第11話 武闘派女子×庶民派男子
仁道寺を取り巻く風は止み、残されたのは眩い陽光と熱気に、かすかな喧騒だった。静寂が訪れた中庭は、この空間だけ時間が捨てられたかのような錯覚におちいる。
数人残った女子生徒は二階堂と親しい者なのだろう、全裸で横たわる彼女に白い布をかぶせ担架に乗せると、粛々と何処かに運んで行ってしまった。
一方、ルゥナと相対した九十九は予期せぬ相手に身を硬直させたが、気を持ち直すとそっと彼女から目をそらし、見て見ぬふりをした。
「おーい! つくねくーん!」
「(ああ、くそ……)」
ルゥナの大きな声が中庭に響き渡る。空気の読めない、まっすぐで澄みきった声だった。
どうにも上手いこといかず、手で顔を覆う九十九。
「知り合いなんですか?」
「気のせいだよ、気のせい!」
山之辺の問いに、九十九は力強く否定する。
別に彼女が害のある人間だとは思っていない。ただ、不確定要素を増やして山之辺を心配させるのはプロではない。何でも屋としての長年の経験からくる己の判断を信じ、九十九は心を鬼にして知らんぷりに徹する。
「あれ、つくねくんだよねー! ジュリアさん元気ぃ!? なんで学生服なんて着てるのー!? キミ25でしょー!?」
「(あんにゃろ……)」
まるで旧友との再会を果たしたかのように馴れ馴れしく、周りを気にせずにぶんぶんと手を振ってくる。
嫌がらせじみた行動にふつふつとこみ上げる衝動を抑え、一貫して九十九はそっぽを向いたまま応えようとはしなかった。
「名前呼んでますけど」
「ほっとけ」
なにせ今は潜入調査を請け負う身なのだ。おいそれと身の上も知らない彼女とだべっている暇はない。こうしている間にも仁道寺の手はあらぬところにまで及んでしまう。
九十九は「気にするな」の一点張りで山之辺を強引に押し切り、話を本筋に戻そうとする。
「とにかく、俺はあの変態を追うぞ。あの様子じゃあ、マトモに授業も受けてなさそうだしな」
「え、ええ。ですが……」
山之辺は言葉を詰まらせると、しきりにルゥナの方へ目くばせしている。良心の呵責というものだろうか、見知らぬ他人にさえ罪悪感を抱いている彼の生真面目な態度に、九十九はフッとため息をついた。
「真面目だなぁ、大丈夫だよ。アイツは気にすんなって」
「──気にしてよ!」
矢を射るかのように彼女の声がぐんと近づいてきたかと思うと、九十九の頬にぎゅうぅっと痛みが走った。
「はがッ」
九十九の頬を捻り上げるルゥナ。頭一つ分の身長差もルゥナにとってはなんのその。一本釣りされた九十九は魚のように体を跳ねたりくねらせており、そこには男の尊厳など微塵もなかった。
「ぎぶ、ぎぶだッ」
とっさにルゥナの腕をつかんでタップすると、観念したと見てくれたのか素直に手を離して九十九を解放した。
「ひどいよ、無視するなんて。一宿一飯の恩義を忘れちゃったの?!」
「いやお前がな! いったぁ……」
半べそをかいてほっぺをさする九十九。革のグローブをはめているとはいえ、彼女の握力は想像を絶するほどに強く、やっとこでつねられたような剛力だった。九十九はジャーナリストを名乗る彼女に対して、ますます強い疑念を抱く。
「“ガチャバエ”なのかよホントに。UFC選手じゃなくて」
「何か言った?」
つい心の内の声が出ると、聞きつけたルゥナがゆらりと石膏で固めた笑顔を近づけてきた。
「怖っ! い、いやぁヘイローも狭いんだなってさ、ははは」
調子よく空笑いをふかしていると、意図の読めない面が九十九を睨む。
「よく言うわよ。そのままどこか行っちゃおうとした癖に……うぅ」
気を引くつもりなのか愚図り始めたルゥナ。
異様な格好で嗚咽をもらしている彼女を見ていると、次第に九十九は嗜虐心<しぎゃくしん>をくすぐられた。
「悪かったって。大げさだなぁ、何も泣かなくてもいいじゃんか……というか、泣いてるのか。笑ってる?」
「怒って、泣いてるんです! 慟哭<どうこく>しているんです!」
ニンマリとしたエビス顔で怒鳴りながら、地団駄を踏んでいる。
あまりにシュールでいて、何とも滑稽<こっけい>なものだった。九十九はお遊びが過ぎたことを自覚し、両手を合わせて謝った。
「ごめんごめん! ちゃんと理由話すからさ、言いふらすなよ」
「……うん」
彼女が少し落ち着くまで間を空けると、九十九は自分が何でも屋であり、山之辺から請け負っている依頼の最中であることを説明した。するとルゥナもあっさりと機嫌を直し、事情を汲んでくれた。
ジュリアと九十九のトレーラーで一泊した際に、あらかじめ九十九の職業のことは聞き出していたようで、合点がいくのもすぐだった。
「本当に色んなことしてるんだね……その眉毛も変装なの?」
「やめい」
感嘆の声を漏らしつつ、ルゥナは隙を見て九十九の眉毛に手を伸ばす。
九十九はそれを手でぱしん、と跳ねのけると喉をわざとらしく鳴らし、話を進行させる。
「それより、だな。ルゥナはなんでここに? ここの学生……なわけないよな」
上半身を軽く後ろにねじって、窓から身を乗り出す山之辺に視線を送るが、彼には心当たりはないようで首を横に振っている。それも当然だろう。人肌すら晒せない学生など、そもそも入学すら困難のはず。
いかにして学園内に忍び込んだのか。仁道寺の件がなければ通報されてもおかしくはない。
「私が? まっさか。こう見えても18だし、見間違えるのも無理ないけどね。ふふーん」
「どう見るんだよ」
ルゥナは満更でもなさそうに体を左右に振って、喜びを体現していた。
九十九自身も冷めた言葉を発していても、おおよそ察しはついていた。前回対峙した時からローブの上からでも“女性らしさ”のボディーラインは見て取れていたからだ。状況が状況であった為に気にしてはいなかったが、しなやかな曲線のヴァイオリンフォームが瑞々しい彼女の豊満な肉体をアピールしており、どことなく口調も幼さが残っていた。学生ではなくても、年齢は自分より下だと見当はつく。
だからといって断言できるわけでもないし、追及する気もさらさらない。
彼女の場当たり的な態度を見てると、デリカシーのない質問をすれば突然不機嫌になって刺される気がしたからだ。
「──で、どんな流れでここにいるんだよ。おたくも仁道寺絡みの仕事なのか?」
「もちろん! 原付は返して貰ったし、キミ達を襲撃したアンドロイドの件で証言もとれたから、新聞社にタレコミに行ったの。だけど、情報に信憑性がないって門前払いくらっちゃって路頭に迷ってたのよ。警察まで呼ぶなんてひどいよね!?」
「そうだね……」
九十九は無意識にルゥナの格好を見つめてつぶやく。
「警備アンドロイドまで来たんだから! それで悔しいけど、別の切り口から攻めることにしたの。タマ河川沿いに聞き込みしながら方法を探してたら、いいネタが見つかって……」
「それで瀬海か」
ルゥナが活き活きといきさつを語る中、大まかな流れを察した九十九が口を挟んだ。
「名案でしょ? 彼も問題アリみたいだし、この件を足掛かりにして父親にもきっちり責任を取ってもらうのよ。そうすれば貴方の仇もきっと討てる」
「勝手に殺さないでくださる?」
彼女は得意げにピースをしているが、対して九十九はルゥナの魂胆を聞くと目尻にこもっていた力が抜けていった。
「でも、まぁ、やめとけ」
「え?」
髪をくしゃくしゃにかくと、どこか突き放すように言い捨てる九十九。その表情は、いつの間にか苦いものを含んだ顔になっていた。
「気にはなってたけど、やっぱりヘイロー外から来たのか。どうりで事情を知らないわけだ」
「何かあるの?」
よそ者扱いが気に入らないのか、ルゥナは少しムッとした声を出す。
「いいか。ドラァグ・クイーン・ストリートは地番の存在しない、偉い人お抱えの“遊び場”なんだよ。よそから来たなら下手に触れるな。たとえネタを掴んでも、仁道寺の豊富<とよとみ>様は、各地区の大手マスメディアと通じてる。片っ端から真っ黒さ。アイツにもみ消されるのが関の山なんだよ」
「だからって……」
「そりゃあ、おたくは正しいことをしてると思う。だけど、ジャーナリストなら叩く相手は考えた方がいい。地面と同化したくないならな」
「……」
流暢にヘイローのマスコミ事情を語る九十九に、ルゥナは食い下がるのを止め、「むむ……」と頷きながら顎に手を当て考え込んでいる。
脅しが過ぎたかと九十九は声をかけようとするが、彼女は遮って言った。
「一筋縄でいかないのは分かったわ。でも、それならどうしてキミはこの件に関わったの? キミだって、仁道寺のせいで酷い目にあったじゃない」
「ん。まぁ、そりゃアレさ……」
彼女の問いに九十九は口を濁しつつ、照れくさそうに鼻の頭をぽりぽりとかいた。
「俺は“何でも屋”だからな。相手が誰だろうが、困ってる人がいるならやるだけのことはやるんだよ」
「へぇ」
「九十九さん……!」
ひとり感涙している山之辺をよそに、小馬鹿にしているのか感心しているのか、ルゥナはつま先を地面にトントンとつつきながら、九十九をじっと見つめている。
「ふ~ん」
「な、なんだよ。気味が悪い」
「決めた!」
「へ?」
唐突に彼女は一声発すると、今度はローブの中でモゾモゾとしだし、以前と同じ手帳を取り出して何やら書き始めている。
「何してんすか」
「ふふーん、ジャーナリスト活動は休止して、キミの何でも屋で働くことにしたの」
「はい?」
「安心して。わたくし、武道を嗜んでますから」
彼女は自慢げに言うがまったく呑み込めず、唖然とする九十九。
ルゥナは手を止めると手帳をしまい、右手を差し出し握手を求めてきた。
「おす! よろしくね、つくね先輩」
「いい加減に串物みたいな名前で呼ぶなっての。ていうか! 話聞いてたのか?! よそ者が首突っ込むなって言ったんだよ。武道っつったって、さっきの見たろ?! アイツにハレンチされるのがオチだって!」
「いいから握手!」
ぐだぐだと喚いている九十九に構わず、ルゥナはもう片方の手で九十九の右手首を掴むと、強引に握手する。
抗うすべを持たぬ九十九は、彼女の暴力によってガッチリと契りを交わすことになった。
「おい、ちょ」
「困ったときはお互い様でしょ! お節介がモットーなのよ、私も」
「待てよ、俺はタダでやってるわけじゃアタァアッ」
有無を言わさず凄まじい握力が九十九を襲う。
ルゥナにとってはかくして契約は結ばれたと言うべきか、これからの何でも屋ライフに気持ちが昂っているようで、大きく上下に手を振って九十九を子供のように扱う。
「──あ、ルミちゃん!」
悶えている九十九の後ろから山之辺の声がし、いったん動きを止めるルゥナ。
「る、ルミちゃん?」
振り回され酔いのまわっている九十九の脳内で、山之辺が片想いを寄せる女性のことを思い出す。
ルゥナとほぼ同時に彼の声の先に顔を向けると、気づかぬうちにツイン団子頭のしたおっとり女子がおり、こちらを温かく見つめていた。
「お二人さん、仲がいいの」
甘ったるい声を出しながら、彼女は垂れている目ををさらにとろぉ~んとさせ、くすくすと上品に笑っていた。
◆
「紹介します、僕と同じクラスのルミちゃんです」
「よろしくなの」
山之辺のきっちりした言葉遣いに対し一歩も二歩も遅れているような、緩やかな動作でお辞儀をした。
横に並ぶ山之辺の肩ぐらいの背で、ルゥナよりも少し小柄な女性だ。不思議な癒しオーラをまとっており、ふわふわと綿あめみたいな印象で、つかみどころの無さが九十九にとって苦手意識を芽生えさせてしまう。
だからと言って、クライアントの彼女候補に失礼な態度をとることはプロとして許されない。
「初めまして。何でも屋の九十九と申します。以後お見知りおきを」
初対面の印象でその人間の底は見えてしまう。九十九は軽く挨拶を返しつつも、ズボンのポケットからくたびれた名刺を取り出し、てきぱきと彼女に手渡して頭を下げる。
ささっと上辺は丁寧に、関りは最小限に。これが九十九なりの精一杯の礼儀である。
「初めまして。何でも屋のルゥナです。おす!」
「おい、自称ジャーナリスト」
九十九はじろりとルゥナを睨むが、彼女は気にも留めずルミに歩み寄っていき、九十九の時と同じように手を差し出す。あっさりと簡潔、これぞルゥナ流のコミュニティの築き方なのだろう。
「一緒に瀬海を成敗しちゃおうね! ルミルミ」
「ルミルミ……」
山之辺は目を丸くさせつつつぶやくと、眼鏡を掛け直して二人を注視する。
天真爛漫<てんしんらんまん>としたルゥナが、ゆるふわ系のルミとかち合うことで妙な化学反応を起こさないか不安だったからだ。
「ルゥナちゃんは、瀬海ちゃんをいじめにきたの?」
ルミは握手をそらすと、彼女の顔からほんわかした笑みが消えてしまう。
心なしか瞳もうるんでいて、今にも泣き出してしまいそうだ。
「ち、違うの! 私はただ──」
「同じ方法でやり返されたな。え? 泣き落とし作戦」
ルゥナの肩を掴んでその場を退けさせると、ずぃっと九十九がルミの前に立ちはだかる。
「悪い、君に聞きたいんだけどさ。この学園の女子って仁道寺を捕まえる気あるの?」
「九十九さん、何を……」
直球な質問に山之辺は口を挟もうとするが、実際のところルミが仁道寺の行為をどう思っているのか知りたい気持ちが勝ると黙り込み、彼女の発する一言一句を逃さぬよう耳を傾けた。
「いやさぁ、ルミちゃんが証人になってくれれば警察も動いてくれるだろ? 流石に現行犯で捕まっちゃえば瀬海もどうしようもないしな。どう?」
「そんなことしないの。瀬海ちゃんは悪いことしてないの。みんなが追いかけるから逃げてるだけなの」
九十九の発言に、声を荒げるルミ。
「妙なこと言うね。ルミちゃんは嫌な思いしたんじゃないの?」
そう顔色をうかがいながら九十九は尋ねるが、ルミは小さな顔を横に振り否定すると、再びほわ~んと柔らかい笑顔を浮かべて語りだした。
「そんなことないの。瀬海ちゃんに触られると、ぽわわぁんってして、頭の中がぽかぽかするの」
「そ、そうなの……」
抽象的かつゆるい言葉遣いに九十九もたじたじになってしまい、これ以上深く切り込んでいけなくなってしまった。
「みんなは認めたくないから、怒ってごまかしてるだけなの。本当は瀬海ちゃんのこと──」
「うぉおおおおおおお゛お゛お゛お゛! ルミぁああああ!」
山之辺がこの世の終わりの如く絶叫したかと思うと、泣きじゃくりながら走り出してしまう。
「あ、ちょっと!」
ルゥナが呼び止めるも声は届かず、山之辺は渡り廊下をまたいだ先の人工池に奇声を上げて入水してしまった。
傷心を負った山之辺を弔う為、九十九は合掌して黙祷をささげる。
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