第1章:偉大なる痴態者〜ハーレム・ブレイク〜
第6話 ちんまいモンジュ
気が付くと、九十九は暗闇で立ち往生していた。
進む先も戻る道もなければ、見渡す景色もない。これが噂に聞く死後の世界なのかと冷めた頭で純黒の空間を見つめていた。
「九十九……九十九……私の声が聞こえますね……」
すると、真上からぼんやりと光が射しこみ、慈愛に満ちた女性の声が響いてくる。陽だまりの妖精のように、吸い込まれるような心地よさだった。
「はい」
導かれるように返事をする九十九。いよいよ臨終なのだと平静を保ち、両手を組んだままこの安らぎに身を委ねる。
すると光はぐんぐん幅を広げていき、先ほどまでとは打って変わって白いヴェールが視界全体を覆っていく──。
「なら起きろッてんだよ、このマヌケぇ!」
「でぇえええッ」
野太い声に呼び起されたかと思うと両眼に激痛が走り、九十九はたまらずに足をばたつかせる。
ぐるんと黒目を戻しよみがえると、黒人のアフロが上まぶたをゴムのようにひっぱり上げているのが分かった。
理不尽に襲いかかる鬼畜の所業に全力で跳ね飛び、ふらつきながら着地すると手で顔をしきりにこする。
そのうち痛みが引くと、赤みを帯びたまぶたで2、3回瞬きをした。
「……う゛っ」
眼球に突き刺ささる白光に目をくらませる。
気を失ってどれぐらい経っていたのか、すでに陽が昇ってしまっていたようだ。酒とおしろいの匂いに、地面の焦げ臭さやら雑草の青臭さやら、まとめて昼間の暑さでごった煮にしたような臭いが嗅覚を襲う。
住めば都、と慣れてしまうにはまだまだ年数が足りないようだ。しかし、この如何ともしがたい嫌悪感のおかげで、自分が何処にいるのかは見当がつく。
「(帰ってきたのか……)」
徐々にぼやけた景色の輪郭がはっきりしてくると、空き地にそびえるトレーラーハウスが見えてきた。
燦々<さんさん>と照らす太陽光線を白銀に艶光りさせて男を誘う魅惑のボディ。ドアの取っ手に掛けられた車の表札に“カートゥーン”と描かれた小粋なアクセサリー。うじゃうじゃと鬱陶しい街のケーブルを壁側に寄せて束ね、自然のスポットライトで憩いの場に見立てた至高の景観。
見まごうことなく九十九の家であり、無事に帰ってきたことにホッとする。
「っそういや紫乃は……」
記憶の糸をたぐり寄せながら見返ると、不機嫌そうに葉巻をふかすアフロの黒ゴリラと目が合ってしまい、下手に刺激して暴れ出さないよう顔を引きつらせる。
「よ、ようジュリア。仕事は済んだぞ……ひょっとして、ずっと俺ここで寝てたの?」
「……」
ジュリアに問うも、彼女は黙して煙の輪っかを吐き出すだけ。
煙ったい匂いにせきをしながら扇いでいると、一服し終わったジュリアは葉巻を地面に捨て、愛想が尽きたような眼差しで一枚の便箋<びんせん>を九十九に突きつける。
「なんだこれ……」
手に取って見てみると、小綺麗で流れるような文字のメッセージだった。
「『兄さんへ。原付及び生物の配送料、税込みで1万3千円です。支払はいつもの場所でね。毎度ありがとう、愛してるわ。面倒見の良い妹より』」
文の最後まで目を通すと、後付けに熱いキッスマークと、その中心に円マークが添えてあった。
「峰不二子かアイツは……」
ごつん、といきなりジュリアが九十九の頭を小突いた。
「だっ何すんだよ。これ以上馬鹿になったらどうすんだ……ん?」
文句を言いつつ頭部に手を回すと、襲撃された際の腫れ上がったタンコブがすっかりと引っ込んでいた。
「あーたねぇ……とぼけてばっかで、まぁた紫乃ちゃんに迷惑かけて。ここまで運んできたんだから後でちゃんとお礼言っておきなさいね」
「お礼よりお札の方が嬉しいみたいだけどな」
「馬鹿っ!」
畳み掛けるように頭を叩くジュリア。今度のは強烈な張り手で、勢いあまって九十九の視点がぐるんと360度回転した。
「げっ、ちょっとあーた今……」
「ってぇ……アンタなぁ、いい加減にしろっての。愛の無いしつけは子供がヒネくれるだろうが」
「ひねくれるっていうか……回ったっていうか……」
当人が暴力を振るっておいて、他人事のように青ざめているザマ。軽いノリで人を叩くジュリアの教育方針に九十九も気を悪くする。
「予告もなしにべしべしと。木魚じゃないんだよ俺は」
首を鳴らし異議を唱えていると、宿を貸したもう一人の存在が足りないことに気づき、ジュリアに彼女の所在を尋ねる。
「ルゥナ……あの仮面はっつけた女は? 浄化でもされたか?」
「前からおかしい子だったけど……そう言えばまぶたもあんなガムみたいに伸びるものだったかしら……」
話を聞かずに一人でぶつくさと小声でつぶやいているジュリア。
「なんかすっごい失礼なこと言ってるな」
礼儀を重んじる九十九にとっては、じつに許しがたいことだ。ましてや人を無視して独り言などもってのほかである。
「おいジュリア。聞いてんのかって」
彼女の眼前で手を小刻みに振って、こちらに気を引かせる。
「え、何よ?」
なんとも素っ頓狂な顔で視線を返してくるジュリアに呆れ、わざとらしく大きなため息をついた。
「何よ、じゃねぇわよ。ルゥナはどうしたって聞いてんのさ。殺して喰ったんじゃないだろうな」
「喰うわけないでしょうがっ! ルゥナちゃんは原付戻ったし、行っちゃったわよ。今朝の朝刊みてここの騒ぎが触れられてないから、新聞社にタレコミするんだって……そんなことより住む場所がないみたいだったし、ウチに泊まっていきなさいって言ったのに……」
「何やってんだよアイツ……まぁ、ほっとけ。あんなサイバーテロみたいな格好してジャーナリストらしいし、事情もおのおのだ。それに“ウチ”って……店は潰れてるし泊まれないだろ。物理的に」
「……んふふ」
憂い顔で皮肉めいたことを言った途端、ジュリアの表情が緩み「がっはっは」と豪快に笑って九十九の背をバシバシと叩く。
「な、なんだよっ、言っとくけど俺が家にいる時は泊まらせないぞ。男なんだし」
「違うわよ。それがねぇ! 風真クンから伝書鳩で連絡があったのよ。夕方まで我慢してくれれば、夜にはお店が再開出来るって!」
「……はあ?! 本当かよ、おい! やったなぁ! さすが総裁、器が違うねえ」
「あっはっはっは! コレでアタシはゆっくりデートに行けるってモンよっ」
思いがけない好運を手にして喜ぶ九十九。
店を建て直すにも時間や材料がかかってしまう以上、ジュリアに対する後味の悪さと、共同生活を強いられるという胸のつかえが取れて安心する。
色気のない太い腰を振っている彼女から目をそらし、九十九は奥に積み重なる瓦礫<がれき>の山を遠目に、風真の懐の深さと仕事の早さに感激した。
「それじゃあ〜、アタシは出掛けるからね。鍵はテーブルに置きっぱだから、その汚い格好のまま遊びに行かないでよ」
「んな元気ねえって。今日1日はちゃんと休ませてもらうよ……」
しかめ面で己の身体を見下ろす九十九。血と涙と汗が服にびっしりと染み込んでおり、さらには全身が筋肉痛や打撲でガタガタになっている。さっさとシャワーを浴びて疲れを洗い流し、柔らかい布団でぐっすり眠りたい。
「そうなさい。あとあーた宛に“スカイアロー”から頼んでた漫画も来てたわよ。風真クンからの荷物と一緒に受けといたからね」
漫画。ジュリアの言葉に瞳をキュピーンと光らせる。
「──そうだ漫画ァ! サンキュージュリアぁ〜あ〜」
「ちょっと! 漫画は休んだあとにしなさいよ?!」
「漫画は別腹なんだよぉ〜」
上機嫌に歌いながらアドレナリンを全開にさせた九十九は、わき目も振らず自宅にすっ飛んでいった。
その純粋な興味にだけひた走る姿は少年のようにまっすぐだが、同時に不安を感じるほどだ。
「……あの子、彼女出来るのかしら」
ジュリアは予想以上にはしゃぐ彼を見て興奮の熱が冷めてしまい、頬に手を添えながら彼を見届けデートに向かった。
◆
課税ライダーTAX16巻。通販サイト“スカイアロー”で注文しておいた正真正銘の新巻である。
鎮まらない鼓動の高鳴りにやきもきさせられながら、九十九は焦げ穴の目立つオーバーオールを脱ぎ捨てパンツ一枚になる。そして入口正面の折り畳みローテーブルを跨いで、奥のソファにどすん、と腰を下ろした。
「こいつが欲しかったんだ……手に入れた」
七三分けの髪型をしたスーツの主人公が、腰のベルトに装着した紙幣計算機に万札を入れつつ体を仰け反らして叫んでいる、迫り来るように熱くて濃い劇画調の表紙だ。
実物を我が手中に収めほくそ笑む九十九。早速カバーのそでに描かれた作者のあいさつから、ジックリと漫画を読んで世界に没頭していく。
『──俺は止まらない。“タックスイーター”を倒し、資産を分かち合える世界を創るまでは』
崩壊した街を背に、決意を固める主人公から続きが始まる。背後から長髪のジャージ姿をしたヒロインが抱きついて、目に涙を浮かべつつ彼を引き止めた。
『駄目よ! 僚太<りょうた>が死んだら、利権者に膨大なタックスエネルギーが流れてしまうのよ?! そんなの嫌っ、余計なことはしないで! 貴方を愛しているの』
主人公は泣きじゃくる彼女の手を解き振り向くと、肩に手を置いて微笑みを返し、両の目から伝う涙をすくう。
『大丈夫。俺は、俺は課税ライダーだ。国民のタックスエネルギーがある限り、俺の命は不滅だ! 約束する。戦いが終わったなら、あの場所できっと……』
──がたがた。がたがた。
ソファ横に置かれた冷蔵庫の上で、ダンボールがひとりでに暴れている。
夢中になってきたところに邪念が入りこんでしまい、ムッとしながら漫画をテーブルに置く九十九。
「こんのネズ公め……」
勢いよく立ち上がると一旦ダンボールを素通りして、台所からガスバーナーを取ってくると、腰ほどの小さな冷蔵庫を前に殺気立たせる。
「人様のプライベートを、畜生風情がッ」
殺意と歯茎を剥き出しに怒りのガスバーナーを点火させ、ゆらりとダンボールに近づけていく。
が、ふと天地無用シールの横に貼られた送り状に、風真の名前が書かれているのを見つけた九十九は、慌てて火を消しバーナーを床に置いた。
「おっとマズい……総裁からの荷物か。そういや……」
──正午にアンドロイドが届く。
風真に言われたことを思い出し、怒涛の勢いで幸せの波が押し寄せてくるのを感じる。
「そうだよ、アンドロイドだ。アンドロイドだよ! 待ちわびた漫画に秘書! 今日は最高だな。俺もついに成金街道を……」
金髪美人のアンドロイドをはべらし、ワインを優雅に呑む自分を脳内によぎらせるが、片手で持てそうなダンボールの大きさに違和感を覚えて言葉を詰まらせる。
ずいぶんとコンパクトだが、折り畳みの最新式だろうか。それとも月ごとに部品が送られてくるのだろうか。まさか腕だけなんてセコいことはしないはず……。
疑い半分に思慮をめぐらしていると、ダンボールの内側から黒い棒のような物体が自立的に箱の上部を突き破ってきた。
「うわっ、なんだ?! ゴキブリ?」
警戒する九十九をよそに、箱の裂け目から異様な物体がひょこっと目の前に姿を現した。
「これ……コアボックスか?」
それは、アンドロイドというにはあまりにも小さすぎた。小さく、固く、色気もなく、そして大雑把だった。
5、6個の黒結晶を素材に組み立てたような手乗りサイズのロボットは、九十九を見上げると角ばった頭部を蛍みたく淡黄に発光させていた。
「新種の目覚まし時計?」
いぶかしげに睨む九十九の声に反応し、波紋を広がせるロボット。
「声紋確認。また会えましたね、ツクモ」
柔らかくて気品のある、川のせせらぎのように透き通った声。
ツルツルてんのボディからどう発したのか、ソレは九十九に呼び掛け、親指ほどの両腕を高々に万歳させていた。
「なんか聞き覚えあるな。まさか……」
奇遇にも欲しいと思っていたタイプのアンドロイドではあるものの、肝心のしなやかで美しい肉体はいずこに。
期待に胸膨らませていた九十九は目が点になる。
「はい。貴方に助けていただいた、ナンバー99、“モンジュ”と申します。ぶしつけですが、これより拠点地となるツクモの家をサーチ致します。積もる話もございますが、もうしばらくお待ち下さい」
ぺこりとお辞儀をすると顔面からライトを点灯させ、その正方形の光をワイドに拡張させると辺りをくまなく見回し、冷蔵庫から飛び降りてトコトコと勝手に九十九の家を徘徊し始めた。
「うそぉ……」
魂が半身抜け出たような弱々しい声で、九十九はその場にへたれこんだ。
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