第7話 MAMA


不満げな顔でシャワーを浴び、じゃかじゃかと雑に頭を洗う九十九。

子供のしつけと同じような扱いをされて心中穏やかではいられない。ましてやチンチクリンな侵略者に今後の生活を管理されるなど、人として、男としての沽券<こけん>に関わってくる。


「身だしなみを整えてから対話に入るのが常識です、ツクモ。サーチを終える前に悪臭レベルを平常値まで下げてください、ツクモ。ああツクモツクモ……ってな。マスター呼びはどうしたよ。オカンかお前は」


渋々ながら石けんを取り、律儀に首から腕、腕から体へと丁寧に磨いていく。

あくまで自分の意思で清潔感を保っているのだと、誰が聞くわけでもない言い訳をしながら。


「仁道寺研究所も、ずいぶん口うるさい人工知能に仕上げたな。もう少し融通をきかせてくれるもんだと……古代人の“技術”に滅ぼされるんじゃないの」


悪い癖を発症させながらも泡を洗い落とすと、湯船につかって体積分のお湯を追い出す。

一昨日ぶりの極楽気分に自然とため息を漏らし、ゆったり体を伸ばした。


「愛力かぁ……」


己の両手を広げ、まじまじと手のひらを見つめる。

何の変哲も無い、赤い血の流れる人間の肌だ。ところどころ治りかけの切り傷や、マメがある。脈もあれば体温もあるし、疲れで体が強張れば、ほぐれる癒しに悦べる。

古文書様様と言ったところではあるが、もっとハッキリと目に見える能力にしておけば良かったという、後悔の念も多少あった。


「鉄の爪でも出てこないかな……」


拳を固めて指と指の間をキッと鋭く睨みつける。

が、何も結果は得られない。九十九は分かりきっていたことに「馬鹿馬鹿しい」と笑い飛ばす。


「(物騒な力は“愛がない”ってことか……)」


肩の力を抜いて深く腰を沈めると、おもむろに瞳を閉じ考えることを止めた。


「──ツクモ、浴槽はベットではありません」


「うおおっ!」


耳元でささやくモンジュの声に驚き、腰からずるりと滑って湯船に沈む。

半ばパニック状態で体全体をバタつかせて、鼻と口からお湯を吐きだしつつ水面から這い出てくる。


「がばぁ……ごほっ、おふ」


「危うく永眠でしたね、ツクモ」


浴槽のふちに立っていたモンジュが、命を取り止めた九十九に敬礼をしている。


「おかげさまでなっ! どうしたんだよ……サーチ終わったのか?」


「実は……いえ、まもなく風真様より通信が繋がります。どうぞ、私を耳にあてて下さい」


「通信だってぇ?」


「はい」


九十九が目を丸くさせていると、間髪入れずにモンジュの体がブルブルと揺れ始めた。


「ツクツクモモハハヤヤクク、デデデ」


「バイブレーションなのかよっ! くそ……」


咄嗟にモンジュのボディを掴むが、振動が思ったより激しく、滑り落としてしまう。

濡れた手で彼女を拾うのは、金魚すくいをやっているようなもどかしさがある。


「ああもう、音を鳴らせよ次は!」


「リョリョリョリョウウブブブブブ」


お湯を超振動させる彼女をガッチリ掴むと耳にあて、半信半疑に「カートゥーン事務所です」と言葉を投げかける。

すると揺れが収まり、“向こう”からの返事が彼女を通して聞こえてきた。


「『ヘぃロー。元気してるかな』」


相変わらず、生命を脅かされていた人とは思えぬほど“軽い”。

九十九自身も彼の前向きさには見習うべきところがあると、常々感心している。


「ええ、何とか。総裁こそ、よく平気でいられますね」


「『うむ、何が?』」


思慮深く応えてるようで、今世紀最大にすっとぼけた返しに九十九はズッコケる。


「いや……あのアンドロイドは仁道寺夫妻の差し金ですよね? てっきりマスコミでも使って外堀埋めるのかと……また襲撃されて殺されでもしたら、たまったもんじゃないでしょう。お互いに」


あきれかえった口ぶりで風真に忠告をするが、彼は適当に相槌を打つだけで気にも留めていないようだった。


「『“口外しない”と約束しただろう? 君は気にするな……アレは就任祝いの脅しに過ぎないのだから。ヘイローにおいて利用価値がある人間は、すぐに命を落とすことはない。その99番は、そんな価値ある君に対価として贈らせてもらったんだよ。お気に召したかな』」


「はぁ」


上手いこと話題をはぐらかされたようで、九十九の面持ちからどんよりとした曇りが晴れない。

が、今は優先して知りたいこともある。

仁道寺の件については一旦喉元にとどめることにした。


「そのアンドロイドの件ですがね。なんと言いますか……考えていたものより小ぶりなので、どうも、その」


 奥歯にものが詰まった言い方で、モンジュの体形を遠回しに批判する。


「『ん? やけにブルーだね。安心したまえ、仁道寺くんが直接携わっているわけじゃないよ。アンドロイドにはナンバーが振られていて、保持するには税金がかかるからね。ちょっと特殊な寄贈品という形で仕上げてもらったんだ。“彼のチーム”が技術を注ぎこんで産み出した、愛の結晶だよ。性能なら私も保証する』」


「“そういう”んじゃないですが、“そういう”ことでしたら大切にします……でも良いんですか? いたく気に入っていたと前に──」


「『正直羨ましいよ。99番は唯一反抗的で抜けてるところが気に入ってたんだ……でも、彼女は君に気があるようでね。九十九くんに仕えることが、なにより幸せだとみたんだ』」


風真が名残惜しそうに伝えてくるところ、非常に高く評価された代物なのだと、誠意とともに感じ取れた。


「……分かりました。本当に、感謝しきれないです。店の修復まで面倒みてくれてありがとうございます」


「『いやいや当然のことだよ。今後もささやかながら応援させてもらうから。貴重な古代の産物……是非、何か新しい発見があれば連絡を……じゃ』」


用事があったのか、最後の方で風真は少しせかせかと告げてから接続を切った。

モンジュからの「ツーツーツー」という音声がこだますると、彼女を浴槽のふちに立たせる。


「ふぅ」


九十九は両手でお湯をすくうと顔に掛けて、一息ついてから栓を引き抜き立ち上がる。


「(コアボックスについて、もうちょい聞いとけばよかったな……まぁ、いっか)」


尽きぬ疑問もほどほどに切り上げ、浴室から出ようと仕切りのカーテンを開ける。

その時突如として、九十九の頭上から青白い長方形の面が現れ、被さるように下りてきた。


「うわ?!」


光の面は九十九に危害を加えることなく全身を何度も行き来すると、やがて髪の毛から足の爪先にまで細かい網のような映像が浮かんできた。


「今度はなんだよ?!」


九十九が面食らっているうちに映像は消えた。

体に異変がないか不審げに見ていると、足元からモンジュが走り抜けていき、脱衣所できびすをコマみたく返して振り返ると、文鎮のような左腕を顔面に当てて再び敬礼する。


「サーチコンプリートです。リビングでお待ちしております」


と、報告を終えるとそそくさと逃げるようにリビングへ行ってしまった。


「サーチって……」


彼女の不意打ちに言葉を詰まらせ、九十九はただ呆然ともぬけの殻となった脱衣所を眺めるほかなかった。





ユニットバスを出てパジャマ姿で帰ってくると、見慣れたハズのリビングにいくつか不満点があった。

まず何よりも許せないのはテーブルにあったはずの漫画は隠されており、代わりに半面折りたたまれた便箋が置かれていること。

破かれた形跡のある一枚の手紙に、九十九は嫌悪感を抱いた。


「……俺の課税ライダーを返すんだ、モンジュ」


手紙の横で突っ立っているモンジュに、要求を呑むよう静かに迫る。

モンジュは顔を微かに赤く灯し、九十九の方を見上げて淡々と返答する。


「申し訳ありません、ツクモ。ご期待に添えず残念です」


「命令だ。まだ読み終えてないんだぞ、俺の漫画」


「申し訳ありません、ツクモ。ご期待に添えず残念です」


どう問い詰めても、人心のかけらもない言葉が返ってくるだけ。

それは九十九の頭の中にある堪忍袋の緒を引きちぎるトリガーとなる。


「ははーん、そういうことやるわけね」


と、頬をヒクつかせながら、九十九は荒々しくソファに腰を掛ける。


「申し訳ありません、ツクモ。ですが貴方の性格上、創造主からの文書を閲覧していただけないかと」


「……あのなぁ」


天井を仰ぎ見て「そうだな……」とつぶやきながら深くため息を漏らす九十九。数秒だけ気を落ち着かせたのち、テーブルの上にいるモンジュに向き合った。


「それじゃ、その創造主様からの手紙を読む気にならない理由を、3つ言うからな」


 不機嫌そうな顔で中指から薬指を立て、九十九言葉を脳内で組み立てていく。


「はい、今後の参考にいたします」


「まず1つ……俺にはソレを読む義理も、道理もない。創造主様と俺は何の繋がりもないんだからな。2つ。本当の意味で君を創ったのは古代人で、予算を回したのは風真総裁の親父さんだろ。あの人は研究チームの一員であって、“創造主”じゃない。そうやって得意げに“母親ヅラ”してるとこが、しょーじき嫌なんだ」


「3つめは何ですか?」


受け流すようなモンジュの問い方に視線を鋭くさせると、九十九はテーブル向かいに指をさす。


「コイツは何だよ」


その指先に、ブレザーを着た見知らぬ顔の少年がパイプ椅子に腰掛け、グスグスしけっぽく涙を流していた。

幼げな顔立ちの少年は眼鏡を額にズリ上げ、ハンカチを両眼にあてがうと、テーブルに用意されていたせんべいに手をつける。


「しかも俺の、俺のお菓子だよねソレ」


半笑いで少年に指摘すると彼は申し訳なさそうに頭を下げ、残り1枚のせんべいを平らげ、お茶をすすりあげる。


「なんか美味しくいただいてるみたいですけど……手紙読ませる気ないでしょ?」


「タイミングに恵まれませんでした。私が浴室に向かう際、お客様がお見えになったので事情をお話ししたのですが、頑なに『九十九さんの都合に合わせます』とおっしゃるので、このように対応いたしました」


「あ、そうなの……」


誇らしげに黒結晶の胴体を手でカランと鳴らすモンジュに、報告を受けた九十九はガックリと首を垂れた。

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