第2話 エオス


 アパート、『マンシオ・モメンタム』は、郊外の低所得世帯が集中している区域内にいる築四十年のかなりボロい建物で、そのボロさ故の安い賃金と事情まみれの住人たちが特徴であった。ボロいゆえに防犯設備は各々の玄関口の施錠装置以外は皆無と言っていいところで、中には玄関も開きっぱなしになっているところもいた。

 イシマルとその姉のハルカが住む202号はマンションの中ではかなり防犯意識がはっきりしている部屋で、いつも戸締まりは忘れないように姉弟は気をつけてはいたが、


 「イシマルソポス」


 ゴミを捨てる途中にまったく知らない他人が部屋に入ってきて声をかけても、アパートのボロさ故に驚かずに済む環境になっている。

 

 「ここに盗むようなものは何もないぞ」


 イシマルが後ろを向くと、そこには黒いスーツ着た女の人がいた。

 スーツはどんな服装よりも人に信頼感を与えるとどこかの研究結果は言っていたが、イシマルは彼女を見て不審としか思えなかった。女は顔色が悪いというか、灰色にしか見えない肌を持ち、目はエキセントリックなカラーコンタクトレンズをつけたように、白目は黒く、黒目は黄色く光っていたからである。


 「……何の用かは知らんが、警察のお世話になりたくなければ大人しく出ていってくれよ」


 それでも女だということで侵入者への警戒心が少し緩くなったイシマルは、不法侵入してきた不審者に、取り出した携帯を見せつけるという彼なりの紳士的な警告でことを済ませようとした。

 しかし女はそんな警告はまったく意に介さず、淡々とイシマルに聞いた。


 「貴様、神に会って来たんだろ?」


 イシマルは一瞬言葉を失った。

 自分の夢の話をどうしてあの奇怪な女が知っているのか。それ以前になぜ夢のことをまるで現実であるかのように言うのか。その不気味さがイシマルの女に対する警戒度を一気に危険値まで到達させ、武器を欲させるに至った。女を相手に過剰な反応ではないかと思えたが、目の前の女は普通の人には見えなかったし、なにより女だからと言って一筋縄ではいかないということは身をもって知っているため、イシマルは女を相手に武器を持つことをまったく恥じることはなかった。

 身近くにあったバットを素早く取って、自分を守るような、女を脅すような中途半端な態勢でイシマルは女に言った。


 「なに言ってるのかわからないけど、俺は平等主義なんでね、痛い目に会いたくなかったら、余計なことせずに俺の言うこと聞けよ」


 傍から見るとイシマルが捕まりそうな状況。極端に態度が変わったイシマルに女も多少は困惑した顔したが、イシマルの脅しに怖気づくことなく、むしろ彼に近づいた。


 「聞きたいことがある」

 「お、おい!動くな!」


 武器を持って意気揚々となっていたイシマルは、自分に怯まない女に困惑してついバットを振り回した。


 (しまった!)


 バッドの先が女の頭へと向かっていた。

 いざとなったら女だろうとなんだろうとバットを使ってやると、イシマルは自分に言い聞かせてはいたが、本当に使うことになるとは微塵も思っていなかった。だからバットの先から自分の手に伝わるはずの鈍い感触を看護師の注射を見る子供の気分で待ち構えていたのだが、彼を襲った感触は打撃感ではなく、天地がひっくり返る感覚だった。


 「うおおお!?」


 なにが起こったのか、いつの間にかバットは女に奪われ、イシマルは女の片手によって逆さまに吊るされていた。

 自分の身に起きた事を理解できなかったイシマルが吊るされたまま暴れると、女はイシマルの足を放し、落ちた彼に手練な動作で卍固めを決めた。

 

 「乱暴はよせ。話を聞け」

 「ギブギブギブギブ!」

 

 痛みに耐えられなかったイシマルはすぐさまに降伏を宣言した。

 女に勝てなさそうなイシマルに早い降伏は情けなくとも懸命な選択だったのだが、女が力を緩めた途端、イシマルは「フェイクだバカめ!」と叫び、そのチャンスを待っていたかのように反撃を試みた。しかしその無駄な足掻きはあっという間に制圧され、イシマルは二度目のみっともない無条件降伏の意思を表明し、情けない声で彼女に聞いた。


 「あんた何なんだよ……」

 「我は、神の敵対者だ」

 「カミの?いったいハゲになんの恨みが……」

 「恨む恨まないではない。あれは存在してはいけないものだ」


 物騒な話を憚りなく言う女。まだ卍固めされているイシマルに彼女の顔は見えなかったが、その声の真剣さは彼女が冗談を言ってるわけではないことを語っていた。

 

 「ずいぶんな言い草だな。お前もそれのおかげでそうしていられるだろうに」

 「……だからこそ我の手で終わらせるんだ」

 「どういうことだよ。ハゲは伝染病じゃねえぞ?」

 「?」

 「?」


 ようやく話が噛み合わない、正確にはイシマルがわざとふざけていたことに気づいた女は、仕方ないと小さくため息を付き、まだイシマルの全身を拘束している手に力を入れた。

 

 「ふざけないで欲しい。我には、いや、お前にも時間はないんだ」

 「いたたたたたた!ギブギブギブ――!!すみませんちゃんと聞くから離してくれ!!!」

 「エオス?まあ、名前などどうでもいい。神の敵対者?って要は悪魔かなにかってことだろ?本当にお前が悪魔なら、証明してみろ」


 姉弟の寝室兼居間兼個室の部屋で、イシマルはエオスと名乗った不法侵入者とテーブルを挟んで話を始めた。

 エオスの前に水を入れた湯呑みが置かれていることから、イシマルが彼女を客として受け入れられたとも思えたが、どちらかと言うと勝者への貢ぎ物に近かった。


 「信じられないと?」

 「はあ~そりゃな?今日ちょっと変な夢見たりしたし、あんたがなんでその夢の内容を知ってるのも解せないけど、言葉だけなら俺も銀河大統領だ。こんなふざけた話、証拠でもなけりゃ聞く気もならね」


 敗北の後遺症からはだいぶ抜け出せたのか、イシマルはでかい態度を取り戻してエオスに彼女が悪魔である証明を要求した。

 自分から話を聞くと言っておいて、このようなケチをつけるのはかなり卑しく見えたが、エオスは物理力を行使しようとはしなかった。あくまで話し合いの姿勢で、イシマルに事情を説明した。

 

 「むやみに力は使えない。奴にバレる危険がある」

 「ヤツ?」

 「神だ」

 「神ね……だからその話がマジかどうか見せてみろって。なんでもいいから人間じゃ出来ないことやってみろや」


 一方イシマルはエオスの話も、自分が神を会ってきたという事実も一向に信じようとしなかった。一般人が常識にこだわるのは仕方ないことだが、イシマルの場合は話し合いの直前で行われた争いとその争いで無様に負けたという事実のせいで意地になっている嫌いがあった。

 このままでは自分の言葉を聞き入れてくれないことを悟ったエオスは、すこし考え込んで、手前にいる湯呑みを持ち上げた。


 「これを見ろ」


 彼女がイシマルの注意を引くと、その瞬間、湯呑みが煙のように消えて、また現れた。

 それはまさに人間には魔法のような出来事。

 しかし湯呑みの空間転移を見終わったイシマルは、才能のないアイドルのオーディションを眺める審査委員のように、しばらくしかめっ面で沈黙しては、ダメ出しを始めた。


 「なーんか神もお前もしょぼいというかティーンと来ねえ。奇跡って言うか、手品の領域じゃね?これドッキリとかならやめた方がいいぜ?俺は実は結構ヤバイ犯罪組織の一員でよ、そんなイタズラされたんじゃ俺はともかく、組織の連中がメンツがどうこう言ってお前、飛ばされるぜ?色んなとこに」


 期待以下、いや期待通りのパフォーマンスを見せたエオスを見て完全に調子に乗ったイシマルは、卍固めの記憶はも消えたのか、あることないこと口任せでホラを吹きながらエオスを脅した。そんなイシマルの態度をどう思ったのか、エオスは手もつけなかった水を初めて飲んだ。


 「まあ、大目に見てやるから、今日は帰り――」

 「……しかたない。確実なやつを見せてやる」


 イシマルの言葉を遮ったエオスは彼にに近づき、その黒くて黄色い目でイシマルの瞳を覗き込んだ。

 すろと、

 

 (お、おい、なにした?暗いし手もなんにも感じられ――)


 突然イシマルの視線が焦点を失い、なにかを掴もうと手を振り回し初めた。口をパクパク動かせていても声も出ない様で、 やがては発作でも起きたように座ったまま転がった。どうやら全身の感覚が消えてしまった模様。そのまま数分、涙と鼻水にまみれ、殺虫剤を食らったハエのように床を這い回るイシマルの情けない姿を、悪魔が憐れむように眺めていた。


 「ゆるじでええ~~……はっ?!」


 ちょうど五分が経ったとき、イシマルが泣き声で許しを請いながら目を開けた。

 視覚を含めた五感を取り戻した彼は、生まれたての雛のように周りを見渡す。そして呆然とした顔でエオスをしばらく見つめ、自分に起きた事の顛末を理解した。

 

 「てっめえ、おっめえ、こんな、てっめえ、やりすぎだろ!」


 鼻水も拭かずにエオスに食い掛かるイシマル。

 その姿は惨めであったが、億劫せずにエオスを責める意気は大したものに見えた。エオスもそれ以上イシマルを懲らしめることはせずに、自分が悪かったと彼をなだめた。

 イシマルが落ち着きを取り戻すのを待ったエオスは、もう彼女が悪魔であることを受け入れた彼を見て話を本題に持ち込んだ。


 「神と会って何があった?」

 「……あれが夢じゃなけりゃ、なんかお使いを頼まれたんだが。ってかなんでそれを知ってるんだ」

 「貴様が連れて行かれるところを見たからだ」

 「見た??」

 「そう。我は貴様が屋上に来る直前まで奴の使いを駆除していたからな」

 「使いって……ああっ!あのイタズラおめえかよ!?」


 イシマルは献納箱の中に収まっていた鳩の骸を思い出した。そしてその鳩を駆除していたと言うエオスの言葉から、夢だと思っていた一連の事態の原因が彼女にあることに気づき、その責任を問い詰めようと声を上げたが、エオスは彼の抗議を軽くあしらって質問を続けた。


 「お使いというのは、四人の騎手を探せとのことか?」

 「そう!それ。って、まさかあそこでも見ていたのか?」

 「そんなわけあるか。奴がこれからすることを知ってるから予想していただけだ。それより、頼まれた時になにか貰わなかったか?」

 「たぶんこの石ころと呼び子がそれだと思うが」


 イシマルは捨てようとしてた四つの石の塊と呼び子をエオスに見せた。それらを見たエオスは、何かを納得したように頷いて、イシマルをまっすぐ見つめて言った。


 「やっぱりか。なら話は早い。イシマルソポス、奴を止めることに協力して欲しい」

 「止めるって何をさ」


 協力という言葉を聞いた途端、イシマルは警戒するように聞き返した。


 「それを持たされたのなら話は聞いたはずだ、世界は間もなく終わる」

 「へえ」

 

 至って真面目に話をするエオスに、鼻くそをほじくりながら適当に答えるイシマル。

 大雑把な彼の返事が気に触ったのか、エオスはイシマルを睨んだ。


 「なんだその態度は。また信じられないと?」

 「正直ピンと来ねえし、それが本当だとしても、神の意思なんだろ?相手が神なら、どうしようもなくね?」

 「奴は神であるが、全能でもないし、全知でもない」

 「そんな奴がなんで神なんだよ」

 「世界を滅ぼせる十分な力があるからだ」

 

 聞き分けの悪い子供を怖がらせるように、エオスは沈んだ声で神の脅威を明言したが、イシマルは相変わらず興味なさげに鼻をほじっていた。

 それを見かねたエオスが少し声を荒げた。

 

 「世界が滅んでもいいと言うのか?」

 「死ねばもろとも。ひとりで死ぬなら悔しいけど、皆で終末なら安心だ」


 いいことを言ったという風に、イシマルがエオスを見てほくそ笑んだ。

 ムカつくその顔を、エオスは真顔で睨み返す。テーブルの上に置かれた彼女の手も、少し力が入ったように見えた。


 「ふざけてる場合じゃない」

 「神と悪魔の終末勝負よりふざけた話もないと思うが」

 「なら、神の言われるまま終末を実行するつもりか?」

 「いや、別に何もする気はないけど」


 呑気というか、なにも考えていないような返事を聞いてエオスは顔をしかめた。彼女にはイシマルの言葉が理解不能でしかないようで、眉間に寄せたそのしわはその疑問と不快感をはっきりと表せていた。エオスは無言でイシマルに説明を迫る。その鋭い視線に気圧されたイシマルは、余裕のある態度を装って説明を始めた。


 「あのな、この部屋見える?このクソ狭くてボロい部屋で俺は姉と二人で生活してるんだぞ。そして明日は朝から午後の八時までバイトだ。食費も出ないしご飯は家で解決せねばならん。これが周に六日だ。すると月に大体二十万くらいなんだが、俺のお袋がいまもう何年も病院でお世話になってる。筋力がなんとかの病だが、これに月にちょうど二十万が掛かる。この部屋の家賃は三万、食費も二人で月に三万だ。その他の光熱費やらは全部合わせて二万くらいだ。もっと大事なのは、うちには行方を暗ましたクソ親父が母さんの名義で借りた借金がある。それでも今までは姉も働いてなんとかなってたんだが、この前に頭がどうかしたのかバイト全部やめて配信とかなんとか下らんことを始めた。何を言いたいかわかるか?俺は終末もくそもどうでもいいから明日バイトが始まる直前まで寝転がりたいんだよ」


 自分の生活史を語る内に完全に日常の感覚を取り戻したのか、イシマルの余裕は本物となって、エオスに対しても気圧されるような素振りはなしに普通に接していた。そして日常感覚を取り戻した分、現実もまた日常に戻したいという願望が強くなった彼は、すぐにでもエオスを追い出す気でいっぱいになっていた。

 しかしエオスの方はまだ話し合いを続ける態勢で、イシマルに交渉を持ち出した。


 「金なら用意できる」

 「……このクソ石見えるか?神ってやつか報酬とかなんとか言って渡したもんだぞ。お前もこんなくっそつまらない冗談抜かすつもりか?気づいたら馬糞まみれとか冗談じゃねえ。とにかく俺は、神のお使いも、お前との協力もしたくねえ。毎日生きるのに精一杯なんだよ。話終わったら帰ってくんない?」

 

 お金の話になるとイシマルの冷静が少し揺れたように見えた。だがイシマルはすぐに気を持ち直して、これ以上は聞く価値もないと、エオスの話を切り捨てだ。

 そのままエオスを強制的に帰らそうとイシマルが立ち上がった時、彼は部屋の窓から一羽の鳩が飛び込んで来るのを見た。防虫網が張られていたにも関わらず、鳩は水に入るように防虫網をすり抜けて部屋に入ってきた。そして部屋に入ってくる同時に、鳩の体は急速に膨らみ、鳩の羽を持った人の姿へと変わった。


 「やっほーい~見つけましたよ、落ちこぼれの裏切り――」

 「退いてろ!」

 

 イシマルが突然の訪問客に反応しきれずにいる間に、エオスが素早くイシマルを下がらせて鳩人間に向けて腕を振った。すると何かを喋っていた鳩人間の上半身が消しゴムで消されたように消えて、残った下半身がドッサリと崩れ落ちた。

 わずか数秒で起きた騒ぎ。

 しかし時間に比例して中身が濃すぎていて、イシマルは適切な言葉を探せずにいた。

 

 「お――……い?なんだ今の?ハトマン?半分消えてるけど…? ってか、なんかあれ、めっちゃこっち来てね?」


 なんとか状況を理解しようと、とりあえず口任せで言葉を喋っていたイシマルは、窓の外から黒い群れのようなものが近づいて来ることに気づいた。

 徐々に近づくその群れが鳩の群れであると知るまでには長い時間はいらなかった。鳩の群れが尋常ではない速度で近づいていたからである。


 「ちっ、ダミーを張らせていたのにもうバレたのか。後ろに隠れてろ!」


 まだへどもどしているイシマルの前に立ったエオスは、群れの最初の一匹が窓を通過すると同時に両手を窓へと向けた。

 それから起きた惨事は一分にも満たない時間だったが、イシマルはその一分間をまるで数十時間に引き伸ばされたように感じことになった。イシマルに出来たことは、ただエオスの腰にへばり付いて奇声をあげたことしかなかったが、もし人生の最後で自分の人生の歯車がどこから狂ったのかと聞かれると、神に会ったことも、悪魔に会ったことでもない、まさにこの瞬間であるとイシマルは思うようになった。

 全ては凄まじい勢いで行われた。鳩の群れは音速をも突破するような速度で部屋に突撃し、エオスはその鳩の群れに向かって漫画のようなビームを撃った。


 「うおおおおおおおおおおおおおおお????!!!!!!!!」


 阿鼻叫喚の状況とはまさにこれを指しているのだろう。エオスの手間でハトたちが粉砕されて行き、その範囲を逃れたいく羽かの鳩が爆弾のように部屋にぶつかって散華して行った。

 

 「うおおおおおいいいい!!!テレビが!!!!冷蔵庫も?!!!」


 エオスの腰の後ろで壊れていく部屋を見てただ無気力に叫ぶイシマル。

 その悲鳴が終わる頃には、部屋は赤い羽毛布団となっていた。

 低所得世帯が住む地区は乱開発で迷路のようになっていた。初めて来る人は迷うのが当然で、一年くらい住んいても油断すると道に迷う。そんなネズミの巣穴のような裏小路を、イシマルはエオスを背負って歩いていた。


 「走らないと……見つかるぞ」

 「ゼェー、ゼェー…ふ、ふざけんな、はあ、はあ、さ、30分は走ったぞ!!」


 今でも倒れそうに息を切らせているイシマル。

 30分前の大惨事、突撃する鳩の群れを一掃した直後、エオスは崩れるようにその場で膝をついた。疲労したエオスの体は何匹もの鳩が刺さっていて、エグいことにそれはエオスの体と同化し掛けていた。彼女曰く、ささった鳩の一羽一羽が彼女の存在ごと消そうとする腫瘍になっているとのこと。おかげで力も使えない状態で、自分で回復は試みるが、いつまた襲われてもおかしくないので自分を背負って早くこの場を離れるべきとイシマルに指示をした。そしてイシマルは彼女に言われるままに約30分ほどをこの裏小路を走っていたが、ついさっき電池切れになった。

 

 「ちょ、ちょっと休ませろ……はあ、下ろすぞ」

 

 イシマルは壁に寄りかかってエオスを下ろそうとしたが、地面に下ろす直前に重量が消えたのでそのまま中心を失って尻餅をついた。

 彼が後ろを向くと、エオスは自分の足で立っていた。

 

 「いや、だいたい回復はできた。もう歩ける」

 「ならさっさと降りろや!!」


 その怒声で気力が尽きたイシマルはそのまま大の字に寝そべった。今度はエオスがイシマルの回復を待つようになって数分、やっと気力を回復したイシマルが口を開いた。


 「とりあえずさ、部屋を戻してくれよ。さすがに責任ないとは言わないよな?」

 「それはできない」

 「はああ!?なんでだよ?」


 期待を裏切るエオスの発言に憤るイシマル。責任を問われたエオスはバツが悪い顔で返事をためらったが、唇を一回噛んで、その重い口を開けた。


 「……回復はしたが、不具合というか、力が使えない」


 静寂が二人の留まる裏小路をしばらく包んだ。

 その間にエオスの言葉の意味を慎重に解析していたイシマルは、目つきを変えてエオスに迫った。


 「おいおい、無能の悪魔さんよ。壊れた家はどうしてくれるわけ?ああん?」


 エオスの能力証明以後、言葉ではでかい態度を維持してもなるべくエオスに距離を置こうとしたイシマルが、すいすいとエオスに寄って、チンピラがするように彼女の額を指で一回、二回と押して威嚇し始めた。

 彼女が能力を使わずに自分を逆さまに吊し上げたことはもう忘れたのか、彼の行動は無謀過ぎるものだったが、エオスは意外にもイシマルに手を出さなかった。そのかわりに、彼女は目をつぶって自分を落ち着かせ、調子に乗っているイシマルにひとつ方法があると話を持ちかけた。


 「貴様が見せた石塊は、形状変換されてはいるが確かに金塊だ。そして並の技術では復元出来ないように封印されている。その封印はたぶん、個人認識で解除できるように施されている。どうせ終末の騎手達を鍵として貴様を働かせるつもりだったのだろう」

 「……まあ、そんなこと言ってたな。って、それがどうしたってんだ、おら!」 


 エオスは話の腰を折るイシマルを制止し、自分の切り札を取り出した。


 「騎手の位置は我が知っている」

 「まじか」

 

 切り札が効いたのか、イシマルは威嚇していたことも忘れて即座に反応した。

 そんなイシマルの反応を見逃さないかったエオスは、チャンス逃さずに彼に取引を提案した。


 「協力しろ」

 「……」

 

 口数を減らして考え込むイシマル。

 部屋で話していた日常への回帰は、今の状況では不可能に近い目標。責任所在を問うのは別にするとしても、いま彼女が提案したこと以外に道があるわけでもなかった。


 「冷蔵庫なしの夏はキツイぞ?」


 拍車をかけるエオスに、イシマルは大きくため息を付いて憎らしく睨んだ。


 「くそ、ようやく悪魔の本性を見せたな」

 「我は敵対者とは言ったが、悪魔と名乗った覚えはない」


 こうしてイシマルは、エオスの協力者となった。

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