第50話 対戦ゲーム

【M】



「落ちてばっかりだなフーフー……」またしても悲鳴を上げながら落下していくフーフーを眺めながら、僕はそう呟いた。

「アイドルは何やったって死なないからね」テラーが言う。「普通だったら死ぬくらいのことをしなきゃもったいない」

「お前が言うと説得力があるな」と、ジョーカー。

「酷い皮肉を言う。本物が、まさしくそこで舞っているというのに」

 今、メインモニターにはスィが映っている。舞台から降り、凶兆の影を纏う猫紳士をまっすぐに見据えながら、両腕を十字架のように広げて構えている。

 ドンッと重たい音とともに、都合4度目のココルの突進ハグ。流石に当たるかと思ったのも束の間、スィの姿がスッと落ちるように画面から消え去り、僕もカメラも多分ココルも彼女がどこいったのかを見失う。

 トンっと今度は軽い音がして、聖堂最後列のベンチの裏からスィがイルカのように高く飛び上がった。どうやら猫紳士の足元をくぐり、そのままベンチの下をものすごい低姿勢で駆け抜けていったらしい。壁を蹴り、美しい月面宙返りムーンサルトの軌道を描きながら緩やかにベンチの背もたれへ舞い降りたスィは、やはりまだゲームをいまいち理解できていなさそうな困った表情を浮かべながらも、どこか真剣味を帯びた瞳で猫紳士を見つめている。

「ひええ……」ファイがヒッヒと唸る。「なんつーバネだ。バケモンか」相変わらずぶっきらぼうな口調に似合わない桁外れに甘い声だ。

「無論、化け物だよ。世界の頂点だ」そう言ったのはジョーカー。「ミズノはスィのダンスを見るのは初めてか? すごいだろ、あれが楽園のダンスだ」

「アイドルって、あんなに動けるものなんですか?」

「アイドルだからじゃないよ。イヴが作る人形は元の肉体の理想的な代替に過ぎないからね。スィは昔からああだった」

「……人の体だった頃からですか?」

「無論、肉体がイデア式であることも無関係というわけではないが……」

「楽園にはプロスポーツという概念が存在しない」

 突然、前の方でモニターを見つめていた監督が振り返りもせずに言葉を発した。慌てて耳を澄ます。

「競技という形式そのものが楽園では遊び以上に発展しない以上、身体能力に優れる人間が瓦斯を稼ぎうる唯一の形式が舞踏ダンスだ。ゆえにこの世界のダンサーという言葉にはアスリートとしての意味も含まれる。楽園において<ダンス>とは身体を動かす全ての芸術形式の総称であり、必ずしも音楽やリズムをともなったものではない」

 監督の説明はこんな感じのことが多い。話を先読みしすぎて、疑問が形になる前に解答を解説付きで提示してしまうので、ついていくのも一苦労だ。

「肉体をイデア式に換装することは終わりなき全盛期の出力と怪我や病からの解放を意味する」監督はまた一足先に話を進める。「創作に永遠に従事できるその好条件を歴史上最も効率よく点数に換算しているのもまたスィだろう。実際にスィはイデア式に肉体を変更後、それまでの30年分と同量の瓦斯を5年で稼ぎ出している」

「はー……」

「プレゼントしてもらえる才能ギフトなんてものはないってことだよ」テラーが説明(?)を継ぐ。「とりわけダンスなんてのはこの世で一番言い訳が効かないジャンルだ。舞台の上で、身体からだ一つ。スィとはそれのみを条件にアーティストまで上り詰めた究極のフィジカルそのものだ。体で勝負になるのなんてジョーカーのチンコぐらいだよ」

「うむ」

「ちげえねえや」ファイは爆笑しながら僕を見る。「ああ、ところでさっきの話の続きになるが、ゲーム的には花嫁ってのは隠れんぼステルス型と鬼ごっこチェイス型の2タイプに分けられててネ、フー・フーはステルス型だから普通鬼ごっこなんかできないんだよね」

 僕は頷く。「なるほど」

「で、バキバキのチェイス型がスィなんだが……いや参ったねこりゃ」首の後ろで腕を組む。「猫紳士ジェントルミャーとの対峙はいかに見ないで距離を離せるかがキモなのに、正面からガン見してる花嫁が反射で全部避けてちゃゲームにならないぜ」

「それはココルがまだこの……」説明書を眺めながらテラーが頭をかく。「心投影灯ゴーストライトとやらを使えていないからだろう」

『なにそれ』ココルの声。口数が少なくなっているのは疲れたのか集中してたのか、それともイライラしていたのか。

「お前が散々ブーたれてた青い“影”だよ」

『この表面這ってるコレ?』

「そのソレは猫紳士の影法師だ。お前自身が見られて動けない間でも、本体から切り離して自由に動かせる」

『動かせる? あ、ホントだ可愛い』

「私はそうやってなんでも可愛いと言っておけばいいと思ってる女が大好きでね」

『嘘はもっと丁寧につけよ』

「悲しくも心からの本音さ。その可愛い影で相手の視界も覆ってやってくれ」

『ほー、あー、なるほどねピンときた。そういう仕組みか』

「ようやく私の話を聞く気になってくれて嬉しいよ」

『私だってそろそろ捕まえたいんだよ。よし、んじゃいくか』

 ココルの背後に鬼火のようなランタンと、それを持つ子鬼っぽい着ぐるみを着た使い魔が浮かぶ。心投影灯ゴーストライト、思い出した。影だけを操り人形のように動かせる青組の照明機材だ。

 黄色味を帯びた輪郭を持つ青白い光がともり、ズズッとココルの前方に影が伸びてスィの視界を覆う。

「……あ」スィの幽かな声。

『あは、ホントだ自由に動ける。これで……』

 影から逃れようとススっと横へ移動したスィを追いかけるように、壁の影も追随する。本体の動きとはまるで別の動きをする影がぬっと壁を這い回るさまは、具合が悪くなりそうなほどに不気味で不健全だった。スィのカメラから見た景色は更に怖い。漆のように真っ黒な影に視界が覆われると殆ど何も見えない上に、影と本体が動きが違うものだから、チラと影から逃れるたびに猫紳士がストップモーションでドンドン近寄ってくる。

 心なしか、スィの呼吸も震えている。やはり九龍冥婚クーロンメイデンはホラーゲームなのだ。

『歩きながら影を動かすの難しいなあ』ココルは喋りながらもジワジワとスィに迫る。

「難しいから技術コツがいる。技術コツがいらない対戦ゲームはゲームじゃない」テラーの答え。

『勝負事は嫌いだったな。弟に全然勝てなくてさ』

「弟が聞いたらさぞムカつく言葉だろう。今や勝負にすらなっていないのに」

 角に追い込み、両腕を熊のように広げ、猫と猫の影は壁に手を付き踊り子をゆっくりと囲い込んだ。

「ひっ……」追い詰められ、スィは縮こまる。

「そう」テラーはポケットからタバコを取り出す。「スィは反射で避けていただけ」

『なら、ゆっくり追い込んじゃえばいい』

 パカッと、着ぐるみの口が開いた。

 闇が見える。

 その瞬間響いた悲鳴もきっと、テラーに言わせれば実にそそるものだったろう。

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