日からエオスを探していたのだが、どうしたものか今日まで彼女は姿を見せなかった。


 (どっかでやられてくたばってるんじゃねえだろうな……)


 情けというよりは自分の努力が無駄になることを懸念してエオスの身を案じるイシマルは、もしもの場合はどうしたらいいのかと、浮かない顔でタカネ達に視線をやった。

 タカネはまったく手入れされてない、鳥の巣のようなヤミポルの髪を喜々として梳いている。初めて髪を梳いて貰っているせいか、そわそわしているヤミポルにタカネが言った。


 「もう、女の子だから髪はちゃんと手入れしないとだめよ?」

 「す、すみましぇん……けほけほ」


 責めているわけでもないのに反射的に謝るヤミポル。

 その様子を見ていたゴカイドウが、気になっていることを少女に訊いた。


 「しかし咳が止まらんのは、なにか病気でも患っているのかね」


 イシマルもその音でヤミポルを職別することが出来てしまうほど、彼女の特徴となっている咳。

 いつになっても少女の咳が止まらないことが、ゴカイドウは気になっていたようだった。そしてそれはイシマルもまた同じだった。


 「か、風邪だって、おじさんが……」

 「風邪ね……」


 イシマルはヤミポルが言うおじさんというのが誰を指しているかは分からなかったが、少女が自分の咳の原因を知る機会がなかったことだけは理解した。

 聞いた話ではヤミポルが咳をしなかった日はほぼないという。咳以外には症状を見せていなのでそれほど深刻な病気ではないと思っていたが、もしかしたらタカネが話していた噂がまったくのデタラメではないかも知れないと、イシマルは思った。

 「来たか」

 「おかえりー」

 

 いつものようにミシマの部屋に帰ったイシマルを、片手にビールを持ったエオスとミシマが迎えた。

 気持ち悪いほどの既視感を覚えたイシマル。なに呑気にくつろいでいるのかと、彼はエオスを問い詰めようとしたが、その言葉さえも既視感を覚えさせたので結局突っ込むことはなかった。

 その変わり、イシマルは今まで姿を見せなかった理由を追及した。

 

 「お前、ここんところどこ行ってたんだよ。必要な時は消えやがって」

 「我も暇ではない。毎日来て欲しいのか?」


 人の酒飲んでくつろいでいるやつがなにが忙しいのかと反射的に言い返そうとイシマルは、壁の向こうをにある倉庫を思い出して言葉を選んだ。


 「いや、毎日来られても困るけどよ」


 倉庫の中には、いまだ二体のエオス死体が保管されていた。誰も使ってないとは言え、万が一その中身を誰かに見られでもしたら騒ぎどころでは済まない状況。幸い、どういうわけか腐らないという点だけが救いだった。

 明日になると3体に増えるのかと、イシマルが悩ましい顔をしているところ、ミシマがふいにハルカのことを思い出して疑問を口にした。

 

 「そういえばイッシー、期日過ぎたのにハル姉から連絡がないなんて珍しいね」

 「あ?……たしかにそうだな」


 ミシマの伝言通りなら、ハルカがイシマルに与えた期日は五日だった。だがとっくに五日は過ぎていた。普段ならどこに隠れようともイシマルを必ず見つけ出してその期日の約束を絶対的なものにするのがハルカという人間なのに、いまだなんの音沙汰なしというのは、イシマルにとって安堵と共に不気味さを感じさせた。


 「一回、戻った方がいいんじゃね?」

 「いや、よくねえ」

 

 ミシマもハルカが姿を見せないことに違和感を感じてイシマルに帰宅を勧めたが、音沙汰がない姉の身辺に対する心配よりも、大怒状態の姉に会ってしまうことの方が心配だったイシマルはその提案を断った。便りがない間は下される鉄槌もないということ。その場しのぎな心持ちではあるが、それがイシマルの最善だった。

 姉の問題など考えていても仕方がないと、イシマルはやけに彼を帰らせたがるミシマの話を流し、エオスに話を戻した。

 彼女がいない間の詳細を説明するイシマル。ヤミポルの止まらない咳や、少女に関する噂を聞かせると、エオスは目を光らせてイシマルに言った。


 「たぶん彼女は『疫病』の騎手だ」

 「なんだそりゃ」


 話が長くなりそうと思ったイシマルは、いつものようにベットに寄せかけて楽な姿勢を取る。

 ミシマが投げたビール一本を受け取ったイシマルは、エオスが来てから毎日ビール出すミシマにビールの在り処を聞き出そうとしたが、どう攻めてもミシマはその在り処を吐かなかった。


 「『疫病』、『破壊』、『嫉妬』、『浄化』。終末において四名の騎手の役割だ」

 「恥ずかしいセンスだな」

 「聖書にも乗っているんだ。読んだことないのか?」

 「そんなもん読むかよ」

 

 漫画とエロ雑誌以外は読んだことがないのが、彼の誇りでもある。

 閑話休題、エオスの説明を聞いたイシマルは、疫病の騎手という言葉が暗示するものに思いを馳せて、ヤミポルに対する認識が少し慎重になった。終末の騎手という聞き慣れていない言葉より、ヤミポルの見た目で彼女を判断していたのだが、エオスの言葉を聞くと不安になるものがあった。


 「……疫病の騎手っつう奴は、近づいた人を病気にしたりするのか?」

 

 彼が迷信だとバカにしていた噂。面倒を見ていた女たちが次々と病気になって言ったということがもし事実なら、無闇に近づいたのか軽率だったのではなかったのか。そう思わざるを得なかったのだ。


 「いや。因子は覚醒するまではただの情報に過ぎない。保有者個人の性向には影響を与えるが、それが周りに及ぶことはない」

 「ううん?おかしくね?その話なら本人は病気になるんだろ?なら感染者があってもおかしくねえはずだ」

 「性向に影響を与えるというのは、保有者が疫病、つまり病気や弱気によりがちな思考を持つようになるということだ。貴様が言っている彼女の咳は、おそらく、ただの空咳だ」

 「空咳……風邪に掛かっていると勘違いしてるってことか?」

 「さあな。そこまでは知らない」


 自分の懸念が無用だったいうのは喜ばしいものだったが、イシマルは何か腑に落ちない気分だった。しかしそれ以上考えていても答えが出るわけでもなかったので、頭を切り替えて、彼は待望の本題に入ることにした。

  

 「それはともかく、てめえの言う通りに近づくことに成功したから、早く次の手順を教えろや」

 「言ってはずだ。親しくなれと」

 「だからいつまで友達ごっこしてればいいんだよ!」

 「信頼を得るまでだ」


 なにも変わったことはないと、エオスは自分を駆り立てるイシマルを諌める。

 だがそんな言葉で納得するイシマルではない。彼は非難がましい大きな声でエオスを迫り立てた。


 「曖昧過ぎるだろ!信頼を得たかどうかどうわかるってんだ?!」


 切れたイシマルの言葉には一理があった。もっぱら蔑ろにも出来ない彼の言葉に、エオスは少し考えるふりを見せ、自分だけ納得したように頭を頷くと、どこから出したのか銀色の指輪をイシマルに渡した。


 「この指輪をはめるようにその子に頼んでみろ。受け入れるなら信頼している証拠だ」

 「なんでだよ」

 「そのような仕様になっている。これは渡した相手が信頼に値しないと拒否感を覚えるんだ」


 そんなものがあるならもっと早く出せと愚痴るイシマルは、受け取ったその指輪のえらく都合のいい能力が人間が作った技術ではないということに気付き、顔色変えた。


 「悪魔の能力か?」

 「そんなところだ」

 「能力戻ったのか?」

 「いや。これは作っておいたものだ」

 「ちっ」


 舌を打って惜しがるイシマル。

 もしエオスの力が戻っていたならこんな回りくどいことをせずに済むとイシマルは思っていたのだが、現実は彼を甘えさせてはくれなかった。

 とりあえずの目処は立ったもの、イシマルはまだエオスに聞きたいことが残っていた。というか、本当に知りたがっていたものは別のもの。彼は今では常備している石の塊を取り出して、エオスに訊いた。


 「この石も、指輪がはまらないと戻せないのか?」

 「いや、それは関係ないはずだ」

 「だったらそれを早く教えろや!」


 エオスへの協力よりも金塊のことを重要に思っているイシマルに取って、今までの話は全て蛇足に過ぎなかった。

 信頼云々が関係ないとしたら、明日すぐにでも自分は目的の品を手に入れることができる。そんな希望を目の前にぶら下げられて興奮したイシマルは、早く石塊を戻す方法を教えろうとエオスを急かした。


 「以前話した通り、その石塊の封印は騎手を認識することで解除できる。どれが鍵になっているかまでは知らないが、もしかしたら手で触れることだけで封印は解けるかも知れない。そうじゃないとしたら」

 「ないならなんだよ」


 いちいち間をいれるエオスにハラハラするイシマル。

 エオスは性急すぎる協力者をしょうがない奴だと頭を振った。


 「体液などが有力だろ」


 体液という言葉がピンとこなかったイシマルが具体的な例を求めると、エオスは言葉通りに体内の液体ならなんでも試す価値があるが、できれば血液が望ましいという返答を返した。

 望んでいた答えを得て盛り上がったイシマルは、万全な体調で来たるべき明日を迎えるために、真夜中の酒宴をお開きにして眠りにつこうとしたが、エオスがまだ話があると彼を引き止める。


 「ひとつ忠告するが、金塊の封印を解くのはまだ待った方がいい」

 「なんでだよ」


 水を差すような言葉に子供みたく不機嫌になるイシマル。

 低い声で、余計なことを言うなと圧力をかけるイシマルだったが、エオスはその圧力にまったく気づかず、真剣な顔で彼に伝えた。


 「もしかしたら因子に影響を及ばす危険がある。安定するように措置するまでは待つ方がいい」

 「ああ、わかったわかった」


 忠告するエオスを適当にあしらったイシマルは、エオスがまた別の話を始める前に、ベットに転がって目を閉じた。

 「これ、握ってごらん」

 「ふ、ふえ?このかたいのですか……?」


 人目を避けたクラブソドマの廊下の隅で、イシマルは少女ヤミポルに迫っていた。


 「そう、そっと握るだけでいい」

 「な、なんかこわい……」


 不審者のように周囲の視線を気にする様子を見せるイシマル。彼は荒れた呼吸を落ち着かせ、怖がる少女を安心させるようになだめながら、その手に硬いものを握らせる。


 「大丈夫だから。ほら」

 「うう、す、すべすべで硬い……」


 嫌がる子供にモノを強いる、あまりにもいかがわしい絵面。そんな乱れた行為を止めるべく、ふたりの助っ人がその場に介入してきた。


 「あらまあ、これは懲役何年分かしら?」

 「そうだのう……児童売春は五年以下の懲役だが、十三歳未満の場合は強姦罪が成立し、最大二十年というところかね」

 「まあ素敵」

 

 今日もナチュラルな美貌で店の人気を占めているタカネと、相変わらず憎たらしい図々しさでイシマルを疲れさせるゴカイドウが、珍しく一組になってイシマルの淫行を阻止しに来たのだ。

 二人が声をかけた時、イシマルは度肝を抜かれそうになって声を出そうとしたのをすんでのところで我慢し、脈打つ心臓の音が聞こえないようにわざとらしい咳をした。そして怪しまれる時間を与えないように、なにも後ろめたいことはない堂々とした―とイシマル自身は思う―顔で後ろを振り向き、自分の無実を主張した。


 「人聞きの悪いことを言うな。やましいことなんてなにもしてねよ」


 潔白だと言い張るイシマルに、ゴカイドウが詮索を入れる。


 「つもりはあるのかね」

 「つもりもねえよ!」 


 事実、絵面がどうとは言っても、イシマルがしたことはただ石の塊をヤミポルに握らせただけだった。

 それは紛れもなく石塊の封印を解くための試み。昨夜、エオスの忠告があったにも関わらず、イシマルは金塊への欲が先走ってヤミポルに出会って早々、エオスが話していた封印解除の術を試しているのだ。なにしろ彼女は常に言葉が足らない。危険がどうと言ってもはっきりとした根拠がない以上、行動を止める理由にはならないと、彼は思っていた。

 そんな彼が行動の無実を主張しながらも人目を避けていた理由は、もし試みがうまく行ってその場で石が金になってしまったら誰に狙われるか知ったものではないという、あまりにも欲にした理由。手に触れさせるという方法では石が反応しなかったから良かったものの、いまこの瞬間変わっていたなら大変だったと胸をなでおろすイシマルだった。

 タカネは落ち着かないイシマルを疑問に思いつつ、彼の手に握られたものについて興味を示した。


 「なにそれ?」

 「ただの石だよ」


 石を隠しきれず見つかったことをまずった!と思ったイシマルが素早く石をしまおうとしたが、時はすでに遅く、タカネは彼の手を動けないように掴んで石の塊を注意深く観察し始めた。


 「なんか、金の延べ棒みたいな石だね」

 「っ!……そ、そうかな?」


 石の塊の形が金の延べ棒に似ているとタカネが気づくまでにはそう長い時間はいらなかった。なにせ金塊がそのまま石へと形質を変換させたもの。形が変わったわけではないので、単純でありながらもユニークなその形に気づかないほうが難しいというものだった。

 だがその単純な推測につい焦ってしまうイシマル。いつもクールな態度を意識して行動しようとする彼にしてはあまりにも不自然な返しをするが、その不自然さに驚いたのはタカネの方だった。


 「え、なにいまの」

 「な、なにがだよ」


 タカネがイシマルと知り合ったのは姉弟の母親が入院した3年前からで、長い付き合いとは言えないが、それなりに人を知るには十分な時間だった。そしてタカネが知る三年のイシマルの中に、ここまで不審な様子を見せる男はいなかった。


 「『っ!……そ、そうかな?』なんて三流小説みたいなごまかし方、アタシは演技でもできないわよ」

 「うぐっ」

 

 思えばクラブソドマで会った初日から、イシマルの行動は不審としか言いようがなかったと、タカネは思った。だが互いに―正確には姉と― 助け合う仲であるから、自分から話したがらないものは詮索せず、友達のよしみで差し入れを持ってきてやったりしていたのだが、ここまで好奇心を煽られては、タカネとしてはただ黙って見守ることも限界があった。彼女はもう傍観者の立場を捨て、ぐいぐいと問い詰めることを決めた。


 「隠し事?あからさま過ぎてちょっと傷つくなー。いっちゃんにとってアタシってその程度?」

 「そうだそうだ。ワシとの過ごした日々は無意味だったのかね」

 「あんたはただの他人だろうが!」


 面白半分にタカネに加勢しているゴカイドウに言い返す程には冷静を取り戻したイシマル。それを機に二人による審問を免れようとしたが、すでに好奇心に火かついたタカネの追及から逃れることはできなかった。


 「なにをそんなに警戒するの?たとえその石の塊が本当の金の延べ棒に変わるとしても、アタシは欲に目が眩んだりしないわよ」

 「ギクッ」


 石にこだわっているイシマルを見たタカネがあくまで例え話として話したことに、イシマルはこれ以上ない怪しさを見せながらぎくりとする。

 疑ってほしいと言うようなイシマルの反応は、あまりにも露骨過ぎてむしろ疑いを回避するブラフとして使えるような見事なものだったが、残念ながら彼の反応は素であり、そこに計算などは入っていない。

 

 「あら?」

 「ほほう」


 そしてその事実を、審問する二人はよく知っていた。


 「いや、本当になんでもないから。それじゃ」


 遅まきながら冷静を装って強行突破しようとするイシマル。だがタカネがそれを許すはずがなかった。

 状況を理解できずにおどおどしているヤミポルを残して、タカネはイシマルを捕まってゆっくりと話ができると場所に移動し、ゴカイドウはその後ろをハッハッハと笑いながら追う。

 結局、タカネの執拗かつ効果的な審問の末、今や三人の定番の集まり場となった営業前の控え室で、イシマルはことの顛末を素直に吐くはめとなった。

 

 「へえー、信じられない~」

 「そうだのう」


 やけになったイシマルは神のことからエオスのことまで、全てではないが、ほぼ全貌にちかい事実を包み隠さず話した。

 最初はイシマルがふざけていると思っタカネが脅しをかけたりもしたのだが、他の事実を持ち合わせていないイシマルの態度が変わらないことを見て、タカネ達は彼が嘘をついているのではないと納得した。

 だが信じがたい話であることは変わらないので、ふたりとも懐疑的な感想をこぼすと、イシマルはむしろそれこそ好都合だと、自分の信頼度を下げようとした。


 「だろ?だからもう気にしなくていいから」

 「でも本気でやってたんでしょ?」

 「必死だったからのう」


 だがその目論見も、余計なところで信頼を見せるふたりのお陰で無意味なことになった。

 

 「いやだから――」

 「大丈夫!話はわかったわ」


 なんとか戯言にしようと頑張るイシマルの話の腰を折って、タカネは任せてくれと自分に胸を叩いた。


 「いやなにが――」

 「大丈夫だって!お礼はほんの一摘みでいいから!」

 「なに、この歳になるとさほど金は欲しくはならんよ。一摘みでいい」


 ふたりがイシマルの話で食いついた部分は、やはり金塊の話だった。

 神に会ったとか、悪魔に会ったとか。そんな荒唐無稽な話を証拠もなくイシマルの話だけで丸ごと信じることなど、余程やさしい環境で育たなかったらできない。ただ、ふたりは必死的なイシマルの言動には相応しい理由があるはずということを理解しいる。金塊の話自体も信頼するには難がある冗談みたいな話だが、金の問題はいつだって人間を行動を合理的にさせる重要なモチベーションだった。だから面白半分ではあるが、ふたりはイシマルの話を信じることにしたのだ。

 イシマルの話がただのうわ言だったならそれをネタ話にできるし、本当だったなら、すこしのお礼を貰うだけの役得な話と、タカネは思っていた。

 

 「……なんでそうなるんだ」


 タカネとゴカイドウの反応が理解できなかったイシマルが疲れた表情で尋ねた。


 「可憐な少女に血眼になって迫る危険人物を見過ごすことはできないでしょ?」

 「なに、三人力を合わせれば、不可能はないさ」

 「……」


 もはや引く気な微塵もない、ふたりのゴリ押しの理由。

 タカネひとりでも厄介なのに、真夏の蚊のようにうざったらしく付きまとうゴカイドウとの組み合わせとなると、イシマルはどう返せばいいのか見当もつかなく、その場で黙り込んでしまった。

 つくづくタカネが苦手だと、イシマルは再確認した。

 あと、ゴカイドウと知り合ったのは人生の最大の欠点となると予感した。


 「で、なにをすればいいの?」


 興味津々になって話を急かすタカネ。

 この場にいてはどうやっても二人をはぐらかすことが出来ないと悟ったイシマルは、考えを変えることにした。


 「……体液が必要だってよ」


 意外と従順に答えるイシマル。

 なに、現物を所持しているのはこっちの方。いざとなったら有利なのは自分の方だと、イシマルは逆にふたりを利用してやることに計画を変えたのだ。

 「い、いいですけど……」

 「あら~ありがとう!」


 イシマルから顛末と計画の全てを聞いたタカネは、女の子の体液を成年の男が欲しがるなど、それこそ捕まっても文句言えないことだと言って、イシマルの代わりに自分がヤミポルに話をつけると買って出た。

 そしてイシマル達に置いて行かれた場所にそのまま立ち止まっていたヤミポルは、帰って来たタカネから話を聞き、なんと、一発で受諾したのだった。が、


 「で、でも!」

 「うん?」

 「か、かわりに、うちも、おねがいがあります……!」


 意外にも、他の人に声をかけることも気兼ねしていたヤミポルが、自分から条件を提示してきた。

 逃げられるか受け入れられるかの二択しかないと思っていたタカネとイシマルは、予想だにしなかったヤミポルの主張に驚きながらも、消極的だった少女の変化を肯定的に受け止めて話を聞くことにした。

 みんなの視線が集まったことで、ヤミポルはやはり緊張してなかなか話を持ち出せずにいたが、やがて腹を決めて口火を切った。


 「く、くましゃんをたすけてほしい……」

 「熊?動物の?」

 「ち、ちがいます」


 クマを助けてくれと言われ、市民団体の活動でも始めたのかとイシマルは思ったのだが、ヤミポルは頭を振って違うと言った。


 「クマガイさんのことでしょ?やみちゃん、彼をクマさんって呼んでるんだ」

 「はう?!くましゃんにはいわないで……」


 タカネがヤミポルの呼称を珍しがると、ヤミポルがやっちゃったと焦りながらタカネに秘密厳守を頼む。どうやら本人の前では言えない愛称であるようだ。

 ヤミポルが言ったくまさんという名前が指していた対象は、クマガイウス、クラブソドマを管理する組織の一員で、少女をこの場所に連れて来たと言われる人物だった。


 「クマガイ……あの顔に傷がある男だろ?」

 「そうよ」


 イシマルもすでに何回も彼に会ってはいたが、会う度に危機一髪の瞬間だったという記憶が、イシマルに警戒心と拒否感を覚えさせていた。

 ヤミポルのお願いというものに嫌な予感しかしないイシマルは、地雷を踏みに行く気持ちで少女に訊いた。


 「助けるって、どういうことだ?」

 「あ、あの……」

 

 ヤミポルの話は数日前に遡る。

 お使いを頼まれて営業中の店内を歩いていた彼女は、とある部屋の前で『クマガイね……あいつもそのうち見えなくしてやる』と言い出す男の声を聞いたと言う。誰がそんなこと言ったのか気になって仕方なかったヤミポルは、お使いも忘れて数十分を隠れて待ち、ついに部屋から出てくる男の姿を確認できた。

 店の女に出てきたその男は、山のような図体と険悪な顔、そしてきな臭い服装を着ている、暴力と犯罪のために生まれてきたと言っても過言ではない容姿の男。忘れもしない、ヤミポルが粗相をして大変な目に会った、ゴウダという男だった。

 つまり、ゴウダがクマガイに害をなそうとしているとのこと。それを偶然聞いてしまったヤミポルはクマガイが心配になった。居ても立ってもいられなくなったヤミポルは、なんどもクマガイにこのことを話そうとしたが、相手もされていない模様。だから、何かが起きる前にクマガイを助けてほしいというのが、ヤミポルのお願いだった。


 「……」


 話を最後まで聞いたイシマル達はすぐに返事することなく黙り込んだ。

 ヤミポルがお願いがあると言った時に、こういうことを頼まれるとは誰も思わなかったのだろう。沈黙する三人を見てオロオロしているヤミポルを見兼ね、イシマルが口を開いた。

 

 「いや、無理だろ。裏世界のあれこれに、俺たちみたいな一般人がなにができるって言うんだ」

 「まあ、ね」


 いわば犯罪組織内の内輪揉め。一般人ではなくとも、そんなことに首を突っ込みたがる人はいない。

 タカネもさすがにヤミポル肩を持つことはできず、イシマルに同調した。

 

 「そ、そんな」


 親に捨てられたかのような心細い表情をするヤミポル。

 絶望の淵に沈みそうな少女に、イシマルが言葉を加えた。


 「ていうか、それってただの冗談じゃねえの?ここってそのクマガイも頻繁に現れるんだぞ?本当にどうこうしようと考えてんなら、そんな不注意なこと言わないだろ」


 あるのは少女の推測だけで、確たる証拠がないというイシマルの話に慌てるヤミポルは、ゴウダが現れたその日からクマガイの様子が普段に比べてかなり疲れて見えたという話をした。

 しかしそれもまた推測に過ぎない話で、そんな物を根拠にしては誰も信じさせることはできないとイシマルが忠告すると、ヤミポルは世界が終わったような顔で落ち込んだ。

 今にでも泣き出しそうなヤミポルを見て、タカネがイシマルの背中を叩く。なんとかしろという意味だったが、イシマルだって泣かせたかったたわけではないので、かなり困惑していた。

 イシマルは、とりあえず話を逸してみることにした。


 「こういっちゃなんだが、なんで助けようとするんだ?仲がいいようには見えなかったが」


 つい先日、クマガイがヤミポルを突き放す―自分のせいではあるが―ところを見ていたイシマルは、クマガイを助けようと必死になっているヤミポルが理解できなかった。


 「くましゃん、い、いいひとだから……」


 もじもじと答えるヤミポルを見たイシマルは、自分の印象が断片的だったのかと、となりにいるタカネに訊いてみた。


 「クマガイっていいひとなのか?」

 「アタシもよく知らないわよ。あの人、必要なことしか言わない部類の人だから」


 タカネもよくわからないと言って肩をすくめると、状況を眺めていただけのゴカイドウが訊いてもいないことを語り始めた。


 「いいひとかどうかはワシにもわからんが、クマガイは裏世界ではかなり有名な男だよ。まだ成人にもなっていない時からこの世界に入って、喧嘩腕と度胸だけでノビトファミリーの重役になった凄いと男だという」

 「犯罪組織にいるのがすごいのか」


 人の武勇談にはまったく興味がないイシマルが皮肉を言うと、なぜかヤミポルが恨めしそうにイシマルを見上げた。

 よほど好きなんだろうなと、ヤミポルの視線に困っていたイシマルは、ふと凄い男だという話を用いて少女を納得させられるアイデアを思い出した。


 「なあ、クマガイがそんなに凄いなら、周りに気をつけるように注意するだけで十分じゃないか?俺たちも助けることは出来ないが、話をするくらいならどうにでもなるだろ。子供の話と大人の話では信憑性が違うからな。これでどうだ?」

 

 ヤミポルのお願いが助けてほしいというものだから難しく考えてしまったが、要は少女を安心させればいいだけの話。クマガイを凄いと思っているヤミポルなら、その信頼を利用しない手はない。危険なことなどせずとも、いくらでもやりようはある。

 そしてイシマルの思惑通り、涙ぐんでいたヤミポルは、言葉は出さず頭だけを頷いて彼の提案を受け入れた。


 「よし、それなら話は早い。終わった時にはいいツバを頼むぞ」



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