第36話 蒐める、デカダンス

__人間はいつだって一人だ。

 ……デカダンス、出典不明



 泣き疲れたらすっかり喉が乾いてしまったので、お茶でも淹れようとパレードと一緒にラウンジに出たら、ソファに監督が座っていた。月をあしらった名状しがたい形状のハットをかぶっていて、星屑が散りばめられた闇夜のドレスの胸元には巨大な一輪の紫陽花あじさいが宝石のように咲いている。備え付けのソファの上でぬいぐるみのチェルシーをギュッと抱きしめ、軽く俯いたまま監督は目を閉じていた。

 スー……スー……とかすかな音。小さくゆったりとした呼吸に合わせて首を絞められたぬいぐるみが幽かに揺れている。ステッキは無造作にソファに掛けられ、周囲には誰もいない。

 監督は眠っていた。

「寝てるぶんには可愛いよな、デカダンス」パレードが呟く。

「監督が寝てる……」

「見るのは初めて?」

「珍しくないんですか?」

「デカダンスは割とあちこちで寝るんだよ」パレードは素早く監督の隣に滑り込むと、頭をそっと抱えて自分の肩に導いた。「忙しい男だからね。こうやって隙間の時間に細かく眠ってるわけだ」

「やっぱり監督っていうのは大変なんですね」

「大変だと思うよ」監督の華奢な肩を撫でながらパレードは言う。「私からしたら、コイツが一番人間離れしたアーティストに思える。体をイデア式アイドルにしてからというものデカダンスは一日も休んでいないんだ。家すら持ってない」

「家?」

「常に仕事してるんだから、定住場所なんていらないんだと。プライベートスペースが必要ないってのは私には想像つかんわ。このサロンにもデカダンスの部屋ないんじゃないのか?」

「へえ……あれ、でも部屋の数は……」と、僕がサロンに並ぶドアを数えようとしたとき、ガチャリと入り口の扉が開く音。

 ひょこひょこと、見知らぬ女の子が入り口の角から顔を出し、ビクッと肩を跳ねさせた。

 アーティストだった。

 つまりはイデア式アイドルだ。

 そのアイドルはパレードの体と同じくらいの年齢がモデルの紫髪の少女で、服装は丈の長めな黒パーカーと縞模様の入ったハイソックスの、わかりやすく作られた絶対領域が眩しい赤目の女の子だ。つまりは超ヲタク向けの少年漫画的美少女の完成形である。すごい中二イズムだ。

「あ、ファイだ」パレードが振り向いて、多分向こうに笑いかけている。「ひさしぶりじゃん」

「うわあ……パレードがいるとは聞いてなかったなあ」

 ぞぞっと、首筋に鳥肌が立った……ような気がした。力のない女の子の声。か細くて、優しくて、幼くて、儚くて、だけど不思議と聞き取りやすい素敵な声音。一部のマニアたちを発狂させられそうなほどに理想的な少女の声色に、僕の思考は一瞬で持っていかれた。

「それ、デカ……じゃないや、監督っすよね? ひええ、おっかねえ……」

「代わる?」

「俺がやったら殺されますよ」そう言って僕を見た。「えっと、あれか、もしかして最新のクローンか。だからパレードがいるのか。俺ファイ、よろしくな」口元を歪めて中二少女は笑う。山の天然水よりも透き通った声には似合わない、ぶっきらぼうな口調だ。

 ほんと、ありえないくらいに可愛い声だ。

「あ、ミズノです、よろしく……」

「最初に言っとくけど、俺は男だからな」

 それは、なんとなく察していた。

「さらに聞かれる前に答えとくと、エンジニアな」パレードがくるっと僕に振り返る。「元は大型装置が得意な一技師だったんだが、ある日クローンが持ち込んだ巨大ロボのデザインを見て頭がスパークして、そっから二年でアーティストまで突っ走った天才ボーイさ。理工と数学の申し子だよ」

「あなたほどじゃないでしょ」ファイは腕を組んで口元を歪める。「魔法生物ドラゴンは建築を超える数理の最難関でしょ?」

「私は数学苦手だよ」パレードは口をすぼめる。「二桁の掛け算を暗算でドヤってちょっと間違えてるくらいの……まあ、普通だな。てか単純な計算能力なら半世紀前からデカダンスが一等賞か」

「いやでもパレードって……」

「数学が苦手な人間などいない」

 遠くの稲光のように静かに、鮮烈に、監督の声がサロンを透き通った。

「リズムから色彩、味覚に至るまで、人間の持つ全ての感覚は計算に基づく」特にパレードを押しのけることもなくゆっくりと立ち上がり、ぬいぐるみの頭を軽くほろってから自分の帽子をなおす。「ただ、各々に与えられた単位にのみ適性が存在する」

「どーもデカダンス監督、ただいま到着いたしましたファイであります、ハイ」ファイはわざとらしく敬礼してみせる。

 デカダンス監督は相変わらずの焦れるほどにゆったりとした歩行でファイへと近寄り、その脇を通り抜け、サロンの出口へと向かっていく。

「……あの、監督?」

「黒組の仕事が遅れているようだ。アンハッピーからの連絡がない。現地へ行く」

「俺も?」

「自分の所属は?」

「……黒組っす、監督」肩を落とし、中二少女は僕とパレードに向けてベッと舌を出す。「ほんじゃ、また今度ー」

「はい、また……」

「なんでファイを呼んだの?」出し抜けにパレードがそう聞いた。

 死角の向こうで、キュッとヒールの鳴る音が止まる。ファイは目を見開いて、キョロキョロとアーティストの二人を気まずそうに見守っている。

「テラーとココルも来てたけど、もちろんデカダンスが招いたんだよな?」続けてパレードが聞く。

「無論」それが監督の答え。

「理由は、内緒?」

 しばしの沈黙ののち、またコツコツとヒールが鳴る。ファイは思考の読み取れない表情で一瞬だけ僕を見つめて、また鼻でフッと笑って監督を追いかけていった。

 扉が閉まり、とりとめのない緊張感だけが取り残される。

「ファイかあ。何すんのかな」パレードは伸びをして、流し目で僕を見る。

「なんか、アーティストっぽくない人でしたね、ファイ」僕はキッチンで茶葉を漁る。

「後輩っぽい気立ては生来のもんだ。才能とはなんの関係もないのさ」頭の後ろで腕を組む。「ふむ、なんだか俄然楽しみになってきたね」

「何がですか?」

「多分、一週間後くらいかな」

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