休日の朝
朝起きて体が動かないことが増えてきた。
特に休みの日に多い。
平日は会社があるからと無意識に張っていた気が休日になると緩むからだろうか。単純な「仕事の疲れ」ではない、手足が重く自分の意思で動かすことができなような感覚だ。
疲れていることは重々承知しているが、この現象によって本来であれば体力的にはもちろん精神的にも鋭気を養えるはずの休日にほとんど行動できないのは苦しい。
学生の頃はどんなに疲れていてもせいぜい昼間で寝てしまうくらいで、手足が重くて動かないということはなかった。やはり単純に年のせいだろうか。
自分の老化を実感した上に、貴重な休みに動けない不甲斐なさでどうしてもネガティブな方向に思考が及んでしまう。
時刻はすでに10時を過ぎている。
カーテン越しの太陽の光の強さで今日が晴天であることが分かった。散歩中の犬の鳴き声やボール遊びをしているような親子の声が外から聞こえてくる。
私の年齢的には幼稚園に通う子供がいてもおかしくない。実際に学生時代の知人の中には結婚して子供がいる者も何人もいる。
私にも天気の良い休日に子供と一緒に遊ぶ未来もあったのだろうか。
十分にあったはずだが、現状からは全く想像できない。
しかし、休日にこれほど疲れていては子供と遊ぶ気力など全く湧いてこない。そのような気力がある者だけが子供を持てるのだろうか、それとも子供がいるからそれだけの気力が沸いてくるのだろうか。
ふと、子供の頃に想いを馳せた。私の両親はどちらも共働きであり長期の旅行に行く機会はほとんどなかった。そのためか、休日に親と一緒に外出する場所は近所の公園が多かったように思う。
住んでいる街は決して大きくなかったが、街が緑化に力を入れていたためか、比較的大きくて緑豊かな公園だった。春には桜の木が満開になり、ブランコに乗ると視界一面が桜の花びらに囲まれた。そして幼いながらもそれをとても綺麗だと感じたことを覚えている。また、家ではあまりお菓子を食べる機会がなかったが、公園近くの売店でアイスやジュースを買ってもらえたので、出かけると言われれば喜んでついて行っていた。
小学校に上がると車で30分くらいかけて、もう少し大きな公園や科学館に連れて行ってもらった。科学館は東京にあるような国立科学博物館や日本科学未来館のように立派なものではなかく小学生向けのちょっとした展示や体験型の設備があるだけだった。しかし、幼い私にとっては十分刺激的であった。
。。。
意識的に回想を辞めた。
幼い私はどこにでもいる普通の子供だった。
周りの子供と同じように幸せな人生を享受できていた。
一体どこで狂ってしまったのか。
手足だけではなく私の心までも重くなってしまった。
おそらく今日はもうまともに活動することはできないだろう。
このまま再び眠り、夕方頃に起きてカップラーメンを食べ、ネットサーフィンをしてまた寝るだけになるだろう。
人並みの休日を過ごしたい、ただそれだけを願いながら私は再び目を閉じた。
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