第10話 イログルイ


「──だぁもう! 誤解なんだぁ!」


「通るものですか、そんな言い訳っ!」


手に掲げられた水色のショーツが煽りになり、より一層女子生徒たちは荒々しいうねりになっていく。良くも悪くも瀬海という月に影響されて、平静さを保てなくなっている印象だった。

狂気の沙汰を眼前にした九十九は、芯から武者震いがしてくる。


「来たな……!」


キッと瀬海を睨みつけ、覚悟を決める。

戦場の兵士として立ち会っているかのような迫力と物量、そして絶え間ない金切声の共鳴によって生まれる大気の震え。

がぜんやる気が湧いてきた九十九は、山之辺に預けていたリュックからメガホンを持ち出し片手に構えた。


「九十九さん、一体何を?!」


「話しをするだけだ」


「今はさすがに無謀ですよ! 死んじゃいますって」


「いいから、荷物持って離れてろ」


「……は、はい。分かりました」


自信に満ちた顔に気圧され、山之辺は校門から離れ、道端の植え込みに移動する。

対して独り残った九十九は直立不動のままメガホンを口元にあてがい、大きく息を吸い込んだ。


「──六甲おろしに、颯爽<さっそう>とぉ」


軽やかに足踏みしながら、右腕を上下に動かして熱唱し始めた。

その様は猛暑となる夏季に向けて、己の体内に宿る炎を引き出す儀式に見えた。


「もうシーズン近いんでしたね……じゃないでしょっ! 真面目にやって下さい! ちなみに僕は巨人ファンなんですよ?!」


「分かってるって、ちょっと気合いを入れただけだろ……漫才師みたいだな、おたく」


外野からヤジが飛んでくるが、大人の対応で場を収め、一呼吸置いてから改めて瀬海に向き合った。


「仁道寺瀬海ッ、後ろの女子どもをしずめてくれ! ちょっと話がしたいんだ!」


「ああ厄日だぁ!」


「おいって! 一度落ち着いて──」


対話を図ろうとするが、てんで話にならない。

聞く耳をもたず、瀬海は必死の形相で突っ走ってくる。

九十九がどれだけ声を枯らそうとも、瀬海という一つの事象の前には無力なのだと痛感する。


「待てって、瀬……」


すれ違う瞬間、彼の肩を掴もうと手を伸ばす。

が、瀬海は上体をひねってその手を避けると、学園内へと走り抜けていってしまった。


「──邪魔よっ!」


「げぇッ」


めげずに追いかけようとするが、背後から女子の波に押し飛ばされてしまい、追って容赦無い“蹴撃”が九十九の身に襲いかかる。

しなやかな女性の脚なれど、断固たる意志のもと結束すれば、それは凶器となった。彼女たちはサッカーボールを転がすかのように九十九の後頭部を蹴飛ばし、背を踏みつけ、慈悲も情けもない行進で痛ぶっていく──。


ようやく大規模な軍事パレードが通過すると、永遠かと思われた責め苦から解き放たれる。


「九十九さんっ」


土埃が薄まってきた頃に駆けつけると、服も体もボロ切れにされた九十九が地べたに伏していた。


「大丈夫ですか!?」


「ぐ……サバンナかココは……」


必死の呼び掛けに、ふるふると顔を上げて応える九十九。

ひとまず彼の無事を確かめられてホッとため息をつくが、あまりにも無茶な行いをした九十九に苦言を呈す。


「言ったでしょう? 奴は、何も助けて欲しくて逃げてるわけじゃない……優越感に浸っているだけなんです。交渉は通じません」


力無い己の拳を見つめ、山之辺は悔しさに唇の端を噛んだ。


「りゅ……リュックを……」


「え?」


「ックを……」


「リュック、ですか?」


か細い声で何かを伝えようとしてくる九十九に気づき、山之辺は彼の正面に膝をついてリュックを差し出すと、次なるお告げを待った。

すると九十九は泥だらけになった手を上げ、指先を震わせながらもファスナーを掴み開けた。


「──サーチ完了です、ツクモ」


「うわぁっ」


食い気味にリュックから飛び出してきた黒い箱に驚き、腰を抜かす山之辺。

良く見てみると、以前トレーラーハウスで見たチビロボットのモンジュだった。

言葉通りに何かを終えたことを告げて敬礼しているソレに、九十九は光を宿した瞳をぶつけている。


「どうなんだ……?」


「はい。ツクモと同じ、特殊な波動を感知致しました。自覚の有無は不明。ですが、愛力者に違いありません」


モンジュの返答に確信の笑みをこぼし、ふらふらと立ち上がる九十九。


「あいりょくしゃ……?」


話に入り込めずに目を丸くさせている彼に、九十九は得意げにニヤリと笑って朝陽を背に親指を立てた。


「もてなし君……教室に案内してくれ……」


弱々しく呟いてから、足先を引きずりつつ歩きだした。

よたよたと今にも倒れてしまいそうな九十九に、心の底に沈んでいた不安の砂が舞って表情に影を落とす。


が、しかし。それ以上に湧き出てくる固い結束感を胸に山之辺は立ち上がる。

誰にも頼れず、暗雲立ち込めていた心に陽の光をもたらしたのは九十九だった。

いわば彼は、瀬海に立ち向かう数少ない同志なのだから。


「はい……こちらです!」


九十九に肩を貸し、そ茶の水ハイスクールの門を共に踏み越えると、第二の戦場へとおもむく二人であった。





「おーい、席につけよぉ」


若々しい男性教員の声が教室に響くと、バラついていた生徒は自分たちの持ち場についた。

男性教員は全員が席に着くのを確認し教室内を見渡すと、穴の抜けた顔揃いにがっくりと肩を落とす。


「またほとんどが席を外しているのか……瀬海にも困ったもんだ」


三十五人いる中で二十人も女子が不在となれば、もはやクラス崩壊。教師としてのプライドにも亀裂が走るというもの。

だからと言ってお上に進言することも、他の対策を取るということもせず、ただ深いため息をついてからホームルームを始めた。


「とりあえず、出欠確認するぞ」


そう男性教員が告げながら、窓側の隅へなんとなしに目をやると、見慣れぬ青年が神妙な顔をして窓の外を眺めていた。

新学期から一ヶ月経っているし、新しい顔ぶれも把握している。本来席についているはずの生徒の顔に違和感を覚えた。


「(あそこはオースティンの席だったはずだが……)」


怪訝そうに眉をひそめ、明らかに日本人の見た目である生徒に厳しい眼差しがいく。


「先生!」


反対側の端に座っていた山之辺が、突然大声を出して割って入った。


「なんだ、山之辺」


「この状況で出席取っても意味をなしませんよ。昨日みたいに事後報告で、出欠確認はパスにしませんか?」


山之辺の意見に被さり、他の男子生徒も「そうだそうだ」とはやし立てる。


「……しょうがない、そうするか。それじゃあ、次の時間はカルチャールームだから、ボサっとして遅れるなよ」


あっさり引き下がった男性教員は、一時限の内容をかいつまんで話し、そそくさとその場を去っていった。

ホームルームを無事に終え、男子生徒たちも“哲学”の教科書を手に粛々と教室を出て行く。

残されたのは、三名の生徒。眼を閉ざした細身の女子と山之辺、そしてもう一人は……。


「(──どうにも解せないな)」


眼前に広がる天然芝の中庭。昼食の為のベンチやテーブルも置かれいて、一種の広場みたいなところだった。

丁寧に手入れされた、学生たちの憩いの場に睨みをきかせると、ある疑問に首を傾げる九十九。


「(なんで仰向けなんだよ……)」


だだっ広い天然芝の真ん中に、ポツンと横になっているマーライオン。

この学園に侵入してからというもの、レイアウトを考案した人間の意図を知りたくなる奇妙な物ばかりに目を引かれてしまい、あたりの講堂への通路を走り回っている瀬海に集中ができなくなっていた。


「危なかったですね、九十九さん」


コソコソと近づいて来た山之辺が小声で言いながら、一つ前の空席に腰を下ろす。


「ん、ああ」


誤魔化すように空返事をして、すぐさま瀬海の挙動を見張る。


「それにしても、驚きましたよ。あんなヒドイ怪我が治るなんて、しかも制服まで……」


九十九が教室に忍び込む際の一瞬、目を離した隙だった。

たった数秒のタイミングで手負いだった九十九の身体が、千切れかけの破滅的な服装が、時間でも巻き戻したかのように元通りになっていたのだ。

その回復力にすっかりと驚嘆し、言葉の端から頭の中がてんやわんやしているのを隠せない山之辺。


「なにせ不死身だからな……」


威勢の良い言い方をするわりに、九十九の表情には切なさを感じる。

出過ぎて真似とはいえ、おそるおそる山之辺は探りを入れてみることにした。


「ずいぶん浮かない顔ですね?」


「いやぁ、あいつ青春してんなってさ」


「瀬海ですか?」


「ああ……」


たらればを考え出しても、そこに未来は無い。

九十九はそれを重々承知しているつもりだったが、瀬海に己の姿を重ね自問してしまう。

もし一人の生徒として学園にいられたのなら、将来への展望も明るいものになっていたのかもしれない、と。


「ま、下着持ってはしゃぐ気にはならないけどな」


薄暗い思考を断つために、九十九はニカッと中途半端な笑顔を山之辺に見せてジョークを飛ばす。


「ははは、そうですね……あっ、九十九さん。見てくださいアレ」


「ん?」


唐突に指差す山之辺に釣られて顔を向けると、中庭を分断する渡り廊下に華奢な体つきの女子が刀を携え、静かに立っていた。


「ついにあの方も重い腰を……!」


山之辺が意気揚々としてメガネを上げている。


「誰だ、あの子」


「さっきまで教室にいたじゃないですか。生徒会長ですよ、生徒会長」


「生徒会長だぁ?」


山之辺に言われると、かような雰囲気は漂わせていた。平和なガールズライフを過ごす女子とは一線越えている、ただものでない殺気を。

さわさわと生暖かい風に長い髪を揺らめかせていると、機を捉えた彼女は動きを見せる。

おもむろに右足を引きずって、一歩ずつ頼りなく、おぼろげな光を求めてさまようかのごとく歩いていた。


「跛足<はそく>か……!」


「目も不自由ですが、学園生活に支障はありません。ひょっとすると僕らの出る幕がなくなってしまうかもしれませんが……」


彼女の力に期待している一方で、完全とは言い切れない濁し方だ。

だがそんなことよりも、九十九には他にも危惧<きぐ>する問題があった。


「あの刀は本物か? 会長さんが勝ったら死人が出るんですけども……」


「勝てると信じてはいます……しかし、美人な女性である以上、瀬海にも分があります。奴は女性のヴィジュアルに応じて能力を上げる変態ですから」


「おーい、聞いているのかな?」


とりとめのない会話をしていると、窓を隔てた先から空気を締め上げる緊張感が伝わり、九十九たちは汗が引いていった。

位置を掴んだのか会長はマーライオン付近で立ち止まり、鞘から刀を引き抜くと剣を地に突き立て右足の指で刀身を挟みこんだ。


「でますよ、九十九さん」


「でちゃマズイだろ!」


殺しの現場に居合わせたくはない。例えそれが仁道寺の子供であろうとも。九十九は中庭に向かうため慌てて窓を開けて飛び越えようとするが、窓枠に足を引っ掛けてしまい顔面を地面に強打する。


「はぐぉっ」


刻一刻と決闘の瞬間が迫るなかで、思わぬ失態にのたうちまわる九十九。


そうこう手間取っている内に、瀬海は中庭をぐるりと回って、吸い寄せられるかのように会長のもとへと駆けていった。


「しつこいってのお前ら! 学生は大人しく勉学に励めって!」


「「お前が言うなーっ!」」


自分には関係なしとばかりに痴話喧嘩を繰り返す瀬海。

もはや会長との衝突を引き止められる者はいなかった。


「覚悟」


騒々しい足音と女子たちの金切声で、距離を読み終えた会長。

みしぃ……と強張らせた上体を真横に傾かせ、色気も気品もない奇怪な体勢になった。


「待ってみんな、生徒会長よ!」


「か、会長!?」


先頭で瀬海を追っていたリーダー格の女子が叫ぶと、後ろの生徒たちは軍隊のようにピタリと足を止める。「生徒会長」の単語を境に、先ほどまでに喚いていた黄色い声も消え失せた

瀬海にも言えることだった。

当然「生徒会長」と耳にした瀬海は正面に顔を戻すと、歯を食いしばって待ち構えている生徒会長に、血の気が引いて冷や汗が全身から噴き出す。


「げぇっ! 二階堂<にかいどう>っ!!」


彼女に気づいたと同時に、斬撃の間合いに踏み入ってしまう。


「(勝機……!)」


手首と上体を縦回転させ、反動で切っ先を地から振り上げる。ムチのようにしなやかで変則的な二階堂の腕の可動域は、避けようもない一撃必殺の技を生む。


が、瀬海もまた人外の身。

風をも断つ音速のかまいたちは、瀬海のアゴを捉えることはなかった。

二階堂は勢いのまま倒れこむと、霧のように存在が消えた瀬海の気配をたどる。


「会長! 上です!」


女子生徒の声に反応し、光を失った瞳で真上を見上げた。

すると、空から水が全身に降り注ぐのを肌で感じる二階堂。


「雨……」


不可解な顔をしている二階堂に、息を呑んで見守っていた女子生徒たちが一斉に「かいちょおぉ!」泣き叫んだ。

それは、勝敗を決する審判の声に等しいものだった。

二階堂は己の身体に触れてみると制服が消失しており、穢れ<けがれ>なき白い素肌が生徒たちの視線の中で露わにされてしまっていた。


「無念」


一言呟くと彼女は、豊満な裸体を晒したままショックで気絶してしまう。


「──よっと」


無防備な彼女に跨がる形で着地する瀬海。

心なしか満足げに勝ち誇ったような顔で彼女を見下している。

彼の傲慢な態度に、ついに女子生徒たちの逆鱗<げきりん>に触れてしまったようだ。


「女の意地にかけても捕らえるのよっ!」


ポニーテールの女が号令をかけ火ぶたを切ると、再び女子生徒がわいた。


「ま、待てって。これこそ不可抗力だろ?! 刀も本物だしさ」


「うるさぁい! 今日こそ観念しなさい!」


問答無用と言わんばかりに襲いかかる女子生徒たち。迫力に負けて学園内に避難する瀬海。

その“繰り返し”が学園を取り込んでいた。繰り返し繰り返し。繰り返し繰り返し。

この歪んだ愛のサイクルからは誰も逃れられない。


「──九十九さん、平気ですか?」


山之辺が窓から覗き込み、真下であぐらをかいている九十九に声をかける。


二度目となると、心のない冷めた声調だ。

どのみち九十九の身を心配したところで、無事に決まっている。不死身を豪語しているのだから。


「あー」


赤く腫れさせた鼻を擦り、軽く手を振って応える九十九。

芝生の上であぐらをかき遠くで観戦していた九十九は、瀬海の一連の動きに背筋を凍らせていた。


「(なんつー奴だ……)」


二階堂の斬撃を身体を反らしてかわし、バッタのように高々と跳躍してバク宙を披露していた。おまけに手足から汗を飛ばし彼女に注ぐと、触れた部分が下着ごと服を溶かしてしまったのだ。


おぞましき人外の子。九十九にはそう目に映り言い表すしかない。


「エイリアンかよ」


溺死した遺体のように制服を掛けられている二階堂を見つめ、思わず独り言をつぶやく。


「どう捕まえるかなアイツ……まさか銃弾撃ちこむわけにもいかないし……」


辱められた女子を直接目の当たりにした九十九は、学園の生徒たちの尊厳を守る為、決意をなおのこと強固なものとする。

しかし、策をひねろうと努力するも、あの俊敏<しゅんびん>な動きに対応できる自信がなかった。


「もう少し運動神経があれば……ん?」


悩みつつ視線を延長線上にある渡り廊下に向けると、中庭を覗いていた不審な人物とたまたま目線が合った。


「(なんだアイツ……なんでここに)」


幸か不幸か、見知った者ではあった。眼に焼き付けられたら、忘れたくとも忘れようもない。

黒いローブを羽織った仮面の女、ルゥナとの邂逅<かいこう>を果たしてしまう。

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