第3話 ヤミポル

 「イッシー、携帯なってるぜ?」

 「……あー。いい」


 薄暗い部屋で目を覚ましたイシマルは、自分に渡された携帯の着信を見て、電話に出ないでそのまま近くのベットに放った。着信欄に書かれた名前は『姉貴』となっていた。その内容は聞かなくても家の惨状と、イシマルが説明が面倒くさくなって昨夜に送った『いろいろあったが、俺は悪くない』というメールに対する説明要求であることは容易に想像できた。

 鳴り止まない携帯にうんざりしたイシマルは形態のバッテリーを抜いた。


 「いったい何があったんだよ?」


 イシマルに携帯を渡した男が、事情を聞く。

 彼の名はミシマルクス。イシマルのほぼ唯一と言える友達で、彼と中高生の時期を一緒にした幼馴染でもあった。

 ミシマはイシマルが住むマンションと同じ地区にいる、とある派遣会社で住んでいた。会社に住んでいるというのは、簡単に言うと高校卒業後、世話になっていた叔父の家を出たミシマはその後しばらく路頭に迷っていたが、偶然にも勝手に入り込んでいた建物が彼の遠縁の親戚が運営する会社だったため、色々あって住み込みのバイトとして雇われ、会社の空き部屋を住処として得られたということだ。聞くだけなら涙ぐましい美談であったが、ミシマの給料はタダ働き同然の額だった。

 とにかく、ミシマが一人暮らしをしていることは寝床を失ったイシマルには好都合だったので、昨夜、彼はミシマを訪れて一晩の屋根を要求したのだ。

 ちなみにイシマルはバイトをやめることとなった。事が事がなので休みを貰おうとしたのに、それはだめだと一点張りの店長に腹を立て、勢いにまかせて日頃の鬱憤を吐き尽くして辞めたのだ。非日常の空気にテンションが上っていたせいもあったが、やや論理力をうしなったイシマルは、懐にある四つの石塊を頼りに自分の行動に間違いはなかったと合理化させた。

 そんなこんなで太陽が天高く登ったところでミシマの部屋で目を覚めたイシマルは、詳しい事情を知りたがる友人に面倒くさそうに答えた。


 「いろいろだよ。それよりてめえ、また博打したな?」


 まだ眠気が取れないイシマルがベットの横に落ちていた馬券を見つけてミシマに突きつける。イシマルは間違っても友人の非行に憤る道徳的人間ではなかったのだが、彼がこうして友人の賭博行為を責めるのは単純にミシマが先月にイシマルから金を借りた張本人である故だった。


 「いやいやいやいや、それは昔のヤツだって!馬はもうやんないよ!」

 「本当なんだろうな?……とりあえず火貸せよ」


 債務者特有のわざとらしい間抜けた善人面で必死的に否定するミシマを、イシマルは訝しげに睨みながらタバコを一本取り出した。普段は喫煙などほぼしないが、ミシマに会うと彼のタバコを吸うのがお約束になっていた。

 ミシマからライターを渡して貰ったイシマルはタバコに火をつける寸前で止まり、ライターに書いてある文字を読み上げた。


 「なんだこれ。『クライシカジノ』……」

 

 ミシマがしまったとライターを回収しようとした時はもう遅く、イシマルは間合いに入ったミシマにヘッドロックを掛けた。


 「カジノだぁ?!」

 「物見物見!ちょっと物見してただけだって!」


 素人債権者と返す気のない債務者の徒労のアマチュアレスリングがしばらく続き、やがて疲れたイシマルがミシマを離してベットに寝転ぶ。


 「はあ……もういい」

 「え、返さなくてもいいの?」

 「ああ?!」

 「いや、なんでもないです」


 実のところ、イシマルはミシマからお金を返して貰えるとは思っていなかった。長く付き合っている故にミシマの金遣いなどとうの昔に知っていて、そんなミシマに金を貸すなどの行為は天地がひっくり返ってもありないと常に思っていた彼だが、先月の場合は状況が違った。金を失くしたのはミシマだったが、それで被害を受けるのがミシマの妹だったからだ。そしてイシマルは、ミシマの妹に一言では言えない負い目のような感情を抱いていた。

 とりあえず取り立てが終わったことを確認したミシマは、機嫌を取るようにイシマルに朝ごはんを用意した。イシマルは悪態をつきながらも部屋の真ん中に用意された小さな食卓につき、遅い朝食として出されたカップ麺を食べ始めた。


 「ミシマ、確かこのカジノって隣の歓楽街にいるんだよな」

 「うん。興味ある?」


 一言多いとイシマルが睨むとうつむくミシマ。

 イシマルはポケットから紙切れを取り出してミシマに見せた。


 「この名前の店知ってるか?」

 「どれ、あ~ここね。もちろん――……イッシー、ついに童貞捨てる気なん?」

 「ちげえよ、バカヤロ。あと童貞じゃねえ!」


 イシマルに聞かれた店が風俗ということに気づいたミシマは、摘んでいた麺を落とすほど驚いて、感慨深く目を光らせながらイシマルを見つめた。

 一方イシマルはそんな視線と童貞という言葉に辟易して逆上する。


 「だってりっちゃんはやってないって――」

 「その話はするなって言ったろうが」


 有無を言わせないイシマルの視線に、ミシマは大人しくカップ麺に戻った。


 「はあ……ちょっとこの店に用事があるから、お前が知ってんなら案内して貰おうと思っただけだ」


 イシマルが風俗店に用事が出来たのは、当然昨日の出来事が原因であった。

 裏小路でエオスに協力することを決めたイシマルは、彼女から終末の騎手に関する情報を聞いた。


 『騎手が神に見つからないようにしたのは我だ。二人は国内に、二人は外国にいる』

 『外国だ?まあいい。国内ってどこだよ?まさかクソ田舎とかじゃないだろうな?』

 『一人は近くにいる。隣区のこういう名前のお店にいることを確認している』

 『おい、これって……まあ、いい。それで?どんな人なんだ?』

 『我も会ったことはない。お前の持っているその呼び子が反応するはずだ』

 『適当だなおい……じゃあ、会ったらどうすればいいんだ』

 『貴様がやるべきことは、騎手と接触し、親しくなることだ。それに加えて呼び子は絶対に吹かないようにすること』

 『親しくなる?そんなんで終末が防げるのかよ』

 『今のところはそれでいい』

 『お前はどうするんだよ』

 『我は一旦身を隠す。また襲われたらたまらないからな』

 『ちっ、完全に押し付けじゃねえか』


 その後、エオスと別れたイシマルは一回マンションに帰り、部屋がどうにもならないと悟ってミシマを訪ね、今に至る。

 ミシマは道を案内して欲しいというイシマルの要請を快く承諾した。

 

 「いいぜ。……あ、僕いまお金ないけど」

 「だからやらないっつの!」

 アダチ・インフェリオールは、都市外でも名の知れた有名な歓楽街だった。当然このような街に付き物である裏社会の人間たちがわんさかと集まっているが、意外と治安はそれほど悪くない街だった。過去には利権を巡って頻繁な争いがあったというが、時間が経つに連れ目立つ勢力が一つにまとまり、今では安静化しているとのこと。それと治安が悪いと利益となる客の足も絶たれてしまうので、一帯を治める組織の方で治安を気にしているという言う。

 そんな欲望と快楽が交わる街も、昼はただ静かな街の姿をしていた。しかしメントゥラマグナがあった中央街とは違い、道ですれ違う人たちは馴染み深いとイシマルは思った。


 「うん?」


 イシマルはポケットに入れておいた呼び子が振動し出したことに気づいた。


 「これが反応ってやつか」

 「なんか言った?」

 「いや、なんでねえ」

 

 ミシマはイシマルの独り言に首をひねたが、詮索することなくイシマルを目的の店、『クラブソドマ』に案内した。

 見るからに軽薄なピンク色の看板と、その店に勤める女たちの肌色の宣材写真で飾られた壁面。営業は地下で行っているようで、入り口からすぐに地下に続く階段があった。

 

 「ここだよ。でもまだやってないようだぜ?」

 「確認に金は掛からんだろ」


 店に近づくに連れ、呼び子が振動を強めていた。騎手とやらがそこにいると確信を持ったイシマルは、むしろ営業中ではない今が好機だと判断し、クラブの看板を潜った。

 地下一層に降りると、クラブのドアに準備中のプレートが掛かっていた。それをあえて無視し、イシマルがドアを開けようとした時、中から怒声が聞こえてきた。


 「クソガキが!ゴウダさんになにしてくれんのよ!」

 「あう!」


 女のヒステリックな声と、何かがぶつかる音。そして子供の可憐な悲鳴が聞こえて来たのでイシマルはドアノブを回す手を止める。彼が横を見るとミシマも首を横に振ることでドアを開けることに反対していた。

 しばらくためらったイシマルは、ここで帰ってまた来る苦労を考え、意を決してドアを開けた。


 「失礼――」


 中には三人の人が尋常ではない雰囲気を醸し出していた。

 一人は成人女性。見せたいのか隠したいのかわからない濃い化粧と胸を強調する服装の彼女は、店に勤める風俗嬢ということが容易く推測できた。

 一人は成人男性。スーツを着ていたが、紫色のシャツの胸元を開け、金色に輝くアクセサリーを指や首、あらゆるところに付けているその姿は、わざわざ聞かなくともその手の人間だということがわかった。

 一人は少女に見える子供。ボロボロのTシャツと短パンを着て、手入れしているとは思えない長くてだらしない髪をしているその子は、いったいこの店とどのような関係があるのか、第三者には見当もつかなかった。


 (まさか、あいつか……?)

 

 三人を見た瞬間、呼び子から形容できない衝撃がイシマルを襲った。全身を捉えるようなその感覚は、イシマルが探している人物が三人の中にいることを囁いていた。

 

 「まあまあ、そう怒るこったねえだろ。汚れたら拭けばいいんだよ」


 フロントに用意されているソファに我が物顔で座っていた男は、カップを握って震えている少女に言った。

 どうやら、少女が男にカップの中身をこぼした模様で、さっきの怒声は風俗嬢がそんな少女のドジを叱ったものと思われた。これだけの強面の男に粗相をしてしまうと、怒鳴って叱りたい気分も理解できないものではない。

 だが以外にも、当の凶暴そうな男の口から出たのは咎めるような言葉ではなく、むしろ寛容的な言葉だったので、でっきりもっと酷い怒声が飛んでくると思って震えていた少女はびっくりして固まった。だがそれも一瞬ことで、グズグズしてるとまた叩かれてしまうと学習していた少女は、慌てて拭くものを持ってこようとした。


 「けほけほ、ご、ごめんなしゃい。ふくもの……」

 「いや、拭くものはいい」

 

 しかし男はなぜかそれを止め、先程とはちがう低い声で少女に言った。


 「汚したのは別にいいが、餓鬼だからって礼儀をわすれちゃーいかんな。靴についた汚れは、舐めて拭くものだよ、餓鬼」

 「す、すみましぇん……けほけほ」


 なんということか、男は見た目通りの鬼畜だった。

 おどおどしていた少女は青天の霹靂のような男の言葉に今にでも泣き出しそうな声で許しを請うが、男の言葉が冗談などではないことを険しい顔を見て悟とる。結局少女がブルブルと震えながら言われた通りに靴を舐めようと地べたに這いつくばった時、風俗嬢がイシマルを見つけた。

 

 「ちょっと、いま営業してないんですけどー」


 女の言葉につれ、男もイシマルを見つける。


 「なんだてめえ?」

 「あ、いや、ちょっと人を……」


 男の眼光は一般人は見返すことも出来ない威圧感を持っていて、イシマルは彼と視線も合わすことも出来なかった。

 店が閉まってもなんとかなると思っていた威勢も消え去り、返事に困ったイシマルがなんでもいいからフォローを頼もうと隣を見たが、そこにミシマの姿はなかった。


 (あのネズミ野郎―!)


 黙って返事をしないイシマルに男が切れたのか、ソファから起き上がった。


 「おい、人に聞かれたら返事をちゃんとするのが――」


 いまさら弁解を始めても逆効果になりそうな八方塞がりの状態。

 自分に近づいて来る凶悪な男を見てもう逃げるしかないと判断したイシマルは、ドアの位置を確認しようと後ろに手を伸ばしたが、掴んだのはドアではなく、質のよさそうな布だった。どういうことなのかと、イシマルが後ろを向くと、彼は自分が掴んでいる布がいま新たに店に入ってきた別のいかつい男の服ということがわかった。

 

 「げっ」


 顔に傷がいる分、店内の男よりも険悪な印象をしている男は、それに似合う威圧感を振りまいていた。

 もはやこのまま二人に挟み撃ちされるのだろうとイシマルは自分の死を予感したが、


 「よおー!ブラザー!久しぶりじゃねえか!」


 新しい来客が現れると、イシマルを追い詰めていた男は、そんなくだらない小僧は最初から眼中にもなかったようにイシマルから興味を失い、笑顔で来客を迎えた。

 ブラザーと呼ばれた男は、自分の服を掴んでいるイシマルを無表情で睨みつけた。いつ殴られてもおかしくない状況にイシマルはビクついたが、男はイシマルに因縁をつけることなく、自分でイシマルの手を振りほどき、ゴウダに向かって軽く会釈した。


 「……久しぶりです、ゴウダさん」

 「おいおい、ゴウダさんとはツレねえじゃねえか。アニキと呼んでくれよ。ブラザーだろ?」


 挨拶を交わす二人の態度には微妙な温度差を感じられたが、ゴウダの強引な陽気によってその温度差はすぐに塗りつぶされた。どうやら二人は相当久々の邂逅だったようで、ゴウダと男はその場で話し合いを始めた。

 一方、男の注意が自分から逸らされたことを確認したイシマルはそのまま逃げようと試みたが、残念なことに二人の男の間に挟まれて見の動きも取れない状態になっていた。そこから逃げるためにはそのままふたりの会話が終わることを待つしかなく、イシマルの希望はまた失われるように見えたが、そこで思ってもいない助力者が現れた。


 「あら、いっちゃん?」


 モデルと言ってもすんなり信じてしまうほどキレイな女性が来客の後ろから現れ、イシマルを見て親しそうに声を掛けたのだ。

 

 「ああ?そうだ、この不審者野郎を――」


 女の言葉につられてイシマルの存在を思い出したゴウダが、イシマルを不審者と認定して制裁を加えようとしたが、


 「あら~すみません、その子うちの弟なんです~。もう、店の外で待ってろって言ったでしょ?さあさあ」


 イシマルに声を掛けたキレイな女性は、ゴウダの言葉に自然に割り込んで、危機一髪だったイシマルを外に連れ出した。

 止める間もなくイシマルを連れて階段を登っていく女性を見て、ゴウダは釈然としない顔をしたが、それ以上突っ込もうとはせず、隣の男へと視線をやった。

 

 「弟?ふん、まあいい。それよりブラザー、再会の一杯といこうじゃねえか!」

 「間の悪い子ね、いっちゃん」

 「タカネさん、ここで働いていたのか」


 タカネリアはイシマル姉弟と同じアパートに住む、マンシオモメンタムの住人の一人だった。姉弟の隣である201号室で一人暮らしをしている彼女は、今ではハルカのもっとも親しい友人であり、困ることがあるなら快くお互いを助けてくれる人生の協力者でもあった。イシマルにエクストリームアイロンの映像を見せるためにスマホを貸してくれたのもまた彼女である。


 「そうよ。言ってなかったっけ?それよりいっちゃん、童貞捨てたいなら言ってくれたらいいのに。アタシがただで貰って上げるよ?」


 イシマルをいっちゃんという愛称で呼ぶことから、タカネは友人の弟であるイシマルを相当可愛く見ていることが分かるが、イシマルの方はタカネを苦手に思っていた。彼とてキレイな女性を蔑ろにする朴念仁ではないし、むしろ欲望には素直な方であったが、タカネはハルカとは違う方向でイシマルの手に負えない女性だったからだ。

 

 「ちげえよ!他に用事があったんだよ。それと童貞じゃねえ!」

 「またまた~恥ずかしがることないって」

 「だがらやらねえって!」

 「アタシはいや?ショックだわ。……まあ、いっちゃんシスコンだからね。姉のほうがいいか」

 「それちょっと想像もしたくないからやめてくれ」


 こうやってタカネのペースに巻き込まれてからかわれるのもイシマルがタカネを苦手に思う一因となっている。そんなタカネが姉のハルカと一緒になってからかってくると、手に負えないどころではなかった。

 挨拶のようなやり取りが終わり、イシマルはタカネに気になっていたことを訊いた。


 「ちょっと聞きたいんだけど、あの女の子、なんでここにいるんだ?」


 その質問は子供が風俗店にいる奇妙な状態に対するただの詮索ではなく、イシマルの目的だった人探しの対象が少女であると思っての質問だった。三人を見た時に感じた全身を震わせるような感覚が指したのは、男でも風俗嬢でもない、震えていた少女だった。言ってしまえば直感に過ぎないものだったが、神から授かった呼び子のおかげなのか、その子が探している人物であることには疑いはなかった。ただ想像していた人物像とは違い過ぎて、違和感を感じていた。

 

 「……ロリコン?」

 「頼むからまじめに答えてくれよ」


 面白い反応を期待していたタカネは期待に答えてくれないイシマルにがっかりし、女の冗談は答えてくれないとモテないとダメ出しをしたが、その冗談にも答えないイシマルに肩をすくめ、素直に質問に答えた。


 「あの子ねー。アタシも詳しくはないわ。ここに働くようになったの一年前からなんだけど、あの子はその前からいたからね」

 「まさかあの年で、やってるのか?」

 「やっぱりロリコンなの?」

 「違う」

 「あの子が商売やってるわけないじゃない。なんというか、小間使いみたいなものよ。あの子、店で住んでるようだしね。クマガイさん――あ、アタシと一緒にいた男ね。とにかく彼と関係があるって話だけど、本当にそれ以上は知らないの。……で、なんであの子の事が知りたいわけ?」


 今度はタカネがイシマルに質問した。

 タカネはイシマルからしても頼れる人物だったため、イシマルは自分の現状を彼女に説明して助力を頼んでもいいのではないかと悩んだが、ややこしい自分の現状はそう簡単に説明できるものではなかった上、巻き込んだところで事態が進展する保証もなかったので、イシマルは掻い摘んだ目的だけを伝えた。


 「いや、ちょっと親しくなれないかと」 

 「やっぱり……」

 「それはもういいから」


 冗談でもなんでもないというイシマルの態度から、彼がろくでもないことに首を突っ込もうとしていることを察したタカネは、真面目に忠告をした。


 「アタシからひとつだけ言えるのは、関わらないのが身のためってことね」

 「こっちも事情があるんだよ」


 イシマルだって進んで危ない人間たちと交わる気は毛頭もなかったが、引けない理由がある彼は、タカネに少女に会う方法だけ聞こうとした。


 「なあ、その子――」

 「さっきみたく子犬のように怯えたくないでしょ?あ、アタシもういかなくちゃ。またね~」


 しかしタカネは急ぐ用事でもあったのかイシマルの言葉を聞かず、注意だけを残して店へと戻って行った。


 「ちょ――、くそ……ミシマの奴はどこ行ったんだ」


 求めていた情報を得られなかったイシマルは腹いせにミシマの姿を探したが、周りのどこを見てもそれらしき姿は見つけられなかった。

 逃げたとしてもこの辺りで待ってるのが常識じゃないのかと、帰ってしまったミシマに腹を立てるイシマル。しばらくは店の前で何かできることはないのかと考え込んだが、自分も一度帰るしかないと判断した時、ミシマではない誰かがイシマルに声を掛けた。


 「困り事かね?」

 「誰ですか」


 声をかけたのは無精髭の老人で、イシマルはまったく面識のない彼に警戒心を表した。


 「君の救いとなる者。かも知れない」


 神妙なことを言う老人に、ここ最近妙な騒ぎを経験したイシマルはハッとなってその正体を問い詰めた。


 「は?まさかあんたもなにか人外のやつか?天使?悪魔?」

 「?どちらかと言うと人間だが」


 だがその心当たりはイシマルの憶測だったようで、老人は天使や悪魔という言葉に反応せず、普通の人であることを示した。

 ただの変人であると判断したイシマルは、冷めた態度で老人を追い払おうした。


 「じゃあ用はねえ」

 「あの店に用事があるんだろ?」

 「……聞いてたのかよ」


 いつからなのか、老人はタカネとイシマルの会話を盗み聞きしていたようで、意味ありげな笑みでイシマルの言葉を肯定した。

 そのことでさらに警戒心を高めるイシマルに、老人は両手を上げて見せて警戒心を解こうとした。


 「最初も言ったが、君の助けになるかも知れない」

 「どうやってだよ」

 「ううむ~腹が空いて考えがまとまらないな」


 若干芝居の掛かった動作で自分の腹をなでながら、空腹であることを知らせる老人。

 つまりはご飯をたかろうというのが老人の目的。イシマルは老人の意図を理解してさっきまでの警戒を緩めたが、警戒をしなくなったところで乞食に付き合うつもりはなかったイシマルはやっぱり老人を追い払おうとした。


 「あ、そう。草でも食ってろよ」

 「女の子の名前は、確かヤミポルと言っていたような」

 「……」


 予想も出来なかったまさかの新情報にイシマルは黙り込んだ。

 彼は冷静に老人の正体を突き止めようとした。少女の名前は本当なのか。この老人が嘘っぱちで言ってるのではなかろうか。しかしそれにしてはあまりにも堂々としている。店の関係者だろうか。だが風俗店で老人が勤める仕事なんて思いつかない。店の常連で、それで少女とも面識があるのだろうか。それなら納得できないこともない。しかし彼が常連だとして、どんな役に立つのか思い当たらないし今は他に頼れる人間があるわけでもない。ミシマの奴は本当に帰ってしまったのだろうか。クソ野郎、こっちは中学の頃にてめえを逃がそうと叔父からぶん殴られてクソまで漏らしたってのにまた逃げやがって、今度あったらただでは置かないぞ!などと、彼の思索は過去まで遡っていた。

 そうやって黙考しているイシマルを見て、自分の誘いを断りきれないと確信した老人は、いけ図々しく匂いを嗅ぐ真似をしながら、わざとらしくイシマルを煽った。


 「あそこから美味しそうな匂いがしないかね?」


 暫定的に老人の提案を飲み込むことに気持ちが傾いたイシマル。しかし気に障る老人のふてぶてしい態度と、自分の流されっぷりが引っかかって彼を悩まさせていた。

 

 (気のせいかな。最近、振り回されるばかりな気がするんだが)


 しかし今の彼には他にいい方法がないのも事実だった。

 老人が指した店が格安の定食屋であることを確認したイシマルは、この程度は情報料としては安いものだと自分に言い聞かせて老人に言った。


 「基本メニューしか奢らんぞ」

 「ケチなやつ」

 定食屋は閑散としていた。

 肉いっぱいの定食を注文し、肉汁を啜る老人を気に食わない顔で見つめていたイシマルが口を開いた。


 「食ってばかりじゃなくて、女の子の情報をよこせよ」

 「ロリコンかね?」

 「ジジイ……」

 「冗談だよ。落ち着き給え」


 肉汁を啜ることやめた老人は、ロリコンという言葉にうんざりした反応を見せるイシマルに質問を返した。


 「しかし少女になんの用かね。成人男性が少女に近づいていい噂が立つはずもなかろうに」

 「こっちの事情はどうだっていいだろ」

 「やりたいことを分からないと、手伝う術もないが」

 「……ちょっと話したいことがあるだけだ」


 詳しいことを言えずに、ただ少女の情報を求めるイシマルの姿は、一般常識からしてかなり危険な人物としか見えないもので、老人がここで彼に情報を渡さないことも決して責められるような行為じゃなかったのだが、老人は僅かの間にイシマルの顔を見るだけで、それ以上のことを聞こうとはせずに素直に少女の情報を喋り始めた。


 「ふむ、しかし少女、ヤミポルに会うのはそれだけで難関であろう。なにせ、怖い人達が営んでいる店だからな。知ってるかも知れないが、あの店は『ノビト・ファミリー』という組織が運営する風俗だよ。そしてあの子は三年も前から店に住んでいる。聞こえる話ではファミリーの幹部が連れてきたと言う。だからヤミポルはクラブの一員である同時にファミリーの関係者というわけだ。そんな子に関係者でもない、ただのお客の身分では会わせてもくれまい。もっとも、客でもないと入れることも出来ないだろうが」

 「じゃあどうすればいいんだよ」

 「はて」


 肝心なところでとぼける老人。

 メニューに視線を送るその姿は、もしかしなくてもまた何かをせびる気であるに違いなかった。しかしイシマルも荒い人生を歩んできた者のひとり。やられっぱなしには我慢ならないと、老人に言い返した。


 「まだ会計してないからな」


 このまま席を損するのは老人の方だと逆に脅して来たイシマルに、老人は自分の不利を理解して舌を打った。

 しかたなく基本メニューで満足した老人は冷たい水で喉を潤し、イシマルに代価を払う。


 「まあ、会う方法がないわけでもない」

 「だからどうやってだよ」

 「ワシはいろんなところで働いていてね、あの店もそのひとつだ」

 「なにが言いたいんだ?まさかあの風俗店の社長でもやってるってか?」


 回りくどい言い方をする老人に、イシマルが短気を起こして問い詰めた。

 老人だってイシマルを怒らせたいわけではなかったので、イラつき始めるイシマルを落ち着かせて、彼が納得するような方法を提示した。


 「違う違う。あの店は店内掃除を業者に頼んでいる。この歳でひとりであの店を掃除するのは大変でね。助手がいると助かる」

 「……」

 「業者が入るなら誰が止めよう。仕事をした分は、給料も出るだろう」

 

 焦らしただけのことはあって、聞く分にはなんの問題もない作戦だった。

 イシマルもすんなりと納得し、老人の手を借りるのが一番の道という結論に至ったが、彼にはまだひとつの懸念が残っていた。

 

 「なんで手伝ってくれるんだ?」

 

 知りもしない人間がいきなり手伝ってくれるというなら疑って見るのがむしろ真っ当な態度。特に貧乏人というのはその性が意地汚くなるのは仕方がない必然で、そんな環境で育ったイシマルが今日はじめて見る老人の善意を信じろという方が無理である。

  

 「なに、お前が貰える給料はワシの手を通ることになってるんでね。君はお金ではない目的があるから、ワシがおこぼれを貰っても構わないんだろ?」

 「ふん、なるほどね」


 老人が述べた理由は、イシマルにはこれほどなくしっくりものだったので、老人への疑念は全部ではないが、作戦に乗ってもかまわないと思うほど晴れた。

 だがすぐに話に乗るという行為は甘く見られる可能性があるので、イシマルはそこで少し考えるふりをした。しかし考えるふりをしてる途中、彼はもうひとつ、作戦に支障を来すものがあることを思い出す。


 「いやでも俺、顔を見られたんだけど」


 今日の騒ぎから、明日バイトだと言って入っても疑われるのではないかという老婆心からの言葉だったが、老人はその懸念を笑い飛ばしてイシマルに助言した。


 「いいかね?これは覚えておいた方がいい。世間は、思ったより君に興味がないものだよ」

 「てめ、昨日の不審者じゃねえか」

 

 クラブ・ソドマに入った途端、イシマルを覚えていたゴウダが道を塞いだ。

 まさか入ってすぐにこの強面と対面するとは思ってなかったイシマルは、そのまま固まってしまった。


 「これはどうも、最近お帰りになったと聞いております。わたくし、こちらの店を清掃させて頂いているゴカイドウと申します。こちらは新入りで、しばらくわたくしが指導することになったイシマルくんです。ハッハッハ」


 固まってしまったイシマルをフォローするように、老人のゴカイドウがゴウダに自分たちを紹介した。

 ゴウダはイシマルをそれほど気にしてはいなかったのか、関心を向ける対象をゴカイドウに変えた。


 「清掃?ちゃんとやってるんだろうな?ホコリ一つでも見つかると金はやらねえぞ」

 「もちろんですとも!ご心配なさらず。このゴカイドウ、掃除の腕前だけで今まで生きてきたものですから。ハッハッハ」


 年の功というべきか、ゴカイドウはその辺の元気な若者が100人かかってきてもひと睨みで蹴っ散らせそうなゴウダに怯えることはおろか、むしろふてぶてしい言動でゴウダの理不尽な難癖を軽く流した。そのことが面白くなかったのか、ゴウダは気に入らない顔でなにか言おうとしたが、自分に怖気づかずしれっとしている狸のような老人にムキになっても得などないと考えるほどは理性的だったようで、彼はイシマルとゴカイドウに興味を失い、鼻をならして店を出て行った。

 ゴウダが姿が完全に消えると、固まっていたイシマルは猫の手から逃れたネズミのような勢いで老人に文句を言いだした。

 

 「おい、ジジイ!気づかないんじゃないのかよ!」

 「昨日の今日なのに覚えていて当然だろう。それより潜入できたことを喜んだらどうかね」

 「いけしゃあしゃあと……」

 「ここでだべっている暇はあるのかね?あの男がまた帰ってくるかも知れないぞ?」

 「くっ……」


 ゴカイドウの言葉に遊ばれて悔しくはあったが、彼の言う通りだったので、イシマルは一矢報いたい気持ちを押さえ込んで、まずは子供を探すことを優先した。

 営業前と言っても、風俗店の中には数名のステップと風俗嬢が往来していたので、ふたりは掃除道具を持って控え室と思われる部屋に入った。ドアを閉めて誰もいないことを確認したイシマルは、ゴカイドウに訊いた。

  

 「子供がどこにいるのか知らないのか?」

 「さあ、いつもは掃除している時に勝手に現れて勝手に消えるからね」

 「ここで住んでるって言ったじゃねえか」

 「清掃区域は店だけだ。さすがに営業場で寝させてはいまい。寝床はビルの二階にあるんじゃないかね」

 「ちっ、ついてないと会えない可能性もあるってっか」


 店の中に入れば全て解決すると漠然と思っていた彼は、むやみに少女を探そうとしても店の人の視線を無視できないことを現場に来て気づいた。怪しまれたら当然怖い人が出てくるだろうと容易に想像できたイシマルは、事がそう簡単に解決しそうにないことを理解して舌を打った。

 どうしたものかと、イシマルが着慣れない作業服をかい繕いながら悩んでいた時、控え室のドアが開いて誰かが入ってきた。


 「けほけほ……はえ?」


 中に誰かいるとは思ってなかったのか、入ってきた者は老人と青年のふたり組を見てきょとんとなる。

 その者は小汚い格好をしている幼い少女で、今日も相変わらず調子が悪いのか咳をしていた。イシマルがどうやって探そうと悩んでいた少女ヤミポルが、自ら控え室に訪れたのである。

 まさに千載一遇の好機。

 イシマルが好機を逃すまいと勢い余って声をかける。


 「なあ!ちょっと俺と話を――」

 「ひっ!」


 イシマルが声をかけるやいなや、ヤミポルは動転して逃げ出した。

 一瞬の出来事に呼び止めることも忘れて立ち止まるイシマル。

 何をする間もなく好機を逃してしまったイシマルは、虚しく呟いた。

 

 「逃げやがった……」

 「絵になるような顔だったよ、イシマルくん。手配書のだが」


 ヤミポルが悲鳴を上げて逃げたのか衝撃だったのか、イシマルは自分のどこに逃げる要素があったのか真剣に考え込む。

 ゴカイドウはやれやれと頭を振って、萎れているイシマルを励むように言った。


 「まあ、高きに登るは低きよりす。まずは仕事を終わらせようじゃないか」


 あくまで自分たちが清掃業者ということを忘れない給えと、掃除道具をイシマルに渡したゴカイドウは、ベテランらしくバリバリと指示を出してイシマルに掃除を教えた。

 ショックを受けていたイシマルは体を動かしていた方が考えも纏まるだろうとその指示に従って掃除をしていたが、数分が経ったころおかしい点に気づいてゴカイドウに言った。

 

 「……あんたは掃除しないのかよ?」

 「渇して井を穿つ。なぜその者は井戸を掘るのか。水がほしいのは渇した者だけだからだ。君は、もう井戸を見つけたのかね?」


 雲をつかむようなゴカイドウの言葉をイシマルはうまく理解できなかったが、彼が自分の足元を見ていることだけは確信ができた。すぐにでも掃除道具を投げつけたい衝動に駆られたイシマルだったが、クビになったらここに来れなくなってしまうだろうと、聞こえるように独り言をつぶやく老人を見て、仕方なく腹に据えかねる気持ちを抑えた。

 それからイシマルは、いい気になって鼻歌を歌っているゴカイドウを無視し、ヤミポルと近づくための策を考えはじめた。

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