第13話 人の覚悟を笑うな


 乾いた鐘の音が、次の授業の開始を報せる。

 ルゥナに締め上げられている間に仁道寺は何処ぞへと消え失せてしまい、九十九は心に一生の不覚傷まで負う惨事。完膚なきまでの勝利を瀬海に与えてしまう。

 生徒の目も増えてきたので、止む無く中庭への撤退を余儀なくされた二人。

 九十九は横たわるマーライオンの口に腰掛けると、うらみつらみをのせた眼差しでルゥナをねめつける。


「さあ、誠意を見せてもらいましょうか」


 下衆な口調でルゥナを煽る九十九。


 そんな彼女は嫌々ながらローブを掴み広げると、九十九にだけ本来の姿をあらわにした。 


「(何だ、おかしな所は無いじゃないか。むしろ……)」


 雲のようにふわりと風になびかせた純白のナチュラルショートに、無垢なる空を映したコバルトブルーの瞳が、艶やかな茶褐色の肌を引き立たせる。言葉にはしなかったものの年相応のボーイッシュな娘であった。


「はい、おしまい!」


 ルゥナはせっせとローブを羽織ってしまう。仮面は先ほどの騒動で失くしてしまったようで、フードを被っていても美しい空色の瞳が煌いていた。

 一瞬ではあったが、交渉した甲斐があった。ストリップをやれ、と言うわけでもない。全裸で守り抜いた上に理不尽な暴力を振るわれたのだから、彼女の守り抜いてきた秘密を対価として求めるのが道理。

 彼女のしなやかでメリハリのある体つきには、男なら誰しも目を引く価値があり、九十九はしかと脳裏に焼き付ける。

 下半身の際どさが目立つホットパンツに、豊かな双丘によって張ったノースリーブのデニムシャツ、武闘家にふさわしい肉体美を誇っている。

 まさに大自然によって磨き上げられたブラックダイヤモンド。テレビ越しにしか許されなかった美貌を肉眼で見ることができ、九十九は膝に置いた拳を静かに震わせ感極まっていた。

 そんな九十九の様子を見たルゥナは表情を曇らせると、そっぽを向いてしまう。


「見たって気まずくなるだけだって言ったでしょ。肌も、髪も、目の色も、私は普通の人とは違うのよ。だから、こんな私を認めてくれる故郷を探しに、ヘイローにまで来たってわけ」


「うぅ」


 九十九は歯を食いしばったまま顔をうつむかせ、涙をぽろぽろとこぼして嗚咽をもらす。


「どうしてこんな……」


「……九十九くん」


 しゃーしゃーと強く噴き出す水の音を耳にしたルゥナは、九十九の方に顔を戻して視線を落とすと、モザイク掛かった股間の下から、大量の水があふれだしているのを目の当たりにした。


「座ってたらスプリンクラーが……」


「喝ッ」


 ルゥナは軸足をコマのように回転させ、九十九の頭部に回し蹴りを喰らわせる。

 

「まじめに聞いてよ! 初めて会ったときはもっと常識ある人だと思ってたのに……」


 ルゥナはやれやれと呆れ混じりにため息をこぼし、水を撒くマーライオンから距離を置いた。


「お前もなっ! あぁっ、マジメに“効いてる”って……くそ」

 

 よろけつつ立ち上がった九十九は、弾き飛ばされた衝撃で芝生に落ちていた目玉を拾い、両目とも顔の窪みに入れると顔を細かに振ってはめ込んだ。

 

「……え!? 待って、九十九くん」


 たまたま視界の端で捉えていた九十九の行動にルゥナは我が目を疑い、ぱちくりと瞬きさせながら九十九に歩み寄る。


「なんだよ」


 九十九は他人事のように冷めた顔で言った。


「いま、何してたの?」

 

「何って……眼が落ちたから、もとに戻したんだよ」


「は、はあ」


 まるで息を吸えば吐くだろう、と至極当然のことのような答え方だった。

 その九十九の反応があまりに自然な応対で、ヘイローの人間なら誰しもがやっているのではと錯覚してしまうほどであった。


「(いやいや。そっか……九十九くんは義眼だったんだ。ヘイローの医療技術は進んでるんだし、だから……)」


 動揺しているルゥナを見るなり、九十九は頭をポリポリとかくと一呼吸間を置いてから話を続けた。


「あのな。おたくはコンプレックスに囚われすぎてんだよ。どう見られるかじゃない。どう在りたいかで自分の価値をはかろうぜ。容姿は整ってるんだし、細かいことでくよくよすんなよ」


「は、はい。あの、いろいろごめんなさい……」


 不思議と九十九に言われると気が楽なったルゥナは、先ほどの非礼も兼ねて深々と謝罪した。


「──君たち、何をしとるのかね!」


 渡り廊下の方から落ち着いた男性の声が二人の会話を遮った。

 声の主の方角へ二人は顔を向けると、ブレザーを着た壮年の男性が偉そうにふんぞり返っており、いかにも権力者だと言わんばかりの立ち振る舞いで、厳格な眼差しをぶつけてくる。

 「あの、その」としどろもどろになっているルゥナに代わり、九十九は髪をかき上げて余裕を見せると、誠実な青年を意識して「おはようございます」と力強く挨拶し、何気ない足取りで向かっていく。


「すみません先生、これから授業に向かうところでした」


「丸出しで嘘をつくな嘘をっ! どっちも授業を受ける態度じゃないだろ!」


 九十九とルゥナを交互に指差し、荒々しく尖った声で咎める。

 歪んだ股間を野ざらしにした変態に、ローブで身を包んだ妖しげな魔術師のコスプレ女。まともな神経をした輩ではないことは一目瞭然。


「とにもかくにも、いますぐ二人とも学生証を見せなさい」


 ブレザーを着た男の前に立つと、九十九は一歩も引かずに彼の目元を睨んだ。


「先生は僕たちを疑うんですか?」


「いや疑うだろ! 疑われたくないのなら、せめて服ぐらい着たらどうだねっ!」


 厳しい口調でまくし立てる男だが、負けじと九十九は身をひるがえしルゥナに向かいながら言い返す。


「実は、仁道寺に服を溶かされたんですよ、彼女も僕も。仁道寺が証人になりますから、少し時間をくれませんか」


「なにぃ?」


 仁道寺のワードを口にした瞬間目尻が下がり、男の顔から怒りが消え去った。

 男の微妙な変化を捉えた九十九は、柔らかい対応をしつつも一気に攻めに転じる。


「彼がいるところは見当がつきますし、すぐに連れてきますよ。おーい」


 手招きしてルゥナを呼び寄せると、二人ともペコリと頭を下げて、コソコソとその場を離れようとする。


「待ちたまえ」


 が、渡り廊下にさしかかったところで呼び止められてしまった。九十九とルゥナはおそるおそる背後を振り向く。

 幸い怒っている様子には見えないが、まだ疑いは晴れていないような反応だった。


「瀬海なら仕方ない。特別に、校訓を一つ言うだけで許してやる」


 なんだそんなことか、と九十九はホッとした顔で3本の指を立てると口を開く。


「みんな言えますよ。フックンに、モックンでしょ。えぇっと、ヤック……」


「こうくんだよ! 校訓! そっちは違うだろ。スッとぼけてるヤツだな。ますます怪しい」


 再び男の中に苛立ちの火を灯してしまった。あと少しというところで学園からの追放から逃れるところで後ろ髪を掴まれてしまった。


「どうしよう」


 ルゥナがそっと九十九に耳打ちすると、彼も相当に追い詰められているようで、たっぷりと顔に冷や汗を滲ませていた。


「──ああっ、これはこれは仁道寺様! お日柄もよろしゅう!」


 九十九は思いついたように叫ぶと、その場で渾身の土下座を披露した。


「なっ、豊富様!」


 ブレザーを着た男は跳ね上がって180度転換すると、渡り廊下のコンクリートにマッチ棒のごとく額をなすりつけた。


「ははあッ! よくぞ我が粗茶の水ハイスクールにお越しくださいました! ご子息は毎日活き活きと勉学に励んでおります! いますぐおもてなしの準備に取り掛かりますゆえ、なにとぞご容赦のほどを願いたく……」


 長々とした弁舌をふるうが、まったく返事がない。

 対応に不満があったのだろうか、何か別の理由で視察に来たのだろうか、様々な要素が頭の中を駆け巡り、やがて男の中で膨れ上がった感情が胃を刺激した。


「……どうか! どうか、来期の補助金の件ではご便宜のほど──」


 沈黙の間に耐えきれずゆっくりと面を上げると、そこにはルミがぽけぇっとした顔で見下ろしていた。


「へ?」


 脳内の処理が追い付かずに、開いた口がふさがらない男。


「がくえんちょー先生、わたしはルミなの。いきなり謝らないで欲しいの」


 困ったような顔でルミは告げると、学園長の前にちょこんと正座をして、彼の白髪交じりの頭を優しくなでてあげた。


「──ふっ、なんとかまいたな」


 難を逃れた九十九たちは教室に戻り、窓から中庭にいる男の情けない様を覗き見ると、空いている机にふてぶてしく腰掛け一息ついた。


「でも、私たちものんびりしていられない。早く瀬海とケリをつけないと」 


 闘牛のように猛り拳を叩き合わせるルゥナを尻目に、九十九は気の抜けた顔であくびをする。


「……ぁあ、ケリはつけるけどさ。ルゥナはもうこの辺にしとけよ」


「え、どうして?」


 九十九の撤退命令に、きょとんとした顔でルゥナは尋ねる。


「知ってんだろ。アイツの本当の武器は汗じゃない。女に対して異常なまでに効力を発揮する、ハレンチ能力だ。ルゥナが本気になればなるほど取り巻きの女みたいに、瀬海病に感染するだけだ」


「それ、九十九くんが言うの?」


 裸一貫のまま語る九十九に真顔で突っ込むルゥナ。

 九十九はバツが悪そうに喉を鳴らすと机を降り、教室の隅に置かれたロッカーに向かうと扉を開けて自分の荷物を取り出す。


「仁道寺とは俺が戦うのさ! リベンジマッチだ」


 九十九はまなじりを決し一人で瀬海に立ち向かうことを告げる。二人だけしかいない教室がしんと静まり返ると、やがてルゥナは我慢できずにクスクスと笑い始めた。

 どうやら深くツボに入ってしまったようで、ルゥナは声を抑えられなくなり、「あっはっは」と大声で笑いだす。


「人の覚悟を笑うなっての」


「ごめんなさい……ふふっ、本当に不思議な人。ただの変態なのに」


 呼吸が落ち着くと、ルゥナは目元に溜まった涙を指で拭う。


「変態いうな」


 九十九は少しいじけたように言った。


「そうだよね。私のせいでそうなっちゃったんだもんね」


 ルゥナはそう呟きつつ神妙な表情になると、ローブのボタンを一つまた一つと外していく。


「おい、何して……」


「いいの。コレがあるせいで私は前に進めないんだって、九十九くんのおかげで分かったから」


 九十九の言葉を遮ると、ルゥナは脱いだローブを教室の後ろに置かれたごみ箱に投げ捨てた。


「待てよ。俺がいいたいのは──」


「だいじょーぶ。試したい技もあるし……それに、また危なくなったら九十九くんが守ってくれるでしょ?」


 そういたずらっぽく微笑むと、「ね?」と九十九の肩を叩いて同意を求めてくる。

 発言権すら与えられない九十九は、ルゥナの闘争本能にほとほと呆れてしまう。


「……ったく分かったよ。だけど、今度こそ俺の指示通りに動いてもらうからな」


「オッケー!」


 曇りなき彼女の返事と軽々しいピースサインを眼前に収めた九十九は、くれぐれもこれから起きることは他言無用だと強調して伝え、リュックの中にいる“彼女”に呼びかけた。

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