才能ありきの世界都市(コスモポリス)

@reirow

プロローグ:ハロー、“ヘイロー”

第1話 流れ流れて

 世紀末の地震を境に、極東の島国は変わってしまった。

 衰弱死を待つだけだったトウキョウに繁栄の火と神風がもたらされると、それは天にも昇る勢いで輝きを放つが、同時に影をより濃く、闇の深い国へと変貌させた。


 地平線に残る太陽が消えゆく頃、島国の要である国際都市、“ヘイロー”中央部のビル街に点々と明かりが灯されていき、わびしい夜を華やかに飾りだす。寄り添って輝く眩い光には温かみは無く、無機質でいて冷たいものを感じさせる。墓石のように建ち並んだ高層ビルに、複雑に交差し合う高速道路。貿易船や航空機で埋め尽くされた狭い空と海に、ヘイローにひしめくあらゆる情報の網。

 各国の才人によって成り立つこの都市には、進歩はあれど“豊さ”は存在しないのかもしれない。


「──おぉい、ねぇこちゃん。そろそろ出てこいよ、ホントに」


摩天楼の底、ビル境にある暗い路地で気の抜けた声が響いた。

悪臭のこもった生ぬるい風が路地に吹き抜けると男の身体と嗅覚を突き刺し、やる気と体力を容赦なく奪っていく。


「わっぷ……これだからメインストリートから外れると嫌なんだ……うぇ」


 げんなりしながらもドブの染み付いたオーバーオールを音立て奥に進む。


「おーい……ああくっそ! くそ猫! 聞いてんのか! こちとら下水道まで探してたんだぞ! 可哀想だと思うなら出てくるのが人情ってもんでしょうが! 人の心はないのか!」


 昼間から募らせていた苛立ちに堪えかね、持っていたかつおぶしを地面に叩きつける。

 響く声に返事はなく、行けども行けども暗い道が続いているだけで、虚しさと疲労感が押し寄せてくる。


「楽な仕事だと思ったのになぁ……いや、止めよ。愚痴はよけいしんどくなる」


 背から射す大通りの灯を頼りに、足元のかつおぶしを拾うと気分を変えて鼻歌をならしてテンポよく物色する。


「いやぁ、さすがヘイローですねぇ。最先端のスプレー落書き……独創的なシミに血痕。お次は……パンツかコレ。アウトレットモールでもやんのか」


 感心したようにうなずき、破けたステテコパンツを投げ捨てる。彼の目に映るものは、どれも決してろくなものではなかった。剥がされかけた大昔のポスターやビニール袋の残骸、入れ替わり立ち替わりの会社の間を繋ぐ複雑な管。美意識の強い表通りとは対称的で、どこかの誰かに押し付けたような粗が目立っていた。


「ねむいし……くさいし……きついし……ねむいし……くさいし……」


 現実から目を背けるように詠唱に入って気を紛らす男。

 探索はゆうに5時間を超え、男のまぶたは疲れと眠気で重くなってきていた。目を擦りたいのは山々だが、ありとあらゆる臭いがそれをためらわせる。


「ガセ掴ませやがってアイツ……くそ。コンテナもう一度河川沿いを探すしかないか。な?」


半身だけのちぎられた警察官のポスターに語りかけると、自分の行いがふと虚しくなり肩を落とす。


「(なんか独り言増えたな、俺)」


「──みゃあ」


「……ん?」


奥の方からかすかな鳴き声を耳にした。男はうすら笑みを浮かべる。


「おいおい、まさかァ?!」


声の出所を辿り路地の奥へと向かう。その足取りは疲れを感じさせない、軽快なものになっていった。


「いた!」


突き当たりにレンガの壁が見えてくると、そこの放置された大型ゴミボックスの蓋の上に、赤い首輪を付けた黒い子猫が呑気に寝転がっていた。


「(くくぅ……努力が実った)」


千載一遇の好機に涙を浮かべ、拳を固く握り締める。


「みゃあ」


「みゃあ、じゃない! 迷惑かけやがって! あのおっさん泣きじゃくって大変なんだぞ。ほら、来いよ」


ためこんでいた愚痴をぶつけながら手招きすると、猫はぴょんと男の懐に飛びこんで甘えてきた。


「うおっ、人懐っこい奴だなあ。シング、ごほうび」


胸元に擦り寄るシングに、かつお節を口元にあてがってみるが、その小さな手で怪訝そうに触るだけで口にしそうになかった。


「どうした好物なんだろ? やっぱりミルクだったのかな、情報と違……」


「みゃあ。みゃ……きょお゛お゛お゛お゛お゛」


「え」


金属の擦れるような声を発すると、子猫は鼻先から六つに顔をぱっくりと裂け、ヨダレを四方八方に撒き散らしながらエサにかぶりつく。


「えぇ……」


おどろおどろしく変貌した物体から、男は溜息をついて見上げると、配管の隙間から覗かせる美しい満月を眺める。


「(燃えねぇ仕事だよなあ……毎日毎日)」


都市の“声”が聞こえてくる。大通りで走るパトカーのサイレンに、車やバイクのエンジン音。通行人の笑い声や怒鳴り合いに、ヘリや飛行機の騒音。これらは“ヘイロー”を彩る環境音でしかない。そして──。


「……撃ち合いか」


たたたたん、たん。ぱぱぱぱぱ。

単調でいて、暴力的な協奏曲。その音量は次第に悲鳴とともに増大し距離を縮めてきていた。


「ちょいと前もドンパチやらかしてた癖に、飽きないねぇ」


身に迫る危機にも関わらず、うんざり口調で男は歩き出した。


「ぎょお゛お゛お゛お゛ん。お゛ぉ゛ん!きょお゛お゛お゛お゛」


裂けた頭の中から舌のような触手を暴れさせ、シングは安らぎを求める男に優しく応える。


「君は、アレだね……ほんと夢にでそうだから、元に戻ってね」





経済の中心地にあるヘイロー・メインストリートを西部へ抜けると、真っ直ぐなだらかなタマ河川に辿り着く。その岸からは男の帰路となり、道なりに進むと“ドラァグ・クィーン・ストリート”なる貧民街が土手の下に広がる。

有り合わせの材料で組み立てられたような古いバラックがぎっちりと整列し、通りには彼方此方に掛けてある雑多な看板が目立ち、街全体を野球場からかっさらったいくつものナイター照明が照らしている。

“ヘイロー”の中心で生きている人間ならば嫌悪感を抱きかねない、濁った活気と嫌な色気のひしめく無法地帯。そこが“ヘイロー”エリアから爪弾きにされた人間が住まう聖地であり、最後の砦だ。

 男は土手を降りて人の出入りの激しい、ニッコリマークのペイントがされた垂れ幕がある通りに入る。


「(まだこんなにいるのかよ)」


 深夜帯まで営業している夜市<よいち>や酒場にあふれ集る“好き者”にうんざりする男だが、幸か不幸か身にまとう悪臭が自然と彼らを避けさせ、帰宅するのに苦になりそうになかった。


「──おうドブさらいか九十九! 風呂ぐらい入れよな!」


 どこからか労いとも皮肉とも取れる男の声が聞こえてくる。


「あーあー悪かったなッ! “綺麗好き”の皆さんに迷惑かけて!」


 四方のガヤに返事を返すと、九十九は奥に向かい、一角の赤黒基調で建てられた小洒落た喫茶店“やろう”に辿り着き、ドアベルを鳴らす。


「ただい……」


「シングちゃあああん! 会いたかったのよおぉぉッ!」


「うげェッ!!」


入口に入るや否や青髭ヅラの巨漢にぶちかましを喰らい、九十九は背後の空き地まで水平に吹っ飛んでいった。


「みゃあ」


宙を舞う子猫をがっしりとキャッチする巨漢。


「おおおぉぉんお゛お゛んよちよちぃ! もう絶対離さないがらね゛! あだじの魂まで離すときよ今度はぁ!」


「みゃあ」


シングに頬ズリをしながら砂嵐みたく濁った声でわんわんと泣き叫ぶ。


「あーた静かにおしよ! いつまで泣いてるの! お客が寄らなくなっちゃうじゃないの!」


 額に血管を浮き上がらせたたくましい肉付きの黒人は、バーカウンターをバンバンと叩く。そのたびに背後のコーヒー豆の入ったプラスチック容器や盛り上がったアフロヘアが揺れている。


「ッごめんねジュリアちゃん……だって私、ずっと心配で心配で、気が触れちゃうとこだったの!」


「それ以上おかしくなったら手に負えないわよ。気が済んだなら出すもの出しなさい。九十九ちゃんから2万の契約だって聞いてたわよ」


そう催促するとジュリアは口を半開きにし、分厚い口紅を塗りたくる。


「えぇ、もちろん払うわ! ほんどにありがとう。ほんっっとに……」


涙で崩れた化粧顔を向けて、何度も感謝の意を伝えてくる。ジュリアはそれを鬱陶しげに手で払う仕草を見せた。


「はいはい、もういいから。お礼ならさっきすっ飛ばした九十九ちゃんに言ってちょうだい。あ、ちょっと! 床に鼻垂らしたら掃除させるわよコラ゛」


全身の筋肉を風船のように強張らせ、ぴちぴちのスクール水着がはちきれんばかりに威嚇<いかく>をすると、おびえた巨漢はドレスをまくりあげ、下着の中から万札を2枚カウンターに置き、「いやぁ~ん」と泣き叫んで出ていった。


「はぁ。骨が折れるわ……」


嵐が過ぎ去り静けさが戻ると、ジュリアはカウンターを回りテーブル席の方に腰を下ろす。入口横のパキラに視線を配り、手心を加えた子を愛でる気持ちでねっとり鑑賞し心を穏やかにさせた。


「ホント、あの子のお客は変な人ばかりなんだから。きっと日頃の行いが悪いのね」


かちっと安物ライターでタバコに火をつけ、わざとらしくたっぷりと煙を肺へと吸い込み、すぅっと吐きだした。


「日頃の行いが悪いのね、じゃねぇ! それ言ったらアンタもだろっ! あ、立ちくらみが……」


九十九はおぼつかない足取りでジュリアの向かいの席まで行くと、途端に糸が切れた人形のようにソファに倒れこんだ。


「あんら失礼ね。ショバ貸してるアタシに暴言吐くなんて、良い度胸してるじゃな……え゛ッ? なに、ちょ……臭ッ! 肥溜めでも潜ったの?! 寝るならあーたのバスで寝なさいよ! 汚したら罰金よ罰金!」


「トレーラーだっての」


「どうでもいいわよ、くっさ!」


強烈な臭いがたちまちジュリアの鼻をひん曲がらせる。カウンター裏の方に行くと屈んで何やら漁りだし、スプレー缶を取り出してから戻ってくると、横になっている九十九に向けて全力噴射する。


「でぇっ! げほっ、うげぇほっ」


「あら、やだこれ殺虫剤じゃない」


ジュリアは手に持つ緑色のスプレー缶を見つめて「もったいない」とつぶやいていると、たまらずむせ返りながら起き上がった九十九が怒鳴り上げた。


「俺は害虫か!」


「バカなこと言わないで。益虫よ」


「虫止まりかよ! あ、腹が……くそ」


怒りを遮る大きな腹の虫が九十九の気力を奪う。不本意ながらに顔を歪めつつ怒りを抑えて座り直し、彼女に今日の仕事がいかなる苦難に満ちた戦いであったかを説明する。


「いいか? 1日で4件のペット捜索こなしたんだぞ、4件。おまけに最後の1件は流行りの“ニューペット”。行動も読めないから時間も食うしさ。手間がかかったよ、ご飯ある?」


「そう、お疲れ様。あのねぇ、あーたわがままばかり言ってるけど、そういうのを相手に飯を食わせてもらってる自覚、足りないんじゃなくて? 自分のおまんまは自分で掴み取りなさい、プロならね」


「うっ、いや、まあ……そうですね」


どうにも痛いところを突かれてしまったようで、言葉を失いテーブルに突っ伏した。


「……テレビつける?」


「んー」


死に体と化してる九十九の唸り声を聞き、隅の天井に吊るされたテレビに向けリモコンのスイッチを押すジュリア。

画面に映し出されたのはCMの数々。派遣や運送、カジノや投資情報、今時アイドルの出演する新ドラ告知、深夜時間帯特有の宗教勧誘など。

興味のない画面が転々と切り替わり流れていく。

そのうち、“ヘイロー”で人気を博しているアニメ、“課税ライダーTAX”の劇場版告知に九十九は思い出したように突然顔を上げる。


「何よ?」


「忘れてた。明日、通販で注文してた漫画が俺の事務所に来るから、受けといてくれない?」


「ごめんなさい。アタシ、デートなの」


「冷たい……ホントに冷たい。温かい田舎に帰りたいなぁ……」


「あーたここ出身でしょ」


ジュリアの冷めたツッコミに対して、九十九は拳を固く握り締め熱く語る。


「いや! 絶対どこかに俺を優しく迎える故郷があるはずだ!」


「無いわよ」


「即答かよ」


深夜帯独特の他愛のない映像を垂れ流しにしたまま、二人は会話を交わしだらりとした時間を過ごす。


20分ほど経った時だった。


『──こんばんは。ニュースの時間です』


だだ漏れの蛇口を閉めるような、きびきびとした男の声が店内に響く。途端に二人は画面に集中し、淡々と今日の出来事を伝えるニュースキャスターの言動に睨みをきかせる。


『風真グループ総裁に就任いたしました、風真礀<かざま・はざま>2代目総裁の就任記念パレードが昨日午前10時にとり行われました。今後は初代総裁の意思を継ぎ、より報われる実力主義の社会を目指す、と声明を──』


「“かざま”かぁ……」


17インチの画面に映る、紙吹雪の舞うメインストリートで手を振っているスーツの青年。名を風真・礀<かざま・はざま>。彼に送っていた硬い視線が、羨望のソレへと変わり、ほぐれていく。

絶対的な都市の権力を握り、かつ誠実な容姿に爽やかな言動。老若男女問わずしてハートを掴み殺すカリスマ的存在だ。総裁選挙の時から、頂点に立つであろう雰囲気をテレビ越しに感じ取れていた。


「……俺も負けてられないな。必ず偉業を成し遂げてみせるぜジュリア!」


境遇の差を意識せざるをえないが、それを燃料に心の奥底でふつふつと燃え上がらせていた九十九だが、ジュリアは紅潮させた頬に両手をあて満足げに惚けており、乙女のように色ボケた吐息を零していた。


「聞いてます?」


「さすがいい声で原稿読むわね、寺清くん……それに風真クンの晴れ姿も見れて、アタシ幸せ。疲れが吹っ飛ぶわよねぇ」


「そっちかよ……まぁいいけどさ。ここに希望に燃えた二十代がいるんだぜ? 今の内にサインとか、どう?」


泥まみれの顔で爽やかに微笑み、グッと親指を立てて熱い視線をジュリアにぶつけた。


「……はぁ」


「ため息つくなよ」


「表札、返してなかったわ」


重そうに太い腰を上げて、わしゃわしゃとアフロをかきつつ気だるそうな動きで入口へ向かうジュリア。


「あーあ、世知辛れぇなぁ」


わざとらしく声を張り上げながら、ソファでふて寝を再開する九十九。


「あーたボヤキ癖直した方がいいわよ、じゃないと──」


かららん。


ドアベルに会話を遮られ、ジュリアの目の前に金髪の女性が店内に駆け込んでくる。逃げ隠れでもするかのように咄嗟の身のこなしで、腰ほどの長い髪がふわりと浮いていた。


「夜分遅く失礼します」


無機質な一言を放ち、扉を背にもたれかかる彼女。


「ごめんなさいねぇ。もう店終いなのよ」


「構いません、かくまって下さい」


金髪の女性はこの土地にふさわしくないレディスーツを着ており、いかにもらしい整いのある雰囲気ではあるが、ところどころ破けており、右手をあからさまに隠しているようだ。


「かくまってって、あーたね。ふてぶてしいにも……!?」


「事務所は裏手のトレーラーだと聞いていたのですが、不在の場合は此方の喫茶店に、と貼り紙にあったもので」


「そ、その手……っ」


客人の異常性を物語るように、ジュリアは声を震わせる。不穏な空気と会話を察知した九十九は起き上がり、彼女の方へ目頭を押さえつつ視線を向ける。


「どうした。俺に用なら話……でも……」


ぼやけた気味の視線の先に、ジュリアが言葉を失っている理由があった。

“女”の右手は千切られており、手首の穴からは大量の配線をのぞかせていたのだ。

人ならざるその機械仕掛けの女は、間抜け面で固まっている九十九を認識すると目線を合わせ、


「何でも屋さん、お願いがあります」


と平静ながらも艶のある口調で、もう片方の手に持っていた白い本を見せ、透き通った笑顔を作った。

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