第12話 実録! 九十九が脱いだ理由<わけ>~赤裸々に綴る汚物の日記~


 仁道寺を追う機を逸した九十九は、遠くから響く黄色い声を頼りに渡り廊下を突っ切って、中庭の奥にある講堂への通路でひとまず待機することにした。

 あたりは広大かつ神聖な雰囲気で、天井画や壁紙には、一枚布を羽織った聖者のような風真と、それに群がる諸外国の天使達の絵があった。

 待ち伏せをしている合間に九十九はそれを無気力に眺めつつ、ルミの言葉を思い返していた。

 

 『──ずっと瀬海ちゃんと遊びたいの』


 そう別れ際につぶやく彼女の目には、生気は薄れており濁っているように見えた。瀬海の毒気に当てられているからだろう、それが風真の言う、愛力によるものだと確信していた。

 しかし、あくまで自分の身に及ぶ力だと思っていた分、瀬海の力はタチが悪い。

 ルミの様子を見る限りでは瀬海の愛は他人にも向けられるもので、学園を包み込むほど広く伝染する。おまけに体液で服を溶かすオプション付きだ。

 不死程度にしか持ちえない九十九とでは、愛の差があまりに大きい。対抗しようにも、骨が折れることが予測される。だからこそ、この一本道で仕留めなければならない。

 不安と重圧が胸の内で混同し、それがあふれてくると、大きなため息となって九十九の体内から排出された。


「みてみて! あっちの天井の絵、絶対ヴィーナスをモチーフにしてるよね!」


 もう一つの不安要素が、あちらこちらに目移りさせて子供のようにはしゃいでいる。講堂に向かう途中の男子が、放課後の魔術師に冷めた視線を移すと、そそくさと早足で駆け抜けていく。他人とは言え、見知った人間がやらかしているのは非常に恥ずかしい。

 いまだに教師や警察が呼ばれていないのが奇跡ともいえる。おおよそ仁道寺に買収されて、学園内のトラブルが外に漏れないよう徹底しているのだろう。

 それにしたって、このまま放置していてはルゥナが教師に取り押さえられるのも時間の問題。そうなれば、九十九の戦力は無に等しい。


「おい、ルゥナ! あんまし目立つなって!」


 苛立ちを含ませながらルゥナに呼びかけると、彼女はバツが悪そうに頭をかいてこちらに向かってきた。


「ごめんなさい、つい。見慣れないものばっかりで……」


 申し訳なさそうに一言謝ると、彼女はうつむいてしまう。ここまで素直だと、逆に申し訳なくなってしまう九十九。


「いや、気持ちは分かるさ。俺も、学校なんて通ってなかったしな。それよりも、本当にいけるんだな?」


 武道経験者いわく瀬海の動作は素人同然で、素早くても初動が掴みやすいらしい。

 ルゥナを要に立ち向かえば、きっと作戦は上手くいくと踏んだ九十九。下手に動かれて連携を崩したくもない。


「ええ、心配いらない」


 彼女はコクン、と自信満々に応える。


「アイツの汗には気をつけろよ? 強酸みたいなものだからな」


 しつこく忠告する九十九に、安心するよう親指を立てて大きくうなずいた。


「大丈夫大丈夫! 任せてよ、つくもん」


「ツクモだっての。ウルトラQじゃねぇんだよ」


「あ、見て。つくもん!」


「だから違うって、おおっ!」


 呆れながらに講堂へ目線をずらすと、噂の当人が扉から顔を覗かせていた。女子の目をかいくぐって抜け出したのか、どこか挙動不審な動きをしている。幸いと女子一行様の方に集中しているからか、こちらにはさほど警戒していなさそうだった。


「でたなッ」


 九十九が口走ると、周りの空気がぴんと張り詰める。

 幸い付近には学生もおらず、教師もいない。この機を逃してはならない。

 そんな九十九の意気込みがルゥナにもひしひしと伝わってきていた。彼女は瀬海を迎え撃つ為、一足先に通路の真ん中に向かった。


「待てルゥナ、陽動なら俺が……」


「言ったでしょ? 動ける私がやらないと。つくもんはバックアップお願い。それに……」


 呼び止める九十九にルゥナは力強く応えると、深呼吸よりも大げさに「ハァア」と息を深く吐き出して気を整えている。のちに内股になると、右足を一足分踏み出し拳を構えた。


「女の敵は、女が討つ!」


 扉を閉めてこちらを振り向く瀬海に、ルゥナはキッと突き刺すように睨んだ。

 彼女の表情が見えない分、おふざけの抜けた喋り方に、静かな怒りがこもっていた。


「ああもう。分かった、もう何も言わない。頼んだぞ」


「うん」


 九十九は意気込んでいる彼女にエールを送った。

 本来、男である自分が前に出て、避けたところをルゥナが叩く、という方法が望ましかったものの、よくよく思えば素人が前に出て行っても彼女の死角を増やすだけだし、人質にでもされたら足を引っ張り兼ねない。攻撃を仕掛けるなら彼女を全面的に信じて前に出すほかない。

 だが、生徒会長の前例もある。九十九は快く返事を返しておきながらも、ルゥナに何があっても後に対応できるように構える。後方支援とはいえ、責任は重大だ。


「こい! 仁道寺瀬海ッ」


 ルゥナが勇ましく吠えると、真向いにいる瀬海はぽかんと見つめ返してくる。


「な、なんだあいつら。オレにようなのか?」


 闘気をまとうローブの怪人に、真後ろに控えている見慣れない学生。瀬海は己の不運を呪い、頭を抱えてうなだれる。

 至極まっとうな反応である。本人からすれば立て続けに不審者に絡まれているのだから。だが、九十九には彼の平凡な学生を装う態度に違和感を覚えていた。ほんの心の片隅にある疑念ではあるが、それを見極めたいがゆえに今一度瀬海に挑む。


「やれやれ、厄災も大概にしてくれよ……いいぜ、こう見えても不幸の世界トップランカーだ! 俺の不可抗力に呑まれるなよ!」


 瀬海は雄たけびを上げたのち、ルゥナに狙いを定めてからすくいあげるように両手を振り始めた。


「──来る!」


 鞭のようにしなる瀬海の腕を見て攻撃を直感したルゥナは、ステップを踏んで左右に上体を反らす。すると同時に彼女の横を通過した生暖かい水が、九十九の方に飛びかかった。


 「げぇっ」


 九十九は圧倒的不潔感に恐れおののく。

 びしゃり、と雨のように際限なく降り注いだ小粒の体液が九十九のワイシャツにかかり、右肩から手首にかけての部分が溶けてなくなっていく。

 ルゥナの言う通り、ここは任せて下がっておいた方が得策だと、身をもって感じた。


「わりぃ手が滑った、わりぃ手が滑った、わりぃ手が滑ったァ!」


 などと供述し、粗茶の水男子高校生はムキになって汗を浴びせようとする。

 だが感情的になればなるほど動きは直線的になっていき、ルゥナの巧みな足さばきはコレを全て躱していく。


「あああ゛あ゛あ゛もぉ゛お゛! よけんなよ゛お゛お゛!」


 瀬海の苛立ちに歪んだ声が辺りに響く。理不尽な不幸からくる怒りを原動力に、彼の不可抗力は加速していき、一人に狙いを絞って己の手汗を飛ばしている。


「汚っ、いつまでやるんだアイツっ! ハエ男か……うおおっ!」


 ボヤいている最中に飛来する汚水に戦慄し、九十九はとっさに通路の端に飛び込む。

 瀬海の汗には底が見えないが、ルゥナの心配をするより自分の心配だ。替えの服がない以上、十分に注意しなくてはならない。

 かなりの汗を浴びてしまった九十九は、学生服が腐蝕していくかのようにその面積を少しずつ減らしていく。

 この時ルゥナの実力にあなどっていたことを九十九は改めて猛省していた。


「ルゥナのヤツ、あんなにやれるなんてな……あっ!」


 一瞬気を取られるだけでも革靴に汗がかかってしまい、裸足になってしまった。


 一方でルゥナの集中力は凄まじく、手足の余り部分ぐらいにしかローブが溶解していない。天性の優雅な身のこなしで前進し、みるみるうちに九十九との距離を離していく。

 

 ハイレベルな攻防を遠巻きに観察して数分経つが、やがて瀬海の行動パターンが変化していった。ルゥナを捉えることが出来ないとみたのか、前方の大理石の床に向かって汗をばら撒きだしたのだ。


「く……きゃあっ」


 つるりと前のめりに転ぶルゥナ。

 倒れ方が悪かったようで大事な仮面がとれてしまい、つるつると石膏のエビス顔が滑っていってしまう。


「わ、わわ……」


 慌てて両手で顔を覆い隠すルゥナ。この状況では足さばきが機能せず、手も封じられた。幸い床に落ちた汗は服を溶かす成分はなかったようだが、彼女に抵抗する力はない。

 形勢は瀬海の方に傾いてしまった。この機に乗じ、必ず瀬海は攻めてくる。


「オレの故意は揺るがない!」


 瀬海は靴を投げ捨て裸足になると、勢いをつけて駆け出し汗の水たまりに飛び込んだ。そして、そのままきらめく汗のシューターを利用して、滑らかな動きでルゥナに滑り近づいていく。


「──まずいッ」


 負けたルゥナがただで済むはずもない。二階堂の二の舞になってしまうの目に見えている。

 彼女を救出すべく意を決した九十九は、瀬海の見様見真似で助走をつけてから跳躍する。そうしておびただしい量の汗のレールに着地すると、異様な滑走音を立てつつ汗の海を滑り渡った。


「そのふざけた服装をぶち溶かす!」


 イナバウアーの体勢から瀬海は跳ね上がり、ルゥナの真上でバク宙をしたまま全身の毛穴から汗を噴き出す。


「させるかァ!」


 九十九は己の体を弦のように反らすと脚部にあらん限りの力を込めて跳び、ルゥナに被さるように頭から突っ込んだ。





 自ら真っ暗に閉ざした視界の中で、背後から何者かに激突され気を失ったルゥナ。

 誰とも知らぬ人肌のぬくもりと、背中を濡らす他人の汗による嫌悪感で意識を取り戻したルゥナは、敗れた己の状況に覚悟しつつ薄っすらと目を開ける。


「よう、ケガはないか?」


 ぬくもりの主は九十九だった。意地の悪い印象が強かっただけに、彼の微笑みは陽の光のように温かで、絶大な安堵をもたらしてくれた。


「つ、つくも……ッ!?」


 やがてぼやけた視界が晴れると、ルゥナは飛び込んできた光景にさらに目を見開き、身を硬直させた。


「名前……初めて呼んでくれたな」


 九十九のか細い声には覇気はなく、いまにも消え入りそうに思えた。


「つくも……くんっ」


 ルゥナの透き通るほど青々しい瞳から、清らかな涙が一筋、褐色の頬をつたう。それは一度決壊すると止めどなくあふれてしまい、感情が抑えきれなくなってしまう。


「泣くなよ、ルゥナ。綺麗な顔が台無しだろ」


「……だって……!!! つくもく゛ん……!!!」


 幼子のように顔をぐしゃぐしゃに歪め、ルゥナは九十九の腕を掴む。



「──服が!!!」



 ドン! と広がる眼前には、一糸もまとわず四つん這いになっている九十九の姿があった。全身は瀬海の汗でぐっしょりと濡れてしまっており、彼の髪の毛からぽたぽたと他人の汗が垂れてくる。

 そしてなによりも、目線を少し下にずらすと九十九の局部がモザイク越しに晒されていた。


「安いもんだ。シャツやズボン一枚くらい……」


 穏やかな眼差しでルゥナに応え、心配させまいと振る舞う九十九。

 ルゥナは彼のやさしさに甘え、九十九の両手両足に己の手足を絡めると、いともたやすく体をひっくり返す。


「無事で……だはあア゛ア゛ア゛ッ!!!」


 そのままルゥナは力を込めて九十九の体を押し上げると、見事なロメロ・スペシャルが炸裂する。


「瀬海のヤツ、ゼッタイゆるさないんだからぁアアア!」


「あ゛ぁ゛、あ゛ぁ゛! 止めろルゥナ゛! 全裸でこれは! ここでこれはやばい゛!」


 日中、神聖なる場所で粗末なものをかざし悲鳴を上げる九十九。

 全身に力を入れて抜け出そうとするが、彼女の力を阻止するほどの気力もなく、なすがままにあられもない姿を露呈するしかない。


「キャアアア!」


 悲劇は重なっていく。

 先ほどの騒ぎを聞きつけた仁道寺の取り巻きが授業を抜け出し、講堂から出てきてしまったのだ。

 先頭を切った女子は泣きわめきながら講堂へと戻っていき、「変態がいる」と同級生にバラして事を大きくしていた。

 そのうち何人かの女子がグループ引き連れ講堂から出てくると、興味津々に談笑しながら吊り天井固めをされている九十九に向かってシャッター音を鳴らす始末。


「プチ写でスカイラインに投稿しちゃおうよ」


「うわ、なんかモザイクかかってるし、気持ちわるー」


「ぢょ、撮ってんじゃねえ゛!」


 九十九は首を反らして野次馬に怒鳴り上げるも、純真な子供たちの残酷な行動はエスカレートするばかりで、止まることを知らない。


「ルゥナさ゛ん、もう止めてぇエエ! その怒りは瀬ガイにぶづげろぉお゛!」


 懸命に命乞いをするが、ルゥナの頭はすっかり血が上ってしまっていて聞き入れてくれない。

 もはやこれまで。手詰まりとなった九十九は最期の最期になってやけくそ気味に叫んだ。


「だれかー僕を殺してくださーい」

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