第2話 ターミネイト


血の通っていない、うっすらと蒼白い顔の肌にはめ込まれた深い藍色の合成眼球。そのアンドロイドの眼前には、不意打ちを喰らった顔の九十九流がいた。


「──就任の挨拶終わりに襲われたって……“あの”風真の秘書なのかおたく!?」


 彼女は力なくうなずいた。


「表ざたに出来ない時には、ここを頼るようにプログラミングされていました」


「いやぁ光栄だなぁ……」


 照れくさそうに鼻の頭を掻いていると、彼女は一冊の本を九十九の目の前に見せてきた。


「それは?」


「風真様が大切になさっている古文書です。風真様を追わず私を追跡してくるところを見るに、狙いはこれです」


「なるほど……おい、ちょ」


 会話の流れで断る間もなく本を手渡されてしまった九十九。

 その拍子にページがふわりとめくり上がってしまった。


「(うッ)」


 個人の所有物の中身までを覗き見るつもりはなかったものの、つい視線を逸らせずページの合間を目にしてしまった途端、九十九の脳内に電流が走ったかのような一瞬のイメージ映像が脳裏に焼き付き、そしてそれは気に掛ける前に消えてしまった。


「(なんだ、この……)」


 顔を軽く振るうと、何事もなかったかのように古文書を手にして表紙を眺める。

 表紙には模様も題も、黄ばみすらなく、これと言って目新しさのない白い本。古文書と呼ぶには些か年季が足りない気もする。

 だが、どことなく異質な本であることは感じ取れた。手にした時に身体を優しく包む、“懐かしさ”に近い感情。

 どれだけの価値があるものなのか見当もつかなかったが、“あの”風真が大切に所持しているのにも納得がいった。


「引き受けていただけますか?」


「ん? ああ……事情は分かった。総裁にとどければいいんだな?」


「はい、お願いいたします」


また彼女が言うことが正しければ、事実上ヘイロー代表からの命でもあり初の大仕事になる。そう考えるだけで充分にやる気が燃え上がり、疲れできしんでいた体の痛みが泡のごとく消えていった。


「よし、分かったよ。これ以上野暮なことは聞かない。とにかく俺に任せときな」


精一杯気取った言葉に微笑みを添えてアンドロイドに掛けると、九十九は片手で胸を軽く叩き仕事の態勢<リズム>へと整えていく。


「じきに襲ってきた奴もくんだろ。ジュリア、俺の銃を出してくれ! 前に通販で買ったやつ」


「任せて! リキ入れなさいよぉ、九十九ちゃん」


普段冷めている彼女には珍しく、えらく息巻いて動き出している。力強くカウンターのスイングドアを開けるジュリアを見届けると、九十九は持っていた本を胸元のオーバーオールの隙間に挟もうとする。


しかしそこに遮ってアンドロイドが腕を掴んできた。


「……どうした? 汚れるのマズイかな、やっぱり」


「いえ」


淡白に返すアンドロイドだが、言葉とは裏腹に強く握ってきていた。引き離そうとしても、びくとも動かないほどに。

彼女の華奢な骨格をした左腕は見た目に反してたくましく、掴んでいる手は冷たかった。改めて性別の垣根を超えた人工生命体なのだと認識させられる。


「おーい? もしもし?」


「……会えてよかった」


時間がないと急かしていたわりには、どこか静かに覚悟を決めているように見え、打って変わった彼女の様子に九十九は少し戸惑う。

だが呑気に固まっているわけにもいかず、いい加減に離してもらおうと切り出そうとするとアンドロイドは九十九からその手を離し、一呼吸分の間を置いたのちに彼女は深々と頭を下げる。


「なによなによ。どうしたんだ?」


「何でもありません……身勝手な依頼だと一蹴せず、引き受けて下さってありがとうございます」


下げた頭を戻すと、顔を覆って<おおって>いた金に煌めく髪のヴェールを払い、穢れ<けがれ>のない無垢な笑みを露わにした。九十九にとって、幾万のデータから導き出されたお世辞だったとしても、その一言あればなんでも乗り切れる気がした。


「大げさだなぁ、いいって別に……ま、ほら、なんだ。借りをつくっておくと、返ってくる貸しもデカい相手だしさ」


またしてもぽりぽりと鼻の頭を掻いている九十九に、続けてアンドロイドは告げる。


「もちろんです。事前に謝礼として本を閲覧する権限を与えると、風真様から言付かっております」


「え、これの?」

 

 反射的に本をひらひらと上げる九十九に、彼女はこくんと頷く。


「詳細は把握しておりませんが、元気が出るとのことです」


「元気って……あ」


 引いていた冷や汗がじわじわとぶり返し、たらりと額の汗一滴が静かに頬を伝う。


「どうぞ、ご覧になっていてください。その間にもう一件、言付かっていた……」


「あの、その前にさ」


 そう言ってから背中に手を回し準備に取り掛かっていた彼女に対し、九十九は気まずそうに視線を横に泳がせつつ、唇を重たそうに開いた。


「いかがなされました?」


「いやさ、さっきチラッと見えちゃったんだよね……本」


「……」


おそるおそる告げると、彼女は“きゅいん”と電子音を鳴らして笑顔が消失し、黙りこくってしまう。感情の裏表がプログラミングされているようには見えないのに、こうもあからさまに表情を切り替えられると不安な気持ちが芽生える。

さほど長くもない沈黙の間に耐えきれず、誤魔化すように空笑いする九十九。


「悪気があったわけじゃないんだ。許可が下りる前に見ちゃったけど、どうせ見るんだし、大丈夫だよね? なんて……」


「……しまった」


おそるおそる顔色を窺う九十九に、アンドロイドは眉をひそめてぽつりとつぶやく。


「待て、怒るな! ちょっとした事故みたいなもので──」


「離れてください!」


彼女は唐突に九十九をソファに突き飛ばす。


コンマ数秒の差で一筋の稲妻が店の扉を抜け、焦げの臭いが鼻についたかと思うと、じりっという凄まじい電磁音とともにアンドロイドの両脚が2メートル先の店奥まですっ飛んでいった。


「──うおぉッ」


 煙の焦げ臭い残り香とともに舞っていた彼女の上半身がごとん、と床に落ちる。


「なんなの、なんなのなんなのよ!?」


 音が気になりカウンターから顔を覗かせたジュリアが惨状を目の当たりにして金切り声を出す。

瞬きする間に起きた出来事に頭の中が混乱する二人。


「な、なんだってんだッ」


かららん。


九十九に応えるようにドアベルが鳴ると、三十代くらいのゴツゴツとした顔立ちに、アウトローな革ジャンを着たサングラスの大男がのそりと入ってきた。

ボディービルダー並みの肉体に指の先から立ちのぼらせた硝煙。アンドロイドが言っていたを例の襲撃犯だと察した。


「……」


大男は指先から煙を立ちのぼらせつつ、舐め回すように辺りを観察し始めた。

ぐるりと店内に目を配らせると、言葉を発さないままこつん、こつんとブーツを踏み鳴らし仰向けに伏すアンドロイドの前に立ち、片手で黄金に広がる長い髪をすくうようにして掴み上げる。

焼け焦げたスーツの下からは脊椎に見立てたパーツと血管に見立てた配線が垂れ下がっており、一目見て危機的な状況であると九十九は察した。


「そうでしたか……私と同じ……仁道寺<じんどうじ>研究所の……」


痙攣しているまぶたで、押し黙っている大男を見つめるとアンドロイドは合点が行ったように、か細く途切れ途切れに呟いた。


「──君の着ている服と、本が欲しい」


そう脈絡なしに告げた大男は、心なしか頬を紅潮させているような気がした。

一刻も猶予もない状況からして、九十九は太ももをつねって自らを奮い立たせる。


「待てよ変態! 本なら俺が持ってる! そいつに手を出すと燃やすぞこれ!」


「……」


 大男はゆっくりと後ろに首を傾け、九十九の胸元からはみ出している白い本に注目してから、視線を上げて九十九を睨む。


「あ、はは……いや」


 サングラス越しからでも伝わる無言の重圧に怯む九十九は、おもむろに席を立って、大男の背後を中心に慎重な足運びで反時計に回り込んでいく。


「そうだ、えぇと。俺は九十九流、25歳」


「……」


「ほら、お互い敵同士でも自己紹介をしとくのが礼儀だろ……一応」


「興味はない……だが、ソレを持っていたのなら、彼女を撃つことはなかった。お前のように服をみじめに汚すことも」


「問答無用でぶっ飛ばしておいて、それはないだろ……服が欲しいなら今着てる俺のやろうか? 汚れた千円のユニクロのシャツだけどさ。通気性は抜群にいいよ……」


「……」


「ああ、そうかよ変態野郎め! だったらいいさ……」


話している間に目的のカウンターの入口に近づいてきた。

一か八かの可能性に全てを委ね、脚を屈めゴールに向かって思い切り跳びこんだ。


「──うげっ!?」


が、意図を読まれていたのか、あっさりと胸ぐらを引っ掴まれ、勢いの反動で妙な声を上げてしまった。


「じょ、冗談だって……この辺りは女装癖に文句を言う奴なんて……うぉ!」


「面白い奴だ。おいよく聞け、まずはお前の風通しを良くしてやる」


あからさまに不機嫌になった大男はアンドロイドをソファに置くと、カウンター側に九十九ごと斜めに向きを変え、彼の腹部に左手を当て指先に光を集約させていく。


「ちょちょ待って、シャレになってないぞ……この!」


先ほどの攻撃がくることを察した九十九は両肘を打ち下ろし、大男の腕に無我夢中で叩きこむ。

案の定、大男の腕は人の肌の柔さではなく、人工生命体の頑丈な硬さに自分の肘を痛めるだけだった。


「クソッ……本がどうなってもいいのかよ!」


「九十九ちゃん早くこっちに逃げなさいってば! 死んじゃうわよっ」


「“コレ”見ろよ……行けりゃ世話ないって!」


カウンターの影に隠れているジュリアから野次が飛んでくるが、足先がかろうじて着くだけの体勢の九十九に、口は動かせても、もはや逃げだす術は皆無。


「タンマ! 正々堂々戦お──」


白く染め上げる閃光に目が眩むと、九十九の胴体とジュリアのアフロヘアに線状の雷が貫通した。

遅れてじりっ、ずがぁん、と轟音が放たれ九十九はカウンター奥の棚に吹っ飛ばされ、収納されていたカップやガラス、コーヒー豆などを撒き散らしながらジュリアのそばに倒れ伏す。

髪のど真ん中を燃やされ火消しにやっきになっていたジュリアだが、下腹部が丸焦げにされた九十九を見て、彼女は我を忘れた。


「きゃああ! 九十九ちゃん! 九十九ちゃん!」


九十九の身体を揺すり懸命に呼びかける。しかし、反応はなく瞳は閉じ切ったままだ。


「九十九ちゃん! あーた死んだら紫乃<しの>ちゃん悲しむでしょう! ツケにしてたお金が返ってこないって!」


「……」


「それにアタシんとこのツケも払ってないじゃない! ショバ代払い終わるまで生きなきゃダメじゃないの! 何が何でも生きないとディープキスするわよ!」


「死にたくなるから……もっと温かい言葉にしてくんない?」


むせながら震えた手で上体を起こし、黒焦げた腹部を押さえて背後の棚に上半身を預ける。


「良かった! 致命傷は避けたみたいね」


ホッと安堵の顔を見せるジュリアは、九十九の傷跡から血が出ていないことに気がつき、違和感を覚えた。


「ちょっと待ってあーた、レールガンで撃たれたのに何で生きてられるのよ!?」


「……ぶち抜かれた感覚はあったんだけど、傷跡が消えてるんだ。痛みも引いたし、よく分からないけど今はそれどこじゃねぇ」


「……まぁいいわ。とっておきの反撃に出るわよ。アタシのトレードマークを焼き焦がしやがって……目にモノ見せてやるわ」


頼まれていた白銀のマグナム銃を九十九に渡した後、水着の食い込みに手を突っ込んで股を漁り始める。


「おおぅ」


「……何してんのお前」


「特殊部隊にいたコネでね。色々といいモノが手に入るのよ、見せてあげるわ」


「いや、いい。見たくない」


顔面蒼白させて首を振る九十九をよそに、ジュリアは小さな透明の箱を床に置いた。箱の中央にはうっすらと紫色の気泡が透けて見え、ふよふよ揺らいでいる。


「重力爆弾よ」

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