第51話 ”C”owloon City

【W】



 落とし穴にはまった私はツルツルの暗いトンネルの中をボールのように転がり落とされた挙げ句、なんの優しさも気遣いもない速度で固い床にビターンと叩きつけられた。

「いたたた……」鼻を擦りながら上体を起こす。普通の体だったら痛いで済む話じゃないだろう。足元がグラグラするのは目が回っているからかと思ったが、どうやら実際にここの足場が水上のボートのように不安定だかららしい。辺りはほぼ真っ暗で、天井に規則的な間隔で真っ赤なライトが配置されている以外は何も見えなかった。手だけ伸ばして周囲を確認する。左右の両方に壁の感触。慎重に壁を触りながら立ち上がると、両手が同時にに触った。なんだろう、箱みたいな何かに入れられたのかな。

 カチッと、金具が跳ねる音。同時に天井のライトが背後に向かってゆっくりと流れ始める。

 ……否。

 こういう景色の時に動いているのは、たいていこっちの方だ。

 ゴロゴロと揺れだすトロッコの車体にしがみつきながらため息をつく。本当に、短いスパンでこんなのばっか……。

「いやあああああああああ!!!!!!」

 ガタンゴトンと強烈に揺すぶられ、凄まじい速度でトロッコが滑り出した。あまりに速さに頬の肉がブルブル震える。視界が効かない真っ暗闇の中でこんな速さの乗り物に乗るのは初めてだ。そしてもう二度とごめんだ。

「うああああああああああああ!!!!!!!」

 手がジンジンする。何が怖いって、私は今どう考えたって安全ベルトも何もつけていないのだ。これ、掴まる手を離したらどうなるんだ? 怖くて試す気なんて全く起きないが……。

 突然、トロッコが急停車し、顔面に柔らかい何かがぶつかる。エアバックだろうか。カコンと上の方で音がして、同時にドサッと何かが背後に落ちてきた。

「っててて……」誰かが呟く。

「え、誰、誰ですか?」

「あら、誰かいるの?」

「フー・フー……です」

「ああ、フー・フーか」

「多分何かに掴まっていたほうが……」

「え?」

 ……あ。

「きゃあああああああああああああっ!!!!!」

「うぎゃああああああああああああっ!!!!!」

 ソウルもぶっ飛ぶような強烈な加速度に溺れながら、なぜか微妙に冷静になってきた脳みそから乾いた笑いが漏れる。こういう絶叫系のアトラクションが多いのって、つまりは可愛い女の子アイドルをいじめたいからなんだろう。私だって見てる側だったら絶対に楽しい。

 イサミも楽しんでるのかなぁ……。

 ちくしょう。

 ふわっと生ぬるい風を感じ、前方に光が見える。抜けた瞬間壁に叩きつけられることすら覚悟して身構えていた私とは裏腹にトロッコはブレーキをかけながらゆっくりと停車し、そしてやっぱり突然グルンと逆さに回転して私たちをゴミのように地面に振り落とした。またも鼻から落ちる。

 ちくしょう……。

「遠慮がないね、どうも」

 だけど、ケラケラと笑うその声を聞いたとき、自分でも呆れちゃうくらいにホッとしたのを覚えている。

 ガバっと顔を起こした。「パレード!!」

「はは、フー・フー服汚え」パレードがパンパンッと服と髪からホコリをほろってくれる。

「ほんとだ、もう汚しちゃった」服に黒いシミが沢山ついてるのを確認しながら私も立ち上がる。「パレードは全然汚れてないんですね」

「まだ特に何もしてないからなあ」パレードはシルエットが透けるいつものセクシードレスをたなびかせながらドヤッと歯を見せた。「正直ヒマしてるよ。謎解きしてたら初見殺しのトラップにかかって落ちただけさ」

「謎解きなんてあるんですか」

「条件を満たさないと行けないエリアがあるみたいなんだ。高得点の作品アイテムはそういうとこにあるんだろうな」

「へー」

「そんだけ汚れてるってことは、キツネに追われてたのってフー・フー?」

 このゲームでは鬼のことをキツネと呼ぶ。私たちは花嫁だ。

「ずっとココルに追いかけ回されてました」

「いいなあ、楽しかった?」

「全然……いや、どうかな、意外と面白かったかも」クスクスと笑う。なんだか随分と緊張がやわらいだ。私たち天涯孤独のクローンにとって、パレードの存在っていうのは想像以上に大きいものなのだ。この九龍冥婚クーロン・メイデンだってパレードがいなければもう少し参加を躊躇っただろう。

「ミズノは元気?」パレードの笑顔にはいつも通り、一点の曇りもない。

「おーい、イサミー?」イヤホンを耳に押し当てる。「あれ、また通信切れてるみたい。聞いてるとは思うんですが……」

 話しながら、薄暗い駅を抜ける。

「あ」

 光。

 影。

 ネオンライト。

 百点満点……いや、千点オーバーの九龍シティが私の脳みそにドーンと放り込まれた。

「うっわあああああ!!!」

 思わず叫んでしまった。ビリビリと背筋に電流が走るような感覚がして、鼻から吸い込んだ空気が一瞬で肺に満たされる。

 そうだ、私は……。

 これが見たかったんだ。

「すっご……」肩を抱き、薄くつぶやく。

 私たちがたどり着いた場所は、恐らくは九龍城砦の中心にあたるであろう巨大な目抜き通りだった。道は比較的広いのだが、積み上げるかのごとくに重なり合った看板とそこに描かれた漢字のネオンサインの洪水が薄暗い曇りの空を覆い尽くしている。多すぎる看板は互いに目立とう目立とうと個性を主張しあった結果光の森に埋没し、結局はどこに何があるのかまるでわかりゃしない。地面にはゴミが散らかり、だけどその合間を縫うようにして所狭しと並んでいる出店からは美味しそうな点心の湯気がモヤモヤと立ち上っている。まさしく、これぞ九龍シティ……もとい、香港のような中華的アジアの空間の使い方だ。誰のものでもない空間を自分のためだけに使おうとする意思のぶつかり合いが、このアジアンゴシックとも呼ぶべき圧倒的過多の情報量を生み出すのだ。

 パチパチと、電飾から火花が散る。

 見渡せば、黄色、緑、青、そしてひときわ多い紫がかった赤のライトがカオスを彩っている。壁の色なんて基本はどこも灰色かドス黒い赤で、街に色をつけているのはあくまでネオンの光だ。歩道橋と鉄道が空を覆い、歪んだ壁からはヤドリギのように新しいビルが生え、遠くではボンボンと英国風の鐘の音すら鳴っているこの無茶苦茶の極みはもはや電脳世界サイバーパンクで創造された数多のイメージすら遠いものだろう。

 これはもう、九龍城砦ですらない。

 本物を上回るまがい物。

 人形が人間を超えた世界が作った九龍クーロン偽物アート

 楽園、最高。

「……どうする? もうしばらく眺めてる?」

 パレードの声で、我に返った。

 グッと両手を握りしめて、肺に溜まった息をゆっくりと吐き出す。「……我慢します。どうせならもっと余裕があるときに見たい」

「うん、ミズノとデートにでも来たらいいよ」パレードは口元を歪めてウィンクし、くるりと両腕を広げて優雅に一回転した。「それじゃあ観光の下見がてらに色々記録してこうか。ここ、採点できそうなのいっぱいあるしょ……おや?」手を目の上にかざして遠くを見る。「あそこ、誰かいるな」

「え? どこどこ」

 パレードの指差す方に目を凝らす。いた。数10メートルくらい先のビルとビルの間にかかっている鉄橋の上で、誰かが叫びながら手を振っているようだ。残念ながらその下に垂らされた看板の「桃尻女」の漢字が眩しすぎて、誰なのかまではわからない。

「カカリンかな? それともポンコツちゃんか……」パレードは目を細めている。

「ポンコツちゃんって、ファニー・フェイスの?」

「そ。まああっちに歩いていけばそのうち会えるだろ」

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