夏の幻とポニーテール
呉羽みる
第1話 その出会いは的中とともに
もう、辞めてしまおう。
始めるのに遅すぎるということは無い、と言われるくらいだから、きっと辞めるのに早すぎるということも無いんじゃないだろうか。
高校に入って初めての夏休み直前、職員室で顧問に退部届を突き付けながら、俺、
「…そうか、考えた末の結論なら、俺は何も言うまい。でもな」
弓道部顧問の
「俺はお前が自分で思っている以上に、お前のポテンシャルを買っている。実績がそれを証明しているし、お前の合理的なところは弓道向きだとも思うぞ」
いやめっちゃ言ってるやん……というツッコミは置いておいて、ポテンシャル、か……。八坂先生のその言葉は、きっと半分くらいは本心から言ってくれていると信じたいが、俺が辞めるのをとりあえず引き留めるための、体のいい方便にも聞こえた。
「どうしても続けられないというのなら仕方ないが、せっかくなら夏休み最後の百射会まで出てみるってのはどうだ?」
俺は一瞬の思案ののち、答える。
「……考えてみます」
先生なりの折衷案だろう。辞めてほしくないというのは本心だろうし、もしこの夏の練習で弓道への楽しさを再び感じることが出来れば、続けてほしいといったところだろう。それはあり得る話だろうか、今の俺には望み薄としか言えない。しかし辞めたところで夏休みにやりたいことも特段あるわけではない。分かった、これっきりだ。
「せんせー、質問があるんですけど」
数学の教科書を持った女子生徒がこちらに近づいてきた。八坂先生はその気さくな性格と渋い声で女子生徒から人気のある教師なのである。
「おう、ちょっと待っててくれ」
八坂先生は俺に向き直ると、一言だけ告げる。
「すまんな鳴海。そうだな、もう少しだけ考えてみたらどうだ」
「はい、失礼します」
この場でこれ以上粘るのは得策ではないと判断した俺は、そう言い残して帰路についた。一晩考えたところで結論が変わるはずもなかったが、しかし俺は、とあることを思い立った。
「最後、だしな」
そうひとりごちると、俺はいつもより早めの眠りについたのであった。
翌朝、いつもよりも2時間近く早い5時に起床した俺は、始発電車で学校に向かった。夏休みとはいえ、うちは自称進学校なので夏季補習が行われる。当然ながら補習のためならこんなに早く起きる必要はないのだが。
まだ開いていない校門を飛び越え、グラウンドの外周を駆けていく。俺が所属する弓道部の道場はグラウンドを挟んで校門と反対側にある。ちょっと遠いが、間違っても矢道に人が立ち入るようなところには建てられないから仕方ないだろう。
俺は道場の鍵を開けて中に入る。神棚に向かって神拝を済ませると、道場と矢道を隔てるシャッターを開けた。適度に風は吹いているものの、今日も暑くなりそうだ。的の設置と着替えまで済ませると、弓と矢を携えて的前に立った。
今日こんなに早く弓道場に来たのは他でもない。これは弓道への決別のための、いわば儀式なのだ。あまりこういうのはキャラではないけれど、きっと的前に立つのはこの夏で終わりだろう。それならば誰もいない早朝の弓道場で、何者にも干渉されず一度弓を引いてみたかったのだ。
吹き抜ける一陣の風を全身で受け止める。俺はその風が止むのを待って弓を打ち起こした。引き分ける両の腕にかかる重みを感じながら体を弓の中に入れていく。数秒の沈黙の後に放たれた矢は、霞的の中心から11時方向に少しだけずれた中黒に破裂音とともに突き刺さった。的中だ。
「よしっ!!」
誰もいないはずの背後から聞こえたその弾けるような声は唐突で、思わず作っていた残心の姿勢を崩してしまう。
慌てて背後を振り向くと、そこには制服を着た見知らぬ女の子が立っていた。
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