第9話 胎動
頭につんざくアラート音で目を覚ます九十九。
気づけば額にモンジュが乗っかっており、骨伝導で電子音を全身に響かせてくる。
「わ、分かったから、止めてくれモンジュぅ……」
普段と聞き慣れていないアラームとはいえ、眠りを妨げる“暴音”には違いないようだ。
「おはようございます」
事務的でいて、無感情な挨拶。
そこには不調も絶好調もない“平常”があった。睡眠欲求のないアンドロイドは毎朝不機嫌になることもなければ、深夜にハイになることもない。
寝不足気味な九十九は、この瞬間に限っては心底からモンジュを羨んだ。
「おはよ……」
弱々しく挨拶すると、あくびをかいてから彼女を退けて、ダラダラと腰を掻きつつ脱衣所へ向かった。
「──調子はどうだ」
洗面台の前に立つと鏡に語りかける。
しょぼくれた九十九の顔が「最悪」だと返してきた。身体の気だるさは抜け切れていないようだ。
九十九はうだうだとしながら白いシャツに黒のスラックスと、仕事の服装へと着替えていく。
「(あっつ……まだ五月だぞオイ)」
初夏とはいえ、小窓から射し込んでくる朝陽はキツい。“ドラァグ”の密接した構造も要因となり、湿気も酷く、その内に来たる烈日の日々を知らせにきているかのようで気分が上がらない。
だが、いつまでもこうしてはいられない。待たせるということは、依頼主への裏切りになる。九十九は頬に張り手をかまして闘魂を注入した。
早々にヒゲを剃って顔を洗い歯磨きを終えると、ワックスをつけた指で髪をなでる。ガチガチに固めず、普段通り自然の流れに逆らわないよう最小限に髪型を整えていった。
「よし」
情熱の赤いネクタイを結んで、朝の作業を締める。こうして男の顔立ちは凛々しくも勇ましい、任侠道を征くヤクザに変身した。
「よくない」
九十九は焼失した眉に絶望し、洗面台に手をついた。
ブレザーを羽織りよしんば17歳として学園に紛れたとして、今のままでは悪い意味で注目の的になってしまう。
遅蒔きながらこの立ちはだかる問題に気がつき、あれこれと策をひねる。
「マジックペンで書くかぁ? いや、漫画じゃあるまいし……」
考え抜いた末、九十九は両方の人差し指で眉を押さえてゆっくりと瞳を閉じる。
「生え〜る、生え〜る。伸び〜る、伸び〜る」
九十九流<つくも・ながれ>25歳、独唱する。
お粗末な歌詞に単調なリズムで、ひたすらに、すがるように己の眉毛をスリスリこねていく。
雨乞いみたいなうさんくささがあるが、溺れるネズミはなんとやら。どの道どうしようもない。どうせならやるだけのことはやって玉砕するまで。
そう諦観しつつも万に一つの可能性に、もとい兆に一つの突破口に賭けてみる。
「(俺はアホか……)」
己の滑稽<こっけい>さに失笑して、奇行を止める。
「……え、えぇえ?!」
思わず叫ぶ九十九。到底起こり得ない事に、鏡に映るミラクルを二度見した。
遥か遠くにある針の穴に糸が通った。そんな奇跡を彷彿とさせ鼓動が跳ね上がる。稚拙な歌が功を奏したのか、九十九の眉毛が失う前の形で完全に修復されていたのだ。
「こ、こんなすぐ生えてくるもんか……これ」
唖然とした面もちで、おそるおそる眉毛に触れてみる。
ふさふさとして、ちょっと硬めの毛ブラシみたいな手触り。間違いなく本物の眉毛だった。
無から有への発現に九十九は古文書の恩恵だと考えに至り、海底に眠る古代人に感謝を表して、宙に十字を切って手を組み合わせた。
「愛力様様だなぁ」
祈りを終えた九十九は洗面台の奥にある銀の腕時計に手を伸ばす。
すると、知らぬ間に立ちはだかっていた黒い物体に指がぶつかりギョッとする。
「……おどかすなよ」
視線の先にいる物体は“モンジュ”だった。いつ忍び寄ってきたのか、彼女は物言わずに無機質な面を向けて、九十九を仰ぎ見てくる。
「モンジュも見たか、俺の力を」
親指をグッと立てて愛力アピールに励む九十九だが、対してモンジュは静を貫いていた。
「……」
やがてモンジュは頭部を黄色に点滅させつつうつむくと、「やれやれ」と呆れたように首を振り、九十九の左腕をよじ登る。
「……どうも」
羞恥心がじわりと滲んできた九十九。
人間の部分を残した秘書ならまだしも、モンジュに冷めた態度を取られるとこたえるものがある。
頭頂部に座した彼女を見届けた後、喉を大げさに唸らせて腕時計を左手首に装着し、そそくさと脱衣所から離れた。
◆
タマ河川を下った先の駅でモノレールに乗り、都市“ヘイロー”を囲む環状線路から反時計回りに二駅ほどすると“そ茶の水”に到着する。ドラァグやメインストリートにはない、レンガで埋め尽くされたレトロな光景が、駅の構内にある窓から覗かせていた。
「(前に来たのは……ゴミ拾いの時だったか)」
外の景色を眺め感傷に浸りつつ階段を降りると、さっそく手前側に二色に舗装されたレンガの石畳が目についた。赤茶けた色の歩道ときめ細かい灰色の車道で振り分け、素朴で自然に合わせた色彩のものにしている。
道路沿いには芝や低木の植え込みに、ポストランプが一定の間隔を空けて整備されていた。まさに紳士淑女のための優美な街で、散歩をしているだけでも品性が身に染みてきそうだ。
九十九の口から言わせるならば、この地はヘイローにおいて“安全圏”となる。富を築き上げた者が求め欲する、清潔なエリア。物持たぬ野蛮な人間を払い、そして金を払い、手にするセーフティーゾーンなのだ。
「さぁてと……」
敵地に潜入する意気込みで、道路を渡っていく歩行者に次々と視線をぶつける九十九。
「(みっけた)」
モノレールに同乗していた複数人のそ茶の水の生徒を捉えると、何食わぬ顔で後をつけていく。
この先向かい側の住宅街へ入ると、蜘蛛の巣のように狭く伸びた路地に、統一された配色の建造物が待ち構えており、土地勘のない者は“路頭”に迷う確率が高い。
うろ覚えの情報で動くよりも、確実でいて無難な方法だ。ことさら山之辺を出迎えさせる必要もないし、心配もいらない。
ないと言うのに──。
「ツクモ……私が先導します……ツクモ」
歩いている最中に、背負っていたリュックからくぐもった声が聞こえてくると、中でガサガサとうごめきだした。
「ダメだっての」
歩み続けながら彼女の主張を一刀両断する。
無用な気遣いに、不要な手助け。ありがた迷惑とはこのことだと、九十九は突っぱねる。
「ジュリアんとこで留守番してろって言ったのに、結局付いて来ちゃってまぁ……人目につくと面倒だろ?」
「あらゆる面で主をサポートすること。それが私のコアに刻まれたミームです」
「ミームだかゲームだか知らないけどさ……今回は素行調査で、簡単な仕事なんだぞ」
「銃を持って、ですか?」
モンジュの指摘が引き金となり、機能を停止したように歩みを止める九十九。
しばしの間押し黙ったのち、彼は何事もなく微笑を浮かべてその足を再起動させた。
「コレは、たまたまさ。店のガレキから偶然出てきたのを大工が回収したってジュリアから聞いたろ?」
「……」
疑いを残したような沈黙ではあったが、彼女に構っている時間もない。
気にせずに前を行く学生だけを頼りにして路地を歩いていく。
──街なかに出ると、奥行きのある並木道が真っ直ぐに伸びていた。
こういう場所は狙い所なのか、すぐそばの道端に十人ほどの団体が“ニューペット反対”の垂れ幕を掲げ、通り過ぎて行く学生に向かって、いかに仁道寺が遺伝子法を犯しているのか、風真総裁への不信感も併せて懸命に訴えかけている。
「暑いのにようやるわ、ホント……」
彼らから三十メートル足らず先に目線をズラすと、成人男性二人分ほどの高さの門柱と鉄柵があるのを見つけ、レンガで組み立てられた囲いと、同じく奥に赤褐色の校舎があった。
待ち合わせ場所の校門には山之辺らしき男が立っており、ひとまずホッと胸をなでおろす九十九。
「さっさと行くか……」
腕時計に視線を移し、九十九はかけ足で彼の元へと向かった。
◆
「お待ちしてました、九十九さん!」
「いや、ごめんごめん。早めにきたつもりだったんだけど……」
思ったより距離もあり、暑さも重なってすぐにバテてしまった。
肩で息を切っている九十九を見て、バッグからペットボトルを取り出し、「どうぞ」と手渡してくれた。
「わ、悪い」
ためらわずに水を手に取り、かわりにズボンのポケットに入れていた小銭を出すが、首を振って柔らかく拒否する山之辺。
「依頼したのはこちらですし、飲み物は余分にありますから」
「おお、サンキュー」
「それより、そろそろ奴も登校してくるでしょう。これを……」
そう言って今度はバッジのついたブレザーを九十九の前に差し出した。
九十九は貰っていたペットボトルをリュックの中にしまい山之辺に荷物を預け、ブレザーを取シャツの上に羽織る。
バッグに入っていたからか、陽の熱がこもっていてくたびれていた。
だが九十九の身長を考慮した肩幅のあるサイズになっており、幸いきゅうくつではない。どうやら事前の準備を怠っていなかったようだ。
それにしても、見慣れない男が堂々と校門の前で羊の皮を被っているというのに、取り締まる者がいないのには違和感があった。
これも瀬海が学園を乱しているからだろうか。実際に立ち会ってみて肌に感じるこの異様な空気に、九十九も真剣味の増した顔になっていく。
「生徒指導とかいう先生とか、警備員もいないのか?」
「ええ。普段ならいるんですが、今学期になってからはこの有様。学園が瀬海に振り回されているんですよ」
「なるほどなぁ……」
九十九がウンウンうなずいていると、突如山之辺がメガネをクイっと上げて視線を鋭くさせ、九十九の遥か後方を睨む。
「どうした?」
「噂をすれば……ヤツが瀬海です」
追って九十九も住宅地側に首を傾けると、一人の学生が、血相を変えて並木道をダッシュしている。
彼を遠目にした九十九は肩に力が入り、自然と拳が固くなった。
異母兄弟。その単語を九十九に強く意識させ、手汗を滲ませた。
重力に逆らうツンツン頭に、そ茶の水ハイスクールの学生服。よく見ると彼は胸元にバッジをつけておらず、女性の下着らしきものを握っていた。
──そして、地鳴り。鳴り止まない轟音。凄まじき振動。その根源、迫り来る。
「待ちなさい! 罪をあがなえ変態!」
「ハレンチの責任をとってもらうぞッ! 瀬海!」
「今日こそ捕まえて全裸にしてやるんだから!」
「待ってぇ瀬海ちゃん! 一緒にあそぼー!」
アリの巣を突いたかのように湧きだす女の群れ。一人の男に押し寄せる黄色い声の嵐。
先陣を切って追いかけている女子生徒は制服がひんむかれており、ブラジャーなりショーツなり、素肌を露わにしている生徒が大多数だった。
まさに山之辺の言う通り、この学園には尋常ならざる事態<ハレンチ>が起こっていたのだ。
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