第35話 枯らす、レベッカ
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……レベッカ、人が泣く条件について問われ
それから数時間後。
「ぶわっはっはっはっは!!!! ひっ、ひひひっ、う、おぇ……げほっ……だは、ぶはははははははっ!!!!」
壊れた掃除機だってもうちょっと遠慮するってくらいのパレードの爆笑に釣られて……というよりも、僕自身今の自分のザマがあまりに可笑しかったものだから、ついつい一緒になってフフフっと笑ってしまった。もちろん、
「ミズノ、おま……と、とりあえず顔、拭けよ……拭いてくれ……」
「……ぐ……おえええぇぇぇ……」
と、返事代わりに響いた
僕だって本当は自分のことを思いっきり笑ってやりたいところなのだが、笑おうとするたび信じがたいほど聞き苦しい喘ぎしか出てこないのだから仕方がない。
いやー……。
まさかこの歳で、こんな小学生でも引くようなボロ泣きをするなんて思ってもみなかったなあ。
<砂の星のハダリー>。
それが、僕を涙腺をぶっ壊した作品の名前である。
ハダリーは恋愛作家レベッカの作品だけあって、フル・オンで起動した当初から、僕が普段明け暮れているようなホラーゲームとは明らかに違う甘い雰囲気が漂っていたのだが、その内容は、僕が勝手に想像していた日常を体験する恋愛シミュレーションともまた
舞台となるのは、毒に侵された砂の惑星。
砂嵐に埋もれた文明の残骸の上に影のような怪物たちがうごめく、そんな場所。
主人公は異星から遺跡の単独調査に派遣された男なのだが、彼の肉体はゲーム中では最後の最後まで登場しない。有毒な光に汚染された危険地帯を調査するために主人公は、無人機がこの星で発掘したというある“ロボット”の肉体に、宇宙船から魂を転送して活動しているのである。
驚いたことに、そのロボットというのが、あのレベッカのボディだった。
ようするにこのゲームは“この世界”の未来が舞台ってことなのだろう。極めて高性能な人体であるアイドルを使って、星の発掘調査を行うと……そういう設定だ。
簡単なチュートリアルを終えて砂の惑星に降り立った僕は、想像とは全く違ったSF的な世界設定に多少面食らわされたが、一番驚いたのは、ゲーム内の鏡に映るレベッカ(作中での名称はハダリー)の姿に対してだった。
キャンプ代わりの探査船の中にある鏡に顔を寄せ、まじまじと造作を確認し、その表情が見覚えのある形をかすめるまで、僕はこれがレベッカの体(を元にしたCG)だと気付かなかった。それくらい、晩餐会で会った時とは印象が違っていた。機械的な桃色の髪、無機質な雰囲気、変な色気の
「ちょ、ダメだ……頼む、頼むってミズノ、話にならねえ」パレードはまだ、最初と変わらぬ勢いで笑っている。「はははは、はぁ、はぁ……わ、私一回外出てようか?」
「だ、だいじょおぉ……ぶぇ、おおおおおええぇぇぇ……」
「ギャハハハハハハハッッ!!!」
本編において主人公が探索している区域というのは、そもそもハダリーが発掘された遺跡周辺であるらしく、この肉体自体、資料やイベントの中で示唆される物語の本筋に関わっているのは序盤からなんとなく察せられるようにできていた。ついでに、本作には難易度的な概念もなかった。襲ってくる影たちも弱いというか、そもそもアイドルにダメージなど与えられず、ただちょこちょこ妨害してくるのを光の魔法で追い払うだけである。そうして周囲の遺跡で資料を集め、イベントを起こしていけば、簡単にクリアまでたどり着ける。イメージとしては体験型の映画に近いもので、この世界ではこれがゲームのスタンダードだ。
このゲームが普通と少し違うのは、操作や攻略に逐一“声”を求められるところだった。魔法の発動然り、発掘機器の起動然り、各所のパスワード然り、報告然り、全て実際に僕がレベッカ……ハダリーの声で喋らなければならない。その都度あの高く透き通った声が自分の喉から出てくるわけで、僕はなんだか慣れないというか、妙に頭が混乱してしまった。人間って、思った以上に自分の声に親しんでいるものだ。風邪をひいたりするとそれがよくわかる。元が男のアイドルたちはみんな大変だろうな。
ゲーム中、簡単なパズル形式になっている資料(普通の遺物とか、ハダリーの歌声が録音されたカセットとか)を集めていくことで、順番に様々なイベントが起きていく。そのほとんどは、ハダリーの目(つまり僕の目)に映る幻覚として現れた。彼女と、とあるアンドロイドが二人で生活しているような、淡く甘い日々の記録映像。声はなくとも、仲の良さが香るようにできている二人の物語が、その
肝心のアンドロイドは、いつまで経っても見つからない。
いるはずの彼だけが、影も形も存在しないのだ。
ストーリーの中盤で、主人公のいる調査区域がじきに砂嵐に埋もれてしまうことがわかる。またその辺りで、ハダリーを通して垣間見れる幻も、少しずつ不穏な内容へと形を変え始める。首の取れたアンドロイド、幸せな二人の足元に広がる影、壊れた街、砂……正直、ホラーとも取れるくらいに不気味な雰囲気が漂っていて、かなり恐ろしかった。
それに、明らかに確信的なシーンもある。
過去ではなく、明らかに今の砂に埋れた状態の星を、アンドロイドと二人で歩くハダリーの幻影。
……ここまでくれば、誰だって想像がつく。
アンドロイドの彼は、もしかしたら
もちろん僕もそう予想した。だけど、確信するには伏線と取れる要素も乏しく、解答としてはいまいち煮え切らなかったため、僕はそれ以上の深読みはせずに素直にストーリーを進行していった。
果たして、この予想自体は間違いではなかったのだが……。
「どうだ、すごかったろ? 反則のオンパレードって感じで」
「ずりいっす」パレードが差し出してきたティッシュで鼻をかみながら、なんとか声を絞り出す。「いやぁ……ほんとおぉ……えっぐ……おえええぇぇえぇぇ」
「もう勘弁してくれ、腹よじれるって……」
ベッドの上で足をジタバタさせるパレードを見流しながら、再び思い出に
全てが明かされるのは、ラストシーン。
空が赤砂に包まれ、砂嵐が迫る中、最後の探索を終え、宇宙船内の自分の肉体へと戻るために帰還ポッド内で「リーヴ・ハダリー」と唱えようとする瞬間。
突然、世界が一変する。
ハダリーの声が泣き始めるのだ。
それまでずっと自分の声調を反映していたはずのハダリーの声が震え始め、鏡に映る白い頬に、涙の水滴がゆっくりと流れていく。その温もりがわかる。
指先が震え、視界がかすむ。
自分の意志と心からは確かに離れている体が、“泣く”のだ。
正直、これだけのことでも僕は相当に胸が苦しくなった。理由はわからずとも、泣いている感覚がフル・オンの肉体を通してダイレクトに伝わってくるのがキツすぎて、心がキリキリと痛むようだった。
更に、畳み掛けるように見え始めるのは、何度も見てきたハダリーの幻影。
アンドロイドと二人で過ごす日々の……夢。
想像。
ヴィジョン。
記録でも記憶でもない。
ハダリーが夢見た、
砂嵐に奪われてしまった、彼女の願い。
同時に僕は理解した。不穏な幻想が現れ始めたのは、この場所がいずれ砂に埋もれてしまうとわかった時からだった。
全ては、彼女の絶望。
もう二度と僕に会えぬ、哀しみ。
一人、砂の中で死んでいく悲しみ。
……淡い恋。
そんな全てが、巡る映像と巧妙な伏線によって、実に鮮やかに明かされていく。
砂の奥から異物を掘り出したあの時、反射のような挙動(当時の僕はバグの一種だと思った)で鋭い突起から手を守ってくれてたこと、影の攻撃の痛みに一人で耐えていたことまで……全部、その時になって初めてわかるのだ。
点と点が、セリフ無しで一本の線へと繋がっていく快感。
そして、僕がシナリオに感動を覚え、物語に感情移入し、この涙が別れの涙だと理解した頃には、
こうなったらもう、わけがわからない。
自分が泣いてるのやらハダリーが泣いているのやら、この涙は本物か演出か、何もかもが滅茶苦茶になる。その場から歩けないのはゲームの仕様なのだろうが、本当に泣きすぎて、足に力が入らないって錯覚すら起こり始める。
集めてきたハダリーの歌……ラブソングも幻聴のように溢れ出し、歯止めが効かない。
しかもだ。
そんな中で、僕は何度も「リーヴ・ハダリー」と唱えなくてはいけない。
涙で土砂降りになった声では、機械が音声を認識してくれないから。
これが本当にヤバい。
ヤバすぎた。
泣いてる人間をもっと泣かせるのに、無理やり喋らせる以上に効果的な手法なんてないだろう。泣いてる人間の声を無理やり聞かされるほど、いたずらに涙を煽り立てる要素もないだろう。
その両方が同時に襲い掛かってくる衝撃。
ズルいなんてもんじゃなかった。
喋れば喋るほど声が歪み、喉が腫れ、音声認識は赤いエラーのランプを光らせ続ける。
やがてハダリーが膝から崩れ、喉の奥から本気の
とても不思議な感覚だった。
悲しいのは確かなのに、泣けるのは間違いないのに、自分の心がどこにあるのかわからなくなってしまうような……。
この涙は、はたしてどんな気持ちが生んだものなのか。
ハダリーが僕に帰ってほしくないのか?
僕が別れを拒んでいるのか?
必死に声を落ち着けようと努力してるのは、僕とハダリーの、どちらだ?
狂おしいほどに、想いが交錯しているのは確かなのに……。
考えれば考えるほど、涙は止まらない。
泣きすぎて死ぬかと思った。
だけど……。
世界が軋み、砂の嵐がポッドを包み、ずっと僕を急かし続けていたタイマーランプがゼロになろうとする瞬間、“ハダリー”が初めて勝手に、自分から声を発する。
絞り出された、カラカラの声。
最初はエラーで。
何を言おうとしてるかわかった僕は、思わず止めようとしてしまう。
いやだ、このまま別れたくない! って、本気で願う。
止めようと思えば止められるというシステム的な演出が、またニクい。
立場が逆転し、意思が交代して、今度は僕が必死にハダリーを引き止める。
心が潰れてしまうほどに純粋ないじらしさで、僕を切り離そうとする彼女にすがりついて……。
だけど最後には、心を愛する
……リーヴ・ミー。
と、心を弾き飛ばすクリアな声が、砂に響き。
何かが、無理やり引き剥がされるような感覚。
引き止めるための
白む世界。
網膜に映っていた幻が、名残惜しく虚空に消えゆき、乾季の砂漠のような平坦さだけが取り残される。
トンっと、軽い衝撃。
静寂。
鼓動。
体温。
瞬き。
無機質な壁。
天井の照明から、焼かれたホコリがチリチリと降り落ちる。
帰ってきたはずの体。
空っぽの心。
何かが置いてけぼりで。
無音。
ずっと。
目を閉じて。
余韻。
砂漠のように。
どこまでも。
余韻。
……涙。
自分の声。
暗転。
ゲームはそのまま、ハダリーの歌う切ない曲「Body」が流れるセピア色のエンディングへとなだれ込む。
いつだって一番あなたの近くにいる
きっと あなたのように賢くないけれど
いつだってあなたの代わりに苦しんで
いつだってあなたの代わりに傷ついて
それでもいいから 私は泣ける
そんな意味の歌を、恐ろしく透き通った歌声で、ハダリーが僕の隣で歌い続ける。
彼女が願った二人での生活を……今度はあのアンドロイドの視点で見つめ続けるのだ。
だけど、いくら幸せな光景の中で歌えども、別れを象徴するかのように、ハダリーはずっと目を閉じたままで……。
体と心は、出会えない。
あまりにも切なく、震えるほど
やがて淡い幻影も消え去り、主人公が資料を見つめるラストカットに、ずっと欠けていたラストのフレーズ、
いつかあなたと 話してみたいな
……という声が響き、同時に一瞬だけ、ハダリーの幻覚が視線をよぎって、そこでゲームは終了する。
すごい経験をしたと……僕は、そう思った。
フル・オンが自動で解除され、現実に意識が戻っても、感動の余波が強すぎて、しばらく動けなかったくらいだ。
景色と音と経験で、感情を直接クリエイトする、ゲームという媒体の真骨頂。
これがレベッカか。
やがてなんとか呼吸を取り戻し、震える指先でヘッドセットを外したら、冗談でもなんでもなしにゴーグルのところに涙が溜まっていて……で、ベッドの上でダラっと僕を待っていたパレードが、僕の顔を見るやいなや情感もへったくれもなく笑いだし、今に至る。
「おいおいおいおい……なんてザマだよ、今お前ひっでえ顔してんぞ?」パレードはまだ笑ってる。
「う……あ、は、ハダリイイイいいぃぃぃーーー……」
半分はわざとな僕の魂の叫びに、またパレードはひっくり返って、枕をバシバシと猿みたいに叩いた。人が感動の余韻に浸ってるときに、ここまで無遠慮に笑えるのもすごい。
だけど……。
それでも消えない感動ってあるんだなぁ。
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