第8話 神の見えざる手


依頼用紙とクリップボードを少年から受け取った九十九は、ざっと書類に目を通す。


「山之辺<やまのべ>もてなし君。そ茶の水ハイスクール……17歳。ある男子生徒を止めて欲しい、と」


「はい、そうです」


若々しく快活な声。体格は小柄ではあるが、ひ弱そうには見えない。

紺のブレザーに灰色のスラックス、薄い円形の眼鏡を掛けた典型的な学生スタイルで、目尻が少し垂れていて、物腰穏やかな雰囲気が漂っている。疑うわけではないが、17歳よりも、一期生なりたてと言われればしっくりくるベビーフェイスだ。


九十九の疑念を察してなのか、少年は懐から抹茶色の生徒手帳を取り出してテーブルに置いてくれた。白いフォントで描かれたお茶っ葉マークが特徴的だった。彼がそのままページをめくって見せると、確かに山之辺の証明写真とIDチップが埋め込まれている。

彼なりに精一杯の身分証明をしてもらったが、“ドラァグ”育ちの九十九としては自身の存在が咎められることの方がしょっちゅうで、素性に突っ込みをいれるほど野暮な真似はしない。

それに彼なりの誠意が強く感じ取れた。よほど切羽詰まっているのだろう。九十九は疲弊を残した相に力を込めて、改めて依頼者の応対に集中する。


「──それで、こんなトコに来るくらいだし、本来頼るとこには頼れないってことだよね。よっぽどひどい暴力だったりするの?」


「……」


九十九の問いかけに首を横に振ると、顔を少しうつむかせて口をつぐむ。

一呼吸おいた後に山之辺は意を決したかのように顔を上げて、澄んだ眼差しをぶつけてきた。


「女子がハレンチな目にあっているんです」


「……へ?」


九十九の中で、数秒前に固く決意した紐が緩んでいく。聞き間違いでなければ、全く見当違いの質問を投げかけていたことになる。


「ハレンチです。奴が女子の胸を触ったりスカートをめくったり、下着に顔を突っ込んだりする行為を止めて欲しいんです」


「は、はぁ……」


開いた口が塞がらない。どう言葉を返してあげれば良いのか、九十九には分からなかった。

山之辺は戸惑う九十九に構わず、震わせた拳を見つめ憤りを露わにする。


「奴は今年の春に転校してきたんです。始めは一人……そのうちクラス、ついには学園全体へとじわじわ魔の手を広げ、ところ構わず女子生徒にハレンチ行為をはたらいているんです。アイツはいつも“不可抗力”だとか“誤解”だとか言って逃げ回っているけど、そんなの嘘に決まってる! 真性の構ってちゃんなんですよ奴は!」


「なるほどぉ……」


気のない返事をした後に、目頭を押させる九十九。

これは確かに何でも屋向きの内容だろう。何でも屋の依頼歴からしても、類をみないしょうもなさではあるが、らしいと言えばらしい。


「そんな奴ならさ、友達と組んでやっつけちゃえば……?」


気怠そうにペンのキャップで頭をかく九十九。

地べたで寝ただけで、いまだに疲労が抜けきれていないこの状態で、緊張感のない依頼はまぶたが重くなる。

眠ってはいけない。そう意識すればするほどこくりこくりと首が傾き、夢の世界へとダイブしてしまう──。


「“ソレ”はもう……それは僕らも一番に試そうと! でも、奴も手強いんです、無自覚気取ってるくせに妙にすばしっこいし……しかも家柄と顔がイケてるからって、女子達はまんざらでも無さそうに『余計なことしないで』って、助けようとしている僕らの邪魔まで……これじゃあ立つ瀬がないでしょ?! ぼかぁ正義を貫こうと! 一男一女のプラトニックな青春を守るために戦っているのに!」


「うん……」


「僕だってルミちゃんのこと一年の時から狙ってたんだ。ちょくちょく待ち合わせして一緒に帰ったり、映画にだって観に行った。ホームパーティだって……それなのに今年に入って奴は、そんな段取りも無しに彼女のブラジャーを3回もスってスカートを剥いだんですよ! 許されていい訳がない! 警察や先生じゃまともに取り合ってくれない……九十九さんだけが頼りなんです! 僕に光を!」


 一種の狂気を含んだような力強い瞳で、九十九にすがりつくような視線を送る。


「……」


──寝ていた。


眠気にあっさりと敗れ、九十九はソファの上で気持ちよさそうに寝息を立てつつ、無様な面を晒す。


「九十九さあ゛ん゛ッ!!!」


ばん、とテーブルを叩く音に合わせ、九十九はすぐに上体を弾ませて体勢を直す。


「いや失礼。時々こうしてね、肝臓への負担をね、減らしてるんですよ」


「うぅ……ぐふ、ずぐ」


「まぁまぁ。笑ってないでお茶でも飲むか?」


「泣いてるんです……」


空笑いしながら、身を乗り出し涙ぐんでいる彼をなだめ距離を置かせた。

それから九十九は視線を落とすと、テーブルの上ですっ転んでいたモンジュにお茶のおかわりを出すよう指示を送って、再び山之辺との会話に戻る。


「……事情は分かったよ。明日、様子見に行こう。交通費と制服は負担してくれよな」


「ホントですか!」


先ほどの落ち込みようから打って変わり、ぱあっと笑顔になる山之辺。彼は立ち上がると何度も大げさに礼を言った。


「一応、な。一応。いいヤツなら何もしないで帰るぞ。よそから見たらみっともないし、俺たち」


「はい! もちろん分かってます! ありがとうございます!」


清濁併せてどこまでも純粋な彼の意志に気圧されてしまい、九十九は参ったように頬をかいた。

せっかく危険を顧みずに“ドラァグ”まで訪れてきたのだ。彼の気持ちを無下にすることは九十九の信条に反する。どの道、ペットや落し物探しよりかは楽な仕事になりそうだと、そう前向きに考えることにした。


「──で、もてなし君。“そいつ”の名前は?」


「あ、はい。仁道寺瀬海<じんどうじ・せかい>っていいます。僕と同じ学年で、18になります」


山之辺の言葉に身体をビクンと硬直させる。何か嫌なワードが聞こえた気がしてならない。

九十九は表情を引きつらせながら、今一度聞き漏らしがないように耳を傾ける。


「悪い……誰だって?」


「仁道寺です。あの仁道寺夫妻の“一人息子”ですよ」


九十九は身を仰け反らせ、渋い顔になって瞳を閉じる。


「そっかぁ……」


「どうしたんです?」


無垢な顔で尋ねてくる山之辺。

いけない、と九十九は強い意思をもって、すぐさま無表情の鉄仮面をかぶり心を殺した。


「いや、何でもない。予定通り明日、校門の辺りで待機してるから」


「はぁ」


「──失礼します。山之辺様、お茶をお持ち致しました」


遮る声に山之辺が視線を落とすと、モンジュが足元に来ていた。

彼女は黒い延べ棒のような手の先を5つに割って、2人前の湯呑みをそれぞれ挟みこんで持っている。

人と変わらぬ役割を果たす彼女の小さき手は、体格差によるパワーもある程度は補えることを九十九にアピールしているようだった。


「ありがとう。あったかいお茶、大好きなんです」


彼女から湯呑みを取って一服する。

見た目は手抜きで設計されたロボットなのに、自律型のアンドロイド顔負けの来客対応に山之辺は見惚れてしまう。


「すごいですね、このロボット。これってどんな造りなんです?」


「気にするな。ただの歩く貯金箱だよ」


心ここにあらずといった感じで答えると、モンジュはアームからもう片方の湯呑みを手放し、九十九の足元に向けて茶をこぼした。


「だぁッちぃ! あ゛あ゛! おおッ!?」


足の指先にかかる熱湯に、九十九は奇声を上げてソファにひっくり返る。


「申し訳ありません、ツクモ。“不可抗力”です」


「嘘つけぇ!」


ビシィとモンジュに指さし、声を張り上げる。


「申し訳ありません、ツクモ。ご期待に添えず残念です」


「ったく、都合が悪いとそれかよ。ロボット三原則はどうしたんだ……」


「あはは」


山之辺は二人の茶番劇を十二分に楽しんだのち、満足げな表情で事務所を後にした。





夜を迎え、九十九はローテーブルを畳むとソファの背もたれを倒してべッドにする。

横にはならずにど真ん中であぐらをかくと、瓶詰めにされたコーヒー豆をかじりながら手紙を眺め、物思いにふけっていた。

愛力あれども腹は満たされず、悩みも尽きない。九十九は今、生きる苦しみを味わっている。


思考を巡らせると眉間のしわがどんどん深くなっていき、手紙に対する拒絶反応が強まる一方だ。


「──ツクモ、お疲れ様です」


九十九の頭上で、モンジュが髪を掴みつつ淡々と告げた。


「ああ……今日は助かったよ、ホント」


「お役に立てて光栄です」


モンジュには掃除をする為のプログラムも組まれていたようで、家の清掃まで手がけてくれた。

おかげで九十九はかなりヒヤヒヤし、ほとんどの掃除を自分でする羽目になったものの、無事リビングとキッチンの清掃を終え一息つける。

昼寝も外出も出来なかったことがかなりの痛手だったが。


「あのさぁ……頭に乗らないでくださる? ちょっと重──」


「私のサイズだとココが一番しっくりきます」


九十九の意見は即否定されてしまった。

作業をするにあたって、彼女の歩幅や背丈を考えると、効率上仕方のないことではあると強引に解釈したが、わざわざよじ登るのをじっと待たなくてはならないのがネックだった。


「そりゃ、君は落ち着くだろうさね……でも、俺が落ち着かんの」


「あっ」


もはや驚く顔もせず、慣れた手つきでモンジュの胴体を掴み、枕元に放ると指示を出す。


「起床時間、7時にセット。出来る?」


モンジュは敬礼で九十九に応えると、真横の面に水色の時計図を浮かびあがらせた。


「はぁ、なんだかなぁ……」


疲労の混じるため息に、モンジュは彼の精神波を汲んで体調を気遣う。


「例の御子息の件ですか?」


九十九は押し黙ったまま寝っ転がると、シャンデリアに視線を移して一枚だけ板の折れた木製ファンの回転を見ながら、おもむろに唇を開いた。


「……それもあるな。遺伝子工学やってる、一二三<ひふみ>との子だっけか? 正直なとこ評判は良くないらしいな。 それでも仁道寺の名は人気だ。老人だろうが、その子供だろうが群れるとこには群れる。もてなし君が羨むのも分かるさ」


「私は、仁道寺様や瀬海様と面識があるわけではありません。ただ……」


ズカズカと物言うモンジュが、いやに言葉を濁してくる。

大事なところで急にしおらしくなったりされると、逆に気になってしまう。


「──ただ?」


「仁道寺様は欲が深いと、風真様から伺っております。風真様を襲撃したのも、創造主から一二三様に鞍替えしたのも、あまりにも自分勝手なお方だと、そう評価せざるを得ません……」


「はっ、カエルの子はカエルって言いたいわけか」


九十九は半ばヤケになった口調で、手紙を投げ捨てる。


「ツクモは、両親を恨んでおいでですか?」


「……俺や紫乃は見捨てられた地番、“ドラァグ”に生まれて、孤児院で育った。それだけだよ。父親も母親も記憶にないほどの昔の話だ、なんとも思っちゃいない」


「嘘、ですよね」


「え?」


柔らかな声に首を傾けると、先ほど捨てたはずの手紙が目に映った。

知らぬ間にモンジュが回収していたようで、角ばった手の先に固く握られていた。


「お前……」


モンジュは手紙を置くと、九十九が同じ過ちを繰り返さないよう手紙の上で横になり重しになった。


「今日は休みましょう、ツクモ。この手紙を読む時、貴方はもっと大人になっているでしょうから」


「……偉そうな文鎮め。もう大人だっつの」


モンジュの分かったような口ぶりに、九十九はムッとして寝返りをうった。

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