第52話 収集ゲーム

 ところで、実際の九龍城砦には歯医者がたくさんあったというのは有名な話だ。イギリス領の香港で、中国免許しか持たない歯科医が開業できた場所は九龍城砦だけだったから、らしい。競争率が高いぶんどこも腕はよかったのだとか。九龍城砦には「牙科」と書かれた看板の下に義歯が飾られたショウウィンドウがたくさん並んでいて、それが独特の雰囲気を醸し出していたというのは私がタオシェンから聞いた話で、それをイサミにも伝えた形なのだけど、それがこうやってちゃんと作品になっているのを見ると少し興奮する。無論、楽園なのだから歯医者もアートなアレンジが加わっていてバラエティ豊かだ。私がここで採点した入れ歯たちは、

巨人ジャイアントモデル】(牙・太・ランク壱)

キャットモデル】(牙・撫・ランク弐)

吸血鬼ヴァンパイアモデル】(牙・紅・ランク壱)

【赤ちゃんに乳首噛み切らせるモデル】(牙・乳・ランク参)

【神の総入れ歯】(牙・禿・ランク弐)

【全自動親知らず】(牙・誤・ランク参)

腹の虫歯バイティベリー】(牙・痛・ランク四)

 などで、一つ大きなガラスケースに収められていた一見普通の総入れ歯はどうやっても箱が開かずに採点は断念した。鍵はあるみたいなので、先にそっちを見つけなければ駄目なのだろう。つまりはレアアイテムだ。

「パレードは採点しなくていいんですか?」途中で私は聞いた。「私ばっかり記録してますけど」

「みんなで合計点を稼いでるんだから一緒だよ。それに多分だけど、分散して点数を稼いだほうがいいと思うんだ」

「なんでです?」

「確証はないけど、溜まった点数で使えるようになる魔法とかもありそうだなあって」

「あー、なるほど」流石はパレード、鋭い。このゲームの基本システムは楽園の基本様式にならったものらしいので、点数を稼いで魔力を高めるほど使える魔法が解禁されていくって仕組みがあっても不思議じゃないかもしれない。

 さっき見えた人影の方向を意識しながら脇道にれたり歯医者の迷路に入ったりとあちこち歩き回っていたら、不意にパレードが、私のマイク型のネックレスにこっそり手を伸ばしてきた。クイッとつまみがひねられ、マイクがオフになった音。

「……どうしたんですか?」

「この際だから、ミズノのことでも聞いてみようかなと」パレードは言う。

「あー……」少し気が重くなった。いや、気が重いって言い方はおかしいか。単純に照れくさいのだ。

「ぶっちゃけどのへんが好きになったの?」パレードは恐ろしく小ズルくて愛らしい表情でニヤニヤで顔を寄せてくる。「いやわかるよ。ミズノは結構イケメンだし性格もいいし。でも、ねえねえ、何が決め手?」

「それ、ここで言うんですか?」

「いいじゃん、てか私に夜這い頼んだのフー・フーじゃん」

「よ、よばい? ああ……」

 一瞬何を言い出すのかと思ったが、なんとなく頭が冴えた。イサミと一緒に仕事したてくらいの時に、どうもアイドルのことを子どもの体だと思って遠慮されてる気がしたので、パレードにそれとなく誤解を解いてくれないかと持ちかけたことがあったのだが……。

「え、夜這いしたんですか!?」

「うん」パレードはあっさり頷く。「裸になってガッツリ誘ったよ」

「……っ」

「断られたけど」

「…………ウソだ」

「ホントホント」キツネみたいな目でケラケラと笑う。「あいつは紳士だね。勇気がないだけって自分じゃ言ってたけど」

「そう……ですか」

「ホッとした?」

「……別に」

「ひひひひ」

 しばらく変な方向に向かっていた思考をため息で元に戻し、そっぽを向いて歩き出す。「……最初は、日本人だからだったな」

「ん? ニホン? ああ、ミズノのお国ね、はいはい」

「前世の感覚だから、なんでって聞かれても全然答えられないんだけど……」腕を組んで当時のことを思い出す。「なんか、私日本に対して異常にポジティブな印象があったんですよ。理由はホントにわかりませんが」

「ほうほう」

「こっちに生まれたときも、実は真っ先に日本人が生まれてないか探したくらいで……そんなだったから、新しいクローンが日本人だって知ったときはホントにビックリしちゃって。顔見たときはぶっちゃけ韓国の人かと思ったけど」

「カンコクかんこく……ああ、ユンの出身地クニか。で、日本人ってわかって慌ててプリン持って会いに行ったと」

「あれからまだ一ヶ月経ってないのかぁ」

「色々あった気がする?」

「生まれてきてからずっとありっぱなしですよ」これまでの二年になんとなく思いを馳せてみる。パレードの屋敷で目を覚まして、スィの舞台を見て、キューと仲良くなって、向こうの世界のことを絵に描いてたらあれよあれよとアーティストになって、アイドルの体になって、調子に乗ったり恥ずかしくなったりして、ゴブリンちゃんが生まれて、タオシェンとパレードと一緒に東へ旅行して……デカダンス監督にスカウトされて、イサミと出会って……。

「そうか、そんなに好きか」後ろでくすっとパレードが笑う。

「え、え?」

「背中に書いてあるよ」

「うーん……」

「どうして、そんなに早く好きになっちゃったの?」

「……わかんない」

「ハハハハハハ!」何がツボにハマったのかわからないが、パレードはびっくりするほど大きな声で笑いながら膝を叩いた。「罪作りな言葉だなあ。そのわからない理由で何人の男たちが昨晩の夜空に散ったことか」

「そんなこと言われてもなあ」むず痒い気持ちでハーッと深くため息をつく。私だってイサミにフラれるのはめちゃくちゃ怖かったのだ。なんだかマカに未練ありげだったし、アイドルなのにフラれでもしたら生きていける自信なくしそうな気もしたし……。

「わかんない、か。逆に一番いいなそれ」パレードはまだ笑っている。「羨ましいよ、私もそんなこと言ってもらいたかったぜ」

「え?」

 その時である。

 バゴッと音がしたかと思うと急に天井が開いて、巨大な赤い駄菓子の袋が落ちてきた。

 目の前で、駄菓子の袋の中で何かがモゴモゴと動いている。周囲は芽を生やす歯が幾つも試験管に収められた不思議な実験施設の一角で、袋が落ちてきた場所には他にもガムの袋や果物の描かれた缶詰などが巨大サイズで雑多に積み上げられている。一体どんなストーリー性があってこういう景色なのかはまるで見当がつかない。

 やがてピタッと袋が止まり、プシューっと瓦斯が吹き出した。中にいる誰かが採点をしたようだ。ということは、この袋はさっき上にいたあの人だろうか。

 薄緑の瓦斯が渦巻く中で袋が破れ、白くてキレイな脚がバリッと突き出す。

「やれやれ、採点すると開く仕組みね」

 呟きながら星空のように黒い髪の毛を振り乱し、袋から這い出して、私を見た。

 パレードだった。

「お、フー・フー! 楽しんでる?」硬直する私に向けて、二人目のパレードはいつもどおりの愉快な顔で笑っていた。「じゃさっき下にいたのはフー・フーだったのか。それと……」首が横に傾き、私の背後に目を凝らした。「ありゃ?」

 思わず振り返ってしまうよりも先に、ピタッと後ろから、私の両腕を塞ぐように細い腕が抱きついた。

「はじめまして、フー・フー

 誰かの声。

 男の声。

 鳥肌が全身を這い上がる。

「こうしてキチンと会話させていただくのは初めてですね……わたくし、ラジオDJを務めさせていただいてますファニー・フェイスと申します。いい変装だったでしょ?」

「え? え? え?」

「突然騙しちゃってすいませんねえ。しかも顔は公開してないもので、ポンコツちゃん越しの会話になるのもどうかお許し願いたい」

 後ろからキツく私を抱く手からポトリと青い布が落ちる。私は、ちょっとワケがわからないくらい不気味な気分に襲われていた。ココルの猫紳士とは全く異質な、日常を侵す幽霊のような寒気が肌を刺す。

「さしあたりは、そうですね、おめでとうございますとでもいいましょうか」男の声は続く。「いやー流石はフー・フー、実におめでたい! そして残酷!! 今日のためにあれやこれやと用意していた男が一匹、あなたの真後ろで泣いておりまする、うぅ……」

 助けを求めるように前にいるパレード(?)を見つめる。パレードは立ち上がって、なんだか同情的というか、片目を吊り上げた複雑な表情で私と背後のを見つめていた。

「いやあホントにね……」男の声が、低くなる。「まさか今朝の今朝にね……ちくしょう、こんちきしょう」

「あ、あの……」

「一目惚れだった。あなたのためなら、あなたにだけなら、俺は素顔だって見せようって思っていたのに……」

 ギュウギュウと、締めがキツくなる。

「は、はなして……」

「俺今、すごく悔しンス」あごに白い手が触れた。「悔しいから、ちょっと本気でイジメちゃう」

「そうか」

 打ち水のように冷めたパレードの声。

「そういうことかファニーフェイス」

 肩を落とし、薄目を開けてハハッと笑う。

「つまりお前は、キツネ側だな?」

「正解!!」

 突然口を塞がれ、全身に痺れる感覚が走った。精神的なものじゃない。スタンガンをくらったみたいに物理的な衝撃だ。

 声も出せず、パニックになりかける私の体を駄菓子の袋が包み込む。

「つまりは、ゲームオーバーです!! フー・フーさん。またすぐにお会いしましょう!!」

 真っ暗だ。

 体が浮く。

 バリバリとノイズが耳元でやかましく鳴り響き、擦れたラジオの音声が大音響でがなりはじめた。

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