第5話 古代都市の贈り物
10秒ほど経って豪速のエレベーターが急停止する。最上階に到達したようだ。
扉は開かれタチの悪い重力訓練から九十九は解放されるが、身体ごと天井に打ち付けバウンドした後、後頭部を椅子にぶつけた。
「……つっ」
九十九は声にならない声をだしつつ、頭を押え唸るが、思ったよりはダメージが少ない。
痛い目にあわされていたばかりで、レールガンで腹を焼き撃たれるよりはマシだと、耐性が出来てきている自分に嫌悪感が出てきた。
「くっそ、なんつー悪趣味なエレベーターだ……」
九十九は腫れた後頭部をさすりつつ、念のためにポケットからコアボックスを取り出し欠損がないか色々な角度からチェックをする。
「ご安心を。その程度の衝撃で壊れる代物ではございません」
冷静に九十九をフォローするとシートベルトと酸素マスクを外し、秘書は速やかに立ち上がった。
「そうだな。どっちかって言うと俺が壊れるわ……」
手をついてやっとこさ身を起こす九十九。その様子を冷めた眼差しで一部始終眺めていた彼女は、鉄仮面だった表情を緩ませ「ふっ」と鼻で笑い、
「御冗談を」
と言い放って、見捨てるようにエレベーターを出て行ってしまう。
内面が読みにくい人だった。何よりつれない。高嶺の花とはこのことだと痛感する。
しかし、来客対応というにはあまりに無愛想ではないのかと、遠のいていく彼女の後姿を見て半泣きになる。
「なんてシニカルなロボットなんだ……」
上ずった声を発して、彼女の後を追いかける九十九。
──いよいよ佳境に入り、エレベーターから一直線に敷かれたレッドカーペットの通路を歩く。無骨な扉をひたすらに目指して。
照明が通路をほんのりと橙に照らして、気品ある雰囲気づくりの演出に一役買っている。
「(へぇ……“てっぺん”って感じがするなぁ。メインストリート住まいには当然なんだろうか)」
それぞれ両側の壁に、真っ白な背景に書き殴られた紐の絵画と、観葉植物のベンジャミンがクラブのボーイみたく一定間隔に飾られている。街に行くこそすれ、メインストリートの施設内に入ることが無かった九十九は、通りがかった際に気になったものを目に焼き付けていく。
「九十九様、お急ぎ下さいませ」
「……」
秘書が水を被せるように興奮を断ち切る。何の恨みがあって彼女はこの仕打ちをしてくるのか。小首を傾げて頭の上にクエスチョンマークを浮かばせる。
一足早く扉の正面に着いた秘書は、黄金の取っ手を掴んで振り返り様子を窺ってくる。てっきり心配してくれているのかと思えば、すぐに顔を戻して冷淡な口調で急かしてくる。
「九十九様、お急ぎ下さいませ」
「分かってるっての! お急ぎ過ぎだろ、さっきから……」
中盤に差し掛かると、ずっと蓄積されていた疲労がドッと押し寄せてきた。もはやお得意のボヤきだけが心の支えだ。意地でも風真に御目通りを果たすための執念を燃やして、真っ白な灰になる覚悟で突き進む。
「いいぞ……開けてくれ」
上下に肩を揺らしつつ、九十九は側の壁にもたれかかる。
足音で察していた秘書は言われるまでもなく強めに扉を3回ノックした後、再び九十九の方をねめつけた。
「な、なんだよ」
また物言いがくるのでは、と身構える九十九にほんの刹那、まばゆい笑顔を見せて……。
「お疲れ様でした。貴方は間違いなく、マスターに選ばれた“愛力者”<あいりょくしゃ>です」
そう優しく労い、身体を低く屈めて扉を強く押し開いた──。
◆
中に入ると部屋は薄暗く、意図的に電力を節約しているかのように思える。空調機の駆動音が静かに響き、適温に設定されている不快感のなさ。奥行きはおおよそ二部屋分くらいで、縦長の“コの字”型に机や椅子が配置されており、空白の部分には立派な机が置かれている。
そして、さらに奥の窓辺に、探していた“彼”の姿をようやく捉えた。凛々しい背中が全面ガラス張りの夜空に映しだされている。
「九十九様をお連れいたしました」
一礼して秘書が報告を終えると、“彼”はおもむろに振り向いて九十九と面を合わせる。
「ああ。君が九十九くんだね。勇猛な顔をしている」
“彼”は九十九を讃え、拍手を送った。
その男は若獅子のような茶髪に、髪全体を後ろに持っていったオールバックだ。
憎らしいほどにすっきりとした顔立ちに、イギリスブランドの高級スーツが似合う高身長。まさに漢の中の漢といった、かねてより抱いていた印象と変わりない、誠実さの権化とも言うべき爽やかさなオーラを身にまとっている。
齢28歳で全能の権力<ちから>を手にしてもなお、劣ることのない情熱を宿した瞳が、ついに九十九の存在を認め眼中におさめた。
──これだ。この男こそテレビ越しに感じていたもの。
雲の上の人物が絵本から飛び出すように現れ、密かな感動と興奮を隠しきれずに手に汗を握ってしまう。
「私が“ヘイロー”の2代目総裁、風真礀<かざま・はざま>だ。よろしく」
強かさを含んだ低めの声。圧迫感に空気までもが強張っていくようだった。
「九十九流です。よろしくどうぞ」
感無量と言わんばかりに、大げさな動きでこうべを垂れる。
「……彼と二人で話しがしたい。すまないが、君は下がっていたまえ」
風真は視線だけを隣にいた秘書に向けて一言告げる。
「はい、では外で待機しています」
秘書はもう一度頭を下げて、しゃっちょこばる九十九を尻目に強固な扉を引きずって退室していった。
ごうん、と重苦しい音を出しながら扉が閉まると部屋がしんと静まり返った。
「──いやぁ、相変わらず観てて飽きない美しさだ。若い頃のデミ・ムーアみたいだよな」
「……はい?」
静寂を裂いた声に耳を疑い、九十九は不安げな顔を上げた。
「彼女さ、かのじょ。キツイように見えて、実は結構笑い上戸なんだよ。愛嬌もあって、頭の回転が速いし、なにより仕事を着実にこなす。君が助けた99番と同様に気に入っているんだよ」
少年のように瞳をきらめかせた風真は、明後日の方向に向かって色狂いみたく自身の会社の秘書について熱弁をふるっている。
「できればもう少し緩くなってほしいところなんだ。イロイロと」
「は、はあ」
やはり。と九十九は内心肩を落としていた。彼の性格はこっちが“素”なのだと。
ため息混じりに相づちを打ちつつ、ひそかに理想と現実の差にショックを受ける。
棒立ちしている九十九の様子を見かねてなのか、風真は懐に手を入れつつ机を回り込んで近づいてきた。
「彼女には先代の頃から世話になっていてね。頭部と心臓以外を機械化した、アンドロイドの“はしり”さ。でも、彼女は立派な人間なんだよ。あまり彼女をからかっちゃいけないな」
「からかう……?」
そんなつもりは毛頭にもなかった九十九。心当たりのない言葉にきょとんとしていると、傍に立った風真が顔の高さに合わせ手鏡を少し下げて構える。
「はァ?! な、なんじゃあこりゃあ!?」
鏡に映された、間の抜けた怪人に絶句する九十九。
眉毛は全焼、前髪も少し焦げついており、顔面はうっすらと青紫色の酸欠になっている惨状。後頭部のたんこぶは漫画のようにぷっくり晴れ上がり、まさに別人の顔に整形したみたいだ。
今思えばルゥナという仮面の女性や秘書の態度にも違和感があった。今の今まで気にも留めていなかった頓着のなさに、恥ずかしいやら情けないやらの感情が身体の中でぐるぐると渦を巻き煩悶とする。
白目になって硬直している九十九の横で風真は一笑すると、鏡を懐に戻してそばの席に座る。
「愛力を堪能してくれているみたいだね。さ、かけたまえ九十九くん」
わざわざ椅子を引くと手を差し出し、座るように促してくる風真。
全てが白に還っていた九十九は、ただ無意識に反応して倒れこむように席についてからうなだれると、消え入りそうな意識の中で呟いた。
「(燃えたよ……燃え尽きた……存在を消えてしまいたい)」
最期に向かう九十九の微笑みには、どこか切ないものを感じさせた。
◆
「君には、これが何に見える?」
机に置かれたコアボックスと本を眺めていた風真は、出し抜けに本を開いてページをめくりつつ問いかけてきた。
「何にって……」
めくられていくページには、子供が描いたような汚い描き殴りで母親と子供の絵があった。白黒のクレヨンで彩りに欠けるが、幸せそうに笑っている。
“やろう”で初めて見てしまった時から変わらず、ただ延々と親子の絵が載っているだけで、起承転結の流れもない殺風景な絵本だ。
「絵本に見えますね」
率直に答えると、風真は腕を組んで「面白い」と呟き本を手に持った。
「この古文書についてはどこまで知っている?」
「それほどには。不用意に他人のプライバシーに触れたくないですから。貴方が大切にしているもの、とぐらいにしか」
「そうか……“ドラァグ”の住民にも良識ある者がいるんだな。彼女が君に託したのもうなずける」
パラパラとページをめくりながら、風真はせつなそうに本を凝視している。気まずい空気が漂いだしたので、会話を繋ぐためにも九十九は質問を返した。
「失礼ですが、愛力ってなんですか? あの本で俺に何か起きたんですか?」
「本で力を得た者を、“愛力者”と呼んでいるんだ。あるものに対してこだわりを持った人間が古文書を見ると、そのこだわりに因んだ能力を開花させる。キミのようにね」
「あるもの?」
「無意識に好んでいる物だよ。選ばれし愛力者には、古文書がそれぞれ違ったものに見えるらしい。写真集だと答えた者もいたよ。先代である父から引き継いで研究を続けてはいるが、いまだに原理を解き明かせていない。分かっているのは“愛ある”冀求<ききゅう>のみ応える願望書だということ。そして、そこのコアボックスとともに、素晴らしく利用価値の高い、古代人の叡智<えいち>の結晶だということだ」
「あ……愛あるぅ気球?」
突拍子もない言葉を並べられてもピンとこない九十九。だが身をもって体験している本の力についてはケチのつけようもなかった。無意識のうちに漫画の主人公みたく不屈のタフガイになっていたのは事実。
昔から漫画を買い漁っては人一倍眺めている自覚はあった。しかし、これを“愛ある”と呼んでしまってもよいのだろうか。真剣に話している風真に、正面切って「漫画を愛してるから」と言うのはさすがに気が引けてしまう。
気の抜けた九十九の返答に風真は本を置き、気だるそうに椅子に背を預けた。
「回りくどかったね。いやなに、というのもね……覚醒しない人種もいるんだ。少なくとも【欲のない空虚な人間】か、あまりに【醜い欲を抱く者】には、資格がないらしい。確かな根拠ではないんだが……古文書によって愛力に目覚めた者は、純然たる心があったからね」
風真はどこか物悲しい眼差しで淡々と告げていた。
「そ、それじゃあ……そもそも古代人の本とかコアボックスってのは、どうやって手に入れたんです?」
「戦時中に築き上げた強大な権力と財産を駆使し、裏でトウキョウを牛耳っていた父が、トウキョウ湾沖に“ジパング”なる富裕層の為の人工島の建設にとりかかっていた時だ。あの世紀末の悪夢……大規模な震災がトウキョウを襲い、欲望の象徴である“ジパング”は津波とともに崩れ去った。その時の衝撃が原因で“ジパング”とトウキョウを結ぶ海底トンネルから貴重な文献と黒い結晶が大量に見つかったんだ。アンドロイドの祖となる土偶のような物体と一緒にね」
「それが、今のヘイローの技術に……」
ロマンある代物に目がない九十九は、合点がいったように呟く。
「そう、海底都市の住人が遺した未知の産物。かろうじて使いみちを理解出来たのはこの本とコアボックスの2つだけだが、父は十二分に満足していたようだ。国際機関を通じて各国から精鋭を召集すると、政治機能を果たさない“トウキョウ”を区分けして各国に貸し、世界経済の中心地“ヘイロー”へと復興させた。父の盟友であり君の“父親”である、仁道寺清玄<じんどうじ・せいげん>と、遺産の力を用いてね」
黙って聞いていた九十九だが、あるワードを耳にして目をぱちくりとさせる。
「え。いやいや、俺に親なんていないですよ。出身はドラァグ……もとい“ゼロ番”の育ちなんですから。キャベツ畑で生まれたようなもんです」
笑ってごまかす九十九に、風真の鋭い視線が向けられる。
「少し調べさせてもらったよ、君“達”をね。九十九という姓に心当たりがあったんだが、君達の母親は仁道寺くんの……」
遮るように九十九は机を叩く。
「親なんて“いない”ですって」
憂いを含んだ表情で声を震わせ、静かに苛立つ九十九。
空気がひっそりとしてしまい、しばしの間沈黙が場を制すると、我に返った九十九が取り乱したことの詫びを入れ、申し訳なさそうに首を垂れる。
「こちらこそすまなかった。だが妹さんはともかく、君の存在が仁道寺くんに知れれば、面倒な事になる。私もむやみに本や古代人の存在を公にはしたくない。分かるね?」
「……大筋分かりました」
気落ちしている九十九の肩に手を置くと、途端に風真の表情はぱぁ、とにこやかな表情に切り替わった。
「じゃ、この話は終わり。君さえ良ければここはホテルも経営しているから、ゆっくりしていきたまえ。スイートルームに美人なメイドさんも付けちゃうぞ! はっはっは。なぁ?」
「……お気持ちは嬉しいのですが、自分ちの低い枕じゃないと眠れないんですよ」
「そうか。ではせめて報酬を送らせてもらおう。明日の正午にアンドロイドが一体届く。楽しみにしていてくれたまえ」
「分かりました……」
お開きムードが漂うと、風真は指を鳴らして外に合図を送る。
しかし、一向に扉が開く気配もなく、反応がない。
「あれ。おーい! 開けてくれー!」
風真が大声を張り上げると、ようやく待機していた彼女の耳に届いたようで、ごごご、と重たそうに扉が唸りだした。
「お待たせ致しました九十九様、ご案内致します」
「ん、どうぞよろしく」
重たい腰を上げると、最後に風真に会釈をして部屋の外に向かう。
「──九十九くん」
後ろから風真の呼び止める声が聞こえ、九十九は首を振り向かせる。
「君は本当にいい仕事をしてくれた、感謝しているよ。その愛力はきっと君を幸せにするだろう。また連絡する。テレビ見てね」
「……はい、ありがとうございます」
九十九は改めて体を風真の方へ向き直し、深々と頭を下げその場を去った。
──ごうん。
扉が締められると、再びレッドカーペットの長い通路が目に飛び込んでくる。
「まぁたあのエレベーターかぁ。体力ある時はいいけど、正直しんどいよなぁ」
あくびをしつつ、待ち受ける絶叫マシーンに嫌気がさしてくる九十九。
先に歩いていた秘書はその言葉を聞いて180度転回して九十九を見つめる。
「よろしければ速度を調節致しましょうか? ロビーには4~5分ほどの到着となってしまいますが……」
「……ぜひそうして下さい。最初から」
◆
エレベーターを降りてからは意識が途切れ途切れになっていた。行きは興奮して乗ったエレベーターも、ロクでもないクイズを仕掛けてくる受付も、帰りは振り向きもせずに淡々と通り過ごした。
気づけば九十九はビルの夜風に吹かれており、呆然と立ち尽くしたままメインストリートの灯りを眺めていた。
「人生で一番くたびれた……」
全てから解放された九十九は両腕を伸ばし、最後の一仕事を遂げるために、すぐそばの路肩に停めてあったルゥナの原付に向かって歩き始める。
「あれ」
視界の端にもう一台、1400CCのメタリックなバイクが停車しており、傍には全身黒のレザーに身を包んだフルフェイスヘルメットのライダーが立っていた。
「しの……か?」
そう口ずさんだ瞬間、九十九は緊張の糸が切れ膝が崩れてしまう。
マズい、倒れる──。
そう意識したところで抵抗するわけでもなく、前のめりに地べたに倒れてしまった。
「(やばい、限界だ。死ぬぅ!)」
メインストリートの地面は凍りつくように冷たく、みるみる内に体熱を奪っていく。
焦れば焦るほどに肉体の反応がなくなり声すら出なくなってくる。どうにか首をぶんぶんと振って自分の存在を訴えかける。
「──世話が焼ける人」
ヘルメット越しに聞こえる、くぐもった女性のつぶやき声。
踏まれかけのカエルのようにあがいている九十九にライダーが腕を組み、呆れた様子になりながらも歩み寄ってきた。
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